ノート:連山 (航空機)
「連山 (航空機)」への改名を提案します。理由は以下の通りです。
- 試作段階にとどまってはいたがすでに「連山」の名は与えられており、「富嶽」や「閃電 (戦闘機)」、「震電」などと同様にその名で呼ばれるべきである。
- 単独試作であり、ほかに十八試陸攻は存在しない。
そもそも現在の項目名の「一八試」は誤りで、何らかの訂正は必須。- 現在のリンク元はすべて「連山」からのリダイレクトか、さもなければ「連山」を併記している。
ご意見よろしくお願いいたします。--ぜに坊 2007年7月14日 (土) 17:56 (UTC)
:papamaruchan22です。こんばんは、今まで気が付きませんでしたが連山は一八じゃ無くて一七試陸攻ですよねぇ。制式機では無いので厳密には「試製連山」というのが本当の呼び方なんですがね。ウィキペデァでは、富嶽や閃電、震電なども試製を付して無いので連山 (航空機)でいいでしょうね。リダイレクトをつけて改名してはいかがでしょうか。付言すれば震電や富嶽にも統一した記載方法から言えば(括弧航空機)をつけておくのがよろしいかと思ってます。改名賛成です。papamaruchan22 2007年7月15日 (日) 10:04 (UTC)
- 見つけました。この連山を一八試陸上攻撃機と書いてあるのが英語版です。それで間違ったのかもしれませんね。私の蔵書には、「昭和17年暮れ、戦いの様相は長距離爆撃機による基地攻撃の応酬となる機運にあり、軍では一式陸攻にかわる次の陸攻を計画」とあります。(出典・酣燈社『日本軍用機の全貌』206頁)改名必須でしょうね。papamaruchan22 2007年7月15日 (日) 10:57 (UTC)
- だけど中島飛行機のホームぺ-ジでは「
一八十八試」といっているんですよねぇ~。古い本では、㈱鳳文書林の日本軍用機三面図集100頁(1962年刊)でも「一七十七試連山とあるんです。全く困ります。papamaruchan22 2007年7月15日 (日) 11:10 (UTC)
- だけど中島飛行機のホームぺ-ジでは「
- 海軍の試ナンバーは計画の開始年度では無く、軍の試作発注時に付きます。この場合18年9月ですから十八試で問題ありません。
たとえば昭和11年5月に原案が示された零式艦上戦闘機は十一試では無く十二試です。Ergerterte 2007年7月15日 (日) 11:25 (UTC)たとえば昭和9年10月に内示が出た零式水上観測機は九試ではなく十誌試です急いで資料斜め読みしてたらいろいろごっちゃになったErgerterte 2007年7月15日 (日) 11:54 (UTC)- Ergerterteさんご意見ありがとう、その通りです。それを理解した上での話です。複数の本に「一七試」とあるんです。しかし前述の通り中島飛行機のホームぺ-ジでは「
一八十八試」としているし他に光人社の「幻の新鋭機」小川利彦著でも、「一八十八試」説です。どちらでもいいかなぁ。でも解明したいしと思っているのです。よろしかったらErgerterteさんの昭和18年9月の出典明示いただけたら幸いです。あと本題の統合についてはどうお考えですか。papamaruchan22 2007年7月15日 (日) 12:35 (UTC) - ※ps/私の参考書籍には陸攻の注文発注書の日付けは、昭和18年9月14日とあります。以下引用します。つまり、「N-40の設計主任は天山、深山の設計者故松村技師で内示以来基礎計画の結果、ようやく18年9月14日に--17試陸攻注文書--が発せられ『連山』は試作に入った」と記述あるんですよねぇ。わざわざ{17試注文書}って表示あるんです。(--印--は私がつけました)だから困るんですよね。それから鳳文書林の本にも一七試陸上大型攻撃機N-40ってあるんですね、ただ古い本なので、なまえは古い本のほうが時代が近くて正しいのかも、その一方で、後で新事実が発見されて一八試になったのかもしれないとも考えてたりしてます。いずれ分からないのですがね。papamaruchan22 2007年7月15日 (日) 13:26 (UTC)
