ノート:西蔵地方/過去ログ001

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

この項目は不要[編集]

この項目は不要だと思います。なぜならばすべて西蔵へ書けば済む内容だからです。138.243.201.1 2006年5月1日 (月) 14:24 (UTC)[返信]

西蔵は、古籍に出現する「西蔵」の用法を詳細に紹介する項目として用いています。対してこの西蔵地方では、中国歴代政権と共産党の主張する西蔵地方の変遷について扱う記事にします。
すでに西蔵の記事は十分に分量があるので、統合にはまったく反対します。--Dalaibaatur 2006年5月2日 (火) 14:02 (UTC)[返信]

当方の会話ページに138.243.201.1の方によるもう少し突っ込んだコメントがありましたので、転記いたします。Safkan 2006年5月2日 (火) 16:30 (UTC)[返信]

地方をつけてわざわざ別の記事を作る必要ないんじゃないですか?チベットの一部に対する中国語による呼称として成立した、地域概念の用語である西蔵とは別個の西蔵地方というのはあなたの勝手な概念に見えます。従いまして全て西蔵へ纏め、リダイレクトも削除するべきです。138.243.201.1 2006年5月1日 (月) 14:34 (UTC) - 利用者‐会話:Safkan 2006年5月1日 (月) 14:36の版より転記[返信]

また、この項目の必要性の是非に関連して個人的なコメントなのですが、「西蔵地方」は中国政権及び共産党が現に使用している中国語の熟した呼称(固有の用語)なのか、それとも中国政権及び共産党のチベット政策を観察した結果導き出された分析概念なのかどちらですか。まずこの点を明らかにしていただかないとおそらく議論はかみ合わないように思います。Safkan 2006年5月2日 (火) 16:30 (UTC)[返信]

転載ありがとうございます。管見の範囲では、「西蔵地方」という用語は、中華民国期および中華人民共和国期の文献に頻出する用語で、時期によって意味は変遷するにせよ、その時々で「現に使用している中国語の熟した呼称」にあたります。そして、この呼称には、「中国を構成する一部分」という観念の背景がほぼ漏れなくセットでくっついています。この点が、西蔵という地域概念とは必ずしも一致しない部分です。138.243.201.1 氏のいう「あなたの勝手な概念」は、あたかも私自身の発言のように提示されていますが、「別個の」という部分が氏による勝手な付加なので、私自身は文責を負いません。私の理解では、重なる部分もあるし、ずれる部分もあるということです。--Dalaibaatur 2006年5月2日 (火) 17:06 (UTC)[返信]
ありがとうございます。おそらくその事実の上でも、西蔵と西蔵地方を二分割することの是非についてはまだ異論がありうると思いますが、冷静な議論をお願いします。今後とも、用語の出典や使用状況をきちんと明示して記事に取り入れ、また議論していただけると幸いです。なお、内容についてもコメントしますが、西蔵との項目としての棲み分けを明らかにするためには、おそらく西蔵地方は西蔵地方の枠組みの変遷や解説ではなく、中国政府及び共産党側の用いる「西蔵地方」という用語の意味あいに関する言説についての解説として再構成していただいたほうがより異論は少なくなると考えますが、いかがでしょうか。Safkan 2006年5月2日 (火) 17:18 (UTC)[返信]

利用者‐会話:Dalaibaaturの2006年5月4日 (木) 13:08の版より関連部分を抜粋して転載

西蔵西蔵地方について[編集]

変だと思います。

あなたはなぜ西蔵地方という記事を西蔵とは別に立てたのですか?全て西蔵の方へ書いておけば済む事じゃありません?ウィキペディアが何の場でないのかご理解をいただきたいです。138.243.201.1 2006年5月1日 (月) 14:28 (UTC)[返信]

西蔵では、17世紀の漢籍に登場して以来の、西蔵という用語の使用方法という観点から解説しています。西蔵地方では、中国の一部分としての「西蔵地方」を中国の歴代政権がいかに位置づけてきたか、その変遷に焦点をあてて、チベット人の伝統的な「チベットの国土」認識、チベット亡命政府の主張する「チベット国家の領土」の範囲などと対比させながら説明しています。簡単にいうと、西蔵は地域概念としての用例を解説する記事、西蔵地方は、中国歴代政権による「西蔵地方」の位置づけの変遷と、扱う内容を分けている、ということです。

これらの二つの記事を通じて、読者は、

  1. チベット人が伝統的に「チベットの国土」と考えてきた領域
  2. 中国人は、代から代の康煕年間にかけて、伝統的に、上記領域を吐蕃と称してきたこと。
  3. 西蔵は、康煕末年に、上記領域のうちの西南部2分の1程度をさす領域だけをさす地域概念として出現したこと。
  4. 乾隆年間初期の中国人が西蔵の領域をさして「西吐蕃」と表現していること。
  5. 中華人民共和国期の中国国内における西蔵の用法において指し示される領域は、清朝期以来の伝統的用法どおりであること。
  6. 中国人民政府は、チベットの範囲を「西蔵」の部分だけに限定しようとし、チベットのうち、西蔵には含まれないアムド地方カム地方の東部を、昔っから内地に帰属していた、と主張していること。
  7. チベット亡命政府は、中国人民政府の上記主張を、チベットの領域を削減しようとするものだとして講義、チベットの全域を枠組みとするひとつの自治単位を設定するよう要求していること。

などの諸項目について、チベット人と中国人の伝統的な観念および中国政府、チベット亡命政府の双方の主張について、偏る事なく、正確な知識を得る事ができるものを用意できたと自負しています。もし誤りを発見された場合には、修正してくださることは大歓迎です。--Dalaibaatur 2006年5月2日 (火) 13:52 (UTC)[返信]

おっしゃいたい事はよくわかります。しかし分けて書くことには納得がいきません。中国の地方としての西蔵であろうと西蔵は西蔵です。第一「これらの二つの記事を通じて、読者は」とおっしゃるなら一つの記事として読む方が利便性あるじゃないですか。誤りがあるとしたら記事をわざと二つにしていることです。138.243.201.1 2006年5月3日 (水) 17:17 (UTC)[返信]

【中国の地方としての西蔵であろうと西蔵は西蔵です。】とのことですが、かならずしもそうではありません。

第一に、西蔵地方のノートで詳しくのべたように、西蔵地方という用語は、その背景に、中国を構成する一地方という観念がもれなくセットでくっついてくるので、この観念に反するような用例は存在しません。いっぽう、西蔵という用語は「西蔵地方」とはことなり、この観念と不可分ではないため、西蔵地方と全く同義で用いられることもある一方で、この観念と相容れない用例も存在します。たとえば、西蔵という用語について、ある種の立場の人々が【独立国家チベットに対する中国語による国号】として用いた例をいくつか収集しておりますが、これに対し、「西蔵地方」という用語には、このような使用方法が不可能です。実際、私は【独立国家チベットに対する中国語による国号】として、「西蔵地方」という用語を用いた例を、ひとつたりとも知りません。
第二に、現時点でも西蔵西蔵地方には十分なテキスト量があります。よって内容傾向のことなる場合があるものを分離することには、十分な合理性があります。--Dalaibaatur 2006年5月4日 (木) 04:08 (UTC)[返信]

以上、利用者‐会話:Dalaibaaturの2006年5月4日 (木) 13:08の版からの転載部分、終わり


Safkan様。【西蔵との項目としての棲み分けを明らかにするためには、おそらく西蔵地方は西蔵地方の枠組みの変遷や解説ではなく、中国政府及び共産党側の用いる「西蔵地方」という用語の意味あいに関する言説についての解説として再構成していただいたほうがより異論は少なくなると考えます】とのご提案ですが、現行の文面は、かつてチベット自治区に投稿した文章(2005年4月18日 (月) 23:07の版)から異動したあと、まだ最低限の修正しか加えていないので現状のようになっていますが、ご提案の方向で修正を加えていこうとおもいます。いまむき出しで提示されている「西蔵地方の枠組みの変遷や解説」は、その時々の中国政権や共産党がもちいる【「西蔵地方」という用語の意味あい】を裏付ける背景としての現状を紹介する、という方向であらためて行こうと思います。--Dalaibaatur 2006年5月4日 (木) 18:28 (UTC)[返信]

宝珠蓮華様。Wikipedia:削除依頼/ログ/2006年5月4日によれば、

西蔵と合一すべき内容だと思います。投稿者の説明によればこれは別個の概念だそうです。しかし地方という言葉をつけて別個の概念があるように見せかけるのはウィキペディアを利用して政治的プロパガンダを行っているように映るのは私だけでしょうか?もしそうだとしても独自の調査であって方針に反するみたいです。宝珠蓮華 2006年5月4日 (木) 07:05 (UTC)[返信]

とのことですが、【西蔵地方】という呼称と、【西蔵】には、全く別個の概念として用いられる場合もあることは、現に上で示したとおりです。本項は、その種の事例を客観的に紹介することを目指しており、したがって、【ウィキペディアを利用して政治的プロパガンダを行っている】云々という批判はまったく当てはまりません。ただし【独立国家としてのチベットに対する中国語による国号として西蔵地方という呼称を用いた実例】が多数存在することのご紹介があった場合には、はじめて別個の概念ではないという主張に説得力が生じてきます。--Dalaibaatur 2006年5月4日 (木) 18:28 (UTC)[返信]

西蔵西蔵地方を別記事とすることの「プロパガンダ」性について[編集]

このページをめぐる議論をざっと拝読しました。「西蔵」と「西蔵地方」が異なる概念に依拠した記事であるというご意見は理解できます。ただここで、この百科事典のユーザーの立場に立って考えてみる必要があるかと思います。2つの記事は、執筆者の専門的な意見としては、異なる概念に基づく性格の違う記事であるといっても、やはり共通項もあり、よく似た名前の記事である事も事実で、それが独立併置されている事は、読者を戸惑わせるような気がします。両記事を1つのページ内で統一しても、章や節で区分して異なる概念の記述を併記する事は可能でしょう。「西蔵」ないし「西蔵地方」の事を調べようとする読者・ユーザーは、目次で必要な部分を選択することができ、その分、便利なデータベースになるのではないかと思いますが。--Kogane 2006年5月5日 (金) 10:44 (UTC)[返信]

この発言へのコメントは次節にて--Dalaibaatur 2006年5月7日 (日) 15:15 (UTC)[返信]

賛成です。わたくしとしましては西蔵の記事に十分な量があるから同じ記事にするというの絶対反対というのはなにか別の思惑があるように見えます。地方を付けるか付けないかで区別をするというのも何処のなんて言う書籍・資料はたまた学派が行っていることなのでしょう?それについて説明をいただければ存続しても構いませんが、そうでなければウィキペディアを利用したプロパガンダを図った「特定アジア」と同様のケースでしょう。特亞對策委員 2006年5月5日 (金) 12:22 (UTC)[返信]

西蔵という用語と西蔵地方という用語は、まったく同義でつかわれることもある一方で、まったく別個の概念としても用いられる用語であるので、別々に記事をたてました。宝珠蓮華氏宛のレスで、【別個の概念ではない】と主張する人のための宿題をだしておりますので、ごらんください。この二つの用語が「特定アジア」なる用語と全く相違する点は、西蔵という用語は康煕末年以来中国人が連綿と使い続けてきた伝統ある地域概念であること、西蔵地方という用語も、遅くとも中華民国の歴代政権および中華人民共和国が、【チベットの一部にたいして付与した、中国を構成する一部分としての呼称】として、一世紀近くにわたって使用してきた伝統ある概念である、という点です。
現状の文面は、百科事典の記事として執筆したものであるので、
  1. チベット人および中国人による伝統的なチベットの枠組み
  2. 出現当初の西蔵という地域概念の枠組み(同、中国現政権による、現行の枠組み)
  3. チベット(=西蔵地方)の枠組みについての中国政府の主張
  4. チベットの枠組みについての中国共産党の主張の変遷(「民主自治邦チベット人人民共和国」から「西蔵地方」へ)
  5. チベットの枠組みについてのチベット亡命政府の主張
だけを、当事者自身の実際の用例に基づき、客観的に正確に紹介することに徹しております。
これらのそれぞれは、すべて当事者自身の自己認識を忠実に紹介したものであり、私自身の「独自の研究」や「主張」などを加えた部分はありません。よって「プロパガンダ」なるレッテルはつつしんでご返上申し上げます。--Dalaibaatur 2006年5月5日 (金) 21:48 (UTC)[返信]
ならそれはどこの団体のなんという著書にその証拠があるのですか?たとえ事実だとしてもウィキペディアにあなたの研究結果を発表することは方針に反します。138.243.201.1 2006年5月5日 (金) 23:14 (UTC)[返信]
  1. たとえば、西蔵地方の本文で引用した国家民族事務委員会のコメントは、北京週報社が1988年に出版した『Tibet: Myth Vs Reality』のp.140に記載されています。この本には『西蔵:神話与現実』、『チベット:「神話」と現実』というタイトルの中国語版、日本語版もあり、中国語版では「西蔵地方」、日本語版では「チベット地方」という呼称が、チベットの一部(ガリツァンウーカム地方の西部を合わせた範囲)に対する【中国を構成する一部分としての呼称】として使用されています。
  2. 記事の文面はすべて事実のみを記しているだけで、私の「独自の研究」や「独自の主張」などを行った部分はありません。---Dalaibaatur 2006年5月5日 (金) 23:45 (UTC)[返信]


