ノート:足利義教
>義教は政教分離や中央集権体制成立などを僅かな時期ながら成し遂げた。これらが再び実行されるのは約100年後、織田信長によって成されるのであり、いかに義教が革新的であったかが良くわかるであろう。信長の政策は義教と同じものが多いにもかかわらず、不当にも義教の評価と知名度は信長とは雲泥の差である。このため、将来的に再評価される可能性がある。
室町将軍体制の強化を目指した義教の政策とその解体を目指した信長の政策を一緒にする事に疑問(偶然の一致の可能性も排除できないし、そもそも義教と京都五山や真言宗の満済との政治的関係を考えると政教分離的発想があったのか疑問)を感じるので、一旦削除しました。--水野白楓 2006年8月31日 (木) 23:05 (UTC)
問題の箇所は参考文献に書かれている明石散人や井沢元彦の著作を敷衍して記述していると思うんですが、出展を明らかにした上で「という評価もある」と紹介するという形で記述する価値はあると思います。--秘書の村上 2007年9月29日 (土) 01:15 (UTC)
政教分離原則を見ていただければわかると思いますが、政教分離というのは政治が宗教に介入することも禁止したものです。義教は宗教に対する支配をやめておらず、政教分離は義教の政策には当てはまりませんので削除いたします。--58.89.82.110 2008年10月10日 (金) 14:03 (UTC)
「万人恐怖」の節の新設について
[編集]>だが反面短気で勘気と猜疑心が強いとみなされた義教の性格は、残忍で気に入らない守護大名を滅ぼしその領地を恩賞にまわしたり、部下に弾圧を与えたり、比叡山の僧兵・僧が義教への恨みで本堂に火を放ち焼身自殺した噂が京周辺に流れると義教は「比叡山の噂が流れてるのは庶民がたぶらかしたんだろう、噂を流した庶民を全て捕らえよ首を刎ねてしまえ!」と噂を流した庶民は全て処刑するなどし、室町幕府の歴代将軍の中で1番恐ろしい人物だったといえよう。
あまりに稚拙な文章なので削除した上、義教の気質を示す逸話を新しい節で挙げさせて頂きました。川岡勉氏が『室町幕府と守護権力』(吉川弘文館、2002年)p87で「嘉吉の乱が起きた理由、それがもたらした新たな局面については、義教の個性や性癖に問題を還元する事なく、独自に分析を深めていくことが求められている」と指摘されるように、義教の嗜虐性を強調し過ぎれば彼に対する評価をも誤るおそれがあるのではないかと考えます。--219.126.203.210 2007年11月10日 (土) 07:40 (UTC)