ノート:萩原恭子
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記事名について
[編集]荻原(おぎはら)ではなく、萩原(はぎわら)が正しいです。
- 朝日新聞1978年12月25日(15)では「萩原恭子、尾崎久郎」が世界フィギュアのペア代表に決まったとあります。
- http://www14.plala.or.jp/iceskate/coachb.html でも「萩原恭子」としてスケート教師として紹介されています。
- http://www.goldenskate.com/figure-skating-results/figure-skating-results-professional-and-pro-am-competitions/world-professional-figure-skating-championships-jaca-spain/ では「Kyoko Hagiwara」と記載されています。
World Professional Figure Skating Championships (Jaca, Spain) 1980 Pairs 1. Sandra and Val Bezic (CAN) 2. Kyoko Hagiwara and Hisao Ozaki (JPN)
--田幸(会話) 2014年1月29日 (水) 08:29 (UTC)
- コメント 私にはどちらが正しいのかわかりませんが、全日本フィギュアスケート選手権#出典にあるペア歴代メダリストでは「荻原 恭子」です。情報源の信頼性としてはこちらの方が高いだろうと思うので、日本スケート連盟に確認しては如何でしょうか。いまのままだと、改名したとしても「日本スケート連盟では『荻原』表示である」のように書いたり、「荻原恭子」をよくある間違った表記として残しておくことになるでしょう。日本スケート連盟のサイトが訂正されれば「萩原恭子」に記事を改名して、「荻原恭子」はリダイレクトとしても残さなくて良いと思います。--アルビレオ(会話) 2014年2月2日 (日) 01:27 (UTC)
- 報告 提案者により「萩原恭子」へ移動されました。--Tkmkz[会話] 2014年3月11日 (火) 08:10 (UTC)
- 調査の結果は以下の通りです。日本スケート連盟のサイトでは、「第44回大会 昭和50年 荻原 恭子/村田 澄夫 加藤はまえ/荻原 弘道 丸山 美子/小豆島祥記」です。しかし、「日本のスケート発達史」日本スケ-ト連盟 編 ベースボール・マガジン社 1981 pp.386-389では「第44回(1975年) 1 萩原 恭子(日大)・村田 澄夫(明大) 2 加藤はまえ(富士短大)・萩野 弘道(富士短大) 3 丸山 美子(十条)・小豆島祥記(専大)」、「最新スポーツ大辞典 資料編」の全日本選手権大会優勝者 <フィギュア> ●ペア p.163では、「(44) 1975 萩原恭子・村田澄夫」です。当時の『朝日新聞』、『年鑑』類でも「萩原恭子」です。「荻原恭子」とするのは、日本スケート連盟のサイトのみです。日本スケート連盟サイトとその他資料では「荻原恭子」と「萩原恭子」、「荻原弘道」と「萩野弘道」と2箇所異なっています。したがって、その他資料での「萩原恭子」を正しい表記としました。--田幸(会話) 2014年3月13日 (木) 08:15 (UTC)
- 多数派の資料に基づいて改名したところまでは良いでしょうが、だからといって食い違っている資料を無視するのはWikipedia:検証可能性に抵触するでしょう。ウィキペディアの原則は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。日本スケート連盟のサイトに「荻原恭子」と表記されている事実を無視すべきではありません。--アルビレオ(会話) 2014年3月16日 (日) 07:50 (UTC)
- ペアの第44回大会の選手名において、「ペア歴代メダリスト」の第44回の部分は「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源」(Wikipedia:検証可能性#信頼できる情報源)ではないと判断し、「ペア歴代メダリスト」は本記事の出典とすることはできないと考えています。
- 多数派の資料に基づいて改名したところまでは良いでしょうが、だからといって食い違っている資料を無視するのはWikipedia:検証可能性に抵触するでしょう。ウィキペディアの原則は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。日本スケート連盟のサイトに「荻原恭子」と表記されている事実を無視すべきではありません。--アルビレオ(会話) 2014年3月16日 (日) 07:50 (UTC)
