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ノート:親日国家/削除

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削除依頼での議論はWikipedia:削除依頼/親日国家をご覧下さい。


この項目は一体何なのでしょうか? ひょっとしてこの続きで「反日国家」でも作るんですか?NiKe 2004年10月11日 (月) 06:54 (UTC)[返信]

この項目は即時削除東日本国際 2004年10月11日 (月) 09:48 (UTC)[返信]
出すとしたら即時削除ではなく、削除依頼ですよ。--Miketsukunibito 2004年10月11日 (月) 09:50 (UTC)[返信]

221.191.133.9氏はトルコが親韓国家である証拠を提示すべきです。トルコ人は日露戦争によってロシアの圧力から解放されたり、エルトゥールル号遭難事件を通じて日本に対してとても感謝の念を抱いていました。そして、イラン・イラク戦争時に在留邦人の救出に尽力を尽くしたのです。日韓共催のワールドカップに於いてもトルコ人の親日ぶりはテレビ報道などで明らかです。また、日本の一時のトルコブームによって日土関係はとても友好的なのです。お願いですから、嘘を書いたり、事実の歪曲はしないで下さい。Rabbit 2005年1月19日 (水) 18:17 (UTC)[返信]

記事の必要性[編集]

何を以って“親日”と定義するのかが疑問です。本項の削除を提案します。--61.125.192.89 2005年3月4日 (金) 01:33 (UTC)[返信]

本項目の削除に断固反対です。私は本項目に於いて初めて、いかにパラオが親日感情を持っているかを知りました(パラオの国旗を御参照下さい)。反日派についての情報が溢れる中、親日派についての情報は極めて少なく、本項目は貴重な情報源です。
Famsis 2005年4月19日 (火) 12:47 (UTC)[返信]

  • (存続)本文は、大変に有意義な記事だと考えます。反日について記述した記事が存在するなら、親日について記述した記事が有っても良いと考えます。絶対に削除してはならない記事です。-- 2005年5月17日 (火) 12:11 (UTC)[返信]
そもそも記事名が不適切。親日・反日どちらにしろ感情というものは流動的ですし、親日国家と見られてた物がいつの間にか反日国家になっていたり、逆もまた然りです。そのような物でしかないのに「○○は親日国家」などと決め付けてる本記事は百科事典的でありません。また、パラオが親日的であるというのはパラオの記事に書けばいい問題で、この記事は関係ありません。また、ウィキペディアは特定の事象を宣伝する場ではありませんし、そもそもこの記事に書いてる事は具体的事例やソースも少なく不確かな事ばかりなので、役に立ちません。「反日があるから、親日について記述した記事もあるべき。」との意見に関しても「親日」の記事を作ればいいだけで、この記事を存続させる必要性はありません。222.144.83.60 2005年5月21日 (土) 11:38 (UTC)[返信]

もしこの記事が項目として成立するなら「親キルギス国家」「親ブータン国家」「親セルビア・モンテネグロ国家」…これら全てが記事の資格を持つということになってしまいますが。例外として「反日感情」が項目になってしまっているのは、それが良くも悪くも(価値判断とは関係なく)、一つの「現象」になってしまっているからです。「親日現象」のようなものが客観的に発生しているかといえば、昔からずっと親日の傾向がある国等は当然あるでしょうが、「現象」とは言えませんよね。「反日感情」の項目が公平さの点から問題があるというなら、「反日感情」の項目の中に親日国の存在を参考として記し、客観性を保つという方法があります。 そもそも、ある国にとって、その国の国民が別のある一国に対してどう思っているかなんていうことはその国のアイデンティティにおいて極めて些末な一部分でしかないので、わざわざ記事にする価値がないのではと思います。 仮にこの内容をどうしてもどこかに置く必要があるとすれば、「日本」の項目の下に「他国からどう思われているか」のような項目を設けるというのが場所としては適切かもしれませんが、そもそもそんな項目を設けている国が他にあるでしょうかね。 同じ第二次世界大戦敗戦国という立場を共有する「ドイツ」の項目を日本語とドイツ語で見てみましたが、当然でしょうがそんな項目はありませんでした。 外国の目を気にしすぎる、日本人の自意識過剰な一面ですね。でもその自意識過剰さを、世界のどこからでも見られるウィキペディアに堂々と晒すことはないかと思いますが。そもそも、自分の国の素晴らしさに深い確信を持っていたら、どこの国に嫌われようと自信をなくさず、またどこの国に好かれようとおごることなくいられるはずですよね。そうありたいものです。219.111.122.46 2005年5月23日 (月) 17:52 (UTC)[返信]

