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ノート:薬師寺

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薬師寺 (栃木県)について

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奈良時代に栃木に作られた天下の三戒壇の1つで、道鏡が左遷された薬師寺もあるのですが、そのリンクが奈良の薬師寺に転送されてしまいます。どうしましょうか--Kstigarbha 2005年8月14日 (日) 12:12 (UTC)[返信]

薬師寺 (奈良県)について

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東塔の補足してくださった方、web上でそのまま記載されていた文面を引用されていたようなので一旦差し戻しますね。また、フェノロサが言ったか言ってないのかもう一度調べなおします。どちらなんでしょうね?--D5 2006年10月7日 (土) 01:04 (UTC)[返信]

どうもウィキペディアについて誤解されている部分があるように思いますので、僭越ではありますが、若干説明をさせていただきます。「薬師寺」の記事のうち、文化財に関する記述の大部分は、私が2005年2月23日に投稿したものがベースになっていますが、これは私のオリジナルの文章です。他のウェブサイトに同一の文面があったとすれば、そのウェブサイトがウィキペディアの記事をコピーしているのであって、その逆ではありません。「東塔」に関する記述は2005年2月23日に私が投稿したあと、半年以上後の2005年10月1日に一部修正しており、一気に書いたものではありません。ウィキペディアを情報源としているサイトは多数あり、その中にはウィキペディアが情報源であるということを明示していないものも多数あります。くわしくはWikipedia:ウィキペディアを情報源とするサイトをご参照ください。もし、他のウェブサイトから丸々コピペしたものがウィキペディアに投稿されていたとしたら、その場合は「差し戻して編集」では解決にならず、「削除依頼」に出すべきです。ただし、前述のようにウィキペディアの記事がオリジナルで、外部ウェブサイトの方がコピーであるというケースも往々にしてあるので、削除依頼を提出するには慎重でなければなりません。ウィキペディアの記事はあちこちのウェブサイトに転載されており、寺院記事は修学旅行の資料づくりなどにも役に立っているようです。たとえばこちらのサイト[1]にはウィキペディアの清水寺 (京都市)の記事がそのまま使われていますが、ウィキペディアが出典であることが明記されています。このページの下の方にはこれを読んだ人からの「わかりやすい」「役に立った」等のコメントが寄せられています。ウィキペディアの「薬師寺」の記事は、たとえばこのページ[2]に転載されていますが、出典がウィキペディアであるということが明記されていません。このサイトは、他にもウィキペディアの記事を多数、出典を明示しないまま転載しています。次に薬師寺東塔を評して「凍れる音楽」と言ったのはフェノロサではありません。「凍れる音楽」の初出は黒田鵬心著『日本美術史講話』(大正3年刊)です。Urania 2006年10月7日 (土) 17:06 (UTC)[返信]
赤リンク除去のため[[清水寺 (京都市)]]の部分を訂正させていただきました。 kyube 2008年5月22日 (木) 05:05 (UTC)[返信]


いろいろ編集いただいたようで御礼申し上げます。
凍れる音楽に関してですが、初出は黒田某ではないようです。黒田以前、wiki中のゴシック建築によるとフェノロサ以前、ゲーテ以前のドイツにおいてその発言があったようですので、フェノロサがこれを知り例えば雑談中に同様の発言していたことが口伝となって巷間に広まったと考えてはいかがでしょうか。著作に残っている事が世界の全てではないでしょう。また著作から引用する場合は出典が必要となりますね。仮に完全な世の誤解だとして、これだけ一般的に広まってしまったことを否定するには、何か完全に発言がなかったとする相当な論証を行なわなければならないのではないでしょうか?
実際にこれは不可能にも思います。ですので発言是非については記載しないことが適切なのではないでしょうか?と考え前回今回の編集に至っております。--D5 2006年10月9日 (月) 03:25 (UTC)[返信]