- 出典元はグリーンアロー出版社 日本陸海軍試作/計画機1924~45 (1999) P.242。新しい本ですね。「連山 (航空機)」への改名はよいと思います。Ergerterte 2007年7月16日 (月) 11:22 (UTC)
- Ergerterteさん、ありがとうございました。改名については多分反対意見は無かろうと思いますので、このまま出なければ今週末を待ったうえで行いたいと思っています。17か18かについては、17年末に試作内示・18年9月に正式発注というところは間違いなさそうですが、であれば当然「十八試」になるべきところ「十七試」とする資料が多いのがかえって気になる所です。papamaruchan22さんの「17試注文書」というのも興味深い所です。先ほども書きましたが、この件については別途段落を設けるべきかと思っています。--ぜに坊 2007年7月16日 (月) 13:34 (UTC)
- Ergerterteさんご意見ありがとう、その通りです。それを理解した上での話です。複数の本に「一七試」とあるんです。しかし前述の通り中島飛行機のホームぺ-ジでは「
- ■17か18かという問題は気づいておりましたが本題から外れるので改名提案では触れませんでした。酣燈社の本では『日本軍用機の全貌』の他に『太平洋戦争日本の海軍機』(1972)でも「十七試」ですが、モデルアートの『日本航空機辞典』(1989)では「十八試」になっています。つまりpapamaruchan22さんがおっしゃるように新しい本の方が「十八試」とする傾向があります。ただ、こればっかりは古い/新しいとか多数決とかで決められないので「連山 (航空機)」に改名してひとまず(現行通り)「十八試」とした上で、一つのトピックとして「「十七試」とする資料もある」と触れるのが妥当かな、と思います。というところでErgerterteさん、本題の改名の方の賛否はいかがでしょうか。--ぜに坊 2007年7月15日 (日) 17:55 (UTC)
- ■追記します。英語版の登録は2004.10.16でここの項目の登録より後ですから、英語版の「一八試」はこのページの引き写しでしょう。もっとも本日「一七試」に変更されてますが・・・。「一七」か「十七」かというのも問題なのかもしれません。--ぜに坊 2007年7月15日 (日) 18:18 (UTC)
- ※こんばんわ。いつも的確な提案感心してます。さて、ぜに坊さんの「そもそも項目名の『一八試』は誤りで、、」のくだりは、17と18のちがいでなくて一か十かの問題でしたか?・でしたら九七式戦を九十七式戦と表記しないのが一般的なので一八のほうに分があるんですが、これも中島飛行機のホームページが十八とあるので困りものです。ご参考までに旧軍機の機体のエンジンプレートの写真なんか見ても{「ハー一〇二」とか「九九式九〇〇馬力発動機二型」三菱重工業名古屋発動機製作所の例}なんて書いてありましてね縦書きの場合は、いざ知らず、横書ではやはり単位数字は一とか二で十とか廿は、可能性が低いので前者で統一なさってもいいのかと思います。papamaruchan22 2007年7月16日 (月) 10:47 (UTC)
- ■毎度どうもです。試作年の呼び方は制式年とは違うのではないかと思っています。『世界の傑作機No.5零式艦上戦闘機11-21型』(文林堂)のP.86に後部胴体のデータプレートの写真が載っているのですが、そこにははっきりと「型式|十二試艦上戦闘機」とあります。したがって零戦の試作機は「じゅうにしかんせん」であった(あるいは少なくともそう称する場合があった)と言えます。それを援用すれば連山も「じゅうはち(orしち)しりくこう」であって差し支えない。「一八試」を「誤り」というのは取り下げますが、両方の可能性がある以上、私としては慣用に従って試作年は十×試で行きたいと考えています。昭和26、27年位まで戦争が続いていれば「一一式戦闘機」とか出現したのでしょうが残念で・・・いえ、全然残念ではないです。■もう一つ。文林堂の「日本海軍機全集」の連山の項目(本書では「十七試」としています)に、「昭和17年12月末、海軍から実用機試製計画番号(略して実計番号)N-40と呼ばれる大型陸攻の開発を内示」「正式に試作が発注されたのは18年9月14日」というくだりがあります。papamaruchan22さんの参考書籍と照らし合わせると18年になって「十七試」が発注された、というのが妥当なところかなと思います。ただいずれにしても両論あり得るところかと思いますので、「連山 (航空機)」への改名が成った暁には1項設けて論ずることにするのが良いでしょう。--ぜに坊 2007年7月16日 (月) 13:17 (UTC)
