ノート:

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

記事内容の大量除去について[編集]

複数のユーザーにより記述内容を大量に除去される事態が頻発しています。こちらとしては、まっとうな資料をもとに記述したつもりですが、もし記述内容に問題あれば(たとえば出典が信頼できる情報源とは言えない、など)ノートでご指摘ください。そうしたご指摘や要約がまったくなく、無言での記述除去が続くようでしたら、不本意ながら半保護も考慮せざるを得ません。--逃亡者 2011年12月5日 (月) 10:44 (UTC)[返信]

また、「本当は実体が無い」「退屈して消える」「苦しみもがいて死ぬ」「桶を~」といった記述は、関連文献に見当たらない情報だったので昨年12月要出典扱いとし、今年11月の編集まで出典が得られませんでしたの除去した次第ですが、2度にわたり復帰しています。これらの記述、何かの文献に出典はあるのでしょうか?--逃亡者 2011年12月6日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

2度にわたって上記編集を行ったユーザーの会話ページに本ノートへ誘導する旨のご案内を差し上げたのですが、3週間近くにわたってご返答が得られず、本ノートのコメントも同じく3週間近くありませんでしたので、上記編集前の状態である2011年12月5日 (月) 10:59 (UTC)の版まで戻させていただきました。ただし私自身の記述のうち、こちらのウェブサイトを出典とした熊野の伝説云々については、サイトに資料の出典が記載されているものの、サイト自体は専門家によるものかどうか定かでなく、信頼できる情報源とはいえないと思い、自ら除去させていただきました。--逃亡者 2011年12月26日 (月) 20:09 (UTC)[返信]
今の、主に逃亡者氏による版を支持します。わざわざ出典不明の情報を多数含む版に戻す意味が解りません。
現在、よし太氏は1日の投稿ブロックとなっていますが、ブロック開け後も同様の編集を繰り返すようですと、残念ですがより長期の投稿ブロックを依頼せねばならなくなります。議論への参加をお願いします。--Starchild1884 2012年1月12日 (木) 21:08 (UTC)[返信]
こんにちは、よし太です。まず、「要出典」の件と対話なしに変更した件について謝らせてください。当方wikipedia編集に関しては編集する側としては日が浅く、またあまり理解をせずに編集をしていました。このノートのことを知ったのもブロックを知ってからです。改めて理解をせずに編集をしたことを謝らせてほしいです。申し訳ありませんでした。さて、私が覚の件を編集したことについてですが、現在の最新の記事では覚という妖怪は全国的に存在していることになります。そこに疑問を感じ編集(以前に戻す)をしていました。まず、覚という妖怪についてですが、覚という妖怪は鳥山石燕の今昔画図続百鬼に初めて登場しています(あくまで私の記憶でですが)。そこでの記述では「飛騨・美濃の深山に~」とあります。このことから覚とはまず、美濃・飛騨に住んでいるということはわかります。しかし、今昔画図続百鬼が登場するまでは美濃・飛騨では「黒ん坊」、山梨では「おもい」等各地で様々な呼び名で既に存在していました(ここで妖怪が本当に存在していた、していないかは無しとします)。このことからまず妖怪覚とは鳥山石燕によって名づけられたことになります。つまり妖怪覚とはいわば新参であり、場合によっては石燕のオリジナルの妖怪です。順番としては カク猿→やまこ(黒ん坊、おもい)→覚 の順にきています。それに加え、覚を生み出した鳥山石燕はこの後覚が他の地域に出没するという記述を残していません。最近私が立ち読みをした妖怪の図鑑(最近発売のもので、名前は忘れましたが)では覚のページでは生息地が日本各地にあります。山梨県もしかりです。しかしそこには「おもい」の名がありませんでした。また水木しげる先生や近頃の妖怪の漫画で覚の名はよく聞き、心を読む妖怪=覚という形がなりたっているくらい有名の妖怪となっています。つまり今昔画図続百鬼より前に存在した「おもい」「黒ん坊」それに加えおおもとの「やまこ」という妖怪をも飲み込んでしまっています。これはやはり今昔画図続百鬼の影響が強いと思われます。ここまで長くなりましたが、wikipediaは多くの人が見て、wikipediaを見ればどんなことも分かると思われるほど利用されており、ソレを見れば信じてしまうでしょう。それならば勘違いをしないような記述にしなければならないのは周知の上だとおもいます(私が要出典の件も戻していたことは私が「要出典」の意味を分かっていなかったのが原因です・・・)。この最新の記事では覚という妖怪は広く分布し、覚という分類の中に「おもい」「黒ん坊」「山鬼」と書かれています。この記述では勘違いする人がいると思うのです。もしこのような記述をするのなら、「やまこ」のページを作ってそこに「覚」「おもい」「黒ん坊」「山鬼」などを記述するべきではないでしょうか。私の記憶では依然「やまこ」と「覚」のページは分かれていたのですが、いつの間にか「やまこ」のページは消えていました。 短く書いたつもりですが予想以上に長ったらしくなりました・・・。とりあえずここまでとさせていただきます。(偉そうに語っていますが、私は専門家ではなく一般の妖怪に興味がある者です。)--よし太 2012年1月18日 (水) 20:19 (UTC)[返信]
コメント 申し訳ないですが、「あくまで私の記憶でです」「名前は忘れました」ではいけません。ウィキペディアの方針上、出典がきちんと挙げられている逃亡者氏の版をベースにすることが最善だと思います(Wikipedia:検証可能性)。
よし太氏のご意見も分からないではないですが、専門家による妖怪に関する著書等で「覚」と「おもい」「黒ん坊」「山鬼」その他を一緒くたに分類しているのであれば、一緒くたに分類されていることが不適切だというよし太氏の個人的意見を記事に反映すべきではないです(Wikipedia:独自研究は載せない)。
"勘違い" が起きるのを防ぎたいのであれば、その対処として記事を差し戻すのは不適切です。「覚」と「おもい」「黒ん坊」「山鬼」は違うものだという出典を探して記事に加筆・反映させるべきです。そもそもよし太氏の編集は、全体として逃亡者氏の付けた出典を削っているだけです。これは認められるものではないと思います。
なお「やまこ」については「カク猿」にあります。確かに過去に「やまこ」の単独記事はありましたが、ノート:カク猿での提案を経て「カク猿」に統合されたようです。統合提案は根拠があり、問題ないと思います。
編集意図は解りましたので即時の編集はしませんが、1週間ほど待ってもよし太氏が差し戻しの根拠とする部分について出典が得られなければ、再度逃亡者氏の版へ差し戻しを行ないます。再度編集される場合は、根拠となる出典とともにお願いします。「どこかで読んだが書名は忘れた」では駄目です。また、なるべく書名だけではなくその記述ページも挙げられた方が宜しいかと思います。--Starchild1884 2012年1月18日 (水) 21:34 (UTC)[返信]
こんにちは。「あくまで私の記憶です」とは調べた末、今昔画図続百鬼以前には覚の記述は無いのですが、もしかしたら存在するかもしれないことを考慮してのことです。正しくいうのであれば「私の調べた結果では」ですね、語弊をまねきすみませんでした。「専門家による妖怪に関する著書等で「覚」と「おもい」「黒ん坊」「山鬼」その他を一緒くたに分類しているのであれば」とありますが、妖怪という「実際見ることが不可能にちかいもの」を研究する上では独自の考え方を記したものです。専門家なんて一人じゃありません、何人もいます、しかも妖怪は細かいところに互いに矛盾がでてくるのがこの分野です。例えば多田克己氏は覚とやまこは別種と述べています。このような専門家が述べても必ず信用できるものではない様々な出典を挙げるのはいかがなものかと思いました。それならば覚に関しては一番信用のある鳥山石燕の記述を筆頭の方にもってゆき、なるべく他の記述は最小限にするべきだと思います。現在もどしている記事は覚を端的に知る上では最も適していると考えているからです。各地の伝承も口伝えのものであり、また「サトリ」という名が出ている時点で最近のものです。当時の日本(特に山間部)は集落ごとに独自の考えを持っており外との関わり、外の知識が乏しものです。心を読む妖怪がでたら「サトリ」という言葉が出るのは変ですよね。このような伝承は信憑性に欠けると思います。動物として存在しない分類ですから実際調べようがないのです。もしかしたら別の地の伝承が根付いたとも考えられます。もし覚という妖怪に興味をもった人は独自に様々な伝承をしらべて知識を広げればよいと思うのです。また、カク猿の記事に黒ん坊の記述がある時点でこちらに「おもい」を含め「黒ん坊」の記述をするべきではないと思います。--よし太 2012年1月19日 (木) 11:37 (UTC)
コメント 専門家によって「おもい」他と「覚」を同一視する者と別として扱う者がどちらも相当数いるのであれば、記事冒頭部に「『おもい』他(略)と同一視する意見と別の存在であるとして扱う意見がある」と書けば良いのではないでしょうか。ジャンルは異なりますが記事「聖徳太子」の虚構説などはそのような構成だと思います。専門家の意見が多数あるならば「専門家の意見が多数ある」と記事に書くべきであり、一つの意見を推して他を除去してしまうのは宜しくないのではないかと。
やはり、再度、逃亡者氏の版に戻した上で、必要があればよし太氏が新たに注釈を付け加えるのが最善ではないかと。逃亡者氏は様々な資料を調べた(つまり様々な専門家の意見を聞いた)上でこの記事を執筆されたようですし、やはりよし太氏にも出典付きで執筆していただく以外に無いと思います。--Starchild1884 2012年1月19日 (木) 21:26 (UTC)[返信]
コメント拝見しました。まず前回の私のコメントでは私は他の確証性の少ない記述を最小限にするべきというものであり、現在戻している記事は「一つの意見を押して他を除去」しているのではなく、鳥山石燕の「飛騨美濃の深山に玃(やまこ)あり。山人呼で覚と名づく。」という唯一確信をもてる記述の他にも十分他の「専門家の意見」は記述してあります。確かに「同じ心を読むおもいという妖怪も存在する」等、他の地域にも別称で呼ばれている妖怪がいることを記述しても良いと思いますが、「おもい」等に関する詳しい記述を覚の記事に書くべきではないかと思います。書くのであればそれは「カク猿」の「類話」の欄に書くのが妥当でしょう。聖徳太子の虚構説ですが、確かに聖徳太子にもさまざまな憶測があり最近では「実在すらしていない」という説もでています。確かに聖徳太子も確たる確信を持てるものではないですが、妖怪とはちがい人であり、論ぜる史跡も多くあり、それだからこそ多くの意見がでるのです。それに比べ妖怪、今回では覚では確たる資料は鳥山石燕のみ、あとは伝承です。正直現代を生きるご老人が嘘でも「私の先祖はこの地で心を読む妖怪を見た」といえば、書物もなにもなくてもそこには心を読む妖怪が居た。という資料になってしまうのです。それ程妖怪は資料に乏しい。それに比べ聖徳太子の場合では根拠なしに「私の先祖は聖徳太子の侍女をしていた」なんて言っても誰も信じないでしょう。妖怪とはそれ程の差があります。
 私も「専門家」と言っておりますが、妖怪の専門家なんておそらくおらず、本業とは別で調べている方々ばかりです。なにせ妖怪を調べようにも観察できませんから、先に述べたように嘘か本当かもわからない地域の伝承にすがるしかないのですから、専門家といえるほどに専念できないのです。研究家というのが正しかったですね。漫画のように秘密裏に妖怪を退治してる、なんてことがあれば別ですが・・・。また、「やはりよし太氏にも出店つきで執筆していただく以外にないと思います。」とありますが、1つ前の私のコメントにもあるように私は信憑性に欠ける説は例として最小限にするべきというものであります。正直逃亡者氏は十分覚の伝承を調べています。私が加筆をする必要はないどころか、私が加筆したらさらに文面は増え、私の記事を戻した意図に反してしまいます。これ以上続けても終わりなく議論を醸すだけでしょうから、これで納得していただければと思います。 --よし太 2012年1月20日 (金) 23:30 (UTC)[返信]
議論とは直接関係ないのですが、明確にしておかないと議論が進められない点を確認します。 IP:119.238.66.167会話 / 投稿記録氏 イコール 利用者:よし太会話 / 投稿記録氏 ということでよいのでしょうか? --Starchild1884 2012年1月20日 (金) 22:04 (UTC)[返信]
はい、ログインできていない事がよくあり、今回も入り忘れていたようです。--よし太 2012年1月21日 (土) 11:02 (UTC)[返信]
ああ成る程、「署名」の方法をご存じでなく、名前も時刻も手動で入力されていたのですね。署名は、ノート系ページで「編集」を押した時にテキストボックス上に出ている通り、発言の最後に「--~~~~」(ハイフン2つ+にょろ4つ)と記してそのまま投稿して下さい。自動的に展開されて署名に変化します。Wikipedia:サンドボックスで試してみて下さい。
で、議論途中で申し訳ないのですが、こちらにあまり時間を割けなくなりそうです。いつ議論に参加できるかも分からないのにお待たせしても申し訳ないので、一旦身を引きます。
私としては、やはり逃亡者氏による出典付き投稿を無下にするのは良くないだろうと考えます。一方で、よし太氏のご意見も理解しました。後ほど時間があるときに、単純に逃亡者氏の版に差し戻すのではなくて、現在のよし太氏の版に逃亡者氏による記述を別の節として復活させる形で投稿してみようと思います。その際は、是非ご確認ください。何かあればこのノートで発言して下さい。
逃亡者氏がウィキブレイク(ウィキペディアをお休み)中で議論参加を願えないのが残念ですが、いずれまた逃亡者氏も復帰されよし太氏と対話するだろうと思います。その時はまた議論にご参加ください。--Starchild1884 2012年1月22日 (日) 21:50 (UTC)[返信]
ご無沙汰しております。家庭の事情で暫く編集を控えておりましたため、返答できず申し訳ありません。よし太さんのご意図にも目を通させていただきました。大方、Starchild1884さんご提案の方向で問題ないかと思われます。
なお、編集休止直前の少々調査したことですが、民俗学研究所の『綜合日本民俗語彙』で「覚」として分類される昔話の一つが、原典では「天狗」の昔話であって「覚」とは書かれていないケースがありました(ただし、天狗が人間の心見透かしていたところ、思わぬことが偶然起きて驚いて逃げるという、まさに覚の話のパターン)。原典では覚とされておらず、後付けで覚とされているものは他にも多いと考えられますので、そうしたものは現状の石燕の「覚」を中心とした記述とは節を分けて書くべきかなと考えていたところでした。図書館で原典資料や昔話研究の類の資料をあたればまとめられそうなのですが、諸事情で以前のように図書館へ通うことができず(何せ年が明けてから一度も図書館に行っておらず、妖怪関連の書籍をまったく読んでいません)、本項を含め、妖怪関連の編集は当面、休止させていただきたく思います。身勝手で申し訳ありません。--逃亡者会話2012年6月21日 (木) 21:16 (UTC)[返信]