記事の統合の必要性についての議論[編集]

このページをめぐる議論をざっと拝読しました。「西蔵」と「西蔵地方」が異なる概念に依拠した記事であるというご意見は理解できます。ただここで、この百科事典のユーザーの立場に立って考えてみる必要があるかと思います。2つの記事は、執筆者の専門的な意見としては、異なる概念に基づく性格の違う記事であるといっても、やはり共通項もあり、よく似た名前の記事である事も事実で、それが独立併置されている事は、読者を戸惑わせるような気がします。両記事を1つのページ内で統一しても、章や節で区分して異なる概念の記述を併記する事は可能でしょう。「西蔵」ないし「西蔵地方」の事を調べようとする読者・ユーザーは、目次で必要な部分を選択することができ、その分、便利なデータベースになるのではないかと思いますが。--Kogane 2006年5月5日 (金) 10:44 (UTC)[返信]

  • たとえば「ウィキプロジェクト・国」では、【その国の記事】でその国の全般的な情報をあつかう一方で、日本人によく知られていて、執筆者が存在する国の場合には、【○○国の政治】、【○○国の経済】、【○○国の歴史】etc.など、個別テーマに特化した詳細な専門記事が別個にたてられています。【○○国】の記事から、個別の各記事へは、しっかりとリンクが貼られており、「それが独立併置されている事」によっても、べつだん「読者を戸惑わせる」ようなことは起きておりません。--Dalaibaatur 2006年5月5日 (金) 21:48 (UTC)[返信]
    • ご指摘のケースは、【○○国の政治】、【○○国の経済】、【○○国の歴史】と記事の性格を端的に示す「政治」、「経済」、「歴史」というキーワードが、既にタイトルに含まれているから、読者は一見して大まかな記事内容を把握する事が出来ます。しかし「西蔵」と「西蔵地方」の場合は、それらの事例と比べると、そのキーワードが明確さを欠くように思われます。タイトルを見ただけでは、なぜ双方の記事が個別に立てられているのか、即座に把握できる読者は多くないと思います。執筆者個人としては、両記事の違いは明快な論理に裏付けられた物なのかもしれませんが、それを第三者が理解するには、少なくとも文章を端から端まで熟読しなければ難しい。しかし百科事典では、自分のニーズにあう情報か否かの選別を、最初にページタイトルのキーワードである程度できないと、不便だと思います。--Kogane 2006年5月6日 (土) 00:31 (UTC)[返信]
      • 西蔵西蔵地方の場合、「第三者が」「文章を端から端まで熟読」しなくとも「理解」できるよう、定義部で、どのような内容があつかわれるか明示されており、ご指摘の問題点にたいする改善措置となっています。--Dalaibaatur 2006年5月6日 (土) 01:19 (UTC)[返信]
        • しかし、この議論の項目(「西蔵と西蔵地方について」)の冒頭部分での、「なぜ西蔵地方という記事を西蔵とは別に立てたのですか」と言う問いかけに対して、貴方は既に大変詳細な文章を24行にわたり書かれておられます。それぞれの「定義部」での記述に加えて、これだけ長文の補足説明が必要という点で、上述の問題点を裏付けているような気がします。「政治」、「経済」、「歴史」というキーワードの場合は、長文の補足説明は必要としません。--Kogane 2006年5月6日 (土) 01:39 (UTC)[返信]
          • 「大変詳細な文章を24行にわたり書か」いた理由は、この記事に削除依頼をかけるような人[1]とほぼ同時にいきなり全面削除をおこなうような乱暴な人がいる[2]たために特別、ことさら、丁寧に説明をおこなう必要があると感じたためで、それ以上の理由はありません。【「政治」、「経済」、「歴史」というキーワードの場合】でも、記事をわけるのがおかしいといいながらいきなり実力行使で消去に走る乱暴な人が出現したら、それらの記事の筆者たちは懸命に説明をこころみるでしょう。--Dalaibaatur 2006年5月6日 (土) 01:51 (UTC)[返信]
          • 「乱暴な人」に対処する云々以前に、ページの「定義部」の記述がありながらも、なぜ両記事を個別に立てなければならないのかよくわからないという指摘がなされたのは事実でしょう。キーワードとしての2つのページタイトル(「西蔵」と「西蔵地方」)が、【○○国の政治】、【○○国の経済】、【○○国の歴史】などのページタイトルと違って、両ベージを個別に扱う理由を端的に示す事ができていない点も事実だと思います。だからこそこれだけ疑問の声が寄せられているのではないですか。それはそれで、執筆者として真摯に受け止めて、ユーザーの視点に立って、記事としてどんなレイアウトがより良い物か再検討することは必要かと思います。--Kogane 2006年5月6日 (土) 02:17 (UTC)[返信]

「よくわからない」という人には詳しく解説し、「統合すべき」という人たちの事実誤認(「西蔵」と「西蔵地方」はまったくの同一概念、プロパガンダ、独自の研究etc.)は訂正し、「どこの団体のなんという著書にその証拠があるのですか?」という問いには明確に回答いたしました。【両ページを別個に扱う理由】については、きわめて端的に示しています。再録します。

西蔵という用語と西蔵地方という用語は、まったく同義でつかわれることもある一方で、まったく別個の概念としても用いられる用語であるので、別々に記事をたてました。

Koganeさんに対しては、

  • リンクさえしっかりしてあれば、大きな一つの範疇の下方単位が別個の記事となっても、「ユーザが戸惑うこと」はないこと
  • 一つの範疇の下に複数の記事がたてられている場合、定義部で各記事の役割分担を明示しておけば、「第三者が」「文章を端から端まで熟読」しなくとも「理解」と、「自分のニーズにあう情報か否かの選別」が可能であること。

を実例により提示ずみ。以上より、本件についても、別記事として立てることこそユーザにとってもっとも親切である、と考えています。【別記事であること】にともなう技術的な問題点で、他に何かまだ残っているものがありましたら、ご指摘ください。あと、Koganeさんやその他の方の「ような気がする」「と思う」というレベルの「ご感想」についても、そのような指摘があったことを真摯にうけとめ、記事の内容やレイアウトをよりよく改善してゆくための参考にさせていただきます。--Dalaibaatur 2006年5月6日 (土) 02:51 (UTC)[返信]

失礼ながら疑問の答えになっていない。「西蔵」と「西蔵地方」の概念の違いに関しては、確かに詳細かつ専門的な説明を繰り返されてます。しかしこれらの説明では、「まったく別個の概念としても用いられる」一方、「まったく同義でつかわれることもある」2つの用語を、なぜ個別のページに分ける必要があるのか。2つの記事を1つのページ内で統一し、章や節で区分して記述する方法がなぜダメなのか。なぜ個別のページに分けたほうがユーザーにとって最も親切だと考えるのか(ユーザーから疑問が提起されているにも関わらず)。双方のページ内の「定義部で各記事の役割分担を明示」するだけで、極めて類似した用語を冠したページを別々に置く事が、なぜユーザーにとって最も親切と判断されるのかという、最初からの疑問の答えになっていない。--Kogane 2006年5月6日 (土) 03:46 (UTC)[返信]
拝見したかぎり、すでに回答したつもりのおたずねばかりですが、まとめていただいたので、あらためて整理してお答えします。
【「まったく別個の概念としても用いられる」一方、「まったく同義でつかわれることもある」2つの用語】について、
【なぜ個別のページに分けたほうがユーザーにとって最も親切だと考えるのか】
「概念」や「用法」に一致点もあるが、相違点の部分が非常に大きな別個の二つの用語であるため。
【なぜ個別のページに分ける必要があるのか。】
わざわざ「分けた」のではなく、もともとはじめから「全く別個の記事」として執筆している。そもそもこの議論は、二つの別個の用語に対して設けられたそれぞれの記事に対し、統合の必要を感じたらしい人からの問題提起によって始まっったことである。ひとつ記事の分割についての私の提案をめぐって議論しているのではない。
【2つの記事を1つのページ内で統一し、章や節で区分して記述する方法がなぜダメなのか。】
  1. 「統合しなければならない理由」として、説得力のある論拠が提示されていない。
  2. 「別々の記事であることによって発生する不都合、問題点」について、両記事の実際の文面に則した個別的、具体的指摘が一例もない。
  3. 当然【「別々の記事であることによって発生する不都合、問題点」で、「別々の記事」のままでは解決できないが、「統合された記事」でなら解決できるもの】の例示もなされていない。
  4. 「統合しなければならない理由」として、実際の文面に基づかない憶測やレッテル貼りを行う人物がある。
  5. Safkan氏の指摘にもとづき、それぞれについて、修正版の情報収集と執筆に着手している。
  • 【極めて類似した用語】という評価について、文字構成上は一方が他方の50パーセントを占める構造であるが、用法、概念の点で、まったく一致しない部分があり、この部分によって、「きわめて類似した」という評価はあたらない。
  • 一部の「ユーザーから提起された疑問」については、回答すべきものにはすべて回答し、訂正すべき事実誤認はすべて訂正した。「感想」「思い」については、「承って、今後の記事修正の参考とする」。
とりあえず、以上です。--Dalaibaatur 2006年5月6日 (土) 05:21 (UTC)[返信]

KoganeさんとDalaibaatur さんの議論を読んで。やはり「西蔵」と「西蔵地方」は同一のページに統一すべきと考える。 Dalaibaatur さんは、提起された疑問に対して、微妙に論点をずらして答えているので、疑問に対する肝心な部分の答えになっていない。

1:Dalaibaatur さんが、なぜ「西蔵」と「西蔵地方」を別々のページにしたほうが読者に親切だと考えるのかについて、「概念」や「用法」に相違点があるからだと言うが、一方で「まったく同義でつかわれることもある」と以前の説明に書いていて矛盾している。また、もともと「西蔵」と「西蔵地方」は全く別個の記事として元々執筆していると言うが、ここで問われているのはそういうことではなく、なぜ同じような題名の「西蔵」と「西蔵地方」を、別々に独立させておく方がいいと言うのか、その理由が問われている。

2:2つの記事を1つのページ内で統一し、「西蔵」と「西蔵地方」の記述を章や節で区分してページ内で独立性を担保すると言う提案を、なぜ頑なに拒否するのか問われても、「統合しなければならない」説得力のある論拠が提示されていないと、質問に対して質問で答えて回答をはぐらかしている。1ページにまとめる事の利点はKoganeさんが既に明確に述べている。むしろ現状のままでいいとするDalaibaatur さんの論拠が不明確。

3:Dalaibaatur さんは、「西蔵」と「西蔵地方」の2つの記事を別々のままにしておく現状に関し、その不都合や問題点が例示されていないと言うが、 執筆者自身が「概念や用法に相違点もある」一方で 「まったく同義でつかわれることもある」と認めるような、よく似たタイトルを有す2つのペ-ジが存在する事の紛らわしさについて、複数の人が繰り返し指摘している