- ■17試か18試かという問題は別に改名を待たなくていいので本文に書き込んでみました。papamaruchan22さんには「17試陸攻注文書」云々の出典を補記していただければありがたく存じます。--ぜに坊 2007年7月17日 (火) 08:48 (UTC)
- ↑御依頼のようにreferencesで補記しました。ここで余計なことかも知れませんが一か十かでは、私としましては、どちらかといえば今までの表題の「一」を支持します。本文と記事とで表現を変えてはいけませんよね。十八試・(または七)の十にこだわるのでしたら資料ご提示の改稿したらいいと存じます。極端な話、私が今まで何冊かの参考書籍を見た範囲では・縦書きと横書き・制式名称と試製・でもって{一と十}を住み分け表示、するというルールはどこにもなかったんですよね。きまってなんかいなかったのではと思ってます。だから改稿も可ですがね、しなくても可でもあるんです。が、要はタイトルが十で記事文中では一だなんて避けましょう。統一された記事であってほしいと思います。papamaruchan22 2007年7月17日 (火) 10:43 (UTC)
- 追伸--17試か18試かという問題ですが、私の持っている(戦後10~15年後に書かれた)本には17試と書いてあり丁寧なことに18年研究開始とかと記述があるのです。ここで留意すべき点は、17試、⇒18年設計試作開始とわざわざ書いてある事です。それがいつのまにか17⇒18試となってます。註文書が書かれた時が17年でそれこそが17試の命名由来という思いを強くもってます。{G8N}という記号も後で18試に変わってしまった一原因かなと推量したりしてます。ナンバーは計画の開始年度では無く、軍の試作発注時に付くということからということからしても発注書の作成は17年暮で基礎審査が開始され9月に17試注文書の施行、19年4月に組み立て僅か4ケ月で一号機の完成をみてます。ただどうしても気になるのが中島飛行機のホームページの存在で、これには18試とあるんですねぇ。問い合わせしましたが18試と理解しているとの返答でした。(注文書の件までは深く聞けませんでした。(キケバヨカッタカナぁ)。papamaruchan22 2007年7月17日 (火) 11:34 (UTC)←追々伸・本文中のreferences〔〕参考2は担当者の方の言葉の引用です。
- ■ちゃんと「中島飛行機」を語れる担当者がおられるというのが感動です。私も本音では子供の頃から親しんだ「17」であってほしいと思っていたりするのですが、微妙ですね。■一か十か、ということについて、タイトルと本文の不一致は今回提案の改名が実現すれば消えますよね。この件について家で何冊か参考図書を当たってみましたが手持ちの本では「一」とするものは見当たりませんでした。逆に「世界の傑作機」53の「強風、紫電、紫電改」篇に、強風のプレートに「十五試水戦」とあるものが載っています。これも前述の「十二試艦上戦闘機」も手書きでなくステンシルですし、実機の表示という一次資料ですから「十」説が相当に有利であるといえるのではないでしょうか。--ぜに坊 2007年7月17日 (火) 20:56 (UTC)