D5さん、毎度ていねいにノートに書いていただき、どうもです。まあ、フェノロサが言ったとか言わなかったとかは別に書かなくてもいいことかもしれませんので、当面このままにしておきましょうか。私が「黒田鵬心が初出」と言ったのは、日本でこの言葉(元はドイツ語)をこのように翻訳したのが、彼が最初らしいということです。(町田甲一『大和古寺巡歴』参照)なお、フェノロサの著作に「凍れる音楽」という発言が「ない」ということは証明できたとしても、雑談まで含めて「完全に発言がなかった」ことを論証するのは論理的に不可能でしょう(ウィキペディアの「悪魔の証明」の項参照)。しかし少なくとも、「凍れる音楽」なる言い回しがフェノロサ以前からあり、フェノロサの独創でないことは証明されているのではないでしょうか。
私としては、自分の意見は主張しつつもできるだけ他の人の意見も聞き、皆で楽しくやっていければと思っています。よろしくです。Urania 2006年10月9日 (月) 09:51 (UTC)[返信]
そうですね、「フェノロサ以前からあり、フェノロサの独創でないことは証明」これを上記で正に言いたかった事です。仰るところはまさに正鵠を得ていていると思って尊敬しております。多くの方の意見を踏まえて編集されていけばいいと思ってやっております。編集後の文意が全体通して重複や文脈不一致になってないか見た目に見やすいかどうかで編集を行なっていますが至らぬ点多々お恥ずかしいかぎりです。今後ともご指導ご鞭撻のほどどうぞ宜しくお願いいたします。--D5 2006年10月9日 (月) 10:56 (UTC)[返信]

文献資料

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『仏塔巡礼 西国編』(長谷川周 )〔ISBN 4487795966〕のP.80には、『フェノロサによる表現』とあります。Histwr 2007年3月5日 (月) 07:39 (UTC)[返信]

追記;フェノロサの表現であるとするその他の出典

フェノロサの発言云々の件につきましては、上の方ですでに議論しつくされていると思います。上では「『凍れる音楽』をフェノロサの発言であるとする資料が多いが、それは誤りである」ということの是非について議論しております。したがって、「フェノロサの発言であるとする資料が多い」ことは自明の前提となっております。失礼とは存じますが、この点ご理解願います。Urania 2007年5月1日 (火) 07:13 (UTC)[返信]
Urania さん、どうも。ところでこの節はCSに基づくところのものにすぎず、そうでない議論については関知しません。そろそろ3ヶ月が経過しますので、アーネスト・フェノロサの発言であるということを否定する旨の検証可能な出典が今後3日間のうちに確認できなかった場合、そのときをもって、上記の資料を出典と致しまして、これを書き加えることにします。Histwr 2007年5月20日 (日) 15:21 (UTC)[返信]

上記の件については、町田甲一『大和古寺巡歴』、講談社学術文庫、1989、PP140 - 144をご参照ください。そこに、「凍れる音楽」というフレーズが日本においていつ頃どのようにして使いはじめられたのか、出典も含め、明快に説明されています。この出典についてはこのページの上の方ですでに言及しており、議論も尽くされていますので、何とぞご理解のほどお願い申し上げます。「凍れる音楽」というフレーズは、フェノロサが初めて使ったものではなく、フェノロサが生まれる以前からドイツ語にはそのような言いまわしがあったということはどう見ても事実であり、そのことは「ゲーテ/凍れる音楽」あたりをキーワードにしてグーグル検索していただければわかると思います。「出典の明示」、「検証可能性」ということがウィキペディアの重要な方針であり、貴台がその方針に忠実であろうとする姿勢はわかります。しかし、願わくは『仏塔巡礼』のようなフォトエッセー集や観光案内のHPのようなものばかりでなく、専門の研究者によって執筆された書籍や事典等も参照するようにしてください。フォトエッセー集や観光案内のHPに書いてあることを無批判に信じることが「出典の明示」、「検証可能性」ではないと思います。私の投稿履歴を見ていただければおわかりいただけると思いますが、私は他の利用者のご意見は極力尊重し、丁寧な言葉づかいを心がけてきたつもりであり、このように手厳しい意見を申し上げるのは例外的であるということもご理解たまわれば幸いです。Urania 2007年5月23日 (水) 15:12 (UTC)[返信]

Urania さん、どうも。
  • ドイツ語における凍れる音楽という表現は、フェノロサが創出したものではない。
  • ドイツ語における凍れる音楽という表現は、薬師寺の東塔を指して創出されたものではない。

―という命題が真であるか否かという点については、『フェノロサが薬師寺の東塔を"凍れる音楽"と表現した』という命題、ならびに本節の議論に一切の影響を及ぼさない話題なので、これについては関知しません。そして、ここウィキペディアの方針に従うならば、ここウィキペディアは通説を記載するところであって、もっぱら知られていない事実を公表することが目的ではない、ということで、先に望みました旨の資料の明示がないことをもって、これより作業に移りたいと思います。