4:「統合しなければならない理由」として、実際の文面に基づかない憶測やレッテル貼りを行う人物がある」= Koganeさんは議論の中でそんな事は指摘していない。

5:「Safkan氏の指摘にもとづき、それぞれについて、修正版の情報収集と執筆に着手している」と言うが、個人的な事情がここでの議論と何の関係がある?このページは個人の論文ではない。

6:【極めて類似した用語】との指摘に、文字構成上は一方が他方の50パーセントを占める構造であるが、用法・概念の点で一致しない部分があり、きわめて類似したという評価はあたらないとDalaibaatur さんは答えるが、これは屁理屈だ。西蔵と言う同じキーワードが使われ、執筆者のDalaibaatur さん自身が、「まったく同義でつかわれることもある」と認めている。そもそも定義を確認しなければ違いを認識できないキーワードは、キーワードとしての役割を果たしていない。Dalaibaatur さんによる定義や長文の補足説明は、「西蔵」と「西蔵地方」双方の用語が異なった概念を有す事を言うだけで、それぞれの概念が共通する部分も内包していることの否定にはなっていないし、両者を個別のページで維持し、その方が読者にとって最も親切だとする主張の、理由説明にもなっていない。--水田 2006年5月7日 (日) 05:23 (UTC)[返信]

水田氏から、長文のお尋ねがありましたが、論点は既出のものばかりなので、もうしわけないが同様の回答となります。まず簡略版。
  • 【「西蔵」と「西蔵地方」双方の用語が異なった概念を有す事を言うだけで、】
つまり、別個の用語であると述べているのです。
  • 【それぞれの概念が共通する部分も内包していることの否定にはなっていないし】
はい、否定などしておりません。「概念、用法に共通する部分もある別個の用語」だと繰り返し述べています。
  • 【両者を個別のページで維持し、その方が読者にとって最も親切だとする主張の、理由説明にもなっていない。】
いいえ。別個の用語だから、別個に記事を立てたと、明確に「理由説明」をおこなっています。この回答について、回答になっていない微妙に論点をずらして答えているetc.ような気がする方があったとしても、もうしわけありませんが、これ以外の回答はありません。以下は詳細版を、水田氏の番号に沿って。
  1. について。あるふたつの異なる用語に、概念、用法について一致する部分もあれば、一致しない部分もある場合があると、どうして私が矛盾していることになるのか、意味不明。単に、このふたつの用語における「概念と用法の特徴」に過ぎない。【なぜ同じような題名の「西蔵」と「西蔵地方」を、別々に独立させておく方がいいと言うのか】といえば、「同じような題名」であっても、別個のふたつの用語であるため。
  2. について。【むしろ現状のままでいいとするDalaibaatur さんの論拠が不明確】とのことだが、「現状のままでよいとする論拠」については、別個の用語であるため別個に記事を立てたと、繰り返し明確に回答している。kogane氏、水田氏とも勘違いしているようだが、そもそもこの議論は、二つの別個の用語に対して設けられたそれぞれの記事に対し、統合の必要を感じたらしい人からの問題提起によって始まったことであり、私が提案したひとつの記事の分割をめぐって議論しているのではない。つぎに、…と言う提案を、頑なに拒否など決してしていない。もともと、「概念」や「用法」の相違する別個の用語について、それぞれ独立した記事を執筆していたところ、別個の用語ではないことを理由として統合すべきだと主張する人物が出現した。そこでまず別個の用語であることを示したうえで、それでもなおかつ統合せねばならない理由があるなら、両記事の実際の文面に則して提示するよう求めている。問題の二つの用語について、「概念」や「用法」が全く一致することが立証されるか、別個の記事であることの不都合が、統合した場合の利点をはるかに上回って大きいことの少なくとも一方について、両記事の現存する文面に則して明確に提示された場合には、統合の提案に説得力を認めることも可能。kogane氏は、統合の利点にせよ欠点にせよ、両記事の実際の文面に則して具体的に提示することを行っていないので、当方が、氏が両記事のどのの部分をみてそんな印象をもったのか、その妥当性を検証してみることもできない。自身の文面を再点検したが、【質問に対して質問で答えて回答をはぐらかしている】ような記述など存在しない。
  3. について。よく似たタイトルではあっても、その指し示す 「概念」や用法のうち、「相違部分」にはきわめて大きなものがある別個の用語であるので、別個の記事であることに十分な合理性がある。「複数の人」の「繰り返し」の「指摘」のうち、回答すべき事項にはすべて回答し、訂正すべき事実誤認はすべて訂正した。
  4. について。この指摘は、kogane氏への回答の一部として、私が行ったものである。
  5. について。「このページは個人の論文ではない」という指摘はまったく正しいが、ウィキペディアの各記事を執筆するのは、無数の個人である。西蔵西蔵地方については、私は、それぞれ別個の独立した記事として、さらなる充実をはかるべくとりくんでおり、現に西蔵ではその成果の一部を早速披露している。統合の要求は以前からの方向性に大きな修正を求めるものであるが、いまのところ、統合を求める人々が提出した論拠の多くには説得力が全く感じられず、修正のために準備した作業(の一部)を放棄するほどの価値は認められない。私が説得力を認めうる条件については、Kogane氏への「2006年5月6日 (土) 05:21 (UTC)」の回答において提示ずみ。
  6. について。西蔵の項に、西蔵地方という用語とまったく相反する用例を加えておいたので参照されたい。これらの二つの用語は、現にまったく相反する概念、用法を有している以上、「概念、用法」という観点からみた場合、「きわめて類似している」というkogane氏の評価はまったくあたらないのである。せいぜい「類似している部分もある」程度。また、【そもそも定義を確認しなければ違いを認識できないキーワードは、キーワードとしての役割を果たしていない】との主張であるが、そもそもわからない事項をしらべるために存在するのが百科事典であるので、文字の構成がよく似た「キーワード」であっても、別個の用語であるなら、別個に記事たてを行うことには十分な合理性がある。
ひとことでいうなら、別個の用語にたいして、それぞれの記事をたてたということです。--Dalaibaatur 2006年5月7日 (日) 14:34 (UTC)[返信]

「西蔵」と「西蔵地方」は「まったく同義でつかわれることもある」って、自分で言ってるじゃん。--60.39.107.15 2006年5月9日 (火) 01:34 (UTC)[返信]

西蔵地方でも実例をあげていますよ。しかし別個の用語。西蔵の項に、西蔵地方という用語とまったく相反する用例も加えておきました。--Dalaibaatur 2006年5月9日 (火) 02:03 (UTC)[返信]

なんか、例によってまたまた質問の答えになってないけど。要するにこのノートの中でDalaibaatur さんが前に言っていた、「西蔵という用語と西蔵地方という用語は、まったく同義でつかわれることもある一方で、まったく別個の概念としても用いられる用語」の「まったく同義で・・・」の部分は間違いでしたと言ってるわけね?。--60.39.107.15 2006年5月9日 (火) 02:15 (UTC)[返信]

「全く同義で使われることもある場合」の実例は西蔵西蔵地方にあげてありますが?しかしその一方で、この二つのことばは、全く相反する概念、用法もある別個のふたつの用語。--Dalaibaatur 2006年5月9日 (火) 23:04 (UTC)[返信]

やっぱ質問の答えになってないし、議論が循環している。だから最初から言ってるでしょ、まったく異なる概念にして、時にまったく同義でもある、などと、執筆者自身が言うような、紛らわしいタイトルを冠したページが2つもあったら、他の人には、やっぱりま・ぎ・ら・わ・し・い!!。--60.39.107.15 2006年5月9日 (火) 23:18 (UTC)[返信]

「別個の用語」ごとに「別個の記事」が存在することに、何の問題もありません。両記事の実際の記事に則した論拠の提示をもとめて、回答待ちをしているところで、ちっとも「循環」などしてません。「まったく異なる概念にして、時にまったく同義でもある」という発言は私のどの投稿の文面中にも存在しません。このふたつの用語の概念と用法の相違点と一致点について、西蔵地方の定義部では次のようにのべています。
西蔵という用語の概念、用法には、歴代の中国政府が設定する時代ごとの「西蔵地方」をさす用例のほかに、アムドやカムを含む全チベットの総称としての用法や、王朝や政権の変遷を超えた国号としての用法があるのに対し、西蔵地方(チベット地方)という用語の概念、用法には、そのような多様性はない。
これが、アナタにとって「ま・ぎ・ら・わ・し・い」ようであるのは、とても残念なことです。--Dalaibaatur 2006年5月11日 (木) 18:19 (UTC)[返信]

議論は尽きた[編集]

複数の人々とDalaibaaturの議論を一覧したが、もう循環論争に陥っている(どうも疑問に対しての答えの論点がずれていて、議論がかみ合わない)。それぞれの意見も出尽くしたし、削除依頼の投票に移りましょう。「西蔵地方」の内容を「西蔵」へ移すということで、「西蔵地方」を削除をするべきか否か・・・、という事で。--60.39.107.15 2006年5月8日

削除依頼へのコメント先[編集]

削除依頼に対する意思表示はWikipedia:削除依頼/西蔵地方に記入することになっているので、別個に投票を行う必要はない。--Dalaibaatur 2006年5月8日 (月) 04:12 (UTC)[返信]

失礼するよ。貴殿の書き込んだ記事内容は有益だ。だから出来ればその内容は取り入れていきたい。しかしそれを我々との間で妥協するには貴殿にも少し我慢してもらわなくてはならない。たね殿が言うには記事の統合は削除依頼ではできない。もちろん意思表示に削除依頼ページを代用することに自分は反対しないが。Sionnach 2006年5月8日 (月) 10:25 (UTC)[返信]

議論の方向性の設定について[編集]

この節は、「統合の必要性」を感じる人に、西蔵西蔵地方の概念、用法が同一であることの立証や、この二つの用語それぞれを別記事とすることの弊害が、統合する利点よりも大きいと感じる根拠を提出してもらい、統合の必要性を検証してゆく場です。--Dalaibaatur 2006年5月11日 (木) 18:19 (UTC)--Dalaibaatur 2006年5月11日 (木) 18:19 (UTC)[返信]
いいえ違います。議論の範囲を勝手に決めないで下さい。西蔵西蔵地方を統合すべしと言う意見が寄せられた事を踏まえて、今後の両ページのあり方について、様々な角度から自由に議論する場です。--Kogane 2006年5月20日 (土) 03:55 (UTC)[返信]
この節のテーマである「検証」以外についての議論は、ご自身で節をもうけて、その場所でどうぞ。--Dalaibaatur 2006年5月27日 (土) 00:54 (UTC)[返信]
なーるほど、つまりこういうことですね。「ノート西蔵地方」はDalaibaaturの物であるから、他人の勝手な発言は許さない。発言の方向性は自分が指定する。自分が作っている「西蔵地方」や「チベット・モンゴル相互承認条約」のページは自分のページだから、他人が勝手な編集をするのは許さない。見つければ即リバートとする。なるほど、よくわかりました。--60.39.107.15 2006年5月29日 (月) 02:32 (UTC)[返信]
このノートでは、だれでも自分好みの「発言の方向性を指定する節」を別途もうけることは自由ですから、「統合の必要性の検証」とは別個のテーマでの議論がお好みなら、ご自由にどうぞ。--Dalaibaatur 2006年6月9日 (金) 00:26 (UTC)[返信]

統合の必要性の検証(3)への投稿より。

少なくとも私は(他の人の意見をまとめるのは大変なので)概念の同一性について述べていません。非常によく似た記事名でかつ非常によく似た事象を扱っているので一般の利用者が検索するのに非常にわかりにくいと述べています。同一であるかどうかの議論に強制的に持って行かないで下さい。たね 2006年6月19日 (月) 05:55 (UTC)[返信]

たね さん(もしくはその他の人々)が、このノートにおいて、ご自身の観点とテーマで別に節を設けて議論したり、情報を発信するのはまったくご自由ですし、読者にとってはより有益ですので、どしどし取り組んでいただければと思います。ただし、この節のテーマは、上に提示してあるとおりですので、よろしくお願いします。--Dalaibaatur 2006年6月19日 (月) 06:06 (UTC)[返信]
「概念が同一のため統合して欲しい」とする統合案と、「似たような名称でわかりにくいから統合して欲しい」とする統合案とでうまく分けてもらえませんか?(ノートも肥大化しているのでできればサブページ希望)たね 2006年6月19日 (月) 06:11 (UTC)[返信]
ちょっと体力が要りそうですが、取り組んでみます。--Dalaibaatur 2006年6月19日 (月) 06:22 (UTC)[返信]

