ノート:藤井保憲
事実・歴史・出典・感情
[編集]- 1.【事実】 朝永の発言・藤井と大貫の事実の確定にささげた異常ともいえる時間と労力は出典を参照
- 2.【出典】 朝永先生と対称性 大貫 義郎 Soryushiron Kenkyu Electronics 118(4), 261-264, 2011
- 3.【歴史】 同時に、SU3群を展開しきったことで開かれたゲルマンなどのクォークへの道が可能だったことを示す話である。
- これは、出典に大貫が書いている。
- 4.【意義】 朝永のコメントは、坂田の方法論、数学の意義を理解できていなかった事を示すものである。
- 5.【感情】 大貫へのメールで、藤井は次の感情を書いている。
- 先生の発言の持つ意味を理解して課題を追求するに至らなかったことについては、忸怩たるものがあります。
すべて出典にあります。出典を読んでから、消去してください。--240F:73:147F:1:4BF:86D7:F8AE:4008 2018年8月12日 (日) 18:44 (UTC)
感情は、藤井が大貫にメールを送っている。藤井は大貫がいろいろ調べているのは、事実を確認後、学会誌で発表するのをもちろん解っていた。忸怩たるものとの言葉も、大貫が素粒子論研究に書くのを理解してメールを送っているはずである。
不名誉
[編集]この藤井の素直な感情の露出が、藤井の不名誉になるのだろうか。学問は失敗の連続である。それは学者は皆わかっている。すべて成功していれば、ノーベル賞もフィールズ賞も独り占めである。そんなことは皆わかっている常識である。不名誉などでは決してありえない。--240F:73:147F:1:4BF:86D7:F8AE:4008 2018年8月12日 (日) 18:57 (UTC) 修正--240F:73:147F:1:4BF:86D7:F8AE:4008 2018年8月12日 (日) 19:04 (UTC)
歴史と科学史
[編集]歴史学において、戦争での敗戦は明確であり、敗戦に至る経緯や開戦や戦略¥戦術についての批判は、書かれるのが当然であす。歴史の分岐点として記載されれば歴史に深みが出ます。
科学史において、成功だけを書くのは当たり前で、失敗の事例はあまり書かれません。それでも、量子力学や統計力学や無限集合に対する当時の批判は、書かれます。これらの批判は、あたらしい理論の建設者を自殺にまで追い込んだりしています。そして新理論建設には全く役立っておりません。歴史的にはほとんど意味のない批判だったのです。
これに対し、量子論や素粒子論の日本での興隆は書かれますが、その後の衰退についてはほとんどかかれません。
衰退と言うのは、世界での科学の発展での敗戦と言えます。日本は戦前戦中戦後の1時期、世界をリードする成果を挙げました。しかし、この最後の時期に世界をリードできる多くの芽を生みながら、ことごとくその成果を海外に持っていかれました。
大貫のSU3群やゲージ理論です。この一つの分岐が、成功に至る重要な提案が朝永によってなされた。しかし、これが生かされなかった。
この慙愧の念が、大貫や藤井の執拗ともいえる事実確定や、朝永の提案についての二人の心情の吐露に表れており、また朝永の提示した道がクウォークに至るはずだったことまで書かれています。
大貫の素粒子論研究への寄稿は、重要な歴史事実として、素粒子論研究の編集権を持つ論文審査の委員によって受理されているのです。たんなる誰かが書いたというだけではなく、日本での素粒子研究の最も重要な雑誌の一つに採用されているのです。
なぜ、素粒子論が列島で興隆し、衰退したのか、これを書くのは辞典として決して悪いことではないと私は思っています。もちろん、そんな歴史は書く必要はない。それも一つの意見です。
書く必要はないという皆様の意見もある意味当然かもしれません。皆様の意向に逆らってまで、皆様に受け入れられる形に修正しつつ、執拗に書き直しました。まだ量が多すぎるかもしれませんが、以前から書いてきた列島での素粒子論の衰退の一因を、権威ある文献に依存して書き加えたのが、SU3群を世界で最初に見出しその後の素粒子論の流れを生み出した大貫その人の記載した朝永の北大でのエピソードだったのです。
このエピソードが不要と言われるなら、それなりの根拠・理由を書いてください。もしそれが納得できるものであるなら、記載を取り下げます。ただ、九州での戦国時代龍造寺氏が蒲池氏をだまし討ちにした歴史の事例がウィキペディアにあります。龍造寺氏の重臣がこの行為を、御家(龍造寺氏)の滅びの原因になると出陣しなかったことがこのウィキペディアの中で書かれています。滅びの原因であったかどうかは解りませんが、少なくともその後の反乱の原因にはなっているようです。
こういう戦いでの敗戦は歴史の重要な構成要因であることは誰の目にも明らかです。しかし、科学史においては敗戦は誰も注目しません。しかし、科学史においても、成功と同様、失敗も歴史ではないでしょうか。
失礼いたします。--240F:73:147F:1:A4B7:56F0:73A3:190B 2018年8月13日 (月) 17:55 (UTC)