ノート:那須与一
表示
過去ログ
[編集]- 2006年2月までのログ----おもに史実と伝承について話し合われました。
- 2006年3月中旬までのログ----典拠する資料などについて、その他議論の成果・合意内容の解釈について話し合われました
- 2006年3月中旬から2006年4月までのログ----合意の内容と保護の解除申請について話し合われました。
- 2006年5月から2006年7月までのログ----保護解除と残務処理について話し合われました。
保護(2005年12月27日 (火) 13:00実施)解除に向けての合意形成 まとめ
[編集]以下に、わかりやすくまとめをつくってみました。この要件でご同意いただけるなら、保護解除申請をいたします。(なお、わたくしとしては、すでに、2006年4月2日 (日) 15:19 (UTC)のご提案にご反対がないところから、2006年4月2日 (日)の案で合意は形成されていると感じておりますが、念のため、以下を記述し、みなさまのお考えを確認するものです。ご協力よろしくお願いいたします。)
- 定義部分は「平家物語の登場人物。平安時代末期の武将。」とします。名前のあとの生没年は不詳とします。
- 「概要」の節をつくり、那須与一が、『平家物語』によって広く知られた人物であるという事実を書きます。そこに「扇の的」関連のこと、また各地に所領を与えられたことを書きます。平家物語によって書かれ、以後その記述にしたがって数々の伝承が生まれたということがわかるような記述にします。(これは、那須与一が歴史上の人物として特定される、同時代史料がいまだ発見されていないためです。 このノートの「史料判断、および保護解除に向けてのご提案」を御参照のこと。)
- 「那須家周辺で永く信じられてきた伝承」という見出しで、『那須記』などの記述(大名家 那須家周辺で信じられてきたことがら------今の記事でいえば「系譜」の項と、「略歴」の項の第1、第2パラグラフ、そして「墓所」の項。)を書きます。<<<その際、「延宝年間成立の那須記などの記述によると」、と記載します。(歴史学的に検証された事実と誤認されるのを避けるため、「系譜」という見出しをはずし、上記の見出しとします。これは、那須家の伝承が江戸時代を通じて「事実」と信じられてきた経緯を尊重するための処置です。)
- 「その他の伝承」という項をつくり、「略歴」の第3、第4パラグラフ、「『伝説・伝承』の類」の記述をまとめて記載します。
- 将来的に「その他の伝承」が増えてくれば、「どこどこの地方で信じられてきた伝承」というな見出しをつけて項を分けます。
以上でございます。なお、この書き込みから2週間を経過して、反対のご意見がでない場合は、保護解除申請→この内容にもとずいた記事の編集をさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。Toki-ho 2006年4月30日 (日) 07:34 (UTC)
- (半保護なら同意、全面解除なら態度保留)ご苦労様です。本当は、上記の合意によって具体的にどの記述が残りどの記述が排除されるか、また復帰した直後にどのように編集を行うつもりがあるか確認しておきたかったのですが(本来は排除される記述の別の項目への分割などについても合意をまとめておかないと将来の編集合戦の再発の可能性を否定できませんから、資料面での合意のみでは1月にも述べたように保護解除の前提としての合意とはいえない代物なのですが)、まあ例のIP氏の動静が明らかにならない以上、おそらく半保護で様子見ということになるでしょうからその件についてはその際にお示しいただけると期待しています。(看護士陽一より)124.155.27.212 2006年4月30日 (日) 08:01 (UTC)
- (賛成、但し半保護の方が良い…?)どうも、上記のまとめ、本当にご苦労様でした。この問題には当初から関わって議論をしておりましたが、最近の展開部分にはどうも口を挟み辛い所がありましたので、静観しておりました。一応当事者でありながら後期の議論に参加しなかった事には一応お詫びを申し上げます。記述についての上記のまとめには、異論はありません。ただ、看護士陽一さんもおっしゃるように、更なる編集合戦への発展を防ぐため、全面保護解除よりも半保護の方が良いかもしれませんね。この後数ヶ月間ほど半保護にして、その間に特に問題が起こらないようなら全面解除に踏み切るという形ではどうでしょうか。--松茸 2006年5月10日 (水) 16:41 (UTC)
- (報告) 2006年6月3日 (土) 01:56に保護は解除になりました。--看護士陽一 2007年1月21日 (日) 04:12 (UTC)