統合の必要性についての検証(1)[編集]

この節は、「統合の必要性」を感じる人に、西蔵西蔵地方の概念、用法が同一であることの立証や、この二つの用語それぞれを別記事とすることの弊害が、統合する利点よりも大きいと感じる根拠を提出してもらい、統合の必要性を検証してゆく場です。--Dalaibaatur 2006年5月11日 (木) 18:19 (UTC)[返信]

削除申請への賛否については、上記で紹介した所定欄で行っていただくとして、本節では、統合の必要性について検証してゆくものとする。

そもそも、西蔵西蔵地方についての統合の議論は、ひとつの記事の内容に私が分割を提案して議論になっているのではなく、別個の二つの用語に対して設けられたふたつの記事に対し、統合の必要を感じたらしい人が問題提起することにより議論が開始されたのである。上記に見える「答えになっていない」「微妙にずらした」という感想は、この点を勘違いしていることにもとづくと思われる。

上記で問題提起している統合論者には、別個の概念・用法を有する別個の用語に対してそれぞれ別個の記事を設けることに、なぜ、どのような問題があるのかについて、両記事の実際の文章に則して説明したものが一人もいない。両記事の実際の文章に則した欠点、利点の実例は「尽きた」「出尽くした」どころか、まだ一例たりとも提示されていないのである。別記事であることの欠点、統合した場合の利点など、両記事に実在する実際の文章に則して提示されていないため、その欠点が、はたして統合せねば解消できないものであるのかどうか、その利点が、別記事のままでも獲得できないかどうかなど、実際の記事に則した検証はまったく行われていない。

そこで議論の水準を、単なる感想を表示するだけのレベルから、実際の記事に則した具体的、実証的なものとするため、現在、統合を主張する者に対し、「西蔵」「西蔵地方」について【「概念」や「用法」が全く一致することが立証されるか、別個の記事であることの不都合が、統合した場合の利点をはるかに上回って大きいことの少なくとも一方について、両記事の現存する文面に則して明確に提示された場合には、統合の提案に説得力を認めることも可能】とのべ、立証もしくは両記事の現存する文面に則した実例の提示を待っているところである。--Dalaibaatur 2006年5月8日 (月) 11:38 (UTC)[返信]

なんか、文章が長い割にはあいかわらず逆ギレしてるだけで、質問・疑問の答えになっていないけれど、このノートの中でDalaibaatur さんが、「西蔵という用語と西蔵地方という用語は、まったく同義でつかわれることもある一方で、まったく別個の概念としても用いられる用語」と、「まったく同義でつかわれることもある」と言ってるじゃん。執筆者が、別個の概念であって、でも同義で使われることもある、なんていってんだから、やっぱ、紛らわしいと、お・も・い・ま・す!!--60.39.107.15 2006年5月9日 (火) 11:19 (UTC)[返信]

私の発言のなかには【別個の概念であって、でも同義で使われることもある】「なんていっている」文面はひとつも存在しません。私自身の発言は【「概念」や「用法」に一致点もあるが、相違点の部分が非常に大きな別個の二つの用語】。問題のふたつの用語の概念、用法が全く一致することの立証や、両記事の実際の文面に則した用例の提示がなされるのを楽しみにお待ちしています。--Dalaibaatur 2006年5月9日 (火) 23:07 (UTC)[返信]

いや問題はですね、「似たようなタイトルのページがあって紛らわしい」とか、「統合した方がいいじゃないか」と言う、複数の読者の素朴な意見をどう汲み取るかと言う事で、「立証」とか何とか言う観念論争じゃないんですよ。問題になっている2つのページは、Dalaibaaturさん個人の論文でも私的な日記でもないんですから。--218.110.1.104 2006年5月10日 (水) 01:44 (UTC)[返信]

「ふたつの別個の用語にたいしてもうけられたふたつの別個の記事」ですから、「論文でも私的な日記」でもないのは当然です。いまのところ、別個の用語に別個の記事が立っていることについて、「統合論者」の中には、両記事の実際の文面に則して具体的に問題点を指摘した人がおりません。なんとなく「統合したいなぁ」と「素朴」に思ってる人に「観念的」に「必要あると思う思う」と連呼されるだけではラチがあかないので、両記事の実際の文面に則して問題を提示するよう促し、観念論争ではない具体的議論が行われることを期待しているところです。--Dalaibaatur 2006年5月11日 (木) 18:19 (UTC)[返信]

てっきり、「西蔵」という記事に、現在のチベットのことが書かれていると思ったら、「チベット」という別記事があるんですね。ならば、「西蔵」も「西蔵地方」も、中国語(漢語)を使う政権での使い方の問題として共通するのではないですか? 「西蔵」にチベットのことが書かれているなら、別記事を主張している人の意見も理解できるのですが、そうでないなら、統合すべきだと思いますよ。 --ねこぱんだ 2006年5月10日 (水) 23:41 (UTC)[返信]

西蔵地方は「中国政権の歴代が中国を構成する一地方を指す概念としてこの用語をどうもちいてきたか」が述べられます。一方、西蔵の方では「国、地域」概念一般として、世界の各国や、中国政府の支配下にない中国語話者たちが用いる「西蔵」という用語、概念の諸相について述べます。「使い方の問題として」は、「共通していない」部分、「全く相反する部分」がありますので、「統合の必要はない」と思います。問題点があるような気がする方々には、両記事の実際の文面に則して個別的、具体的に提示していただくと、ありがたいですね。--Dalaibaatur 2006年5月11日 (木) 18:19 (UTC)[返信]

とすると、Dalaibaaturさんの論理だと、「チベット」と「西蔵」を統合すべきとなりますが。どちらも、「国、地域」概念一般の記述で、それを英語などのことばを使う人と、漢語(中国語)を使う人たちの差となります。「サハリン」「サガレン」「樺太」のようなことでしょうか。 --ねこぱんだ 2006年5月11日 (木) 23:03 (UTC)[返信]
私の「論理」については、私の文章の実際の文面に則してご提示いただけるとありがたいです。//私の構想では、西蔵西蔵地方は、吐蕃烏斯蔵唐古特西番プーと大プーチベット十三万戸とならび、中国およびその周辺で使用された地域概念の呼称とその用法について説明する項目としていちづけられています。チベット西蔵自治区その他の各蔵族自治州など、実際の国・地域や自治体そのものを説明する項目とは別個の存在です。//西蔵の、「日本における用例」の部分では、「明治末期より、昭和中期にかけて使用された表記」として説明しました。--Dalaibaatur 2006年5月12日 (金) 17:41 (UTC)[返信]

「紛らわしい」と言う意見は、素朴ではあっても具体的な指摘ですよ。(218.110.1.104 2006年5月10日)の方が指摘されたのは、「西蔵」と「西蔵地方」に関する専門的議論に終始するのではなく、読者から寄せられた意見を踏まえて、それでは百科事典の記事として、どうしたらそういう声に応え、もっと利用してもらいやすい記事にできるのか、そういう視点で記事のあり方にもう一工夫してみてはどうかという意見ですよ。意見を寄せる人は、Dalaibaaturさんに敵対する「統合論者」ではなく、「読者」の一人であり、読者から「要望」が寄せられていると考えるべきですよ。「自分はそうは思わない」、「検証せよ」、「統合論者」などと言う居丈高な言葉を使わずに、そういう風に考えてみたらどうですか。--Kogane 2006年5月11日 (木) 23:38 (UTC)[返信]

「敵対」しているなどとは全く思っていませんが、「統合すべき」「紛らわしい」とここで意見、感想を述べる皆さんには、「なぜ?」「どこが?」と質問させていただきます。なぜなら単なる抽象的な感想だけいくら頂戴しても、「両記事」の現存の文面を修訂するための「具体的」な参考にはできないためです。両記事の実際の文面に則したご意見をいくつかいただいたので、記事の文面をわかりやすく、「百科事典の記事として、もっと利用してもらいやすい記事にできるのか」についての参考にさせていただきます。--Dalaibaatur 2006年5月12日 (金) 17:41 (UTC)[返信]

私も同じように思うのですが、記事の内容ではなく似たようなタイトルの記事名が複数あって読者には非常にわかりにくいです。最悪だったのは「西蔵地方」というリンクの仕方です。西蔵西蔵地方チベットチベット自治区など非常に似た用語が多く専門家には違いがわかると思いますが一般素人が見たら「西蔵」=「チベット」?? となってしまい混乱します。特に記事自体は定義がされていて開けばわかるかもしれませんが、チベット関連の記事を開くとその記事の中にいくつもリンクが貼られていてそれば複数の記事へのリンクなので読者にはわかりにくいです。現状のままだと使いにくいので(他の人がメンテナンスでリンクを加えたりするのも不便です)記事を統合するなり、記事の階層化によってスリム化をはかることを検討したほうがよいと思うのですがどうでしょうか?たね 2006年5月12日 (金) 04:04 (UTC)[返信]

実際の記事の文面に則したご指摘をありがとうございます。「チベット関連の記事を開くとその記事の中にいくつもリンクが貼られていてそれば複数の記事へのリンクなので読者にはわかりにくい」とは、具体的にはどの記事のことですか?上で「非常に似た用語が多く」と述べておられる4記事では、そうなっていませんね。いずれにせよ、これは、関連項目を分野別に整理、提示すれば、「統合」せずとも解決できる問題かと思います。「最悪のリンクの仕方」は、西蔵地方の記事がたつ以前に書いた文面の中にあるリンクです。このように別個の記事をたてたからには、こちらにリンク先を変更すべきというご指摘はまったく当然ですね。「スリム化」については、safkan氏のご指摘を参考に、kogane氏への回答で示したような構想にもとづき、諸氏からの意見表明もふまえながら、順次とりくんでゆくつもりです。--Dalaibaatur 2006年5月12日 (金) 17:41 (UTC)[返信]
あまりよい例ではありませんが、チベット自治区では冒頭で『チベット自治区(―じちく、西蔵自治区(せいぞう-じちく)、』とされているので、読者にとっては「チベット」と「西蔵」がカタカナ表記と漢字表記の違いとしか捉えられないわけで、その下の本文中では『中華人民共和国チベットの西南半分程度の面積をしめる「西蔵」地方に設けたチベット民族』とくればもうパニック状態です。おまけで、リダイレクトの「西蔵自治区」が本文中に混じってて余計にわからなく…『西蔵部分のみを指す「[[チベット地方]]→(西蔵地方へのリダイレクト)」という用語や、』というのもあります。素人がこれを読んでわかるとは思えませんし、私もよくわかりませんでした…たね 2006年5月12日 (金) 19:00 (UTC)[返信]
カム (チベット)の冒頭『カムは歴史的チベットの東部地方。』というのもわかりにくいです。記事の内容は別として、チベット関連の記事を一旦一覧化してどのくらいあるか探したほうがよいかも。たね 2006年5月12日 (金) 18:36 (UTC)[返信]

たね氏はご存知のことですが、チベット自治区の文面については、Safkan氏による編纂終了宣言がでるまで私は編纂にはタッチしません。上でも少しコメントを述べているSafkan氏は、関係者一同によってこの記事の執筆者に推戴された方であり、上で話題になっている一連の関係用語の概念意味用法は全て熟知把握しておられるであろうこと、いずれ氏が提供されるであろう改訂版では、一連の用語の用法が簡潔、明快に整理提示されるであろうと期待しています。他の記事(とくに西蔵西蔵地方の文面)で、気がついたことがありましたら、お知らせください。--Dalaibaatur 2006年5月12日 (金) 22:15 (UTC)[返信]

西蔵西蔵地方チベットの各記事の定義部の文章を、チベット自治区の記事の文面を反面教師として修訂しました。--Dalaibaatur 2006年5月15日 (月) 15:58 (UTC)[返信]

