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ノート:豚丼

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記事を修正した者です。 記事に関係ないかもしれませんが、肉重と豚丼に違いはあるでしょうか? 私の住んでいる地方では、豚肉を玉ねぎと一緒に甘辛く炒めたものを、うなぎ重と同じように漆と朱の箱に詰めて肉重と呼称しています。 これは、料理法の観点から言えば豚丼とほぼ同一の種類であると思うので、豚丼という言葉を豚肉(炒める、煮る、焼くなどの加熱調理したもの)と、あるいはその他の野菜等の具をご飯の上にのせた丼物を「豚丼」の総称としました。 なぜならば、うな丼とうな重、あるいは豚丼と肉重の違いは、単に料理を入れる器の形状によるものであると考えるからです。 (ここまで利用者:202.235.170.1さん:Gleam注記)

肉重のお話をされている一方で、本文での編集はそれとはあまり関係のない、最近の大手チェーンによる『豚丼』を豚丼の定義に含むかどうか、という点の編集だったようですが、どちらについてご議論をいただけるのでしょうか?--Gleam 2004年10月15日 (金) 14:31 (UTC)[返信]

豚丼の定義を二元化するという事を主張したい訳です。 前の記事ですと、「大衆食堂「ぱんちょう」の創業者、阿部秀司氏が1933年に当時高級食材だった「うな丼」の代わりに豚肉を使った料理を考案し、現在も十勝地方の郷土料理として定着した」ものが正統派の豚丼であり、それ以外の郷土的・地域的・出展元不明な「豚丼」と呼称されている料理は豚丼ではないという内容になっていましたので。 現存する資料の中でその北海道の食堂が一番古かったのかもしれませんが、食堂は古来より様々な形で存在していましたし、うな重の器に甘辛く炒めたり焼いたりした料理がそれ以前にも料理屋などであった可能性もある訳で、その「ぱんちょう」店のみが正統派であり、他の地方にある物はその地方より派生した亜流の豚丼であるという根拠に乏しい断定的判断を記事の性格に与えると思います。 通常、我々が「豚丼」と認識する料理には、BSE対策の代替メニューから、郷土に存在している独自の「豚丼」まで多岐に渡ると思いますので、その修正を加えさせてもらった次第です。

「ぱんちょうが元祖」の根拠について

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この内容について、利用者:代言人氏より、帯広市の『新橋』のほうが古いという指摘を受けて元資料を確認しました。私の会話ページにも書いてありますが、こちらに記述したほうがよいと思い、重複しますが書いておきます。

ぱんちょうが元祖という主張は、帯広観光コンベンション協会のサイトで確認できます。[1]。ただし、ぱんちょうは帯広観光コンベンション協会会員ですが、『新橋』は違うようなので、一方的な主張である可能性もあります。

帯広シティーケーブルのほうは、自社製作番組「がぶっと十勝」豚丼特集回[2]で、ぱんちょうと新橋の両者を紹介しています。これによると、新橋のほうが創業は大正年間なので古いが、新橋が豚丼をはじめたのは昭和20年代で、「豚丼」をはじめたのはぱんちょうのほうが古いという前提で番組が製作されたことが分かります。Modeha 2006年2月8日 (水) 11:34 (UTC)[返信]

ぱんちょう以前に存在した「豚丼」

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ぱんちょう以前に北海道十勝地方で豚丼が食べられていたという記述がありましたが、そのような文献記述が見つからなかったことと、後述する十勝毎日新聞社の記事とも内容が食い違うのでいったんコメントアウトしました。十勝毎日の記事だと、十勝地方で養豚が始まったのは明治末で、豚肉を食べるようになったのは大正期だという研究があるようなので、これとも食い違うようです。もちろん、十勝毎日以外の研究でそのようなものがあるのかもしれませんがその場合、該当部分について出典が分かりましたら明記の上復帰させてください。Modeha 2009年2月17日 (火) 10:35 (UTC)[返信]

独自研究テンプレートを除去。根拠は前述したとおり、十勝毎日新聞社記事です。Modeha 2009年10月29日 (木) 12:07 (UTC)[返信]