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ノート:論点のすり替え

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2011年7月8日(金)02:55時点版

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蜜柑林さんにより削除されIPアドレスさんによりリバートされた版について。例文として込み入りすぎてちょっと難しすぎる文例かなという印象がありました。感覚的な印象ですがこの例文は無くても良いのじゃないでしょうか?基本的にここに挙げられている例文は突き詰めればすべて「独自研究」ですので、どういった文例を列記しておくかは感覚的になりがちで難しい所です。--大和屋敷 2011年7月8日 (金) 17:57 (UTC)[返信]

正当な理由のない削除はやめてください

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ここにまとめますが、この記事以外にも「衆人に訴える論証」や「新しさに訴える論証」においても、執拗に特定の記述内容を削除することを繰り返す方がおられます。しかし再三指摘されている通り、削除に該当する正当な理由がありませんので、そのような強引な編集はお控えいただくようお願いいたします。

さらには削除の不当性を指摘されると、今度は、別の例で置き換えることにより対象の記述を削除するという方法を取られたようですが、やっていることは同じであり、削除の不当性をクリアできたわけではありません。そのような姑息なことまでして特定の記述削除にこだわることは、中立性の観点からみて問題のある編集です。

これ以上特定の記述の削除にこだわりを見せられるようであれば、編集者の個人的な思想信条に基づいた偏重した編集行動とみなしてブロック依頼に移る必要も出てきますので、その前にもう一度ご自身の編集についてよくお考えいただくようお願いいたします。--125.0.213.219 2011年7月12日 (火) 15:12 (UTC)[返信]

除去の正当性について。夫婦別姓は現時点でも議論が続いており、社会的なコンセンサスが定まったトピックとはいえません。従って、その一方の主張を「誤謬の例」として出すのは、もう一方の政治的な主張を記事上で展開するのと変わりがありません。ウィキペディアは演説台ではありません。よって除去することで記事の中立性が維持されると考えます。
ブロック依頼について。IP 利用者はブロック依頼を提出できませんし、審議へ参加すること自体できません。Wikipedia:投稿ブロック依頼をご確認ください。--蜜柑林 2011年7月12日 (火) 21:49 (UTC)[返信]
コメント ようするに全て出典がないことが原因なのですから、現時点で例の取捨選別すること自体が独自研究。全部消してしまいましょう。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年7月12日 (火) 21:52 (UTC)[返信]
それもそうですね。3記事それぞれで例文をいったん全削除することに賛成します。もっともな理由だと思います。各記事に告知タグを出しておきます。--蜜柑林 2011年7月12日 (火) 22:13 (UTC)[返信]
独自研究が除去の根拠になるか大和屋敷さんが疑義を表明されていますので、例文を全て除去する件について、賛意をいったん取り下げます。--蜜柑林 2011年7月16日 (土) 03:34 (UTC)[返信]

夫婦別姓云々という例文はここ以外にもIPアドレスさんにより網羅的に投稿されているのですね。こういうのは止めてください。私は伝統を重んじる性向がありまして夫婦別姓反対論者でありますが、そういった個人的な思想的背景をWikipedia編集活動に持ち込まないで下さい。IPアドレスさんは「別の例文に置き換えられること」に抵抗すべきではありません。また「自らが投稿した文例をなにがなんでも反映させたい」という野心は捨ててください。当記事のような言語学(レトリック)上のトピックを説明する記事において「文例・例文」を列記することが独自研究に該当するかどうか、それが排除されるべきかどうかについて現状のところ不分明ですが、ある特定の思想を背景にして特定の「文例・例文」を反映させようとする編集態度そのものが問題があります(目的外使用としての演説台化)。また、これは蜜柑林さんへの提言になりますがIPアドレスさんの投稿された例文を【すべて排除しよう】とはしないでください。個人的に調べた限りでは(7/8に投稿した上記メモに矛盾しますが)言語学topicにおいて文例や例文は独自研究に該当するのかどうか、現状では不分明だと考えます(→Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない)。--大和屋敷 2011年7月12日 (火) 22:26 (UTC)[返信]