- 調査の結果は以下の通りです。日本スケート連盟のサイトでは、「第44回大会 昭和50年 荻原 恭子/村田 澄夫 加藤はまえ/荻原 弘道 丸山 美子/小豆島祥記」です。しかし、「日本のスケート発達史」日本スケ-ト連盟 編 ベースボール・マガジン社 1981 pp.386-389では「第44回(1975年) 1 萩原 恭子(日大)・村田 澄夫(明大) 2 加藤はまえ(富士短大)・萩野 弘道(富士短大) 3 丸山 美子(十条)・小豆島祥記(専大)」、「最新スポーツ大辞典 資料編」の全日本選手権大会優勝者 <フィギュア> ●ペア p.163では、「(44) 1975 萩原恭子・村田澄夫」です。当時の『朝日新聞』、『年鑑』類でも「萩原恭子」です。「荻原恭子」とするのは、日本スケート連盟のサイトのみです。日本スケート連盟サイトとその他資料では「荻原恭子」と「萩原恭子」、「荻原弘道」と「萩野弘道」と2箇所異なっています。したがって、その他資料での「萩原恭子」を正しい表記としました。--田幸(会話) 2014年3月13日 (木) 08:15 (UTC)
- 報告 提案者により「萩原恭子」へ移動されました。--Tkmkz[会話] 2014年3月11日 (火) 08:10 (UTC)
- 判断の理由:
- ノート:全日本フィギュアスケート選手権#記載の間違いについてでは日本スケート連盟が編集または発行した資料に誤りがあることが指摘されています。その指摘で全日本フィギュアスケート選手権の修正も行われています。
- ペアの第44回大会の1位、2位の選手名が『日本のスケート発達史』と「ペア歴代メダリスト」とでは異なっています。--田幸(会話) 2014年3月20日 (木) 08:02 (UTC)
- どうも田幸さんは根本的に勘違いされているようです。確かに調査された資料では日本スケート連盟の公式サイトの記述は誤っているように見えます。しかし、誤った記述が日本スケート連盟の公式サイトに記載されているのであれば、誤った記述として本記事に記述しておくべきです。もう一度Wikipedia:検証可能性を良くお読みください。ノート:全日本フィギュアスケート選手権#記載の間違いについてでもコメントされていますが、是非日本スケート連盟に報告して、公式サイトの修正をお求めになってください。--アルビレオ(会話) 2014年3月20日 (木) 09:27 (UTC)
- 本記事の冒頭に「荻原恭子」表記について記載する必要性を感じませんでした。「荻原恭子」では知られていないからです。一方で全日本フィギュアスケート選手権なら必要性を理解できます。「荻原恭子」表記の文は、「『日本のスケート発達史』では萩原 恭子、日本スケート連盟の公式ウェブサイトでは荻原 恭子表記である。」がより正確な表現になります。日本スケート連盟に報告については、その意見に賛同していません。--田幸(会話) 2014年3月22日 (土) 02:43 (UTC)
- 日本スケート連盟の公式サイトに「荻原恭子」表記となっている限りは、その表記で検索される可能性があります。従って本記事に「荻原恭子」表記についての記述があるべきだと思います。なお、田幸さんがご自分で日本スケート連盟に報告されるかどうかは全くの自由です。単に日本スケート連盟の公式サイトの「荻原恭子」表記が残っている限りはウィキペディアでもその表記を記述しておくだけの話です。
- もう一点お願いです。本記事に限らず、ご自分で必要性を感じない場合でも出典のある記述を勝手に除去しないでください。なお、本記事の「荻原恭子」表記については、冒頭部に記述されている限りお好きなように記述を追加されて構いません(元々私だけが編集する権利を持っているわけでもありませんし)。--アルビレオ(会話) 2014年3月22日 (土) 03:05 (UTC)
- 「荻原恭子」表記を本記事冒頭から、関連項目の全日本フィギュアスケート選手権の右側に移動すべきと思います。「荻原恭子」表記の解説は本記事の人物を理解する上では重要性が高くないからです。--田幸(会話) 2014年3月22日 (土) 04:46 (UTC)
- 「荻原恭子」で検索できなくても、ペアパートナーの尾崎久郎、村田澄夫で検索すれば当記事へ到達できます。全日本フィギュアスケート選手権のペア第44回の1位の選手名からも当記事へ到達できます。「荻原恭子」表記についての記述はなくてもよいはずです。--田幸(会話) 2014年3月23日 (日) 00:46 (UTC)
- 他の方法で検索できるからと言って、日本スケート連盟の公式サイトの表記で本記事を検索する人が絶対に居ないとは言い切れません。可能性がある以上、その表記について記事の冒頭部に記述があった方が良いでしょう。
- 田幸さんは本記事の冒頭部から「荻原恭子」表記を除去したがっているように見えますが、何故でしょうか? 記述が無いと、「荻原恭子」で検索して本記事に辿り着いた人が目的の記事ではないと誤解する恐れがあります。記述があっても何の害もないですよね。無いと弊害があり、あった場合に何の害もないのですから、記述を残すべきだと思います。--アルビレオ(会話) 2014年3月23日 (日) 01:14 (UTC)
- 本記事の冒頭に「荻原恭子」表記について記載する必要性を感じませんでした。「荻原恭子」では知られていないからです。一方で全日本フィギュアスケート選手権なら必要性を理解できます。「荻原恭子」表記の文は、「『日本のスケート発達史』では萩原 恭子、日本スケート連盟の公式ウェブサイトでは荻原 恭子表記である。」がより正確な表現になります。日本スケート連盟に報告については、その意見に賛同していません。--田幸(会話) 2014年3月22日 (土) 02:43 (UTC)
- 判断の理由: