ノート:親
出典が無く、独自研究に陥っている
[編集]この記事を執筆したウィキペディアンたちは手元に出典を置かず、テキトーに自分の感覚で執筆したらしい。2~3割程度はもっともらしく書けてはいるので、文献を読んでいない人たちがなんとなく納得させられてしまい、今まで発覚しなかったのかも知れないが(それに書いている当人は、うまく書けた気がしているのだろうが)きちんとした文献を読んでいる人間が文献を眼の前にしながら現状の記事と読み比べれば、どの文章もかなり不正確だと分かる。
いろいろ検討してみたが、現状の文章を活かしてあげたくても、結局ほとんど使いものにならない。ウィキペディアンがうろ覚えの常識をもとに感覚的に書いた文章というのは、ひとつひとつの用語の用法に狂いがあり、おまけに数行ごとに、ありがちなステレオタイプや固定観念が練り込まれていて、学者が書く学問的文章とは程遠いものになっている。結局、再利用が困難だ。結局、そもそも、出典を用意せず、ウィキペディアンが自分の心にある常識を基に感覚的に執筆してゆくという方法にはかなり無理がある。ルール通り、最初に出典を用意し、最初の加筆時に緻密に出典を示すように。出典が示されていない文章に、こちらで要出典を貼り、コメントアウトする。
(あらかじめ念のために言っておくが)絶対に感情的になって一部の文章を無理して復帰させたりしてはいけない。それと、既に書いてしまったいい加減な文章に、あとづけで、無理やり一部は類似する文章(だが、意味が完全には一致しない文章)を見つけてきて、さも出典であるかのように装う行為は、辻褄が合わなくなり、<出典の偽装>というウィキペディアで重大な犯罪行為と見なされる状態になるので止めていただきたい。
結局、最初から出典を用意して、それをよく熟読して、出典に素直に、最初から緻密な文章をつくり、それを加筆するしかない。そうした正しい手順で執筆すれば、現状放置されている(一見正しいようで、学問的に見ると奇妙な)文章とはかなり異なった文章になる。やってみればすぐに分かる。--124.85.129.177 2011年8月20日 (土) 20:13 (UTC)