ノート:遠山直景
- 同名の人物が二人いる件について
他の記事との齟齬があるため、一応、冒頭に記述をしたのですが・・16世紀初頭の直景と、その子孫(ひ孫)である直景、二人がいます。
そのため、記事を分割するか、1,2という具合にして同一ページで記述をするかしたいところです。ただ、ひ孫のほうは通り名がちょっと不明なため、1のほうを(隼人佐)をつけて移転するか・・・それともひ孫のほうを何かを後ろにつけて新たにページをつくるかすべきかと思います。
私は何らかの形で2ページに分けるべきと考えておりますが、他の方のご意見をお願いします--koon1600 2006年7月19日 (水) 18:17 (UTC)
それは知りませんでした。ぜひ分割の方向でお願いしたいところです。koonさんに、ひ孫の項目を「叩き台」でも構いませんので、執筆していただけるとありがたいと思います。興味深く読ませていただきたいと思います。
また、2の項目が分割するほどの記事でない場合は、1のあとに2を併記する、という手法も一応考えられると思います。--寒 2006年7月24日 (月) 17:44 (UTC)
書くことといっても・・・英勝院の父という説が特筆程度で、あとは特にないと思います・・・機会を見つけて囲うと思っておりますが、いつになるかはちょっとわかりません・・・
ほほー!へへー!英勝院が出てきたか!それは面白そうですね。北条の旧家臣の血脈は、いろんなところで頑張ってますね(笑) ぜひよろしくお願いしますよ。いわゆる「wktk」しながら待ってます。--寒
以下は、ある特定の地域(に関係する特定の人々)を除いては、全く信頼するに足らない俗説とされていますので、とりあえず本文からは削除して検討を願います。
残された明智城と遠山氏には明智氏の光安(かの明智光秀の叔父であり、明智秀満の父。光康とも)が入って継承し、遠山景行と名乗ることとなる。(以降、明智城の遠山氏は美濃源氏土岐流明智と藤原利仁流遠山の二つの家紋を併用している)
・もう少し詳しく説明お願いしたい。
いやマジで。なにせあの辺は難しい。--寒
- 有力な幕府奉公衆として恵那郡に根付いていた遠山氏(利仁流藤原氏)の一門である遠山明知氏を、勢力圏も出自も異なる土岐明智氏(清和源氏)が継承する理由なし。
- 今回本文から削除された「俗説」は、恵那市明智町を中心に主張されており、明智光秀の生誕地がどこかという問題と深く関わっている。これについては諸説あるが、学術的には「(現在の)恵那市明智町ではない」というのが通説。理由は、遠山明知氏が存在していたため。
- 他方、恵那市明智町では、「光秀まつり」が毎年5月に開催され、また、「光秀公学問所」などの旧跡が存在するなど、明智光秀の生誕地であることが、観光の目玉のひとつと位置づけられ、また、地域のアイデンティティのシンボルであるともいえる。
- 明智町を光秀生誕の地と主張するうえで、16世紀に明知遠山氏と土岐明智氏が同一であったとする説は、きわめて都合が良い。
- なお、明智町が町をあげて同一化説を公認しているかどうかは別問題。『明智町史』はむしろ否定的。--219.66.45.30 2006年12月6日 (水) 12:32 (UTC)
- なるほど、確定された説ではなく、あくまで傍説むしろ巷談に近いという学術的主張があることは理解しました。
- ですが、勢力圏が近隣の別地域であり、源氏と藤原氏の出自の違いがあったとしても、
- それをもって「理由なし」と断定はできませんよね。
- 「あまり一般的ではないが、可能性として”必ずない”とは言い切れない」というレベルですが。
- とはいうものの、
- ここは専門家さん同士の議論を戦わせる場ではなく、かく言う私は美濃史、遠山明智両家について詳しいわけではあ
- りません。ましてや専門に研究している方や、地元の郷土史家の前には、素人以下の半可通、困った存在でしょう。
- また、「天海=明智光秀ないしは秀満説」を強力に推す方針や立場でもありませんし、
- 明智町の方針などに賛も異も唱えるつもりもありません。
- その上で、
- あくまで「巷談」「一説ではあるが」ないしは「と言う説を唱える筋もある」という記述を伴って、
- 元の文章プラス、上記の貴殿の見解ならびに「諸説」を併記してはいだだけないでしょうか?
- 全ての意見に公正でありつつ、かつなお
- (新史料などの登場により「議論が確定」するまでは)そのほうが”百科事典として読み応えがある”と想像します。
- 利用者:寒 2006年12月8日 (金)
- ご助言ありがとうございます。しかしながら、遠山直景の項での記述には反対です。ここで決定的と思われますのは、上記の明智光安=遠山景行説に、遠山直景の退去の話が絡められるようになったのは、ここ20年ほどのことであって、学術的には全く認知されていないうえに伝承ともいえない、ということです。したがって、少なくとも遠山直景との関係では、いわゆる「独自の見解」に該当するというべきであり、ウィキペディアへの掲載は適当でないと考えます。(219.66.45.30)--61.209.161.105 2006年12月8日 (金) 13:30 (UTC)
- それから、上記を入れ込むとして、史実と取られないように背景を書こうとすると、おそらく遠山直景と関係のない記述が延々と続くことになってしまうように思います。(219.66.45.30)--61.209.161.105 2006年12月8日 (金) 13:45 (UTC)