みなさん何か勘違いされているようですね。【夫婦別姓に関する議論の中で用いられている、ある特定の論説に含まれる論理構造に、論理上の「誤謬」が含まれることに基づいてこれらの記事にその論説を掲載すること】と、【夫婦別姓に関する議論のいずれかの結論が正しい/間違っているということを示す記述をこれらの論理に関する記事に掲載すること】はまったく意味が違います。みなさんは、前者であるものを後者であるかのように勘違いされています。正直、これらの「論理」に関する記事の編集や執筆に関わる資質が疑われます。
もう一度言葉を変えて説明しますが、「AであるからBである、したがってCである」という論説がここにあり、この論理構造に誤謬が含まれていることを示すことは、Cであるという結論が誤りであるという主張をしようとするものではありません。なぜならば、「AであるからBである、したがってCである」に論理的誤謬が含まれていたとしても、「DであるからCである」は正しい可能性もあるからです。
したがってみなさんの批判は最初から大いに的外れです。特定の思想や信条を主張したり演説しようとしているのではないのに、そうであるかのように一方的に決めつけてしまい、逆にそれに反する思想や信条の主張・演説をしている結果になっています。
「夫婦別姓は現時点でも議論が続いており、社会的なコンセンサスが定まったトピックとはいえません。」とのことですが、では蜜柑林さんに伺います。「衆人に訴える論証」に例示されている以下の例文について。
  • 世界中の大多数が神を信じているのだから、神は実在する。
  • 多くのアメリカ人はベトナム戦争が倫理的に間違いだったと考えている。だから、ベトナム戦争は倫理的に間違っていた。
  • キリスト教信者は世界で最も多いのだから、その教義は真実に違いない。
これらは「議論が収束しており、社会的なコンセンサスが定まったトピック」なのですね?もしそうでないのなら、なぜこれらの例はこれまでも今も削除しようとせず、夫婦別姓に関する例だけを削除しようとされたのか、お答えいただきたい。
そもそも、結論にコンセンサスが定まっているかどうかは、その論説の論理構造に論理上の誤謬があるかどうかとは別の問題です。それを理解されていないのにこの項目を編集されていたのでしょうか。どちらの結論が正しいかが問題なのではなく、論理構造上誤謬があるかどうか、がこれらの記事の「例」に要求される要素です。
以上のとおり、夫婦別姓に関連した論理的誤謬の例を削除することを正当化できる理由は何もありません。したがって不正な編集であり、認めることはできません。なお、出典がないことを理由として記事全体を削除、または例文すべてを削除することは正当であると考えます。しかし、他の例を掲載しつつ、今回追記された例のみを除去する正当性はない、ということをご理解ください。--211.128.141.31 2011年7月13日 (水) 15:33 (UTC)[返信]
IPアドレスさんは「別の例文に置き換えられること」に抵抗すべきではありません。--大和屋敷 2011年7月13日 (水) 17:00 (UTC)[返信]
まず私宛の質問、「夫婦別姓の例文だけ除去して、他の3例文を除去しないのは何故か」について。これは「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない」をご覧ください。「俺の加筆を消すな。あっちを消すのが先だろう。」… これは既に Wikipedia 上で何百万回と使われてきた論法であり、散々議論が繰り返され、最終的に「それは論点のすり替えに過ぎず、生産的な議論にならないから止めましょう」と結論が出て、上のガイドラインに反映されています。ご確認ください。
次にあなたの編集姿勢について。「ある特定の思想を背景にして特定の「文例・例文」を反映させようとする編集態度」という大和屋敷さんの見解に私も同意します。例文の候補は無限にあります。縞柄のシャツ、サンドイッチ、腕時計、… 他にいくらでも作れます。しかし、あなたは夫婦別姓という、社会的にまだ議論が続いている1つのトピックのみを選び、その片方の見解を誤謬の例として複数の記事へ同時に投下してらっしゃる。これらはあなたの政治的な意図を読み取るのに十分なものです。私からも申し上げますが、特定の思想を推進するような意図をもって編集に参加しないでください。--蜜柑林 2011年7月14日 (木) 23:28 (UTC)[返信]
