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ノート:豪姫

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質問:「八丈島への仕送り」について

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122.29.22.135さんへ質問です。

八丈島の仕送りに関しては、様々な説があります。それらを無視し、一つの説だけにこだわって載せるのは適切ではないと思われます。」とのことですが、一つの説にこだわっているわけではありませんが、ノートでの議論なしにただ記事を消すというのは如何なものかと存じます。

当方浅学の為他の様々な説というのを存じません。後学の為にも是非様々な説と出典をご教示いただけないでしょうか? そしてそれらの様々な説を記載することで、充実した百科事典として啓蒙の一助となるのではないでしょうか。宜しくお願いします。--210.155.36.102 2008年7月22日 (火) 19:30 (UTC)[返信]

私が聞いたことがあるのは、「豪姫の嘆く姿を見た前田利常が幕府にかけあった」「豪姫の嘆く姿を見た沢橋兵太夫が幕府に直訴した」などです。一般的な書籍に載っていた話なので、出典史料はわかりません。
また、豪姫は幕府の許可がおりる以前から、内密に八丈島への仕送りを行っています。
私はそこにはっきり彼女の意志を感じます。
それなのに、最終的に幕命という形を取らざるをえなかった豪姫や前田家の立場を無視し、「参勤交代などと同じくれっきとした幕命によるもの」などと書くのは、豪姫に対して失礼なのではないでしょうか。また、これはあえてこだわって豪姫の項に載せるほどの話なのでしょうか。私にはその必要性がわかりません。--122.29.22.135 2008年8月1日 (金) 4:51 (UTC)

お返事ありがとうございます。

私が聞いたことがあるのは、「豪姫の嘆く姿を見た前田利常が幕府にかけあった」「豪姫の嘆く姿を見た沢橋兵太夫が幕府に直訴した」などです。一般的な書籍に載っていた話なので、出典史料はわかりません。

…ご教示ありがとうございます。出来ればその「一般的な書籍」を挙げて頂ければ有難かったのですが。これらも合わせてエピソードとして併記するというのはどうでしょう。「…このような異説もある(要出典)。」というように。

また、豪姫は幕府の許可がおりる以前から、内密に八丈島への仕送りを行っています。 私はそこにはっきり彼女の意志を感じます。 それなのに、最終的に幕命という形を取らざるをえなかった豪姫や前田家の立場を無視し、「参勤交代などと同じくれっきとした幕命によるもの」などと書くのは、豪姫に対して失礼なのではないでしょうか。

…私の文章の稚拙さから誤解を与えたようですが、私は豪姫が援助を渋っていたとは全く考えておりません。当初から援助していたことはもちろん存じておりました。そうでなければ宇喜多家の人々は生き残れなかったでしょう。豪姫の意思は当然明確です(この点も書き加えられればと思います)。
また前田家がかかわっていたことも当然です。物資の費用も運搬も前田家無しでは成り立ちません。

ただ前田家の意志や立場ははっきりとはわかりません。人情からすれば援助したいところでしょうが、この当時の状況からすると(利常の鼻毛のエピソードもあるように)積極的に謀反人にかかわることは家の存亡にかかわります。多くの家臣が「厄介事」と思っていたとも想像出来ます。
私の読んだ書には、キリシタンであった豪姫に利常が「棄教しなければ宇喜多家への援助を停止する」と迫ったため泣く泣く棄教した、との記述もありました(真偽は不明ですが)。前田家の総意はわからないのです。 ゆえに言えることは、

 ・前田家の真の意思は不明、立場的には幕府から睨まれたくない。

 ・幕府は(真の意図は不明ながら)意外にも援助を断罪せず、それどころか前田家に公式の命令を与えた。

 ・のちに(比較的近い時代に)金沢藩にも仕えた室鳩巣がその過程を書き残している。

という点でしょう。室鳩巣の記載からは前田家の積極的な働きかけは読み取れません。故にあのような記事としたわけです。異説がわかった以上、冗長にならない程度に追記が必要です。

また、これはあえてこだわって豪姫の項に載せるほどの話なのでしょうか。私にはその必要性がわかりません。

…(再度申し上げますが)こだわっているわけではありません。

世間一般では「豪姫の願いを前田家がかなえた」という簡単な美談として知られています。この出来事は単にそれだけではないという事実を表すものとして出典のはっきりしたエピソードを追加するのがよいと思ったのです。また、豪姫と言えば「八丈島への援助」抜きには語れない、ということからもこの項に記載いたしました。

この項を充実させることでより多くの人に豪姫のことを知ってもらいたいとも考えております。権威ある書物からのエピソードがある以上記載したほうがよいのではないでしょうか。

恐らく122.29.22.135さんは、豪姫のことを大切にお思いなのでエピソードを削られたのだと思いますが、ならばこそ記事を単純化するよりも充実させるのは如何でしょう。削るよりも追記ください。ご納得いただけないのであれば第三者の意見を広く求めるのも良いと思います。
お返事お待ちしています。--210.155.36.103 2008年8月3日 (日) 14:57 (UTC)[返信]

他の説については、「戦国宇喜多一族」等に載っていました。
前田家の意思について、私は「少なくとも消極的ではなかった」と考えています。
鼻毛の話や、利常が豪姫に棄教を迫った話はまったくの創作で事実ではありません。
4代藩主前田綱紀が、豪姫に興味を持ち宇喜多家に関する史料を集めたり、八丈島が飢饉に陥ったとき藩の米倉をあけて救済を行ったという話も伝わります。
加賀藩で豪姫の200回忌記念法要を行ったという話も聞きます。迷惑に思っていたのなら、こういうことはしないのではないでしょうか。
そして質問なのですが、「八丈島への仕送りは参勤交代などと同じくれっきとした幕命によるもの」という結論は誰かが言っていたことなのですか? それともあなたの持論なのですか?
いずれにしろ、八丈島への仕送りを参勤交代などと同じことのように扱うのは、豪姫に対してあまりにも失礼かと思います。--122.29.22.135 2008年8月4日 (月) 12:51 (UTC)[返信]

122.29.22.135さんへ

他の説については、「戦国宇喜多一族」等に載っていました。

…ならばその書物を出典としてエピソードを追加されれば良いのでは?

