ノート:詰将棋
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この記事は2007年6月28日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。 |
詰将棋の著作権と詰将棋界の慣習について
[編集]- 著作権法60条に著作者の人格的利益は死後も保護されると明記されています。死んだら著作者人格権が消滅するという話はどこから来たのですか?
- コメントで参考にしたURLが埋め込まれていましたが、なぜ表にURLを明記しないであたかも通説であるかのように書かれているのでしょうか?
- というか、そのURLの投稿を見ても著作権との関係には一言も触れていません。そもそも著作権うんぬんは独自研究ではありませんか?
--emk 2007年6月28日 (木) 12:44 (UTC)
- 1つめ。著作権法第59条に「著作者人格権は、著作者の一身に専属し、譲渡することができない。」と書いてあります。「一身に専属する」=「自分自身のみに所属する」ものですから、著作者が死亡したら著作者人格権は当然に消滅します。第59条の例外として著作権法第60条がありますが、「(前略)その著作物の著作者が存しなくなつた後においても、著作者が存しているとしたならばその著作者人格権の侵害となるべき行為をしてはならない。(後略)」とあるように、著作者の死後においても著作者が生存していると仮定した上で「著作者人格権の侵害となるべき行為」という特定の行為を禁止するものであり、著作者の死後も著作者人格権が存続するという意味ではないのです。第一、著作者の死後も著作者人格権が存続するのであれば、第60条で「著作者が存しているとしたならば」と仮定する必要がありません。
2つめ。「通説」と書いておられるあたり、当該箇所が「なんらかの説」を述べているように誤解されているようですが、当該箇所で述べているのは「慣習」であって「説」ではありません。慣習が慣習として存在するのに論文や書物の記述などの厳密な出典は必要ではありませんし、そもそも慣習にはそんなものがないのが当たり前です。詰将棋作家が掲示板でそのようなことを書いているということが分かるだけマシなほうです。URLがコメントアウトで埋めてあるのは、「そのような慣習が存在する」という根拠としては十分足りるが、ウィキペディアでの検証可能性を満たす「出典」とするには不足であるために表立って載せることができないからです。なお、私の管見ではこの慣習に対する異論は見つかっておりません。
3つめ。詰将棋界では詰将棋には著作権が存在するという合意があると見てよいです(参考:詰将棋の著作権について、詰将棋の著作物性と登録制度)。特に後者のリンク先に載っている文化庁著作権課の見解は強力な根拠となります。これにも論文や書物の記述があるわけではありませんが、私の管見では詰将棋の著作物性を否定する意見は見つかっておりません。以上からも分かるように、これは独自研究ではありません。詰将棋の記事にこれらのリンクを貼っていなかったために誤解を招いたことはお詫びします。リンクを追加しておきます。--Haruno Akiha loves blue. / Talk / History 2007年6月29日 (金) 13:54 (UTC) 一部追加あり- お答えありがとうございます。新たな質問と感想です。
- 条文の字面だけとらえれば「人格権は消滅するが人格的利益は保護されるだけだから間違っていない」という反論がありうることは気付いていましたが、そう解釈したら「詰将棋界の慣習では前記の制限には期限がなく」という後の文とのつながりが理解できなくなるのでそのへんは柔軟に考えて質問の意図を理解していただけるだろうと期待していたため、まさか本当にそう反論されるとは思いませんでした。この部分についてもう少し詳しい説明をお願いします。
- 新たに提示されたURLを見ましたが、「詰将棋に著作物性がある」という部分の出典にしかなっておらず、やはり改作を作るときの条件と著作権の関係には触れられていませんでした。独自研究でないならその部分に関する出典を教えてください。というか(いちおう)出典がある「詰将棋界にはこれこれこういう慣習がある」という部分だけ書けばいいと思うのですが。
- 何を根拠に書いたのかまったく手がかりがないよりは、検証可能性が怪しくてもURLが提示されていた方が、閲覧者が自ら情報源の信頼性を検討できるのでずっとありがたいと思いました。さもなければ「詰将棋界にはそういう慣習がある」と知っていても書くべきではありません。詰将棋界のことを知らない閲覧者には本当のことかどうか確かめようがないからです。実際私は知りませんでした。Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源にも、情報源を明示するか除去しろと書かれています。