「IPアドレスさんは「別の例文に置き換えられること」に抵抗すべきではありません。」これこそが「論点のすり替え」です。例の追記に不当性がなく、かつ削除に正当性がないのですから、「削除することをやめるべき」です。
「しかし、あなたは夫婦別姓という、社会的にまだ議論が続いている1つのトピックのみを選び、その片方の見解を誤謬の例として複数の記事へ同時に投下してらっしゃる。」これも同じく。追記はどのような例を選択して追記しようが、それが不当性の理由にはなりませんが、削除において他の例はそのままに特定の例のみ削除しようとすることには問題があります。
「ある特定の思想を背景にして特定の「文例・例文」を反映させようとする編集態度」これもおかしい話です。私の思想背景が編集のどこに反映されているのでしょうか?ベトナム戦争の例を追記されたユーザさんは「ベトナム戦争は倫理的に誤りだとはいえない」という思想の持ち主で、その思想を背景にして特定の(略)編集態度なのでしょうか?その文章の結論の正誤と論理上の誤謬の指摘は別物、という話がご理解いただけないのが残念です。たとえば「天動説は昔の説で今は支持されていないから地動説のほうが正しい」は、結論は正しい可能性が高いけれど論理としては誤謬(新しさに訴える、衆人に訴えるの例)です。この例を書いたからといって天動説の支持者で地動説を否定したい思想の持ち主で偏った編集態度だと言われたのではたまったものではないです。
また、蜜柑林さんは私の質問に答えておられません。私の質問は、あなたが削除の正当性の根拠として掲げた理由が他の例には適用されないのはなぜか?ということです。あなたが特定の例「のみを」執拗に削除しようとする理由として、他の例にもあてはまる理由を挙げるのは適切でない、ということです。また、それ以前に、その「理由」も削除の正当性を裏付けないことも書いておりますが、そちらは意図的に無視されていますね。
すでに書いていますが、独自研究などの正当な理由ですべての例を削除するのであれば賛成します。しかしながら「夫婦別姓の例だけは何としても削除しなければならない」という偏重した結論には賛同できかねます。
最後にもう一度書きます。例の追記そのものには何ら不当性がなく、かつ削除(の理由)に正当性がないのだから、削除すべきでない(ただし正当な理由(独自研究)に従って、その理由に見合った削除の方法(独自研究の全排除)であれば問題ない)。 --125.0.214.45 2011年7月15日 (金) 09:08 (UTC)[返信]
もう一点書き忘れたことがあるので追記します。「例文の候補は無限にあります。縞柄のシャツ、サンドイッチ、腕時計、… 他にいくらでも作れます。しかし、あなたは夫婦別姓という、社会的にまだ議論が続いている1つのトピックのみを選び、その片方の見解を誤謬の例として複数の記事へ同時に投下してらっしゃる。これらはあなたの政治的な意図を読み取るのに十分なものです。」これは相当無茶苦茶な屁理屈です。
「特定の対象だけ書いて他を書かないのは偏っている」というのなら、Wikipediaの大半の編集者は排除されますよ?Wikipediaというのは「自分が書けるものを書く、ということをみんながそれぞれにすることで、ひとりで全部書けないものを集合知で書き上げる」プロジェクトでしょう?それなのに「ひとつ書くのなら他も全部書かないと偏っている」というのはまったく筋が通りませんし、無理筋な話です。
共産党議員の記事は書くけど自民党議員の記事は書かない人は思想的に偏っているのですか?そんなことはないでしょう。ご自分の言われていることを冷静に振り返ってよくお考えいただきたいです。
逆に「ある理由・基準を掲げてひとつの対象だけは削除するのに、同じ理由・基準が該当する他の項目は削除しない」ことは正当化されている。まったく話があべこべだと思いますが・・・。--125.0.214.45 2011年7月15日 (金) 09:20 (UTC)[返信]

