ノート:藤本喜久雄
お世話になります。以下の部分で、わかりにくい表現があると感じます。
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友鶴事件により、それまでの名声が落ちてしまった感があるものの、その設計思想の柔軟さと、新技術投入を惜しまない姿勢は、保守的な建造形式を重視してきた平賀とは対照的であり、平賀よりも人望はあったとされている。金剛級代艦の設計でも、旧来のイギリス式集中防御に拘った平賀案に対し、藤本案はバイタルパートの延長という部分に重点を置き、艦艇の被弾によるダメージコントロール分野でも、藤本の方が研究熱心だったとされているが、藤本の死後、平賀はそういった藤本案の撤廃をしてしまった。 しかし、それが結局は攻撃重視で、防御弱体の日本海軍の艦船特有の形となり、ひいては大量損失に繋がってしまったと言う意見もある。
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ここで、最後の文章「しかし、それが」の"それ"とは、 ①平賀造船中将の保守的な設計方法を指し、攻撃重視と防御弱体につながる ②藤本造船少将の用兵側の要求を満たすための兵器の過剰搭載が攻撃重視につながり、ダメコン弱体化につながる のどちらでしょうか? (おそらく、藤本少将の解説文であるので平賀中将の評価ではないため②と思いますが、ダメコンの研究をされて いた藤本中将には「防御弱体」は心外であろうと推察します。即ち、藤本少将の研究と実装結果が、防御弱体化 に直接的につながるのか、攻撃重視と防御弱体のトレードオフなのかが、この説明では"理数系の作文技術"から すると 「わかりにくい」原因と考えます。) 箇条書きではないので表現しにくいこととは思いますが、考察のほど、よろしくお願いいたします。22DDG-KWI
以上署名のない発言は利用者:114.51.174.157(会話 / 投稿記録)さん 2010-11-03 04:36 (UTC)によるものです。Unamuによる追記