外国の目を気にするのは、個人でも世間を気にするのの拡大版であって、日本人の倫理観や文化そのものだとも思えます。今までも国対国でなくとも、外国人の目で見た日本を非常に気にしてきましたし、それに便乗した自称外国人のエッセイなども人気がありましたし。実に日本らしい記事とも言えるかと。そちらの日本人の罪より恥を重視する文化などと絡めた記事に成長させると、広がりが出るかもしれません。みっとし 2005年5月23日 (月) 23:53 (UTC)[返信]

記事名について[編集]

記事名を「親日感情」に変えたほうがいいと思います。「親日国家」では「反日感情」と釣り合いが取れませんし、この記事で挙げられてる「親日国家」が記事の中でも述べられてる国民の大半が親日派である国家だという確かなソースが無い以上、「親日感情」という表現で止めておくのが適切でしょう。221.187.51.198 2005年2月14日 (月) 09:46 (UTC)[返信]

トルコについて[編集]

「トルコが親日である理由は無い」とする記載について、「トルコ風呂」問題は既に解消されていると思いますし、現在までこれが親日感情に影響を与えている根拠があれば御教示下さい。問題提起したサンジャクリ氏御自身が日土友好に尽力されている事実も御考慮下さい。
江頭2:50の件について、トルコ国内で顰蹙を買った件は疑いが無いと思いますが、トルコ側の反発が江頭2:50個人に対してなのか、日本人全体に対してのものなのかは不明です。「悪化させる出来事が多い」とのことですが、その他の例について御教示下さい。
トルコ国籍クルド人親子の強制送還についてですが、「対日感情が劇的に悪化している恐れもある。」との記載は余りにも過激な極論です。具体的根拠が示されていない以上、「劇的」という表現は控えるべきです。また、クルド人は様々な問題を抱えており、この件がどれだけの優先順位を与えられてクルド人の情報網に流されているかも不明です。
トルコにはトーゴービールやトーゴー通りがあり、また平成9年1月、駐日トルコ大使ネジャッティ・ウトカン氏はエルトゥールル号遭難事件について「トルコの歴史教科書にも掲載され、子供でさえ知らない者はいないほど歴史上重要な出来事だ。」と述べており、トルコ人の多くが親日感情を抱いていることは問違いないかと思います。本項目は親日国家全般を扱かっており、全体とのバランスからも、具体的根拠に乏しい記述については削除するか、他の項目に記述すべきかと思います。
Famsis 2005年4月19日 (火) 12:47 (UTC)[返信]

  • 地震の支援(仮設住宅提供)の件や、アタチュルクが明治天皇を尊敬していたという話もありますし。少なくとも、江頭2:50の件は削除すべきと思います。一事件に過ぎず、国家関係・国民感情に結びついたものではないでしょう。--Los688 2005年4月19日 (火) 12:56 (UTC)[返信]

記事を読んでいると「年の相撲人気やNGOの活動により、日本に対し親近感を感じている人が多い」などというだけで(このことに関しての調査があったのか?)親日国家に分類されてしまうのでしょうか。とすると日本車が売れていて面白くないと思っているだけの所は反日に分類されてしまうのでしょうか。トルコに関しても過去にそういったことがあったおかげで「なんとなく好意を抱いている」と言うだけの話で、トルコと日本の関係は歴史的にも現在でもかなり薄いと言えると思います。利害が絡まない関係で親日とか反日とか言うのは無意味だと思うのですが。らりた 2005年5月8日 (日) 12:25 (UTC)[返信]

反日感情と統合した項目の新設提案[編集]

反日感情と本項目を統合して何らかの項目の新設を提案します(日本の国際関係は既にあり適当な名称を思いつきませんが。)。その上で、中立性や正確性の検討をして、記述を取捨選択すべきです。なお、国民感情について記述しているからと言って、執筆者が感情的になってしまっては本末転倒です。国際関係論国際関係学上も、現代および歴史上の、日本および各国の「国民感情」について扱っている分野はあると思いますので、国際関係論・国際関係学上の検討も必要でしょう。そして少なくともばっさり削除するべき性格のものではありません(何らかの法的問題がないかぎりは)。--Willpo 2005年5月24日 (火) 04:25 (UTC)[返信]

