ノート:詭弁
前件否定の例で、「反撃される覚悟が無いこと」と「苛めをしないこと」が同義ではないと明確に断言できないので(言葉の定義が曖昧かつAの信念が明確にされていないから)、妥当の可能性は十分考えられると思います。その次のセイウチのようなはっきりとした例のほうがよいと思いますがいかがでしょうか。 --218.132.104.70 2008年10月28日 (火) 14:02 (UTC)林葉
- 遅ればせながら、前件否定の例を「自分がされて嫌なことは、人にもするな」に書き換えました。こちらのほうがより一般的なはっきりとした例ですし、日常的に使われていることでもありますので。--Seibuabina 2009年3月22日 (日) 13:36 (UTC)
誤った二分法(false dilemma) の例文
[編集]Bの発言だけを読むと、Bが前提として『主権は「至上で侵害を受け付けない(絶対主義)」か「至上ではなく侵害を受け付ける(奴隷制)」かのいずれしかな』いと考えているかは不明であり、Bの発言は『前提として主権が「至上で侵害を受けない」と「至上ではなく侵害をうけつける」の間に許容できる領域の存在を認めない論証となっている』かも不明である。従って例文としては不適切ではないだろうか。--121.103.120.96 2010年11月27日 (土) 15:37 (UTC)
例文としてあまり分かりやすいとも言えないので、とりあえず誤謬に載っていた例で置き換えてみました。ところで、代わりになりそうな例文を探そうとweb検索していて見かけたのですが、どうやらAの発言についても例文として不適切ではないかという指摘があるようです。曰く、Aの発言が正しくないのは「好きでも嫌いでもない」可能性を除外しているからではなく、「嫌い」か「嫌いではない」かの選択肢の中からそこに存在しない「好き」を持ち出しているからだとの事、ですが。自分にはむしろ、この指摘の方が「嫌いではない」の中に「好き」が含まれているのを除外しているだけだと思うのですが、いかがでしょう。もっとも、この指摘は簡単に過ぎて意味するところがはっきりしないので、より詳しい指摘が待たれる所ですが。--114.149.219.36 2011年10月28日 (金) 12:41 (UTC)
対人論証(ad hominem abusive) の例文
[編集]Aの「数学の知識なんて、社会に出ても役に立たないよ」という発言に対して、 Bの「数学を目の敵にしている君がそんな事を言っても、説得力は無いな」という発言が対人論証として説明されていますが、この例文だとやや矛盾が生じる気がします。
この場合のBの発言は、Aの主張に「説得力がない」=「聞き手を納得させる効力が乏しい」という指摘になるので、いわば
- 「Aは数学嫌いである。」
- 「Aの主張は、偏見以外の理由を持っていないかもしれない。」
- 「聞き手はその可能性を少なからず考えるだろう。」
- 「よってAの主張は聞き手を納得させづらい。」
という内容になり、ある程度の根拠を持っている事になります。これは、Aの主張に対する反論にはならない事が明らかなので、Bは論点のすり替えをしたか、単に別の話題を持ち出しただけかのいずれかになり、対人論証にはならないと思います。
そこで例文を書き換えようと思うのですが、解説には
「Aは数学嫌いである。故に数学の知識は社会で役に立つ」は演繹にならない為、論理として成立しない。
とあります。この説明に合わせて例文を考えると、
- 「数学を目の敵にしている君の言うことなんだから、ただの偏見に決まってる」
- 「数学を目の敵にしている君がそんな事を言っても、信用できない」
のようになりますが、自分にはこれらが次の節の「状況対人論証」と本質的に同じ内容のように感じられ、書き換えて良いものか決めかねています。
ちなみに自分の手元にある『広辞苑』によれば、「対人論証」の例として「彼は教師だからその説は正しい」などが上げられているのですが、これも状況対人論証と同じに思え、根本的に両者がどう違うのかが自分自身分からなくなり混乱しています。
この項目自体、現在の内容では「状況対人論証」と「対人論証」がどう違うのかが不明なので、「対人論証」の節に「どんな形態の詭弁なのか」の説明と、「状況対人論証」の節に「対人論証とどう違うのか」の説明も必要ではないかと思います。--118.1.219.13 2009年6月2日 (火) 20:38 (UTC)
- 人身攻撃という記事もあるようです。読んだ限りでは状況対人論証は対人論証の特殊な事例をとくにそう呼ぶ(対人論証⊃状況対人論証)といった関係にあるのではないでしょうか。この項全体が英語版からの翻訳が基本に作成されているようなので(出典情報がない)詳しくは分かりませんが英語版が参考になるかもしれません。お役に立てましたかどうか(汗--大和屋敷 2009年6月3日 (水) 01:21 (UTC)「対人論証」も「論点のすりかえ」に包含される関係かもしれません(論点のすり替え⊃対人論証)。--大和屋敷 2009年6月3日 (水) 01:23 (UTC)