改訂案[編集]

大変ご無沙汰しております。2年近く経ってしまいましたが、改訂案を作成しました。⇒ 利用者:逃亡者/sandbox

  • 基本はよし太さんのご主張「石燕の記述を筆頭、他の記述は最小限」およびStarchild1884さんの「現在のよし太さんの版に逃亡者による記述を別の節として復活」として、石燕についてを「概要」節、日本各地の民話を「民話」節として記述しました。ついでに石燕について詳述を加筆しました。
  • ただし単純に現在の版に追記してだけではなく、現在の版にある「山の中で人前に現れ~」「こちらが口に出すよりも早くそれらをしゃべる」「偶然の出来事に驚いて逃げ去る」といった記述は、石燕の『今昔画図続百鬼』にはなく(画像参照)、民話にしか確認できませんので、「民話」節に移動させました。
  • かつての私の改訂時では伝承地の都道府県名や、各地の伝承の内容までこと細かく書きましたが、日本全国に伝承されているという意味合い程度がわかれば良いかな?と思い直し、記述は簡略化してあります(ウィキペディアは百科事典ですので、そうした細かすぎる情報は、いわゆる妖怪事典の類に任せれば良いかなとも思い直しております)。
  • 「山神の化身である童子が零落して妖怪化した姿」の説は国書刊行会の『鳥山石燕 画図百鬼夜行』にありますが、出典として五来重氏の『鬼むかし』(ISBN 978-4-04-836016-6)が挙げられており、同書を読むと、石燕ではなく民話のほうの「覚」についての記述でした。ですので山神云々も民話の節へ移動させました。ついでに同書には民話の「覚」の名の由来について興味深い説が載っていましたので、ついでに加筆し、合せて元記述も少しいじってあります。

こんなに編集を放置しておいて何を今さらと思われるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。--逃亡者会話2014年4月20日 (日) 19:37 (UTC)[返信]

