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ノート:遣唐使

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「遣唐使の中止」の説明について質問(一利用者より)

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"894年(寛平6)に菅原道真の建議により廃止された。しかしそれは結果的に正しく、唐は907年(延喜7)に滅亡し、日本はその後の泥沼の戦争に巻き込まれずに済んだ。反対に、その当時の貴族の気概のなさを示すことでもあった。"とありますが、「気概のなさを示すこと」であったのが何なのか分かりにくいので、もう少し説明していただけるとありがたいと思います。

私が思いついた解釈は、1)菅原道真の建議により廃止されたことが気概のなさを示すこと(すなわち、「遣唐使を続けるべきだった」という見解)なのか、あるいは、2)泥沼の戦争に巻き込まれずにすんだことが気概のなさを示すこと(すなわち、「戦争に関わるべきだった」という見解)なのかです。

前者であれば、A)客観的には遣唐使を続ける必然性があったのに、道真が、なにか消極的な理由(航海が怖いから等)によって廃止を建議した(だからそれ以前の貴族に比べて当時の貴族には気概がない)というような事実がほしいところです。逆に、B)遣唐使からの利益が薄れてきている状況の中で、航海の危険性を理由にしたのなら、ハイリスク・ローリターンなので中止は合理的結論であり、「気概がない」とはならないように思います。後者だとすると、C)道真が894年の以前に戦争を予見して、戦争を避けるために遣唐使を廃止し、関わるべき戦争に関わらなかったというような事実がほしいところです。ただ、「戦争に関わるべき」というのは、直前の文の「結果的に正しく」と矛盾します。

あるいは全く別の意味なのかもしれませんが、いずれにしても、「気概がない」というかなり主観的な判断が、唐突に出てきた印象を受けましたので、判断の根拠を示す補足説明があるとよくなると考えます。また、気概がないと判断する際の基準が明確にあるなら(Aの場合は「それ以前の時代の貴族より」ということでしょうか)書いた方がわかりやすいと思います。--64.251.146.128 2006年6月16日 (金) 14:52 (UTC)[返信]

寛平の遣唐使については、「名義のみにその目的があって、入唐ははじめから考慮されていなかった」(龍粛「寛平の遣唐使」)、「初めから政府に派遣の意思がなく」(坂本太郎『菅原道真』)という解釈があります。このことについて、佐伯有清は唐・新羅との交易の活発化と国庫の疲弊などから「遣唐使派遣の無意味なことは(中略)あきらかであった」(『最後の遣唐使』)としています。遣唐使の廃止は決して「続ける必然性があったのに、消極的な理由によって廃止された」ものではないというのが定説化しているようです。--彩華1226 2008年3月9日 (日) 06:09 (UTC)[返信]
(注記)坂本太郎は特撮監督との曖昧さ回避項目ですので修正させていただきました。--125.28.188.45 2008年4月14日 (月) 14:22 (UTC)[返信]
〔上記(注記)が当セクションの彩華1226さんの投稿に対する内部リンク修正報告だとわかりやすくなるよう微修正させていただきました。また標題を見出しに変更いたしました。ご海容ください。(オリジナル投稿の状態は 特別:差分/19169446 を参照ください。)〕--Yumoriy会話) 2024年4月22日 (月) 04:22 (UTC) / 誤記訂正--Yumoriy会話2024年4月22日 (月) 08:25 (UTC)[返信]