ノート:越後山脈
- 匿名ですみません。越後山脈というのは、どの程度公認されているのでしょうか?確か我々が小中学生のころは(といっても現在は福島県の40代ですが)三国山脈、帝釈山地(山脈)とかわかれていて、その北は、越後山地(福島県内をいまは会津高原ともいいます)・飯豊山地・朝日山地と続いていた気がします。越後山地、飯豊山地間が阿賀野川(阿賀川)により分断されています、さらに飯豊山地と朝日山地も最上川で分断されていますがやはり山脈というのでしょうか?薄学ですみませんが拠りどころを知りたいです。
ハンドルネーム「お山の大将」です。
この項の本文に以前に書き込みをしたことはありません。
越後山脈という言葉は、小学館のデジタル版「大辞泉」や三省堂の「大辞林」にも掲載され、高校で教材として使われている帝国書院の「地歴高等地図」などにも載っているので、一応は認知をされたカテゴリーといえると思います。
但しその範囲についての見方はまちまちで、専門家がいて、唯一の「正しい見方」というのがあるわけではないと思います。従って、一般にどういう風に考えられているか、というのが問題になると思います。
例えば「デジタル大辞泉」では、 「新潟・群馬・福島3県にまたがって連なる山地。朝日山地・飯豊(いいで)山地・上越山地の総称。広くは、三国山脈・帝釈(たいしゃく)山脈を含む。」という定義になっており、非常にその範囲が広くなっています。[1]
一方三省堂の「大辞林」では、 「新潟・群馬・福島三県の県境に連なる山脈。北は阿賀野川をはさんで飯豊(いいで)山地と相対し、南は三国山脈に接する」とあります。この定義では、朝日山地はもちろん、飯豊山地も抜け、三国山脈も少なくとも一部が抜けるわけですから、範囲は狭く、なってきます。北は阿賀野川から、南は三国峠くらいまで、という感じでしょうか。
学研の学習百科辞典でも、 「新潟(にいがた)県・福島(ふくしま)県の県境一帯(けんきょういったい)を,北東から南西に走る山脈(さんみゃく)。北は阿賀野(あがの)川の河谷(かこく)をへて飯豊(いいで)山地に,南は谷川岳(たにがわだけ)あたりにつづき,北・南の境界(きょうかい)ははっきりしない。」とあります。範囲としては大辞林に近いが、境目ははっきりしない、ということでしょう。
帝国書院の「地歴高等地図」には越後山脈が地図上に示されていますが、ほぼ大辞林に沿った範囲になっています。そして、飯豊山は別の「飯豊山地」に、朝日連峰は「朝日山地」に含めています。
また、オンライン百科事典マイペディアでは、 「新潟・福島県境をなす山地を主軸とする脊梁山脈。範囲は定説がなく,広義には朝日・飯豊(いいで)両山地,三国・帝釈(たいしゃく)両山脈を含む。主脈は秩父古生層に貫入した花コウ岩,セン緑岩からなり,阿賀野川,只見川などが谷を刻む。」とあります。 このあたりが公約数的なところでしょうか。
ただ、「越後」山脈ですから、越後と全く関係のない帝釈山脈を含めるのはどうかと思いますし、地形的にみれば朝日連峰と飯豊山は阿賀野川以南の越後山脈とは全く別で、同じ褶曲で隆起したわけでもないでしょう。そう考えると、「越後山脈」という言葉は、せまい意味で理解したほうがよいように私には思えます。これに従ってこれから本文を編集します。 --124.27.180.70 2009年9月11日 (金) 11:57 (UTC)
脚注
[編集]- ^ 但し、この定義は全く感心しません。「上越山地」とはなにかについては、この辞書にも他の辞書にも定義はありませんし、上越山地が谷川岳あたりを中心とする「三国山脈」とも違うとすれば、一体上越山地とはどこのことなのか全く分かりません。それから、帝釈山地(ないし山脈)というのは福島と栃木の県境ですから、もし越後山脈が帝釈山脈も含むのであれば、栃木に触れない「デジタル大辞泉」の記述はおかしい、ということになります。