修正--Dalaibaatur 2006年5月15日 (月) 21:42 (UTC)[返信]

  • たねさんが指摘された「記事の内容ではなく似たようなタイトルの記事名が複数あって読者には非常にわかりにくい」というのは、以前からこのノートに寄せられた、各人の意見共通の内容ですよ。それに実に具体的な指摘です。問題は「実際の記事の文面」というよりも「記事の体裁」にあるのです。自分の書いた文章を頑なに抱え込まずに、読者の要望を汲み取る姿勢を少しは示したらどうですか。--Kogane 2006年5月20日 (土) 03:48 (UTC)[返信]
統合論者の要望を汲み取る姿勢を示すため、Kogane氏あての「2006年5月7日 (日) 14:34 (UTC)」の投稿で、「西蔵」と「西蔵地方」という「二つの用語について、「概念」や「用法」が全く一致することが立証されるか、別個の記事であることの不都合が、統合した場合の利点をはるかに上回って大きいことの少なくとも一方について、両記事の現存する文面に則して明確に提示された場合には、統合の提案に説得力を認めることも可能」と、述べています。[返信]
Kogane 氏が、「両記事の現存する文面に則し」た指摘にとりくもうとなさらないとしても、それはあなたのご自由ですが、それでは私は「説得」されようにもされようがありません。--Dalaibaatur 2006年5月26日 (金) 08:44 (UTC)[[返信]

では統合ということでよろしいですね。[編集]

議論は出尽くしましたが、Dalaibaaturさん以外はこの記事を西蔵へ統合する事に賛成ということでお決まりでございますか?138.243.201.1 2006年5月21日 (日) 23:21 (UTC)[返信]

ちっとも「出尽くして」などおりませんが。Wikipedia:統合依頼の五月分であげられている統合以来の理由の文面は「西蔵と西蔵地方。両方とも完全に同一の地域、概念。プロパガンダ目的で作られた記事ではないかとの指摘も。」とふたつ理由があげられていますが、「完全に同一の地域、概念」どころか、まったく相反する概念、用法を有することを指摘したのに対し、「完全に同一の地域、概念」だと主張する人々は、以後まったく沈黙しています。また「プロパガンダ目的でつくられた」と「指摘」する人の事実誤認も訂正済みで、現在、提示されている「統合の提案理由」はふたつとも成立していないことが示されています。したがって、222.144.86.183が「2006年5月17日 (水) 15:15 (UTC)」に行った統合の提案は却下するのが妥当。別の理由から統合が必要だ、と考える人があるならば、その理由で、再提案するのは、その人の自由。--Dalaibaatur 2006年5月26日 (金) 08:58 (UTC)[返信]

記事の統合の必要性についての議論(2)[編集]

この節も(1)に引き続き、「統合の必要性」を感じる人に、西蔵西蔵地方の概念、用法が同一であることの立証や、この二つの用語それぞれを別記事とすることの弊害が、統合する利点よりも大きいと感じる根拠を提出してもらい、統合の必要性を検証してゆく場です。--Dalaibaatur 2006年5月27日 (土) 00:54 (UTC)[返信]

記事名が似ているということで、リダイレクトからすると「チベット地方」=「西蔵地方」・「チベット自治区」=「西蔵自治区」みたいですが、「西蔵」=「チベット」がなんで違うのかよくわかりません。yahoo!の辞書でもチベットは西蔵とも書くとありますし、「ちべっと」をIME(Windows)で変換すると候補として「西蔵」「チベット」が出てきます。この状況下において百科事典の情報を必要と知る利用者にとって必ずしもわかりやすい状況と言えるでしょうか?あまりにも記事名のこだわりすぎて必要と知る内容がどこにあるのかが見つけにくい状況です。並列方式で記事を作らず縦階層でまとめる手もあるのではないでしょうか。たね 2006年5月23日 (火) 08:19 (UTC)[返信]

【「西蔵」=「チベット」がなんで違うのかよくわかりません】とのことですが、西蔵および西蔵地方の定義部で示しているとおり、「西蔵」はチベットのうちの、西南方の2分の1程度をしめる範囲を指す、中国発の地域概念です。【「西蔵」はチベットの一部分】ということで、」全然別個の概念です。--Dalaibaatur 2006年5月26日 (金) 08:44 (UTC)[返信]
執筆者がこれらの記事名に特別な意味を持たせたいということはわかりますが、日本語の意味としては「チベット」と「西蔵」は同じものでしょう。ここはあくまでもウィキペディア日本語版ですので、記事名は日本語としての一般的な意味にする必要があると考えます。また、チベットにはzh:西藏西蔵にはzh:西藏问题の多言語間リンクが張られているというのもややこしすぎます。本稿の記事名は中国語版に合わせて「チベット問題」としたほうがより具体的でわかりやすいのではないでしょうか。
大体、歴史的な記事だということはわかりますが、烏斯蔵吐蕃西番唐古特も現時点ではほとんどスタブかリダイレクトですので、独立記事として必要かどうか検討する必要があると思います。そもそも、日本の地名でもノート:名古屋ノート:札幌など、似たような地域をさす記事を立てることに論争が多い状態で、日本以外の地名についてこれだけ多くの記事を立てる必要があるかどうかは甚だ疑問です。--shikai shaw 2006年5月24日 (水) 01:23 (UTC)[返信]

【日本語の意味としては「チベット」と「西蔵」は同じものでしょう。】とのことですが、ちがいます。西蔵および西蔵地方の定義部参照。【執筆者がこれらの記事名に特別な意味を持たせたい】のではなく、現に概念、用法ともまったく異なる別個の用語です。多言語間リンクの現状の貼り方は、修正すればいいと考えます。--Dalaibaatur 2006年5月26日 (金) 08:44 (UTC)[返信]

話がかみ合っていないというかなんというか…Dalaibaaturさんと他の方(私も含む)ではかなり考え方が違うと思います。Dalaibaaturさんが主張するのはその用語が具体的にどう違うかを述べており非常に高次元の話をしています。しかし他の方の指摘はもっと低次元の話で、非常に似た用語でありわかりにくいということです。で、私の主張した「チベット」=「西蔵」ですが、Dalaibaaturさんのご指摘では「チベット」≠「西蔵」でるなら、「チベット(の)地方」=「西蔵(の)地方」・「チベット(の)自治区」=「西蔵(の)自治区」は同じなのか??素人の私がリンクをたどっていっても理解できません。上で他の方が指摘しているのも具体的な記事内容ではなく非常に似た記事名でわかりにくいといっているだけです。記事名にとらわれず、例えばひとつの記事にまとめてその中に詳細に別ページ化(ツリー状に)していくことでわかりやすくする方法もあるはずです。今の状況は記事名にとらわれすぎて内容が分散し目的のものがわかりにくいです。たね 2006年5月26日 (金) 15:49 (UTC)[返信]