当記事は「論点のすり替え」という誤謬論を解説するページです。文例はそのモデルを紹介する目的で記述されています。IPアドレスさんは「別の例文に置き換えられること」に抵抗すべきではありません。--大和屋敷 2011年7月15日 (金) 09:18 (UTC)[返信]

「当記事は「論点のすり替え」という誤謬論を解説するページです。文例はそのモデルを紹介する目的で記述されています。」その通りです。従って「論点のすり替え」に該当する誤謬の例を追記する編集に不当性はなく、削除に正当な理由がないのであれば削除すべきではありません。同じことを繰り返すだけなら無駄になりますのでお控えいただきたいです。--125.0.214.45 2011年7月15日 (金) 09:22 (UTC)[返信]
IPアドレスさんはおなじテーマでの文例をあちらこちらに投稿されており、読者として退屈なのです。いろいろな文例、とりわけ笑えるような文例のほうが好ましいです。工夫して下さいます様お願い申し上げます。--大和屋敷 2011年7月15日 (金) 09:31 (UTC)[返信]

衆人に訴える論証に投稿された例文[1]新しさに訴える論証に投稿された例文[2]は構文(syntax)において他に列記された例文とまったく同じですので冗長あつかいとして削除で良いでしょう。論点のすり替えに投稿された例文[3]は構文として他に列記されたものとは異なっており(論点回避+すり替え)新規性が見られるので記事に反映させる方向が妥当だと考えました。「夫婦別姓」云々については論じる必要がありませんので言及しません。別に腕時計でなくてもこの場合良いでしょう。--大和屋敷 2011年7月15日 (金) 09:44 (UTC)[返信]

「読者として退屈なのです」について、個人的なご感想としては理解はします。しかし、蜜柑林さんによる執拗な削除行為を正当化できるほどの理由にはなってないと思います。記述の削除はガイドラインにも書かれているようにほとんど最終手段のレベルの話で、よほどその記述を削除すべきはっきりとした理由がなければできる限り避けるべき方法です。基本的には追記によって記事の充実や向上を図るべきとされています。したがって、例が「退屈」というなら、もっと「おもしろい」例をご自身が追記されればよいし、そのほうが建設的な編集行動です。いちおう念のため付け加えておきますが、例の置き換えは削除ではない、というのは詭弁ですので。置き換えは「削除した後に別の内容を追記」しているにすぎませんので、削除と同等です。
「構文(syntax)において他に列記された例文とまったく同じですので冗長あつかいとして削除で良いでしょう。」については、疑問があります。逆に同じ論理的誤謬についての例なのですから、構造的に同じであるのは当たり前だし、そうでなければ例になり得ません。似たものが複数挙げられるのはむしろ普通の例示の方法だと思います。また仮に「冗長」を理由とした場合でも、その基準はどの程度で線引きするか、個人的な主観的判断にならざるを得ないので、そこにも問題があります。長期的な議論の余地はあると思いますが、今すぐ是が非でもこの例だけは削除しなければ、という結論に結びつけるのであれば無理があると思います。
ここでもう一度原点に戻って論点を整理すると、夫婦別姓に関する例文の追記は
許容されないか?:記事を充実される目的にも叶い、内容じたいも記事に沿っており、問題はない
どうしてもすべきか?:そういうことはない。追記しなければしないでも問題はない
削除しても構わないか?:正当な理由があれば削除(または置換)してもよいが、特になければすべきでない
削除しなければならないか?:まったくそんなことはない。削除が必要な理由は現時点では存在しない
ということになると思うので、現状、削除したほうがよい理由はありません。--125.0.214.45 2011年7月15日 (金) 09:59 (UTC)[返信]
それから、これは大和屋敷さんではなく蜜柑林さんにですが、「ひとつのトピックについてのみ書くのは偏っている、しかしひとつのトピックについてのみ削除するのは偏ってない」というのがいかにおかしな話か、例を挙げておきますので、よく考えてください。
ある学校の記事に、その学校出身の著名人という項目があり、そこに自民党議員の名をいくつか追記したAさん。それに対して「自民党議員のみを選んで追記するAさんは思想的に偏っているので」という理由で、同じ項目欄の民主党議員や共産党議員の名前は削除せず、Aさんが追記した自民党議員の名前のみを削除したBさん。どちらが偏った編集でしょうか?--125.0.214.45 2011年7月15日 (金) 10:14 (UTC)[返信]

なるほど。やはりIPアドレスさんは「別の例文に置き換えられること」に抵抗すべきではないですね。他の論点については論じる必要はないと思いました。深刻な編集対立が続くようでしたら記事の保護提案も検討したいと考えます。--大和屋敷 2011年7月15日 (金) 11:02 (UTC)[返信]