前田家の意思について、私は「少なくとも消極的ではなかった」と考えています。 鼻毛の話や、利常が豪姫に棄教を迫った話はまったくの創作で事実ではありません。

…「まったくの創作で事実ではない」のですか…根拠は何なのでしょうね? まあ、「鼻毛の話」は事実かどうかというより、家光治世当時の外様大名と幕府の関係を表すものとしてよく知られている話として例えで出しただけです。こんな話を100%信じている人は余程のもぐりでしょう(笑)第一これを追求しだしたら話がどんどんそれていってしまいます。
あ、それとこの「鼻毛の話」はウィキペディア前田利常の項に記載されています。この項の“必要のない”エピソード記載を決して許さない貴方が「まったくの創作」と断言なさるからには、必ずや「鼻毛の話」などという妄説は責任を持って削除されますよね?

4代藩主前田綱紀が、豪姫に興味を持ち宇喜多家に関する史料を集めたり、八丈島が飢饉に陥ったとき藩の米倉をあけて救済を行ったという話も伝わります。 加賀藩で豪姫の200回忌記念法要を行ったという話も聞きます。迷惑に思っていたのなら、こういうことはしないのではないでしょうか。

…いずれも幕命の下った、すなわち公認を受けた後の事ですよね? この時点では謀反人に結び付けての言いがかりなどの心配は全くありませんし、美談として知られているのですからなおさらでしょう。迷惑、危険なのは公認を受ける以前ですから。まして200回忌…もはや天保時代(笑)。

私が「前田家の総意はわからない」と言ったのは、当時の状況を考慮すれば様々な意見があったであろうということです。生き残ることが大事だったわけですから。関ヶ原・大坂の陣で多くの大名と同じように、賢く時代の趨勢を見極めて豊臣家を見捨てたように…。ま、この項では蛇足ですけど。

そして質問なのですが、「八丈島への仕送りは参勤交代などと同じくれっきとした幕命によるもの」という結論は誰かが言っていたことなのですか? それともあなたの持論なのですか?

…はい。私の結論です。とはいえ「前田家が渋々従った」というつもりではなく「最終的にそういう形になった」ということを分かりやすくするためにそう述べました。

いずれにしろ、八丈島への仕送りを参勤交代などと同じことのように扱うのは、豪姫に対してあまりにも失礼かと思います。

…多少誤解を与える文章だったことは認めます。ただあくまでも様々な状況を踏まえて、室鳩巣の記述を準拠としてそう述べただけで、豪姫の意思とは関係のないことですので「失礼」には当たらないでしょう。彼女が純粋に家族を気にかけたのを疑う人などいようはずないではありませんか。

ただ…そもそもこのウィキペディアは「百科事典」ですので、崇め奉るためのものではありませんので「失礼」かどうかより「記載が充実しているか」の方が重要ではないでしょうか?
また、いくら私がエチケット(ウィキケット)の原則通り丁寧に書きこんだところで、貴方の返事が「失礼」を連発されて悪意に取られてしまうのでは悲しい想いをするだけです。私のような素人が学者ぶって、真実はどうだとか議論して相手をねじ伏せようなどというのも馬鹿な話です。実生活も忙しいことですし、不毛な議論に時間と思いを取られたくありませんので私はここを立ち去ります。あとはどうぞお好きになさってください。何度も言うように「こだわり」は無いのです。
老婆心ながらウィキケットの項をご精読なさることをお勧めいたします。--210.155.36.102 2008年8月5日 (火) 20:43 (UTC)[返信]

確かに的外れなことを書いてしまいましたね。失礼致しました。
幕府の許可がおりる前の前田家の意思を推測できるとしたら、豪姫の内密の八丈島仕送りの話からでしょうか。
豪姫は、秘密裏に仕送りをするための拠点に使っていた場所を、表向きは「加賀藩の奉行所」と偽っていたそうです。
そのようなことは、前田家の協力なしにできないと思われます。
少なくとも、豪姫の危険な行為を援助しようという意思はあったようですね。
鼻毛の話や利常が豪姫に棄教を迫った話が創作というのは、山本博文氏や中村彰彦氏の著作を読めばわかると思います。
というか、「鼻毛の話」が当時の価値観に合わないことや、前田利常はむしろ幕府への反骨精神に富んだ人物だということぐらい、
前田家について少し勉強していれば常識だと思っていたのですが…。
また、ウィキペディアで納得できないことをいちいち修正削除していたらきりがないので、私は個人的に思い入れのある豪姫の項だけにとどめています。
①幕府が豪姫の行為を”承知の上で”罰しなかったとする根拠
②「古兵談」という書物の持つ性格(内容が全て真実であると言える根拠)
…についてもお聞きしたかったのですが、おそらく学術的な返答は得られなかったと思うので、良しとします。
では、私もノートに書き込むのはこれで終わりにします。さようなら。
あ、最後に。
ウィキペディアは、素人が勝手な持論を書くための場所じゃありませんよ。--122.29.22.135 2008年8月10日 (日) 22:47 (UTC)[返信]