私の言いたいことも基本的にたねさんと同じです。Dalaibaaturさんがおっしゃるようにチベットと西蔵が違う概念であるのであれば、日本西蔵学会はチベットではなく西蔵のことを研究している学会ということになりますよね。いくら何でもその主張は無理があると思います。第一、「チベット」と「西蔵」が違う概念であるのに、「チベット地方」と「西蔵地方」や、「チベット自治区」と「西蔵自治区」は同じ概念というのは完全に矛盾しており、全く理解できません。
私は別にチベットも地理も専門ではありませんので深くつっこまれたことを聞かれても困りますし、言いたくもないですが、一日本人、一ウィキペディアンとして言わせて頂くと、ここはウィキペディア日本語版ですので、中国語の指す西蔵や西蔵地方ではなく、日本語の指す西蔵や西蔵地方について記述して欲しいと言うことです。先ほど示したように日本では学会ですら「チベット」=「西蔵」として扱っていますし、多くの辞書にもそう書いてあります。故に、一般的な日本人の使う日本語の意味としては「チベット」と「西蔵」は明らかに同じものを指しています。さらに後ろに地方がついても、「チベット」と「西蔵」と別の範囲と理解する人はほとんどいないでしょう。
例えば、東京という言葉について、日本人は一般的に東京23区東京都のことを指しますが、外国では一般的に大東京都市圏のことを指します。この様に言語によって言葉の指す範囲は異なるので、日本語の指す「西蔵」と中国語の指す「西蔵」の範囲が異なっていても別段ふしぎはありません。
確かに、厳密に言えば「チベット」と「西蔵」、「西蔵地方」という言葉の指す範囲は異なるのかもしれませんが、そのような細かい違いしかない言葉についていちいち別に記事を立てるのは、むやみに内容が散乱するだけで、閲覧者にとっては非常に理解しがたく不利益です。同じ意味として使われることもあるが、全く別の意味として使われることもあるというのであれば、一カ所で纏めて扱った方がより分かりやすいでしょう。例としてあまり適切ではないかもしれませんが、東京圏と南関東が同じ場所で扱われているのと同じといえます(もっと例を挙げると、英語版では「東京」と「東京都」ですら統合されてしまっています)。現状では「西蔵」と「西蔵地方」共に30キロバイト程度しかなく、記事量としても統合に支障はありません。
兎にも角にも、ウィキペディアは百科事典です。百科事典というものは閲覧者のためのものであり、執筆者のためにあるものではありません。Dalaibaaturさんにはまず閲覧者の側に立って物事を考えて頂きたいと存じ上げます。--shikai shaw 2006年5月26日 (金) 16:59 (UTC)[返信]
  1. shikai shaw 様。両記事では、「日本西蔵学会」が、日本における用例のサンプルとして取り上げられています。両記事の実際の文面をお読みいただいたなら【日本西蔵学会はチベットではなく西蔵のことを研究している学会ということになりますよね。いくら何でもその主張は無理があると思います。】という「その主張」とはまったく逆の紹介をしているのがご覧いただけます。【先ほど示したように日本では学会ですら「チベット」=「西蔵」として扱っています】というご理解も、勘違いであることがただちに判明いたします。「統合」にたいしてどのようなお立場をとられるのであれ、記事の文面については、実際の文面に則してのご提起をいただけると、たいへんありがたいですね。
  2. 【「チベット」と「西蔵」が違う概念であるのに、「チベット地方」と「西蔵地方」や、「チベット自治区」と「西蔵自治区」は同じ概念というのは完全に矛盾しており、全く理解できません。】とのことですが、中国ではチベットの南半分だけを指して「西蔵」「西蔵地方」とよび、そこに「西蔵自治区」を設置し、中国政府が日本語で発信するチベット情報ではその訳語として「チベット」「チベット地方」「チベット自治区」という呼称を使用していること、対して日本では、アムドやカム東部も含むチベットの全域をさして「チベット」とよび、明治末から昭和中期まで「西蔵」と漢字表記していた(「日本西藏学会」という表記はその名残)という用法の違いによるもので、矛盾でもなんでもありません。
  3. 【ここはウィキペディア日本語版ですので、中国語の指す西蔵や西蔵地方ではなく、日本語の指す西蔵や西蔵地方について記述して欲しいと言うことです。】とのことですが、中国政府は日本語でも情報発信を行っており、かれらが用いる「チベット」「チベット地方」は、明治末年以来、日本で伝統的に「チベット」と呼んできた地域の南半分にしかあたりません。「日本語の指す」というリクエストに完全に応じるためには、中国による用法にも言及せざるをえません。
  4. 「そのような細かい違いしかない言葉」との観想については、チベットの全域を示す用語と、チベットの二分の一しかしめさない用語の、別個のふたつの用語に対する評価として、まったく同意できません。したがって、「いちいち別個の記事を立てる」ことには、きわめて合理的な理由があると考えます。
  5. 「むやみに内容を散乱」させないためには、リンクを密接に、わかりやすく配置し、内容の重複、欠落が生じないよう工夫すればよろしい。
  6. データ規模が「共に30キロバイト程度しか」ないかどうかと、別個の用語を別個に記事立てすることにどんな問題があるかは、まったく別個の問題です。
  7. 【兎にも角にも、ウィキペディアは百科事典です。百科事典というものは閲覧者のためのものであり、執筆者のためにあるものではありません。Dalaibaaturさんにはまず閲覧者の側に立って物事を考えて頂きたいと存じ上げます。】ということですが、一般論としてはまったく完全に賛成します。両記事の実際の文面に則した問題の指摘があり次第、利用者にとってよりわかりやすく、使いやすくなるよう記事を修正するための参考にさせていただきます。--Dalaibaatur 2006年5月27日 (土) 00:54 (UTC)[返信]
「私は別にチベットも地理も専門ではありませんので深くつっこまれたことを聞かれても困ります」と明言しております。よって、あくまでも簡易なお返事に止まらせていただきます。
まず、日本西蔵学会について。記事を読んだ上であえて例として使用させていただいたのですが、分かりませんでしょうか。こちらの説明では明らかに「チベット」=「西蔵」となっており、日本語の意味としてはこちらが主であることは一目瞭然でしょう。
> 中国ではチベットの南半分だけを指して「西蔵」「西蔵地方」とよび、そこに「西蔵自治区」を設置し、中国政府が日本語で発信するチベット情報ではその訳語として「チベット」「チベット地方」「チベット自治区」という呼称を使用していること、対して日本では、アムドやカム東部も含むチベットの全域をさして「チベット」とよび、明治末から昭和中期まで「西蔵」と漢字表記していた(「日本西藏学会」という表記はその名残)という用法の違いによるもので、矛盾でもなんでもありません。
とのことですが、ご自分の説明が矛盾していることにはお気づきですか。この説明では中国政府の指定している「チベット」=「西蔵」の範囲と、日本で古来から呼んでいる「チベット」=「西蔵」の範囲が異なっていることの説明にはなっていますが、いずれの意味でも「チベット」と「西蔵」は同じ意味で使われています。したがって、日本語として「チベット」と「西蔵」の意味が異なる事についての説明には全くなっていません。
なぜ、日本語で「チベット」と「西蔵」の指す範囲が異なるかについて、ちゃんとした説明と用例を提示していただけますか。また、それが日本語として一般的な用法であることにいての証拠を提示していただけませんでしょうか。
また、中国政府の指す「西蔵自治区」については先の投票で「チベット自治区」と決まっていますが、ならば中国政府の指す「西蔵」「西蔵地方」についても「チベット (中国)」「チベット地方」とでもしないと明らかに用語が矛盾しており、利用者の混乱を招くだけです。故にチベット関係の各記事で長期にわたって論争が続いていると思うのですが、いかがお考えですか。
それと、私の言った「日本の地名でも似たような地域をさす記事を立てることに論争が多い状態で、日本以外の地名についてこれだけ多くの記事を立てる必要があるかどうか」についてのお返事をまだいただいておりません。これについてもいかがお考えでしょうか。--shikai shaw 2006年5月27日 (土) 04:27 (UTC)[返信]
西蔵の記事の「日本における用法」での記事を【こちらの説明では明らかに「チベット」=「西蔵」となっており、日本語の意味としてはこちらが主であることは一目瞭然でしょう。】と読解されたようですが、実際の説明では、【西蔵と漢字表記して「ちべっと」(または「てぃべっと」)と発音する用法】は、【明治末期より昭和中期まで使用された用法】であって、【現在の日本における用法はカタカナ表記「チベット」に置き換わった】と説明しています。【日本の用法】は昭和中期以降、【西蔵】から【チベット】におきかわったのであり、実際の説明文は【「チベット」=「西蔵」】ではなく【「西蔵」→「チベット」】という内容です。したがってshikai shaw氏のいう「ご自分の説明」はまったく矛盾しておりません。一方で、中国においてはチベットの西南部2分の1にたいし、康煕末年以来現代にいたるまで一貫して「西蔵」という呼称を使用し続けています。「西蔵」は中国においては現行の固有名詞です。そして、相手国の固有名詞の表記に関する日中の相互とりきめでは、【漢字表記はそのまま、それぞれの国の言語で発音する】とされています。中国の固有名詞は、漢字表記はそのまま日本語の漢字音で発音すれば、それで日中の相互とりきめに準拠した立派な日本語となります。すなわちshikai shaw 氏が連呼しておられる「矛盾」は、じつはちっとも矛盾しておりません。【日本語として「チベット」と「西蔵」の意味が異なる事についての説明には全くなってい】ないような気がするのは、この点を把握しておられないためでしょう。
「日本の地名でも似たような地域をさす記事を立てることに論争が多い状態で、日本以外の地名についてこれだけ多くの記事を立てる必要があるかどうか」については、一部にコメント。西蔵は、チベットの西南部の2分の1程度をしめる、チベットの一部分であって、チベットとは全く別個の用語、概念であり、shikai shaw 氏の「これだけ多く」という印象には、事実誤認が含まれている。【西蔵】という文字列を含んだ記事は、わずかふたつしか存在せず、ちっとも「多く」はない。正式の回答についてはこの「事実誤認」について、共通の理解が成立した後に。--Dalaibaatur 2006年5月30日 (火) 23:11 (UTC)[返信]
納得できないのですが、【「西蔵」→「チベット」】ならば【「チベット」=「西蔵」】じゃないんですか。昭和中期までと現在において、それほど言葉の用法が大きく変わったとは思えないのですが。そもそも、「アメリカ」という言葉が合衆国を指したり南北アメリカ大陸を指したり複数の意味で使われるように、チベットや西蔵についても複数の意味があると解釈するべきだと考えます。故に【「チベット」=「西蔵」】と考えたほうがずっと自然です。
日本政府と中国政府の間で【漢字表記はそのまま、それぞれの国の言語で発音する】という取り決めがなされたというのは聞いたことがないのですが、これはどこで決められたのでしょう。私は今までNHKの慣例だと思っていました。また、それが正しいとすると、チベット自治区ハルビンマカオなどの記事名は間違いということになりますよね。しかし、日本政府が「西蔵自治区」や「哈爾浜」、「澳門」などと表記するよう定めているということは聞いたことがありません。大体、北京や上海、香港などはどうなるのでしょうか。明らかに不自然です。そもそもこのような取り決めがあるのならば、チベット自治区や中国の自治体の名称についての投票はなぜ行われたのでしょう。
「日本の地名でも似たような地域をさす記事を立てることに論争が多い状態で、日本以外の地名についてこれだけ多くの記事を立てる必要があるかどうか」については、私は西蔵だけでなくチベットや唐古特も含めたすべての問題だと思っているのですが、議論をいたずらに分散させるだけなので、しばらくは保留としておきます。--shikai shaw 2006年5月31日 (水) 05:00 (UTC)[返信]
【それほど言葉の用法が大きく変わったとは思えないのですが。】とのことですが、実際の記事では、「用法」ではなく、「表記がかわった」と述べています。西蔵の「日本における用例」の部分では、「西蔵」について、「明治末期から昭和中期にかけて、チベットの総称として用いられていた表記」と述べられています。日本人自身による、「ちべっと、てぃべっと」という発音に西蔵という表記をあてる用法は、昭和中期から急速に廃れ、「チベット」(もしくは「ティベット」)というカタカナ表記におきかえられています。たとえば「日本西藏学会」に、その創立初期から参加している佐藤長山口瑞鳳らの研究者は、自身の著述における表記としては昭和中期(1945-1975)以来、一貫して「チベット」というカタカナ表記を使用しています。「西蔵」と書いて「ちべっと、てぃべっと」という発音する用法は、多田等観ら、日本のチベット学を創始した長老達の引退とともに姿を消した、明治、大正の名残というべき用法と言えます。
【それが正しいとすると(中略)ことになりますよね。】という点について、日本の外国語表記には、「原語にもっとも近いカタカナで転写する」という原則もあり、中国語による固有名詞の表記自体が外国語や少数民族言語を転写したものである場合、この原音主義によって転写されるのが慣用となっています。この点については、別に議論の蓄積がありますので、ここではこれ以上ふれません。--Dalaibaatur 2006年6月3日 (土) 03:15 (UTC)[返信]

まず、Dalaibaaturさんはもっと落ち着いてください。ここのノートの編集数が (×17) となっていたのを見たときは、驚くどころかあきれました。ご存知だとは思いますが、ウィキペディアではすべての記述の履歴が全て残ります。たとえ節単位の編集でも、全ての部分の履歴が残るため、節単位で多数の編集を行えば、それだけサーバへの負担が増します。サーバへの負担が増せば設備投資も増やさなければならなくなり、ウィキメディア財団の財政は悪化します。そのようなことを続けていれば、最終的にウィキペディア自体が成り立たなくなる恐れもあります。ウィキペディアに参加する人間としては、不要な記述を行ってウィキ資源への負担を増やさないように、短期間に同じ記事への編集を行う場合はできる限り一度で済ませる様にお願い申し上げます(もっとも、節単位でしか編集できない古いブラウザを使用しているのならば仕方ありませんが)。また、Wikipedia:論争の解決Wikipedia:議論が白熱しても冷静にWikipedia:ウィキケットなどもごらんください。

さて、堂々巡りにしかなりませんが、【「チベット」=「西蔵」】という用法は昭和中期以降使用されてないという考え方は正しいのでしょうか。現実問題として、「日本西蔵学会」は現在でもその名称に【「チベット」=「西蔵」】という用法を使用しています。「日本西蔵学会」が「日本チベット学会」に名称変更をしていない以上、【「チベット」=「西蔵」】という用法は消滅していないと考えるのが普通ではないでしょうか。第一、戦前の日本では非漢字圏の地名を漢字で表記する用法が一般に使用されていましたが、戦後はその用法が一般的でなくなったというのは、チベットに限ったことではありません。故に【「西蔵」→「チベット」】という表記だけを特別視するというのはおかしいでしょう。

日本の外国語表記には、「原語にもっとも近いカタカナで転写する」という原則というのは確かにありますし、私も基本的にはそれに従うべきだとは思っていますが、ここ最近のウィキペディア日本語版では、むしろ日本語としてより一般的な表記を採用する傾向にあります。ミュンヘンの記事名については非常に長い間議論されていましたが、結局日本語としてより自然な「ミュンヘン」に移動されました。また、ロシア語関係の記事名の多くもより一般的な表記に変更されてますね。それに、チベット自治区との不整合はどうするのでしょう。同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」の二種類があるというのは利用者にとって大変わかりにくく不便です。仮に「西蔵地方」という記事が独立したまま残るとしても、記事名は「チベット地方」としなければ辻褄が合いません。--shikai shaw 2006年6月6日 (火) 01:45 (UTC)[返信]