- 追伸--17試か18試かという問題ですが、私の持っている(戦後10~15年後に書かれた)本には17試と書いてあり丁寧なことに18年研究開始とかと記述があるのです。ここで留意すべき点は、17試、⇒18年設計試作開始とわざわざ書いてある事です。それがいつのまにか17⇒18試となってます。註文書が書かれた時が17年でそれこそが17試の命名由来という思いを強くもってます。{G8N}という記号も後で18試に変わってしまった一原因かなと推量したりしてます。ナンバーは計画の開始年度では無く、軍の試作発注時に付くということからということからしても発注書の作成は17年暮で基礎審査が開始され9月に17試注文書の施行、19年4月に組み立て僅か4ケ月で一号機の完成をみてます。ただどうしても気になるのが中島飛行機のホームページの存在で、これには18試とあるんですねぇ。問い合わせしましたが18試と理解しているとの返答でした。(注文書の件までは深く聞けませんでした。(キケバヨカッタカナぁ)。papamaruchan22 2007年7月17日 (火) 11:34 (UTC)←追々伸・本文中のreferences〔〕参考2は担当者の方の言葉の引用です。
- そうですか、実機の表示という一次資料ですから「十」説もいいですねぇ。だとすると最初に[一]が来る10番台を手直しせねばなりませんね。ただ私の手元の本ではぜに坊 さんの調査結果とはやゃ趣を異にしましてね、㈱鳳文書林「日本軍用機三面図集」⇒まちまち、というか十番台が十。出版協同社「日本の戦闘機」⇒全て一。酣燈社「日本軍用機の全貌」これはなんと全て⇒数字で統一3式飛燕とかね、但しゼロ戦ゼロ観は零。丸編集部「日本陸海軍航空機一覧」⇒一、光文社「幻の新鋭機」本文縦組み⇒十、(三面設計図は数字18試連山という様に)なんともまちまちですね。結論をいそぐこともないのかなぁと思料してますがね。papamaruchan22 2007年7月18日 (水) 09:24 (UTC)
- 制式と試作とで年の扱いが違う可能性もあると思っています。モデルアート社の『日本航空機辞典』がそういう立場で、試作については十三試などとし、大正13年制式の機体は一三式と書いています。特に一三式艦攻(B1M)の箇所では「初期の制式機名は「十三年式艦上攻撃機」である。」とわざわざ一三と十三を書き分けています。何か根拠があるのかもしれません。Wikiの記述も今のところ試作は「十」(本項を除く)、制式は「一」で揃っているようですから現状維持でいいのではないでしょうか。10年代の制式機について第一次資料(図面のコピーとか)の出現を待ちたいですがなにぶん大正10~15年の話ですので厳しいかもしれませんね。ところで『日本軍用機の全貌』は持ってました。ちゃんと読んでいませんでした。(汗)--ぜに坊 2007年7月18日 (水) 13:46 (UTC)
- 1週間経って賛成2、反対0でしたので移動しました。これからリンク元からのリダイレクトの整理を行います。試作年次についての議論は有益と思いますのでそのまま残しました。--ぜに坊 2007年7月21日 (土) 10:05 (UTC)
多謝↑
[編集]リダイレクトの整理等・大変ご苦労様でした。papamaruchan22 2007年7月24日 (火) 11:17 (UTC)
関連事項の件
[編集]IPさん加筆の 小林彰太郎氏の経歴自体は記述の通りです。しかしながら本計画時は学生で、学徒動員生が設計に携わってはおらず、関連事項としては記述の根拠に欠けます。かつ鋼鉄製の連山の開発も出典提示が必要です。一応非表示として出典の提示を待ちましょう。papamaruchan22 2009年12月11日 (金) 01:27 (UTC)
前車輪式
[編集]「初めて前車輪式を採用」とありますが、先に開発された深山も前車輪式です。ここは削除しても良いでしょうか。 --Tamihito 2009年12月26日 (土) 12:11 (UTC)
「初めて」のみ削除しました。--Tamihito 2010年1月3日 (日) 12:08 (UTC)
アメリカに送られた機体
[編集]「エンジン未完で装着されていなかったため」とありますが、一番下にある写真ではエンジンがついているようにみえます。プロペラだけつけているのですか?外部リンクに挙げられているページの一番最後にアメリカ空母に積まれている写真が載っていますがここでもプロペラが付いています。 --115.176.21.148 2015年8月14日 (金) 18:06 (UTC)