- --emk 2007年6月29日 (金) 15:08 (UTC)
- お答えありがとうございます。新たな質問と感想です。
なお、今加筆しても削除依頼で履歴ごと消滅して二度手間になる可能性があるのでおすすめしません。そういえば春野秋葉さんは利用者ページに{{user pd}}を貼られていますが、春野秋葉さんの加筆分については履歴にこだわらず再投稿できると解釈していいのでしょうか? そうでないならこのテンプレート全く意味ないような--emk 2007年6月29日 (金) 15:19 (UTC)
- 1つめ。まず「後の文とのつながりが理解できなくなるので」と述べていらっしゃいますが、どこがどのようにつながっていないとお考えになっているのかを示していただけないでしょうか。当該箇所では「『詰将棋界の慣習』による前記の『たとえば古い作品の~承認を必要とする』という制限は、著作権や著作者人格権のように著作権法上有限であるものとは異なり、期限がなく事実上永久的に適用される」ということを述べているのですが、何かおかしなところがあるでしょうか。
2つめ。「新たに提示されたURL」はemkさんが「詰将棋と著作権との関係」が独自研究ではないかという疑問を呈しておられましたので、「詰将棋には著作権が存在する」ということの出典として提示したものです。私が示した2つのリンク先では「詰将棋界の慣習」について詳しく述べていないのは(「詰将棋の著作権について」ではごく簡単に述べられていますが)それが目的ではないのですから当たり前です。そもそも当該箇所は「詰将棋界の慣習」としての「改作を作るときの条件」と「著作権法上の制限」との間にはなんらかの関係があるとか、どのような関係があるかなどということを述べているのではありません。むしろ、「改作を作るときの条件」と「著作権法上の制限」とは無関係だということを述べているのであり、ここで著作権と対比させているのは、「著作権法上の制限をクリアした改作であれば直ちに『詰将棋の作品』として認められる」という考え方を否定するためなのです。
3つめ。「詰将棋界の慣習」に関する記述を最初に書いたときに、同時に「おもちゃ箱掲示板」のURLをコメントアウトとして書いてあったので、既に「出典を示す」という義務を果たしていたと私は考えます。「コメントアウトではなく本文に書くべきだ」という些末なことに必要以上にこだわらなくてもよいのではないでしょうか。いずれにしても、現在は私の編集によって本文中にも外部リンクが出るようになりましたので、これに関する問題は一応解決されています。
加筆部分。私の執筆部分は同時にローカルに保存しておきましたので、削除されてもコピー&ペーストすればすぐに復元できます。そのままにしておくとemkさんと同じような疑問を持つ人がこれからも出ることが予想されますので、それを封じる目的で二度手間を覚悟で編集しています。なお、{{user pd}}のとおり私のウィキペディアの寄稿物はPDに置かれますので、削除後にほかの人が私の執筆部分を加筆(復元)しても私は一切文句を言いません。--Haruno Akiha loves blue. / Talk / History 2007年7月1日 (日) 12:17 (UTC)
- お手数をおかけしましたが、削除依頼は存続終了になりました。まずはご報告。
- 慣習が明文化された文献を見つけられていませんが、おおむね春野さんの記述の通りだと考えます。「著作権よりも厳しい制限がある」というのは、書きたいかもしれませんが、書かないほうがすっきりすると思いましたので、その部分を修正しました。--Tamago915 2007年7月5日 (木) 04:29 (UTC)
参考文献について
[編集]「大道詰将棋の正体」が参考文献になっていますが、どうなんでしょうか?
参考リンク http://toybox.tea-nifty.com/memo/2004/03/post_102.html
この評価は定着しているようです。 --クモハモハ大王 2008年3月15日 (土) 04:21 (UTC)
- おそらく、「双玉詰将棋」の起源に関する部分で参考にしたと思われます。同書によれば「詰将棋パラダイス」1968年5月号に原文があるようなので、それ(または「将棋世界」創刊号に双玉問題があること)を確認したあとで文献節から取り除いてもいいかもしれません。123.222.49.18 2008年4月12日 (土) 11:50 (UTC)
誤字?
[編集]「雪隠詰~述語」「都詰~述語」は術語の間違いですよね?--111.217.85.203 2011年5月9日 (月) 20:23 (UTC)