「堂々巡り」なのではなく、shikai shaw 氏がまだ現実を直視できておられないだけです。『【「チベット」=「西蔵」】という用法は昭和中期以降使用されてないという考え方は正しいのでしょうか。』と引用風に述べておられますが、実際には私自身は【「チベットの総称は、西蔵と表記して(ちべっと、てぃべっと)と発音する用法」から「チベット」というカナ表記に置き換わった】とのべています。「置き換わった」と述べる指標は、チベット学の研究者たちの表記です。この置き換えは、日本のチベット学者たちが、自身の用語として、チベットの総称にいかなる表記をもちいるのか、という観点から、統計学的に、客観的に計測が可能です。私自身は統計データは示していませんが「日本西藏学会創立当初からのメンバーで、チベット史研究の東西の大御所として佐藤長および山口瑞鳳の用例をあげました。また「日本西蔵学会会報」第六号では、多田等観自身が共著の論考で、チベットの総称として「チベット」という表記を使用しています。「置き換わっていない、現在の生きた用法だ」と主張したければ、チベット学を専門とする現代の若手研究者で、チベットの総称として「西蔵」という表記を使用している人物の実例をどうぞ。「日本西蔵学会という用法」が「使用されていない」とか「消滅した」などと述べた覚えはまったくありません。「日本西蔵学会」というサンプルは、西蔵で私自身が紹介したものです。ノートでは「明治、大正期の名残だ」と述べており、この呼称が「現在使用されていない」などと事実に反することを述べたことは一切ありません。
【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」の二種類がある】とのことですが、「同じく」という部分が事実誤認。中国の現行の地名西蔵は、チベットの西南部2分の1だけを指し、アムド地方やカム地方の東半部は含まれておりません。中国でチベット全域をさす場合、「整個蔵区」「西蔵和其他整個蔵区」などという呼称が用いられ、固有名詞は付されておりません。すなわち、チベットと「西蔵」は指し示す範囲がことなるまったく別個の概念なのですから、別個の記事をたてることには全くなんの問題もありません。--Dalaibaatur 2006年6月8日 (木) 23:33 (UTC)[返信]
まず、ここは百科事典であり、チベット事典ではありません。故に、チベット学の研究者たちがどう表記しているかよりも、日本語としてどちらが一般的な表記であるかが優先になります。
私は「置き換わっていない、現在の生きた用法だ」といっているわけではなく、例えば亜米利加や亜細亜などのように、「現在では通常使用されることはないが、死んだ表記とはなっていない」という趣旨で述べています。現実問題として、日本の国語辞典には現在でも「チベットは西蔵とも書く」と記述されており、一般の日本人には「チベット=西蔵」と解釈されています。MS-IMEでも「チベット」と打てば「西蔵」と変換されます。現実を直視していないのはDalaibaaturさんの方でしょう。
【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」の二種類がある】のことについては、全く理解していただいていないようですね。私はウィキペディア日本語版で、西蔵自治区がチベット自治区として記事が立てられているため、これ従うならば、「西蔵地方」は「チベット地方」とするべきではないかという意味です。ウィキペディア日本語版において、【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」 "といった" 二種類の "翻訳方法" がある】のは整合性が取れておらず、大変不自然です。
中国でチベット全域をさす言葉が西蔵以外に存在することについて教えていただいたのはありがたいですが、それでも中国語の「西蔵」の訳には「チベット」が当てられるのが一般的です。そもそも日本語のチベットが必ずしもチベット全域をさす必要はなく、また、日本語の「西蔵」が中国語の「西蔵」と同じ範囲をさす必要もないのです。
Dalaibaaturさんの説明で、西蔵西蔵地方はそれぞれ独立した記事としてある程度成り立つのは理解できましたが、名称が不自然な点についてだけは譲ることができません。「西蔵」はそのままでかまわない(それでも日本語の西蔵を第一義にもって来るべきですが)かもしれませんが、「西蔵地方」についてはこのままではいけないでしょう。--shikai shaw 2006年6月13日 (火) 02:26 (UTC)[返信]

上記への回答は記事の統合の必要性についての議論(3)にて。

統合すべきかどうか満足に話が進んでいないのに新たな記事チベットの領域に関する認識と主張に分離するのはいかがなものでしょうか?ただ議論をかき混ぜているとしか思えません。たね 2006年5月27日 (土) 15:17 (UTC)[返信]

移動した文章は、もともと別の場所で「チベットの領域に関する認識と主張」について書き下ろしたものであり、Safkan氏からも指摘がはいっているように、「西蔵地方という用語の説明」としては、大幅な修正を加える必要があるものでした。この西蔵地方という項目を「西蔵地方という用語の説明」のための記事として純化することを「議論をかき混ぜる」とはまったく考えません。統合論者から「西蔵地方という用語の説明として不純な記述がある」と突っ込まれるまえに、事前に手をうったということです。--Dalaibaatur 2006年5月30日 (火) 23:11 (UTC)[返信]
ここにしろチベット・モンゴル相互承認条約にしろ、ノートで議論を行っている最中に記事の内容を書き換え、リバートし、あまつさえ分割を行うというのは、明らかにマナー違反であり、ウィキペディアンとして許されない行為です。たねさんが不快に思うのも無理はありません。--shikai shaw 2006年5月31日 (水) 05:00 (UTC)[返信]
いままでの諸氏の指摘のなかで「この記事の文面における問題個所」として検討の対象とされた文章を、もし移動したようなことがあったとしたらば、その移動に対して「マナー違反」、「ウィキペディアンとして許されない行為」という批判をうけるのもやむを得ないかもしれませんが、実際には、移動の対象とした文章のなかには、諸氏がこのノートで実際に取り上げた文面は1文、1句、1語、1字たりとも含まれておりません。よって「マナー違反」、「ウィキペディアンとして許されない行為」というご批判は、つつしんでご返上もうしあげます。--Dalaibaatur 2006年6月3日 (土) 03:15 (UTC)チベット・モンゴル相互承認条約における編纂に関連した記述を次節に移動--Dalaibaatur 2006年6月9日 (金) 05:43 (UTC)[返信]
ここの記事は中国政府の主張するチベットの範囲に関する記事ではなかったのですか。Dalaibaaturさんがチベットの領域に関する認識と主張に分割した内容はどう考えてもここの議論とは関係が深い部分であり、適切であったとは思えません。
また、ここ半月以上の間チベット・モンゴル相互承認条約は注視しておりましたので、DalaibaaturさんとSower05さんがノートで議論をしながらも本文を修正しあい、編集合戦に陥りつつあるのはわかっています。Sower05さんはDalaibaaturさんの記述した内容をある程度生かそうとしているにもかかわらず、DalaibaaturさんはSower05さんの記述した内容を削除するどころか無断でリバートしたこともちゃんと確認しております。本記事の議論とは関係がないので、これ以上はいいませんが、Dalaibaaturさんは嘘をおっしゃらないようにお願いいたします。--shikai shaw 2006年6月6日 (火) 01:45 (UTC)[返信]
「分割の対象とした文面」をメインコンテンツとしてこの記事をたてた当初、safkan氏より【西蔵地方は西蔵地方の枠組みの変遷や解説ではなく、中国政府及び共産党側の用いる「西蔵地方」という用語の意味あいに関する言説についての解説として再構成していただいたほうがより異論は少なくなると考えます】というご批判を受けました。先の分割は、safkan氏の批判に則し、この記事を【中国政府及び共産党側の用いる「西蔵地方」という用語の意味あいに関する言説】を紹介する記事に特化させるためにおこなったもので、今後「実際の用例」を各種紹介してゆきますので、ご期待ください。
移動の対象とした文面は、むろんここの議論の「テーマ」と深い関係はあるでしょうが、「西蔵地方の枠組みの変遷や解説」であって、「西蔵地方という用語そのもののの解説」とは異質の文面であり、「単に深い関係がある」にとどまる」こと、さきに【統合論者たちに問題だと思う文面を両記事の実際の文面から具体的に提示するよう促した】際にも、移動対象とした部分からの提示は一切行われていなかったこと、の2点の理由より、問題がある移動だとは全く考えません。
チベット・モンゴル相互承認条約における編纂についてのコメントは次節参照。--Dalaibaatur 2006年6月9日 (金) 05:43 (UTC)[返信]

shikai shaw 氏より、チベット・モンゴル相互承認条約における私の編纂について以下のようなコメントあり。すべて事実に反する印象操作と思われます。読者諸氏にはノート:チベット・モンゴル相互承認条約の参照を希望。 shikai shaw 氏の最初のコメントは、

ここにしろチベット・モンゴル相互承認条約にしろ、ノートで議論を行っている最中に記事の内容を書き換え、リバートし、あまつさえ分割を行うというのは、明らかにマナー違反であり、ウィキペディアンとして許されない行為です。たねさんが不快に思うのも無理はありません。--shikai shaw 2006年5月31日 (水) 05:00 (UTC)[返信]

という趣旨。これに対しては、

また、チベット・モンゴル相互承認条約における編集も、実際には「ノートで議論を行っている最中に記事の内容を書き換え、リバートし、あまつさえ分割」など全くなされてなどおりませんので、他の読者はshikai shaw 氏の批判を鵜呑みになさらぬよう希望します。ノート:チベット・モンゴル相互承認条約を参照。--Dalaibaatur 2006年6月3日 (土) 03:15 (UTC)[返信]

と反論した。shikai shaw 氏はこれに対しさらに、

また、ここ半月以上の間チベット・モンゴル相互承認条約は注視しておりましたので、DalaibaaturさんとSower05さんがノートで議論をしながらも本文を修正しあい、編集合戦に陥りつつあるのはわかっています。Sower05さんはDalaibaaturさんの記述した内容をある程度生かそうとしているにもかかわらず、DalaibaaturさんはSower05さんの記述した内容を削除するどころか無断でリバートしたこともちゃんと確認しております。本記事の議論とは関係がないので、これ以上はいいませんが、Dalaibaaturさんは嘘をおっしゃらないようにお願いいたします。--shikai shaw 2006年6月6日 (火) 01:45 (UTC)[返信]

と再コメント(shikai shaw 氏の発言の全文オリジナルは前節を参照)。

shikai shaw 氏の主張によれば、私がチベット・モンゴル相互承認条約において「ノートで議論を行っている最中に記事の内容を書き換え、リバートし、あまつさえ分割」した由。「リバート」は行いましたが、実際には「記事の内容の書き換え」は「もとの文面への復帰」にすぎず、「分割」に至ってはまったく身に覚えはありません。【他の読者はshikai shaw 氏の批判を鵜呑みになさらぬよう希望します。ノート:チベット・モンゴル相互承認条約を参照。】と述べたところ「Dalaibaaturさんは嘘をおっしゃらないようにお願いいたします」との再誹謗。
この記事における問題のリバートは、Sower05氏が「その部分の削除には同意しない旨私が繰り返し明言している部分」2カ所をふくめ、旧来の文面を根こそぎ削除して置き換える編集を三度にわたって繰り返したために、やむを得ず行ったものであり、「議論の対象となっている文面への復帰」です。その後のSower05氏の「2006年5月30日 (火) 11:49」の版の編集は、あいかわらず「旧来の文面を根こそぎ削除して置き換える編集」ですが、私が「削除に同意しない旨特に明記した2カ所は生かす工夫」がみられるので2度目のリバートは行っておりません。
チベット・モンゴル相互承認条約で私が「記事の分割をおこなった」ような気がするのであれば、どの版で行ったのか、分割された文面はいかなる記事に現存しているのかを具体的に提示していただくよう要求します。「Dalaibaaturさんは嘘をおっしゃらないようにお願いいたします」とのことですが、私にはチベット・モンゴル相互承認条約で「分割を行った」という記憶が全くなく、私の環境からこの記事の履歴を見ても、分割の痕跡を発見することができないのです。
「本記事の議論とは関係がない」ことをこのノートの議論で持ち出すことにどのような意義をみとめておられるのかは知りませんが、くれぐれも紹介や引用は正確にお願いします。--Dalaibaatur 2006年6月9日 (金) 05:43 (UTC)[返信]
「記事の分割」については私の事実誤認ですので、素直に謝ります。ごめんなさい。ちょっと忙しい時期だったので履歴を見間違えていたようです。
しかし、それ以外のことについては、間違ったことをいっているとは思いません。「もとの文面への復帰」であるとしても「記事の内容の書き換え」であることには変わらず、編集合戦を誘発する行為であるためウィキペディアにおいて望ましい行為ではありません。また、Dalaibaaturさんの行動だけが問題だといっているわけではなくSower05さんの行動も問題であるといっています。Dalaibaaturさんには編集合戦を引き起こさないよう冷静に対処してほしいと考えて記述しているまでです。
私が申したこととDalaibaaturさんが仰ったことのどちらが正しいかはチベット・モンゴル相互承認条約及びノート:チベット・モンゴル相互承認条約の記述内容と履歴を参照すればわかることですので、これ以上ここで話すべきことはありません。--shikai shaw 2006年6月13日 (火) 02:26 (UTC)[返信]
チベット・モンゴル相互承認条約における私の編纂について、【ノートで議論を行っている最中に記事の内容を書き換え、リバートし、あまつさえ分割】したという評価の文面について、事実誤認を謝罪して訂正されたのは大変結構なことです。ただし「間違ったことをいっているとは思いません」とのことですが、そもそも「記事のノート」は記事の文面について議論する場所であって、投稿者の「投稿姿勢について感じていたことを噴出させ」ることは、ウップン晴らしにはなるかもしれませんが、「合意の形成」にはあまりつながらないと思います(ノート:ボゴト市ノート:アラグシャー盟参照)。--Dalaibaatur 2006年6月25日 (日) 03:40 (UTC)[返信]

記事のスクラップ[編集]

議論するにもまずどういうのがあるか知ろうということで、ノート:西蔵地方/チベット・西蔵関連記事一覧を作ってます。参考資料になるように関連記事が見つかったら追加をお願いします。たね 2006年5月26日 (金) 17:12 (UTC)[返信]