色々思うところがあり、改訂案を少々変えております。
  • 石燕の「覚」について述べた節を「概要」としておりましたが、辞書的に「概要」とは「全体の要点の取りまとめ」を意味しており、本記事で民話を含めて記述する上では石燕のみの記述に「概要」は正しくないと考え、「古典」と改めました。
  • 覚について色々資料を読みましたが、「覚が人と共存していた」の説は多田克己氏の『幻想世界の住人たち IV』(ISBN 978-4-915146-44-2)にしか見つからず、同書にも一次出典が明記されておりませんので、上記議論でいうところの信憑性に欠けると考え、除去しました。
提案から2週間近く経ちますが、上記議論参加者お2方に会話ページでお知らせしたところ、Starchild1884さんは利用者‐会話:Starchild1884#「覚」の改訂案についてにて、ご意見は2年前と同様、変更についてはタッチせずとのことでご返答を頂いております。よし太さんからのご返答はありませんが、投稿履歴が本項関連しかなく、現在どのような状況なのか、ウィキペディアの編集自体から手を引いてしまったのか、判断に迷うところです。ゴールデンウィークで遠出の最中で編集参加が困難とも考えられますので、差し当たり連休翌週の土日の10日(土)・11日(日)頃まで議論を継続させていただきたく思います。かく言う私も明日から家族の見舞いで遠出の予定で、パソコンは持参しないつもりですので連休中は多分編集参加不可です。よろしくお願いいたします。--逃亡者会話2014年5月2日 (金) 10:51 (UTC)[返信]
予告しました通り改訂させていただきました(UTCでは11日ですが日本時間は現在12日午前4時台です)。現記事内容に問題を感じられた際は、以前のように無言でリバートされるのではなく、こちらのノートにコメントをいただきたく存じます。記事中には「<!-- 編集前にはノートでの議論もご確認ください -->」と記しました。--逃亡者会話2014年5月11日 (日) 19:28 (UTC)[返信]
「ただし単純に現在の版に追記してだけではなく、現在の版にある「山の中で人前に現れ~」「こちらが口に出すよりも早くそれらをしゃべる」「偶然の出来事に驚いて逃げ去る」といった記述は、石燕の『今昔画図続百鬼』にはなく(画像参照)、民話にしか確認できません」とのことですが、たまたま『怪談見聞実記』(1780)を見ていたところ、「サトリのワッパ」型の話が掲載されており、怪物の名称も「さとり」あるいは「悟(ルビ:さとり)」となっていました(「(翻刻)[怪談見聞実記]巻之一~巻之三」『目白学園国語国文学』7(1998), pp. 47-48)。また、未確認ですが『越佐叢書』も近世かそれ以前の史料を翻刻したもののように思われるので、本項目「民話」の節の最終段落で、あたかも従来は「サトリのワッパ」と呼ばれていたものが昭和以降は「サトリ」と呼ばれるようになったかのように書いているのはミスリードではないかと思います(五来や豊島の著書に明確に「昭和以降、名称がサトリになった」と書かれているなら別ですが、こちらも当方では未確認です)。むしろ「サトリのワッパ」という名称の初出のほうが遅いようにも思われますが、調査しきれていません。--toroia会話2014年5月17日 (土) 12:32 (UTC)[返信]
なんと江戸時代にいわゆるサトリのワッパ型、しかも「サトリのワッパ」でなく「サトリ」の名で文献がありましたか。まったくの未見でした。『今昔画図続百鬼』が1779年ですので、そのわずか翌年ですね。さんざんさんざん考え抜いた改訂案ですが、現記述は確かにミスリードといえます。五来氏・豊島氏の著書ですが、「昭和以降、名称がサトリになった」と明記されてはいませんが、共に『日本昔話名彙』(昭和23年)中の「さとりのわっぱ」、『越佐叢書』の「サトリという山の獣の話」を例示して、「サトリのワッパ」が「サトリ」に変容したと述べられています。江戸時代に「サトリ」の名があったとなると、多田克己氏の著書を出典とした「『玃』(かく)の代字として『覚』が用いられ、『覚』が「さとり」と誤読され、近代に入って「覚」という妖怪の伝承が生まれた」という説もどうか……と思われました。ご紹介くださった資料は手近な図書館に蔵書がありませんでしたので、確認には時間がかかりそうです。差当り、「サトリのワッパ」が「サトリ」に変容したとの記述には手をいれてみます。--逃亡者会話2014年5月17日 (土) 16:26 (UTC)[返信]

(インデント戻します)早速の反映、ありがとうございます。その後調べてみましたが、新潟の風土の中で育まれた妖怪たちというページによると、1771年に書かれた『越之風車』に「悟り」と呼ばれる怪物の話が載っているようです。さらに、『日本昔話名彙』によると『越之風車』の「悟り」の箇所は『越佐叢書』第6巻、52ページに収められているようです。--toroia会話2014年5月18日 (日) 04:13 (UTC)[返信]

情報提供ありがとうございます。ついに石燕以前の資料、それも絵入りが登場して驚きました。サトリのワッパでなく「悟りといふ獣の事」ですから、江戸時代、石燕以前にこの妖怪が「さとり」が名でよばれていたわけですね。これは是非『越之風車』を読まなければ、と思いきや天下の国会図書館にもありませんでした。『越佐叢書』でしたら遠方の図書館にありますので、どのみち別の宿題でそのうち行こうと思っておりましたので、課題としておきます(すみません、『越佐叢書』は、引合いに出しながら現物は未見なのです。年度始め以来、本業が多忙で……)。--逃亡者会話2014年5月18日 (日) 07:00 (UTC)[返信]

また古い史料を見つけました。宝暦9年(1759)の『広大和本草』巻十に「サトル」という動物の項目があって、ほとんどサトリと同じ物語が書かれています。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557077/30 --toroia会話2014年12月10日 (水) 07:56 (UTC)[返信]