付記;御紹介頂いた 町田甲一『大和古寺巡歴』 については、これを持ってないので、またどうも絶版品のようなので自分は少なくともすぐには参照できませんが、『アーネスト・フェノロサが薬師寺の東塔を"凍れる音楽"と表現した』というこの通説を否定する記述がもしその本にあるのでしたら、著者・町田甲一氏の名をもって、その説を併記することもありではないかと思います。ただその場合、それは明確に断言されていなければならず―つまるところ、フェノロサはそんなこと言ってねぇ、と―、仄めかすような記述、または推測調などであった場合、併記の価値無しと判断したうえで、もし参照が行われても自分はそれを削除するでしょう。

これにて。Histwr 2007年6月1日 (金) 01:11 (UTC)[返信]

  • ご意見拝読しましたが、Histwrさんがこの件になぜこれほどこだわるのかよくわかりませんし、どうも根本的なところで認識がずれているように思います。そもそもこの記事は「薬師寺」の記事であって、「フェノロサ」の記事ではありません。フェノロサが薬師寺東塔について発言したかしなかったかは、東塔の文化財としての価値とは関係がなく、フェノロサの発言云々は別にこの記事中に書かなくてもよいと思います。そういうことで、この件の議論はもう終わったと私は考えていましたが、Histwrさんから「出典を明示せよ」と重ねて要請がありましたので、検証可能な資料を提示したわけです。しかし、当方が検証可能な資料を明示したにもかかわらず「資料の明示がない」とおっしゃるのは理解できません。それに続いて、私が挙げた資料を見ていないことは正直に認められた上で、「フェノロサはそんなこと言ってねぇ、と―、仄めかすような記述、または推測調などであった場合、(町田甲一説は)併記の価値無しと判断したうえで、もし参照が行われても自分はそれを削除するでしょう」というのはなおさら理解に苦しみます。貴台は2007年3月5日付けのご意見にて「『仏塔巡礼 西国編』(長谷川周)のP.80には、『フェノロサによる表現』とあります」と述べています。貴台は別の記事においても『仏塔巡礼』を典拠に挙げておられ、同書を出典とする記述を私が削ったことに対して過剰に反応されていましたし、どうもこの本にかなりの思い入れをお持ちであるように拝察します。それはそれで結構ですが、別の検証可能な情報源には『仏塔巡礼』の記述とは相反することも書かれているのだから、それを書くことも許容されるべきであり、それを認めず、ご自身の意に沿った出典だけを取り上げようとするのはウィキペディアのもっとも重要な方針の1つである「中立的な観点」に反します。私が提示した文献は高名な美術史学者による著作で、信頼のおける出版社から公刊され、図書館等で誰でも容易に参照できるものであり、ウィキペディアの求める「検証可能性」を問題なく満たしていると思います。その資料を見てさえもいないのに、価値なきものとして排除しようとするのは、「中立的観点」に反するのみならず、著者の町田甲一先生に対して非礼であると思います。誤解のないように付け加えますが、高名な学者先生の著書だから、そこに書いてあることが何でも正しいというのではありません。しかし、せめてどのような本であるのか、読んでみてからご自身の意見を述べられてはどうでしょうか。
  • 「『ドイツ語における凍れる音楽という表現は(後略)』という命題が真であるか否かという点については、『フェノロサが薬師寺の東塔を"凍れる音楽"と表現した』という命題、ならびに本節の議論に一切の影響を及ぼさない話題である」との所説にも私は賛成いたしかねますが、その理由を書き始めると長くなりますし、あまり重要でないと思われるので割愛します。
  • 『フェノロサが薬師寺の東塔を"凍れる音楽"と表現した』という命題の真偽、すなわち、フェノロサが本当に「凍れる音楽」と発言したのかどうかについて言えば、これを「フェノロサの発言である」と断定調で記載するには、大元の出典は何なのか、何らかの一次資料が提示されるべきだと思います。たとえば、「人間は考える葦である」の原典は『パンセ』であり、「天は人の上に人を造らず」の原典は『学問のすゝめ』です。では、フェノロサの「凍れる音楽」の原出典は何でしょうか。フェノロサ自身の著書、書簡、日記等の中に「凍れる音楽」という言葉が出てくるのでしょうか。または、同時代の新聞記事であるとか、生前のフェノロサを直接知る人物(岡倉天心とか)の著書とかにフェノロサの発言が記録されているのでしょうか。どこかに原典があるのであればご教示ください。逆に、そうした一次資料がなければ、「フェノロサがそう言った」ということはなぜわかるのでしょうか。その情報のそもそもの出所はどこなのでしょうか。素朴な疑問です。
  • 「ウィキペディアは通説を記載するところである」とありますが、正確には「ウィキペディアは検証可能な説を記載するところである」というべきかと思います。ウィキペディアでは中立的観点、両論併記が奨励されており、少なくとも通説「のみ」を記載すべきだという方針はないはずです。
  • 町田甲一が『フェノロサが薬師寺の東塔を"凍れる音楽"と表現した』という通説の否定を明確に断言しているか否かという点ですが、町田は明確に断言しています。また、歴史の記述には推測がつきものであって、仮に町田の記述が「と思われる」のような推測調であったとしても、そのことのみをもって「併記の価値無しと判断」すべきではありません。推測調の記述を認めないのであれば、古代の遺跡や寺院跡などについての記事は何も書けなくなります。「もし参照が行われても自分はそれを削除するでしょう」などという恣意的判断こそが「中立的な観点」に反するものではないでしょうか。
  • 冒頭に述べたように、私は「薬師寺」の記事には薬師寺のことを書くべきであって、フェノロサの発言の真偽の問題はどうしても書くなら「アーネスト・フェノロサ」の記事内に書くべきかと思います。したがって、このページでのこの議論はこのへんで終結したいと思います。最後に念のために付け加えます。私はHistwrさんの書かれた記事についてたびたび大幅修正をしたり、ノートページで文献調査の不備を指摘したりしていますが、私は特定のユーザーさんを標的にしているわけではなく、誰の書いたものであれ、客観的な間違いは修正しています。ただ、私が執筆している古美術、文化財、寺院等の分野に参加しているユーザーはあまり多くないので、同じユーザーさんにたびたびご注意申し上げるようなことになってしまうわけです。この点ご理解を願います。Urania 2007年6月3日 (日) 06:23 (UTC)[返信]
併記された部分を削除しました。理由は上に述べていることでありますが一応繰り返しておきますと、併記された町田甲一氏の考察とやらが、問題にしている部分についての議論とそもそも噛み合っていないからです。言うまでもありませんが、以前に存在したかどうかという考察は係る発言の否定の材料たり得ない。以上により、やはり通説を否定するだけの典拠たり得ないということで、以降この考察をもって再編集の典拠とされることがあれば、その都度それを削除するでしょう。ではこれにて。Histwr 2007年7月26日 (木) 09:48 (UTC)[返信]

