ノート:蔣介石
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苗字は蒋、介石は字
[編集]苗字は蒋で介石は字だと思うんですが。--210.156.131.156 2006年2月6日 (月) 12:18 (UTC)
日本語として意味がわからない箇所
[編集]>「独裁者として「皇帝」に目指し、台湾人大嫌いな人間のひとつです、その人は暴君」と思うことは普遍です、でもあるひとは今まで「蒋介石は英雄だ」と信じています。
この文章は日本語として成立しておらず、意味がよくわからないんですが…。--60.34.125.152 2006年2月22日 (水) 16:19 (UTC)
- ようするに日本で思われてる以上に台湾での蒋介石の評価は悪いということです。いまだに英雄だと言うのは一部国民党の旧特権階級外省人くらいという意味でしょうか。台湾の人にとっては、いきなり台湾に攻めてきた侵略政府の独裁者で、もともと住んでいた内省人を大量粛清してますから、無理もない話かと。--Takora D 2006年12月13日 (水) 07:37 (UTC)
名は「中正」で「介石」は字?
[編集]中正が字で介石が名だと思うんですが。台湾で国民党独裁の時代に彼は絶対権力者だったため名で呼ぶのが失礼だとして字で「中正」と呼んでたんじゃないですか? 「中正路」「中正国際空港」など中正の名のついた場所がいたるところにありますし、名と字逆じゃない? --202.252.214.1 2006年10月30日 (月) 10:02 (UTC)
- 『漢語林』にも「字は中正」とあります。--Grimm 2006年12月8日 (金) 11:04 (UTC)
- 中国語版では「原名瑞元」とあります。ほかにもいろいろ異名がありました。台湾では「中正」を用い、対外的には「介石」と名乗っていたということも聞きました。--Grimm 2006年12月25日 (月) 10:00 (UTC)
中国語版では「元の名前は瑞元で、中正に改名した。字が介石。」とあります。 --早千狐(会話) 2020年7月4日 (土) 10:30 (UTC)
台湾における脱蒋介石
[編集]「民進党政権主導による脱蒋介石化には、最大野党中国国民党及びその支持者には批判的声が強い。」とあります。かつては確かに批判的だったかもしれませんが、新たな国共合作とも揶揄?される国民党の中国共産党への急接近において蒋介石は国民党の思い出したくない過去になりつつあるのではないでしょうか。現時点において蒋介石の子孫は批判していますが、国民党の大勢として「批判的声が強い。」といってよいのでしょうか? 「民進党政権主導による脱蒋介石化には、最大野党中国国民党及びその支持者には批判的声が強かったが、国民党の中国共産党への急接近により、その批判は弱まっている。」と訂正すべき時が来ているのではないかと感じますが、いかがでしょう。--218.110.164.9 2008年1月17日 (木) 11:13 (UTC)ゴンベイ
人物
[編集]「国民党の独裁体制はソ連の軍制の視察などを通じて研究したソビエト連邦共産党の模倣であり、蒋介石を批判する側は(台湾において使用例は少ないが民進党関係者が)党国体制・(日本おいて台湾独立運動家を中心に)擬似マルクス・レーニン主義体制と呼んでいる。」
以上の記述は蒋介石独裁体制に対する台湾独立派の主張であり、蒋介石がマルクス・レーニンをまねたというのありえないことです。「党国体制、擬似マルクス・レーニン主義体制」これらの述語は検索するかぎり当ウィキペディアの引用がほとんどで他は台湾独立派が使用してるだけです。当該記述は台湾独立派の主張・見解として分離すべきだと思います。--59.139.180.26 2008年2月10日 (日) 11:08 (UTC)
独自研究の削除
[編集]WP:NORによって、出典の記載のない独自研究は削除します。復帰する場合は、必ず出典を明記してください。--さんぽーる(会話) 2016年10月23日 (日) 09:29 (UTC)
朝鮮半島
[編集]「カイロ会談で蔣介石は、ルーズベルト大統領に高麗の」の段落の朝鮮半島の帰属に関する記述は脱線だと思います。この蔣介石を紹介する記事に書くのは場違いでしょう(別の記事に書くとしても、1人の評論家の論だけでなく、他の研究者の論を併せ、中立にする必要があります)。 --2001:240:241F:D8B8:2B:8A0B:A107:A13F 2022年5月22日 (日) 10:59 (UTC)