ノート:軍学校
陸軍諸学校の分類について
[編集]2014年9月6日現在、日本陸軍の学校のほとんどが「補充学校」か「実施学校」のいずれかに分類されていますが、これの根拠はなんでしょう。本当に陸軍憲兵学校が「補充学校」なのですか? 逆に熊谷陸軍飛行学校や大刀洗陸軍飛行学校のような、下士官となすべき生徒に飛行機操縦の基本教育を行う学校がなぜ「実施学校」なのでしょう? 航空兵科現役将校を補充することになる士官候補生を教育する陸軍航空士官学校が「補充学校」であり、高等飛行術教育や研究をする明野陸軍飛行学校が「実施学校」とされるのはわかります、文献でもそのように表現されるのを目にすることができます。しかし、兵科のすべての学校が「補充学校」か「実施学校」に二分できるという根拠となる出典も示されていません。私は日本陸軍の航空学校などのWikipedia記事を編集・執筆するためにいろいろと史料や書籍に目を通していますが、そもそも「補充学校」や「実施学校」という用語が、陸軍の諸学校を規定する勅令、軍令や達の中で公式な文言として使われているのを見た記憶はありません。こうした分類の仕方には無理があると思います。(つづく)
だからといって、何十もある陸軍諸学校をすべて一緒にするのも雑然としてしまうでしょう。私の提案としては、たとえば国立国会図書館デジタルコレクションから見ることができる大久保弘一著『陸軍読本』(1938年、日本評論社刊)のように、陸軍教育総監、陸軍大臣、陸軍航空総監、参謀総長と、統轄する長官別にするのがよいと考えます。それぞれの学校令にも明記(「校長は◯◯に隷し」等々)されていることでもあります。「補充学校」であるとか「実施学校」であるということは、そうした表現が的確であるものだけにして、補足程度の記述でよいでしょう。ここで述べた編集方針で近日中に記事の根本的な刷新を考えています。反論、ご意見などある方はこのノートにお願いします。--Pem423(会話) 2014年9月6日 (土) 14:14 (UTC)
- 記事はすでにほぼ全面的に書き換えさせてもらいました。学校の分類は基本的に管轄する官衙(教育総監部、陸軍省、参謀本部)と航空関係でわけてみました。教育総監部所管の学校の順序は、あきらかに補充学校であろうというものを初めにし、実施学校系のものは陸軍が兵科を列記する場合の約束事である「歩・騎・砲・工・輜重」の順などを参考にし、陸軍機甲本部所管に変わった学校を終わりのほうにしてあります。航空関係の学校はその機能と設立の年などを総合的に考慮して並べました。詳しく調べてみると、陸軍騎兵学校や陸軍中野学校のように途中で統轄する官衙が変わっているものもあります。短い文で説明を入れてはありますが、ベストな分類方法だったのか十分な自信はありません。これも駄目ならアイウエオ順にするしかないかもしれません。(つづく)
- 「補充学校」「実施学校」の定義については、やはり明確は線引きはできないと思います。本記事の初稿を執筆・編集した方は、おそらく森松俊夫監修・太平洋戦争研究会編『図説 帝国陸軍 旧日本陸軍完全ガイド』をネタ元にしたのだと思いますが、この本は1937年前後の陸軍諸学校しか取り上げていませんし、私が調べた戦史叢書の『陸軍航空の軍備と運用 (2)』の付表1では熊谷陸軍飛行学校や陸軍航空通信学校が「補充学校」に分類されており、著者の主観でどうにでも書けるものだという気がします。(つづく)
- 話は変わりますが、私は学校の序列で陸軍大学校と海軍大学校をそれぞれ陸海軍の筆頭には考えません。そもそも陸大・海大は「最高学府」というような性格のものではないし、どんな将官でも陸軍士官学校、海軍兵学校の出身期を基準にすることから考えても、陸海軍の学校の筆頭は「陸士・海兵」が妥当であろうという判断です。(つづく)
- 最後に、私が行った編集においては海軍の海兵団等をあえて除外しました。海兵団ではたしかに教育を担当したでしょうが、それを言い出したら陸軍の教導団はどうする、数多くある教育隊はどうする・・・ということになるからです(そもそも軍隊はそれ自体が巨大な教育機関でもあるのです)。そのため「学校」の名称が付くか否かを記事内で取り上げる基準としました。ご意見のある方はこのノートにお願いします。--Pem423(会話) 2014年10月11日 (土) 15:47 (UTC)