ノート:藤崎詩織
「バーチャルアイドルとして展開することを目論んでおり、」との記述について
[編集]概要の「『ときめきメモリアル』の制作・発売元であるコナミは、1996年当時藤崎詩織をバーチャルアイドルとして展開することを目論んでおり、そのためデビューシングル「教えてMr. Sky/風と一緒に行こう」など、通常の女性アイドル歌手の楽曲のように外部の有名作詞・作曲家やミュージシャンによって提供された楽曲も複数存在する。」との記述はおかしいのではないでしょうか。 1996年2月1日の日本工業新聞の「コナミ、ゲームソフトからアイドル」という記事に、ときめきメモリアルについて「最初にPCエンジン版を発売したのは、ユーザーにアニメファンが多いといわれていたからだが、アニメファンの枠を超え”バーチャルアイドル”という新しいアイドル象を確立したといわれている。」と書かれています。2008年7月のサイゾーの「元祖デジタルアイドル伊達杏子は何度でも蘇る!?」という記事では、「伊達杏子が“デビュー”したのは96年、ちょうど恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』(コナミ)が人気を集め、「バーチャルアイドル」という言葉が世の中に浸透し始めた頃だった。」と書かれていますが、藤崎の歌手デビューは伊達より後です。他にもいくつか当時の藤崎について取り上げた記事を確認いたしましたが、これらを見る限りではコナミがこの時点でバーチャルアイドルとしての展開を目論んだのではなく、既にバーチャルアイドルと呼ばれるようになっていた藤崎が歌手デビューもした、という事であり、バーチャルアイドルである事と歌手デビューは無関係であると思うのですがいかがでしょうか。修正案としては加筆も含め下記のような記述とすることを考えていますが、私はときめきメモリアルについては新聞やテレビからの情報で知っていた程度で、ファンの方々が当たり前と思っているような基礎的な知識すら欠いている恐れがあります。私の考えはあくまで入手した資料からものであり、大きな勘違いがあるのかもしれませんので、問題点等ありましたらご意見お願いいたします。
『ときめきメモリアル』の制作・発売元であるコナミは、1996年当時バーチャルアイドルとして人気を集めていた藤崎詩織を、通常の女性アイドルのように展開することを目論んでおり、そのため、通常のアイドル並みのプロモーション費用が投じられ、デビューシングル「教えてMr. Sky/風と一緒に行こう」など、外部の有名作詞・作曲家やミュージシャンによって提供された楽曲も複数存在する[1]。なお、藤崎の歌手デビューを手がけたのは、芸能プロダクション「渡辺プロダクション」の関連会社の「ワタナベデジタルメディア・コミュニケーションズ」である[2]
- ^ “ゲームCDチャート上昇中、ヒット作を多重活動-登場人物をアイドルに”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 25. (1997年3月6日)
- ^ “渡辺ミキ社長36”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 12. (1997年3月24日)
--アト 2011年7月28日 (木) 17:14 (UTC)
藤崎詩織への改名および転記の提案
[編集]藤崎詩織のディスコグラフィを藤崎詩織へ改名し、ときめきメモリアルの登場人物よりキャラクターの解説を転記することを提案します。バーチャルアイドルとしての藤崎について説明を加えようと考えたのですが、ゲームのキャラクター解説に書き加えるのにふさわしい話題とは思えず、藤崎詩織のディスコグラフィについても、歌手デビューとバーチャルアイドルと呼ばるようになった時期が一致しないことから不適切です。そこで、藤崎詩織の記事を作り、そこにキャラクター解説、アイドルとしての解説、ディスコグラフィをまとめて記述すべきと考えました。藤崎詩織ほどの著名なキャラクターであれば特筆性にも問題は無いと考えます。--アト 2011年8月12日 (金) 09:50 (UTC)
- 賛成 らき☆すたの小神あきらのように登場人物記事の他にCD化などのメディアも記述していることを考慮するとまとめてもよいでしょう。--ヘチコマ 2011年8月12日 (金) 16:00 (UTC)
- 賛成 知名度などから考えても問題ないですし、今の記事名はあまりよろしいものとも思えないので。--ヨッサン 2011年8月26日 (金) 12:02 (UTC)