ありがとうございます。推測するに「対人論証」は「論者を攻撃して信用を落とそうとする」もので、「状況対人論証」は「自分の立場上、好都合だからその主張をしているだけだ」と指摘するもの、といったところでしょうか。 関連記事を見ると、この記事とは説明が違っているものもあるようなので、翻訳などで取り違えが発生しているのか、または「どこまで細分化するか」によって違ってくるのかもしれませんね。
この節の例文は、「数学」に喩えていることと「Aは数学が嫌いだから」という関連性があることから、人身攻撃で説明されているのとはかなり違うものになっているようですが、完全に把握し切れていない自分にはどちらの記述が正しいのか判断できませんし、自分の頭では代わりになる例文が思いつきません……。--118.1.219.13 2009年6月4日 (木) 04:29 (UTC)
改めて熟考した結果、この例文はやはり適切ではないようなので、例文をより実際に即したように変更しました。元の例文が対人論証の説明に適切でないと判断した理由をここに説明します。
- A「数学の知識なんて、社会に出ても役に立たないよ」
- B「数学を目の敵にしている君がそんな事を言っても、説得力は無いな」
- 日常会話的な言い回しであるため、様々に意味が取れてしまい、曖昧である。
- Bの発言が「Aが数学の価値を否定する主張をしても、A自身が数学嫌いという立場にあるために人を説得できない」という意味なら、Bは「Aの主張は対人論証を受ける恐れがある」と示唆して論点のすり替えをしているに過ぎず、これ自体は対人論証の要件を満たしていない。
- Bの発言を対人論証的にしようとして、「君がそう言うのは、君自身が数学を目の敵にしているからだ。だから信用できない」等とすると、「数学を目の敵にしている」という立場を理由にその主張を否定しているため、状況対人論証になってしまう。
- 本来の対人論証らしくすると、「共産主義者である君の言う事なんて、信じられない」のようになるが、数学の話でこれはあまりに飛躍していて非現実的である。
- 対人論証の要件は「論敵の主張を論破するのではなく、論敵そのものの性格を貶めてその信用を失わせようとする発言」であり、これを表現するには、現実に対人論証が起こりやすい状況を設定するのが適切である。
- 数学の価値に関するAとBの対話では、この要件を表現する事は不可能だと思われる。
以上となります。--114.149.219.36 2011年10月28日 (金) 11:27 (UTC)
検証・独自研究タグについて
[編集]前々から気にはなっていたんですが、どうも日本の書籍では統一的なものが見つけられなくて困っていました。「参考文献」に挙がっている書籍もHOW-TOモノのようでいまいちです。英語版をみるかぎりまったく根拠のない記述はいまのところなさそうだと思っている(私の投稿については英語版やらgoogleでヒットした断片的なものを元にして投稿している。例文については「独自研究ι(^o^υ)」desu)。もうすこし何とかしたいです。皆様のご協力よろしくお願い申し上げます。--大和屋敷 2010年7月15日 (木) 03:26 (UTC)
「媒概念曖昧の虚偽」の例文は『詭弁論理学』から引用したもののようですが、いまいち現実味がなくて判然としないんですよね。人間は水に溶けるだなんて極端な詭弁、現実でやる人はまずいないでしょうし、この例文だけだと、現実でよく見られる媒概念曖昧の虚偽はどんな物なのか、分からないのです。グーグルで検索してみても、「狼はウォーと吼える。男は狼なのでウォーと吼える」とか、「友達は宝物。宝物は高く売れるので、友達は高く売れる」とかいうあり得ない例ばかりで、これではまるで「媒概念曖昧の虚偽」自体が現実ではありえない机上の空論のようです。中には「共産主義は暴力革命を計画している。彼は共産主義者だ。つまり彼は暴力革命を計画している」という例もあったんですが、これは完全に「媒概念不周延の虚偽」の間違いですからね。元々媒概念曖昧の虚偽のベースになっている多義語の誤謬自体が日本語には存在しない物のようですから、英語の例文でもう少しもっともらしいのを取り上げてもらうしかないのでしょうか。--122.30.202.111 2011年2月27日 (日) 20:36 (UTC)
- 「【ひどいヤツら】は犯罪者である。キミらは【ひどいヤツら】だ。よってキミらは犯罪者である」の類型だとおもうのですが、例としてはいまいちパッとしないですねえ(´Д`)--大和屋敷 2011年2月27日 (日) 21:01 (UTC)あーこれじゃ連続性の虚偽と変わらないですね。「僕は君の面倒を見ると約束した。はい見た。じゃあね」みたいな感じ?--大和屋敷 2011年2月28日 (月) 01:39 (UTC)