削除依頼のほうでは当方は(統合又は移動)という形で意見表明しましたが、この場合の統合は「親日」など既存の記事との統合を意図したものであって、「反日感情」との統合を支持したものではありません。親日・反日両方を統合して冷静に学問的に両論併記するという百科事典にふさわしい理念・姿勢そのものには異論ありませんが、現実には両者はあまりにも相反する項目であり、たとえば、親日と反日の章・節を記事中に設ける場合にも五十音でいけば親日が先になるのだとは思いますが、これに異議を唱え「どちらを先にするか」というくだらないことで編集合戦に至る可能性も懸念されます。もちろん、そのような争いごとを避けるために百科事典としての機能(一つの記事中に併記することで少しでも広く供覧に資する)を諦めるのはそれもまた愚かで日本人にありがちな事なかれ主義だとは分かっていますが、やはり現状においては、当方としては、親日・反日の大統合には反対し、「親日国家」記事内容を1)同様の趣旨の既存記事と統合、2)同様の趣旨の穏当な記事名(例:親日感情)に新設移動、のいずれかを支持したいと思います。無言雀師 2005年5月26日 (木) 05:02 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/親日国家より継続議論[編集]

Wikipedia:削除依頼/親日国家より継続議論。

  • (同削除依頼サブページの、無言雀師さん 2005年5月25日 (水) 02:35 (UTC)へのコメント)受け取られかねないとの御懸念はもっともかとも思われます。がしかし、どこかの巨大掲示板の件は、管理者が違法性のある書き込みをした人のアクセスログ情報を開示せず(もしくはログがないために開示できず)、しかも削除の依頼にも、その巨大掲示板にローカルな削除基準や手続きに依頼者が従わなかったため結果として応じなかったために、他には方法がないとして不法行為責任を管理者に対し認めたものだったと思います。本項目に関しては法的問題として削除依頼をしている人が見られないことなどから、仰られているとおりこれは次元の違う話であります。たとえ法的問題として削除依頼ないし争訟を起こす人がいたとしても、それは管理者の人含めウィキペディア内で別途検討されるべき話であります。元に戻って、現状の記述に中立的な観点に問題があるからこそ、「中立的な観点」のテンプレートが貼られており、それについて議論されており、また一部の参加者による削除依頼もテンプレートを貼られて行われているわけですから、特にウィキペディア自体に対しての問題は生じません。内容が中立的な観点に反し、正確性に疑いがあるなどする場合は、削除よりもまず修正する事が、ウィキペディア上の各種ガイドラインによって推奨されていますので。『ウィキペディア日本語版が、これらの国を親日国家認定した』などと言う大げさな話にはならないものと考えます(そもそもどの国が親日国家なのか、本項目をざっと読んだ限りでは良く分かりませんが)。なお、現状2005年5月26日 (木) 05:23 (UTC)の本項目は、親日国家と言うものを定義しながらも、単に日本と他の国との国家間・国民間相互の国民感情を並べているだけであり、その点では国際関係論・国際関係学上においても検討が必要と考えます(結局削除依頼のコメント上は、無言雀師さんと同じ結論に帰結しますが)。その点において、中立的な観点や正確性に関して修正し、and/orページ名変更(移動)や記事の分割・統合などをすべきであると提案しているわけであり、単純に全削除とするには問題があると考えているわけです。--Willpo 2005年5月26日 (木) 05:23 (UTC)--一部修正--Willpo 2005年5月26日 (木) 05:28 (UTC)[返信]
端的に言うと、冒頭部分の「親日国家~検討する必要がある。」の部分と、「アジアの現状」の章以降とは関連性が薄いとも考えられますので、それぞれ別個に他の適当な項目に分割統合するのが良いかと。--Willpo 2005年5月26日 (木) 05:36 (UTC)[返信]
  • 「アジアの現状」の章以降の記述は「~と言われる」「~とされる」と言った憶測で書いてるのではと疑わせるような記述ばかりで、とても役に立つ内容とは思えません。トルコ等の説明とか、ちゃんとして記述もありますが、トルコ等の記事と内容が重複しています。冒頭部分も親日で既に似たような事が書かれてますし、これらの事から親日やその他の記事と統合するにしても、統合する内容が無いのではないでしょうか。この記事を存続・統合させる必要性がわかりません。222.144.97.55 2005年6月13日 (月) 22:23 (UTC)[返信]
  • 「アフリカの現状」ですが、中国からの経済支援(そのお金の出所は日本の対中ODA...)で軒並み紐付き状態にされ、国連の場では中国>>>>日本という感じで扱われている現状も記述が必要では。--219.162.8.32 2005年9月24日 (土) 07:25 (UTC)[返信]

中国語において、これを見る限り「親日」という語自体は広く使われている事が判る。ただ、「親日国家」となるとこのように殆ど同じ新聞記事からの引用に留まる。しかしながら、実際は皮肉な事に親日国家という語は「世界一の親日国家」を自称する国民が居る台湾よりも、むしろ韓国でよく使われているのだ。おそらくは親日的な国へのレッテル貼りの意味合いで―。まぁこの記事自体は親日へ統合しても構わない内容なのだが。Sionnach 2005年8月5日 (金) 06:31 (UTC)[返信]