将来このノートページを見る人のために一応話をまとめておきます。「薬師寺の東塔を『凍れる音楽』と評したのはフェノロサか否か」というようなことが話題になっているわけですが、結論から言いますと、「凍れる音楽」というフレーズはゴシック建築などを指して古くからドイツで使われていたものであり、ゲーテもこの言葉を使っていますが、初出は哲学者のシェリングではないかと言われています(ウィキペディアの記事「ゴシック建築」参照)。フェノロサが薬師寺の塔を評して「凍れる音楽」と言ったということは出典不明であり、間違いであると断定して差し支えないでしょう。仮にフェノロサがどこかでそういうフレーズを使ったとしても、それはシェリングかゲーテの引用に過ぎず、少なくとも「『凍れる音楽』というフレーズを初めて使ったのはフェノロサでない」ということは否定できない事実です。長々と書きましたが、そもそも「『凍れる音楽』というフレーズがフェノロサのものか否か」ということは、薬師寺の歴史や東塔の建築史的意義とは関係がなく、この「薬師寺」の記事においてことさら述べなくてもよいことのように思います。このノートページを上の方からたどって見てもらえばわかるように、もともとここではフェノロサの話をしていたのではなく、全然別の話をしていました。ところが、あるユーザーさんがどうしても「フェノロサが『凍れる音楽』と発言した」旨を記述したい、それを否定する文献があれば3日以内に出せ、という仰せなので、もっとも参照しやすく平易な文献で、一流の学者の手になるものをはっきり提示したわけです。すると当該ユーザーさんは文献を読みもせずに、「そんな文献は認めない」と言い、ただし「(フェノロサ発言肯定説と否定説の)併記はありかも」と言います。そこで今度は肯定説はそのまま残して否定説を併記する形にしたのですが、今度は「併記もあり」とするご自身の前言さえもあっさりひるがえして、否定説のみを記事から除去し、「併記もだめ」「何度でも差し戻す」と宣言されています。一連の投稿を見ると、残念ながら「薬師寺」の記事内容の充実改善をすることではなく、私という特定ユーザーの記述を否定し、除去することが目的化しているようです。言うまでもありませんが、有意な情報や、検証可能性をきちんと満たしている記述を削り、自分の気に入った説のみを残すというのはウィキペディアの基本方針である「中立的観点」に著しく違反する行為です。本来であれば、ここで辛抱強く話し合いを続け、それで解決しないならば「コメント依頼」に出す等の行動が求められるのかもしれませんが、再三申し上げるように、「フェノロサの発言の有無」ということ自体が「薬師寺」や「東塔」とは関係ないマイナーイシューであり、この件に時間と労力をついやすのは終わりにしようと思っています。将来いつか第三者のユーザーさんが中立的観点からよりよい編集をしてくださることを願って、ここでの発言は終わりにします。--Urania 2007年8月9日 (木) 07:34 (UTC)[返信]