- そんな感じかと思います(「面倒を見る」の例)。連続性の虚偽や媒概念不周延の虚偽との違いが分かりにくいのも案が出づらい原因かもしれませんね。分類すると、【連続性の虚偽】=連続した状態を曖昧な語で表すことで境界線が不明になり、一般的な認識とのズレが生じている推論。砂山のパラドックスは大量の砂粒から1つの砂粒までの連続した状態のうち、どこまでの量を指すのかが曖昧な「砂山」という言葉を使っているので連続性の虚偽。【媒概念不周延の虚偽】=定言的三段論法で、例えば「生物」が媒概念になっている場合、前提のどこかで一度は「生物」を周延(全ての「生物」を問題とする)していなければならないが、その条件を満たしていない推論。「カラスは生物である。スズメバチも生物である。故にスズメバチはカラスである」は、定言的三段論法でありながら「生物」を周延していない(大前提では「鳥類」に留まり、小前提では「昆虫」に留まる)ので媒概念不周延の虚偽。これらに対して【媒概念曖昧の虚偽】は、三段論法で、複数の意味を持つ言葉を媒概念にし、大前提と小前提とで違う意味で使っている推論。「この世は宇宙である。宇宙には空気がない。故にこの世に空気など存在しない」は、「宇宙」を世界と地球大気圏外の二つの意味で使っているので媒概念曖昧の虚偽になる。(この例文をひねり出すのに6時間かかりました……。)--122.30.202.111 2011年3月5日 (土) 01:15 (UTC)
この項目は、「例文」「論理構造(XはYで~)」「同じ構造の極端な例文」の三点はよく説明されているのですが、その詭弁の定義(◯◯を××しているものを△△の虚偽と呼ぶ、など)の説明は載っていないものも多いですから、それが紛らわしさを生んでいるのかもしれません。--122.30.202.111 2011年3月5日 (土) 01:41 (UTC)
例文への現実の組織の使用について
[編集]当ページの「媒概念曖昧の虚偽」において、次の例文が掲示されていました。
B「非戦闘地域は、戦闘がおきていない。自衛隊の行く場所は、非戦闘地域だ。だから自衛隊の行く場所は、戦闘がおきていない。」
この文には以下の問題があると思い、この項目の「自衛隊」を「我々」と変換する編集を小生が2017年4月30日14:49に確定させました。
- 当ページの文章は、詭弁という性質上現実に応用するにはデリケートなものであり、各例文もそれに拠って特定の名称を使うことを(歴史上の人物であるトーマス・ジェファーソン以外)避けている。
- だが当例文だけ内容に根拠がないにもかかわらず現実の自衛隊を引き合いに出している。これにより「現実の自衛隊がそうである」という言及が感じられる根拠なき例文(ともすれば「詭弁としたいから掲載する」という意思表明)となっており、WP:NPOVに違反している。
- 例文下記の解説はAのみに言及しており、従ってBはその後に第三者が余計に書き加えた可能性がある。解説がないのに併記しているという点でNPOVを補強しているように感じられる。
しかしこの編集は2017年4月30日21:47に利用者:大和屋敷さんによって(無用の配慮として)差し戻されました。小生は詭弁と自衛隊という二重にデリケートな問題を刺激する当例文は到底許容できるものではないと考えております。 差し戻し返すことも考えましたが、編集合戦を避けるべく、当ページで現実の組織を詭弁として例示することが問題なき行為に当たるのかどうか、合意を形成したく提言する所存であります。--力在領域(会話) 2017年4月30日 (日) 22:35 (UTC)
- 考えすぎですよ。非戦闘地域と自衛隊派遣の関係についてを例文として採用した語学研究には[1]p.140があります。言語表現の限界を押さえておきつまらない神学論争に足を引っ張られないために自衛隊とくっきり書くので宜しいでしょう。この例文が媒概念曖昧の虚偽の表現に該当しようがどうだろうが、自衛隊の業務とその行政判断の困難さにはなんら影響はありません。言葉狩りは止めましょう。--大和屋敷(会話) 2017年4月30日 (日) 23:44 (UTC)
『詭弁論理学』に2007年出版の版はありません
[編集]詭弁#媒概念曖昧の虚偽に「野崎『詭弁論理学』(2007年)より引用」との記述がこの編集で追加されましたが、国立国会図書館サーチで検索しても、2007年の版はないようです。この編集が行われた当時は、野崎昭弘 『詭弁論理学』の出版年が2007年と誤記(?)されていたようなので、この影響の可能性もあり、正しくは1976年ではないかと思われます。
情報をお持ちの方はご連絡下さい。--MawaruNeko(会話) 2017年11月8日 (水) 15:16 (UTC)
参考になりそうなもの
[編集]京都大学の博士(?)の方が書かれた,錯誤論:論理的/科学的に正しい推論/判断を妨げるものがよくできている。
私はやる気が出ないため,他の誰かがこれを参考に加筆や編集を行うべきである(論点の回避)--Nekoraji(会話) 2019年3月24日 (日) 15:41 (UTC)