まず「また、蜜柑林さんは私の質問に答えておられません。」とありますが、既に前回の第一段落で答えています。ありていに言えば、あの質問は論点のすり替えであり、付き合うべきではないのです。
それと第二段落を「相当無茶苦茶な屁理屈」とお感じになったそうなので、もう少し砕いて説明しましょう。ルーレットで同じ目が十回続けて出れば、誰でも「おかしい。ディーラーが何か仕掛けをしているようだ。」と考えるでしょう。これは合理的な推論です。まして今回の例文の選択肢は、ルーレットの目の数どころではありません。あなたが同じ趣旨の例文を3つも投稿し、かつ掲載にこれほど固執する様子を見れば、私や大和屋敷さんがしたようにあなたの投稿姿勢を判断するのは屁理屈でなく「合理的」です。
学校記事の質問について。これも論点のすり替えです。ここで議論されているのは、あなたの投稿内容の妥当性と、あなたの投稿姿勢です。他人の除去判断を論難するのは「論点のすり替え」です。埒が明かないようなので、記事の半保護依頼を出しました[4]。所用で4-5日留守にします。--蜜柑林 2011年7月16日 (土) 03:34 (UTC)[返信]
類似の議論がノート:なぞかけでも起こっているのを見まして、思い出したのでこちらに戻ってきましたが、話は進んでいないようですね。あと3日ほど待って出典が無ければ、出典が無い部分は消すことにします(衆人に訴える論証新しさに訴える論証を含む。論点のすり替え#おまえだって論法も含む)。もう、出典を待つには充分過ぎたと言えるでしょう。
なお、英語版は出典付きで例文を載せているようです。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年9月22日 (木) 23:13 (UTC)[返信]

あら、けっきょく消すんですか。残しておいて欲しいなあ。出典のあるものをあらかじめノートにメモしておきます。差し替えの予告です。

「BSEのリスクは自動車事故よりはるかに低い」[5](P.7)
「なぜPKO法が必要であったかといえば、国連の平和維持活動が1989年にノーーベル平和賞を貰い注目されたからだ」[6](P.12)
パラダイムの議論をしているのにフレームやコンプライアンスに関する論点で応答してしまう場合[7](P.113)
エンドポイントの移動(同P.113)
「フランス語は数を勘定できないことばだから国際語として失格であり、そういうものにしがみついている手合いが反対のための反対をしている」[8](P.8)
「受験勉強をやりすぎると自分で考えなくなる」「じゃあ受験勉強をやりすぎて自分で考えるようになるという証拠はあるのですか?」(「今すぐ使える! ロジカルシンキング」堀公俊 P.131)
「私はこれは女性差別だと思う」「理由を説明してください」「私はそう思うと言っただけです」(事実と意見のすり替え「論理的に書く方法: 説得力ある文章表現が身につく! 」小野田博一P.68)

とりあえずぐぐっただけ。Starchild1884さんも「気に入らないからルールを活用して削除する」という活動以外にも、記事を充実させる方向での貢献も宜しくお願いしますよ。適切な文例を探すのは、消すのより恐ろしく大変であります。--大和屋敷 2011年9月23日 (金) 03:44 (UTC)[返信]

コメント 出典を見つけて加筆するのが最善ですが、出典の無い怪しい文を消しておくのも次善の策として有効ですよ。ウィキペディアが震源となって誤報が広がるよりは何倍も良いです。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年9月23日 (金) 21:57 (UTC)[返信]

用例について

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以前に編集を行った際にはノートの方までは目を通しておらず失礼しましたが、しかしながら本記事に示されている「用例」というのは、基本的にエディターさん側が「『論点のすり替え』の定義に照らし合わせて、個々の事例がどのように当て嵌まるのか」を独自に分析した結果であるように思えますし、これらが該当し得る例として自明であるとは判断できません(そもそも『主要な要件と見なせるか否か』『無関係とは言えないか否か』というのは、基本的にはきっちりしたボーダーラインのないグレーゾーンの概念ですし)。掲載するのであればせいぜいで論理学を専門的に扱っている雑誌やWebサイト等を引用して「権威ある雑誌/Webサイトである〇〇は、論点のすり替えに該当する事例として以下のような例を挙げている(以下列挙)」と帰属化して載せるぐらいがいいところではないでしょうか--Miraburu会話 / 投稿記録 2020年10月18日 (日) 22:02 (UTC)[返信]

1週間ほどお待ちして特にご反対ございませんでしたら、独自研究の範疇であると判断し改めて除去させて頂こうと思います。--Miraburu会話 / 投稿記録 2020年10月19日 (月) 14:17 (UTC)[返信]