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ノート:賢者

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仏教では

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賢者が特に仏教固有の術語として使われていないのであれば、取り立てて冒頭に挙げる必要はないと思います。というか、挙げるべきではないと思います。 Shinobar 2006年5月12日 (金) 11:59 (UTC)[返信]

私は必要だと思います。広辞苑でも仏道、大辞泉でも仏語との記述があります。Lemon 2006年5月12日 (金) 13:32 (UTC)[返信]

逆に、広辞苑と大辞泉だけではないでしょうか。大辞泉には「[仏語]善を行い、悪を離れているが、まだ真理を悟るにいたらず、凡夫の段階にとどまっている者。聖者の下の段階。」とありますが、広辞林、大辞林などにその用法はありません。ではと、仏教用語の辞典を紐解いても、この語の見出語が無いものが多い。広説佛教語大辞典(東京書籍、2001年)に、この見出しがあり、仏典での用法を7つほど挙げている。いろいろな用法があり、定まった術語ではないということではないか。広辞苑や大辞泉の挙げる用法や、広説佛教語大辞典が最初に挙げる「長老と同じ」敬称が、日本で使われているのか、いたのか怪しい。「上人」と呼ばれる僧侶は例が出せるが、「賢者」と呼ばれた宗教者を私は思い浮かべられない。Shinobar 2006年5月13日 (土) 03:01 (UTC)[返信]

仏教固有の用法の例があるなら、示してください。インターネット上を探しましたが、私には見付けることはできませんでした。水野雅士が書いた『シャーロック・ホームズと99人の賢者』という本があります。ここに挙げられている「賢者」のリストは頷かせるものです。どの宗教かを問わず、著明な思想家のことを賢者と呼ぶ用法はありそうですね。Shinobar 2006年5月14日 (日) 01:22 (UTC)[返信]

私は特に仏教や宗教に詳しくないのですが;仏教での明確な用法はなさそうですね。仏教での記述を削除し、著明な思想家のことを賢者と呼ぶと加えたほうが良いかもしれません。詳しく調べていただき有難うございました。Lemon 2006年5月14日 (日) 04:04 (UTC)[返信]