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ノート:都市社会学

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古典の位置づけ

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「世界都市・グローバルシティ論」の節でウォーラーステインの説が古典とされていますが、いくらなんでも古典的と位置づけるのは早過ぎないですかね? まだ存命中ですし、そのような共通認識があるというのは聞いたことがないのですが、どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか?--M.M 2008年5月9日 (金) 13:03 (UTC)[返信]

M.Mさん、こんにちは。そうですね、ちょっと、勇み足な記述かもしれません。手元に都市社会学のテキスト(教科書)があれば、それに沿った記述に改めるのですが、ちょっと見あたらないので、記述を事実的なものに改めてみたいと思います。たとえば、「ウォーラーステインの世界システム論の影響下で、1980年代にジョン・フリードマンによって世界都市論が唱えられ、主に製造業の国際分業を視点とした都市形成論が展開された。1990年代以降、金融・サービス業の進展とともに、世界都市論にみられる普遍的・俯瞰的な空間編制論の限界が指摘されるようにもなり、サスキア・サッセンに代表されるグローバル・シティ論が展開されるようになっている」といった具合に(詳細は、「世界都市論」、「グローバル・シティ論」の記事を作成)。
問題は検証可能な出典ですが、さしあたり、町村敬志「世界都市からグローバルシティへ――『世界都市』東京の20年」(梶田孝道・宮島喬編『国際社会1 国際化する日本社会』東京大学出版会, 2000年)、サッセンのものでいえば、The Global City: New York, London, Tokyo, 2nd edition(Princeton University Press, 2001)の "Preface for the New Edition" あたりでどうでしょうか。--Clem 2008年5月31日 (土) 08:29 (UTC)[返信]