統合論者への期待[編集]

あいかわらず「両記事の実際の文面」に則した批判や提案が絶無ですが、「西蔵」および「西蔵地方」という用語に正確な認識をもつ人物からの批判や提案が提示されることを期待しております。本当に統合が必要だとかんがえるなら、サブノートで「統合してみた文面」を提示してみせることだって可能なはずです。
現時点で出現した統合論者諸氏の議論は

などの諸点で、説得力を感じることがほとんどできません。みのりある議論と合意の形成にむけて、諸氏の奮起を期待します。--Dalaibaatur 2006年6月10日 (土) 23:41 (UTC)[返信]

誤解のないようにいっておきますが、私は最初から統合についてはそれほど積極的ではありません。「チベットの歴史的呼称」や「中国の主張するチベットの範囲」などにまとめたほうがわかりやすいだろうとは考えていますが、無理に統合する必要もないとは思っています。また、日本語版に限らずウィキペディア全体のバランスから見て、ある程度似た範囲をさすものの記事が積極的に立てられていないことから、内容を複数の記事に分散させるのは余り望ましくないと感じていることもあります。
Dalaibaaturさんの投稿姿勢については一年以上前からずっと感じていたことが噴出してしまったまでです。ちょっとした注意として行っただけですので、議論の方向をずらす意図があってのものではありません。故にこの点については私からはこれで終わりとします。--shikai shaw 2006年6月13日 (火) 02:26 (UTC)[返信]

一読者の感想[編集]

コメントしろっていわれて、コメントしてみたが、別にレスがあるわけでもないし、別にこの記事の統合に自分から積極的に影響したいとも思わない。よって、感想は消しておきます。--DeleteLover2006 2006年6月22日 (木) 07:12 (UTC)[返信]

記事の統合の必要性についての議論(3)[編集]

この節も(1)(2)に引き続き、「統合の必要性」を感じる人に、西蔵西蔵地方の概念、用法が同一であることの立証や、この二つの用語それぞれを別記事とすることの弊害が、統合する利点よりも大きいと感じる根拠を提出してもらい、統合の必要性を検証してゆく場です。--Dalaibaatur 2006年6月19日 (月) 05:58 (UTC)[返信]

以下はノート:西蔵地方#記事の統合の必要性についての議論(2)に投稿された文面。

まず、ここは百科事典であり、チベット事典ではありません。故に、チベット学の研究者たちがどう表記しているかよりも、日本語としてどちらが一般的な表記であるかが優先になります。
私は「置き換わっていない、現在の生きた用法だ」といっているわけではなく、例えば亜米利加や亜細亜などのように、「現在では通常使用されることはないが、死んだ表記とはなっていない」という趣旨で述べています。現実問題として、日本の国語辞典には現在でも「チベットは西蔵とも書く」と記述されており、一般の日本人には「チベット=西蔵」と解釈されています。MS-IMEでも「チベット」と打てば「西蔵」と変換されます。現実を直視していないのはDalaibaaturさんの方でしょう。
【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」の二種類がある】のことについては、全く理解していただいていないようですね。私はウィキペディア日本語版で、西蔵自治区がチベット自治区として記事が立てられているため、これ従うならば、「西蔵地方」は「チベット地方」とするべきではないかという意味です。ウィキペディア日本語版において、【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」 "といった" 二種類の "翻訳方法" がある】のは整合性が取れておらず、大変不自然です。
中国でチベット全域をさす言葉が西蔵以外に存在することについて教えていただいたのはありがたいですが、それでも中国語の「西蔵」の訳には「チベット」が当てられるのが一般的です。そもそも日本語のチベットが必ずしもチベット全域をさす必要はなく、また、日本語の「西蔵」が中国語の「西蔵」と同じ範囲をさす必要もないのです。
Dalaibaaturさんの説明で、西蔵西蔵地方はそれぞれ独立した記事としてある程度成り立つのは理解できましたが、名称が不自然な点についてだけは譲ることができません。「西蔵」はそのままでかまわない(それでも日本語の西蔵を第一義にもって来るべきですが)かもしれませんが、「西蔵地方」についてはこのままではいけないでしょう。--shikai shaw 2006年6月13日 (火) 02:26 (UTC)[返信]
【そもそも日本語のチベットが必ずしもチベット全域をさす必要はなく、】とのご主張ですが、そもそも日本の「西蔵」もしくは「チベット」と書いて「チベット」と発音する呼称は、伝統的にアムドやカム東部を含む全チベットの総称として用いられてきました。中国が日本語でチベット情報を発信するとき、西蔵の部分だけをさして「チベット」と呼ぶからといって、我々が、わざわざ、それにあわせて我々の伝統的な用法を変更する必要はまったくないと考えます。
学術研究の諸分野では、ある用語の表記が統一されたり変更されたりした場合、ほどなくマスコミ用語や教育現場にもその統一や変更が反映され、日本における一般表記となりますので、【ここは百科事典であり、チベット事典ではありません。故に、チベット学の研究者たちがどう表記しているかよりも、日本語としてどちらが一般的な表記であるか】と駄々をお捏ねになってもむだです。
「チベット」と「西蔵」のいずれが「アムドやカムの東部を含む全チベットの総称」として「一般的な」表記であるかは、実際の用例から統計的に確認することが可能です。私の印象では、「チベット」という表記が用いられることが圧倒的であり、したがって「昭和中期」にチベットの総称の表記が「西蔵」から「チベット」に「置き換わった」と述べています。チベットの総称にたいする「一般の日本人の表記」は「西蔵」ではなく「チベット」です。【日本の国語辞典には現在でも「チベットは西蔵とも書く」と記述されて】いたり、【MS-IMEでも「チベット」と打てば「西蔵」と変換され】たりするのは、【明治期から昭和中期にかけてひろく用いられていた】ことのたんなる名残にすぎません。「名残」の別の例をあげると、ラマ教からチベット仏教への用語の転換があります。学会では昭和中期、マスコミでは1987-1989年にこの転換が行われました。上述の佐藤長氏は、ご自身の用語としては現在にいたるまで一貫してラマ教という用語を使用しつづけており、また年配の人々にはこの語のほうがなじみがあるという人たちも多数いますので、決して「死んだ用語」とはいえませんが、もはや「名残」であることにはかわりがありません。
【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」の二種類がある】のは、中国政府が、「西蔵」に対して「チベット」という訳語をあてていることの反映にすぎません。我々が、かれらの訳語を用いたり、用いなかったりするのは、我々が主体的にきめるべきことであって、中国の用法に必ず従わねばならない必要はまったくありません。現行の自治体に関する記事名のあり方は、個々の国の枠組みをこえた、ウィキペディア全体の「外国の自治体に関する記事名のあり方」を視野にいれて議論すべき事項であり、いっぽう、そうでない中国語の地名については中国語の固有名詞の表記というレベルで整合性がとれていればよく、ゆえに「西蔵自治区」という自治体をどんな呼称で記事立てすべきかと、中国の固有名詞の呼称(地名)をどのような表記で記事立てすべきかは、むりに整合させずとも、別個の基準によって行ってなんら問題ないと考えます。
【「西蔵」はそのままでかまわない(それでも日本語の西蔵を第一義にもって来るべきですが)】とのことですが、そもそも「西蔵」という表記の起源であり、康煕末年いらい現在にいたるまで、かわることなく用いられてきた中国における現行の用法と、明治末期から昭和中期にかけて用いられ今は廃れた日本における用法と、どちらを主とすべきかといえば、「起源であり、現行の用法でもである中国の用法」を第一義にすべきと考えます。
日本では、伝統的に「チベット」という呼称はアムドカム地方東部もふくむ全チベットの総称として用いられてきました。それに対し、中国における「西蔵地方」の用例は、ほぼ一つ残らず、アムドおよびカム東部を除く、チベットの南2分の1ほどの領域しか指しておりません。中国政府は「西蔵地方」という呼称について「チベット地方」という訳語をあてておりますので、彼らが日本語で発信した日本語の文章を引用、紹介する文面のなかで「チベット地方」という表記を用いることはやむを得ませんが、そうでない場合には、我々自身の「チベット」という呼称の用法との混乱を避けることもできますので、彼ら自身の漢字表記を尊重し、「西蔵地方」という表記をそのまま用いても、なんら問題ないと考えます。--Dalaibaatur 2006年6月17日 (土) 19:03 (UTC)[返信]

「西蔵」ということばに、中国語の意味と、日本語の用法とがあり、それが混乱を招いているようですね。「土耳古」とか、「比律賓」のように、かつて日本語として使われた名称としての「西蔵」なら、「チベット」の項目の中で説明すればいいことで、独立した項目を立てる必要はありません。

すると、中国語での用法になりますが、「西蔵(xi zang)」も「西蔵地方(xi zang di fang)」も、今の中国では、チベットの一部分をさしたことばとなっているわけですよね。日本における「北方領土」が、千島の一部分をさしたことばであるのと同じように。そこに時代による微妙な使い方の差があったとしても、大きく、中国語での用法としてまとめることは不可能なのですか。わざわざ別項目にしなければならないほどのちがいがあるのでしょうか。

日本語の「西蔵」の用法を「チベット」に統合して、あくまでも中国の用法として、「西蔵(xi zang)」と「西蔵地方(xi zang di fang)」との統合ができるのではないですか。 --ねこぱんだ 2006年6月21日 (水) 15:24 (UTC)[返信]

西蔵と表記される地域概念には、指し示す領域の狭広により
  1. チベットの2分の1程度だけを指して用いる伝統の用法
  2. アムドカムの東部をもふくむ全チベットの総称として用いる用法
があり、後者はさらに
  • 「ちべっと」と発音し、明治から昭和中期にかけて広く用いられていた日本における用法
  • 中国国外の中国語話者たちによる近年の用法
に区別され、いずれも時代や政権の変遷をこえたチベットの国号としての用法を有しています。西蔵と表記される地域概念が、このように豊かな意味内用を有しているという事実は、ねこぱんだ 氏が提案しているような方式で記事内容を分散させてしまうと、読者に伝わりにくくなります。そんな不都合を発生させてまで、無理に西蔵西蔵地方を統合する必要はないと思います。--Dalaibaatur 2006年6月23日 (金) 05:14 (UTC)[返信]

このページの論議を読み続けてここに至りましたが、統合および「西蔵地方」の削除は必要なしだと思います。まず、断っておきますがチベットに関して私は専門ではありません。同じ中国でもウイグルを専門に古代~現代をライフワークにしています(ただし、wikipediaは独自の研究を発表する場ではないので記述はしておりません)。「西蔵地方」やその関連の記事を拝見していると、専門ではないですが、近い地域を研究するものとして妥当な内容だと思われます(中立性などに関して問題はないと思われます)。ただし、学問上では事実であっても、政治的にはタブーであることということがあります。それに触れている可能性があります。触れていけないとは思いませんが、そこに触れると、その研究をしている方以外が混乱する可能性があります。今回の混乱もそういう一面を感じます。私の専門であるウイグルに関しても「ウイグル」「新疆ウイグル自治区」と「東トルキスタン」、「東トルキスタン共和国」などがあります。それぞれの概念は重なる部分も多く、古代のウイグル民族と現代のウイグル自治区の住民とが同じかどうかや、いろいろな部分で問題を抱えています。また、西蔵と同じく、中華人民共和国の占領下にあるために、日本国内ではどちらかというと中華人民共和国の言い分ばかりがあふれ、現地の状況や現地の人々の意識と日本人の理解との間には埋められないものがあります。百科事典としてのwikipediaはどうあるべきかという問題にも直結する問題なので、あまり触れたくはありませんが、争点のある内容に関しては両論併記が必要であると思います。それは概念においても同じであると考えます。「西蔵」という概念と「西蔵地方」という概念が異なる概念であることは確かですので、これを統合することは困難が伴います。削除は、両論併記を否定し、一方の概念に統一し、他方の概念を否定することになりますので、学術的にいかがなものかとの思いを持ちます。ですので、個人的には、両方ともに存続していくべきだと思います。--葉月 2006年6月26日 (月) 04:46 (UTC)[返信]