ノート:郭威
表示
この記事は2004年9月21日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、存続となりました。詳細はWikipedia:削除依頼 2004年9月をご覧ください。 |
東アジア史◆略式データベースの記述に似ている
[編集]2004年9月21日に削除依頼が提出され、議論を経て同年10月19日に存続が決定しました(特別:差分/909827)。--Yumoriy(会話)
このページと微妙ですが、似ているように感じます。--らりた 2004年9月21日 (火) 05:57 (UTC)
郭威の出自
[編集]こちらのページを見ると郭威は太守の息子となっており、卑賤の出という記述自体と矛盾しおり、何が正しいのかさっぱりです。--水野白楓 2005年11月10日 (木) 11:01 (UTC)
- 『新五代史』によると「郭威の父・郭簡は後晋の時に順州刺史であったが、劉仁恭によって殺される。郭威は孤児となり、18の時に募兵に応じ、一兵卒から成り上がった」と言うわけで、両方とも間違いという訳ではないですね。語弊があるような気もするので書き換えた方が良いような気もしますが。--らりた 2005年11月10日 (木) 12:07 (UTC)