フェノロサ発言の件

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上の方に縷々書いたように、「薬師寺の東塔を『凍れる音楽』と評したのはフェノロサか否か」という話は、東塔の文化財としての価値とは関係ない話であり、意味のない議論をえんえん続けてもしかたがないので、いったんこの件からは手を引きました。しかしながら、Histwr氏の2007年7月26日 (木) 09:33の編集を引き継いでいる現在の版は、ウィキペディアの三大方針である「中立的な観点」「検証可能性」「独自研究は載せない」の全てに違反しており、このようなプロジェクトの方針に明らかに反した状態をいつまでも続けておくのも好ましくないので、やはり2007年7月26日 (木) 09:33の編集で削られた部分を元に戻すこととします。まず、「建築は凍れる音楽」というフレーズがフェノロサ以前からドイツで使われていたことは、さまざまな資料で検証可能です。「フェノロサが薬師寺東塔を指して『凍れる音楽』と評したとの説は誤りである」ということは、私(利用者Urania)の独自研究ではなく、複数の信頼できる文献に明記されていることで、検証可能であり、こうした検証可能な記述を除去して、自己の意に沿った記述のみを残すことは「中立的な観点」に違反しています。また、フェノロサの著書、書簡、日記等に、薬師寺の東塔を評して「凍れる音楽」と評したという記述があるという事実は確認できません。Wikipedia:検証可能性には「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。このため、執筆者は出典を明記すべきです」とあり、「凍れる音楽」をフェノロサの発言と断定したいのであれば、出典(フェノロサのどの著書の何ページにあるのか)を示す責任はHistwr氏側にあります。Histwr氏の2007年7月26日 (木) 09:48の発言にある「(「凍れる音楽」というフレーズが)以前に存在したかどうかという考察は係る発言(をフェノロサが行ったということ)の否定の材料たり得ない。以上により、やはり通説を否定するだけの典拠たり得ないということで(後略)」という意見は、典型的なPOVであり、検証可能性を満たしている記述を除去する正当な理由にはなっていません。Histwrさんも最近はあまり活発に活動されていないようですし、よもや今頃になってリバートを繰り返すこともないと思いますが、万一リバートされるようでしたら、今度こそは「コメント依頼」に問題提起させていただきますのでお含みおきください。--Urania 2008年2月3日 (日) 08:35 (UTC)[返信]

分割提案

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ページ冒頭の、各地の「薬師寺」について列挙した部分は、あまりにも分量が多く、可読性を損なっていると判断して、大部分を非表示化(コメントアウト)しましたが、このコメントアウトをいったん解除した上で当該部分を分離し、「薬師寺 (曖昧さ回避)」という別ページにしたいと思いますがいかがでしょうか。古代の天皇の勅願寺で、国宝の東塔や薬師三尊像を有する奈良市の薬師寺が、知名度や歴史的重要性の点で他の薬師寺を上回っていると思われるので、括弧なしの「薬師寺」は現状どおり奈良市の薬師寺の解説にしておいてよいと思います。Urania 2007年5月1日 (火) 07:13 (UTC)[返信]

(賛成)その方が良いと思います。--満月 2007年5月12日 (土) 03:17 (UTC)[返信]

西岡常一と竹島卓一の論争について

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「金堂・西塔などの再建」の竹島卓一先生の部分に「要出典」を付けました。鉄云々での西岡常一と竹島卓一の論争は法輪寺でではないでしょうか。私は現状ではこのように[3]理解していますが。---Ktmchi会話2016年8月18日 (木) 10:26 (UTC)[返信]

参考情報です。「木に学べ」(西岡常一、小学館)に法輪寺での論争と、それが薬師寺でも繰り返されたことがかいてありました。--2400:7800:4C3A:3100:6526:D724:F79F:592C 2017年3月23日 (木) 13:23 (UTC)[返信]

竹島卓一氏は薬師寺の復興委員会に参加されていたんでしょうか。---Ktmchi会話2017年3月24日 (金) 10:10 (UTC)[返信]