ノート:観音菩薩
観音菩薩が阿弥陀仏の「化身」という記載があります。るがこむ 13:37 2003年4月6日 (UTC) http://tobifudo.jp/butuzo/13butu/kanon.html
「観世音菩薩は阿弥陀如来の慈悲を象徴し、」とあります。るがこむ 13:50 2003年4月6日 (UTC) http://www.butsuzou.com/list2/ami3-1.html
- もうひとつ例を見つけました。
- http://www.mason-kitani.co.jp/butuzou/bosatu.htm
- ただ、岩波文庫の浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)の索引で、「観世音菩薩」「観世音」「化身」をみたところでは、それらしい記述はありませんでした。平凡社の世界大百科事典などにもありませんでした。法華経(観音経)にも、観音菩薩についての記述があるようなのですが、手元にないので確認できませんでした。上記のURLを見る限りでは、密教系のお経にそういう記述があるのでしょうか。Sutou 14:39 2003年4月6日 (UTC)
手元に岩波文庫版法華経が有ったのでちょっと見てみましたが、
観音経にはそのような記述は無いようです。
というか、漢訳の方には阿弥陀如来の名前すら見当たりません。
梵文の方には、世尊偈に阿弥陀如来とか極楽とかありますが...。
Peehyoro Acala 15:10 2003年4月6日 (UTC)
- わざわざありがとうございます。法華経にもありませんでしたか。やっぱり密教の何かの経典がもとになっているのでしょうね。
- 私は、観音菩薩の天冠のところにある「化仏」がキーのようなので、上記の観無量寿経の第十観のところにある、観世音菩薩の姿を説明した部分を見てみました。ここには、観世音菩薩の姿について「項(うなじ)のところに円光があり、円光には五百の化仏がある。-中略- 天冠にひとつの化仏がある。-中略- 眉間の白毫相は七宝の色を備え、八万四千種の光明を出している。そのひとつひとつの光明に無量無数の百千の化仏がある」と書いてあります。五百の化仏は「釈尊のごとし」とあり、他の化仏については説明がありません。なお、以下のような詳しいページもみつけましたが、ここにも「阿弥陀の化身」というような意味のことは書いてありませんでした。 何というお経が根拠なんでしょう? 密教はよくわからない...Sutou 15:32 2003年4月6日 (UTC)
- http://member.nifty.ne.jp/aokubi/kannon.html
- お示しになっているものや、その他いろいろ探してみましたが、お経には書いてなくて「化仏」というのを「阿弥陀の化身」と解釈するようになって行ったということではないでしょうか? Cozy 08:56 2003年4月7日 (UTC)
- なるほど。民間信仰ですか。それが自然な気がします。変にこだわって、お経とかから根拠を探そうとしすぎるのも考え物ですね。 - Sutou 09:11 2003年4月7日 (UTC)
観音は、中国の光明を得た女性のクヮンインだと聞いたことがあります。慈悲にあふれた女性だったらしいです。聞いた話なので詳しくは知りません。英語で話を聞きましたが。
http://aura-soma.co.jp/Products/Quintessences/PaleOrange.html は、オーラソーマのページですが、『クァンイェン(観音)』となっています。"Kwan Yin"と、書いてるようです。
--Setu 12:08 2003年4月7日 (UTC)
- もしやと思って、「道教 観音」で探すと沢山でて来ます。道教のお寺では大抵 観音様が祭られているそうです。
--Setu 12:14 2003年4月7日 (UTC)
浄土教と法華経では、観音の立場は全く違います。浄土教においては、阿弥陀の脇侍として、勢至菩薩は阿弥陀の智慧を、観音菩薩は阿弥陀の慈悲を表すとされますが、法華経においては阿弥陀との関係は無く、観音自身が主役となり現世利益をもたらす主体とされます。この辺分けて扱わないと混乱すると思います。Adacom 23:25 2003年6月27日 (UTC)
六字大明呪の「オーム・マニ・ペーメエ・フーム」という表記について
[編集]Resto1578さんが追加した「オーム・マニ・ペーメエ・フーム」という表記についてですが、他の資料でこんな表記をしているものを見たことがありません。padmeを「パドメー」と読まないことから、チベット読みの一種だと思いますが、表記法として疑問です。執筆者の名前は誰でしょうか?--Ryo 625(会話) 2016年11月3日 (木) 07:46 (UTC)
- 『岩波仏教辞典』第二版、p.184「観音信仰」に、追加で同書のpp.121-122「唵麼抳鉢訥銘吽」を出典として明記しました。同書は、項目ごとの執筆者の名は記されていません。巻頭に第二版執筆者一覧、初版執筆者一覧として掲載されています。
- 「検証可能性」・「信頼できる情報源」を参照してください。『岩波仏教辞典』第二版は三次資料であり、ウィキペディアで用いることが認められています。
- oṃ maṇi padme hūṃをRyo 625さんが最適と思われるカタカナ表記があるのであれば、検証可能な情報源を用いて併記し、記事を充実させてください。なお、「文法概説(よみがえれ『実習梵語学』) 1-1 音論」は、個人のサイト(自主公表された情報源)であり、通常は信頼できないとされる情報源として認められていません。特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成についてもご留意ください。--Resto1578(会話) 2016年11月3日 (木) 09:25 (UTC)