ノート:角田覚治
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「経歴」について
[編集]PHP研究所刊 歴史街道8月号[1]に特集されている内容とは、人物像が大きく違うようですが、「大鑑巨砲主義者」「航空戦を正しく遂行できる能力があったとは言い難いという向きもある」との情報ソースの記載をお願いいたします。--220.1.211.134 2008年7月24日 (木) 14:49 (UTC)
- 『大艦巨砲主義者』という項目に付いては、PHP研究所刊 歴史街道2000年9月増刊号『太平洋戦争・今語り伝えたいこと』P38~39の記述を参考にしました。参考文記述者は南太平洋海戦時の角田艦隊の航空参謀であり、交流のあった元海軍中佐の奥宮正武氏です。氏は源田実大佐と角田中将の論争を間近で見ておられ、その状況を詳細に記述されているので、出展元としては確かであると思われます。人物像の評価が違うというご指摘については理由がよく解りません(同じ出版社・雑誌であるのに人物評が違うのは、記述者が違う関係かも知れません)ので、宜しければご指摘の号の記述部分を紹介して頂けませんでしょうか?「航空戦を正しく遂行できる能力があったとは言い難いという向きもある」の部分に付いては、別の方が記述していますので出展元は解りません。--119.10.167.15 2008年8月19日 (火) 17:29 (UTC)
ーー7月28日 角田は「老人婦女子を爆薬にて処決せんとす」とする電文を軍令部に送るーーについて
①角田中将は第一航空艦隊司令長官でしたが、米軍上陸後の陸上戦闘では海軍部隊は陸軍の指揮下に入り、現地最高指揮官(守備隊長)緒方敬志陸軍大佐の指揮下(顧問)にあった。 ②「戦史叢書45」(執筆:野村実氏)に角田中将が「爆薬にて処決」の電報を打った旨書かれているが、後に「角田中将とは無関係である」ことを野村氏本人が証言している。(「角田覚治、見敵必戦を貫いた闘将」:松田十刻著337ページ) などの理由からーー角田は「老人婦女子を爆薬にて処決せんとす」とする電文を軍令部に送るーーの文面はやや難があると思います。(諸々の電報が錯綜していたとは思いますが)