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ノート:里見義重

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鶴谷八幡宮に残る元亀3年(1572)12月20日付けの棟札銘に「源梅王丸」の名前が記されていることから、生年は少なくとも1572年以前にさかのぼることができると考えられます。  『新編房総戦国史』(千野原靖方著)では、里見義弘は「永禄十年(1567)の三船山合戦の勝利」から「父義尭の死ぬ天正二年(1574)六月」の間、正室足利晴氏の女とともに佐貫城ですごしていたため、この間に梅王丸と女子をもうけたと推定しています。  生年の再考をお願いします。

初版を書いたのは私ですが、千野原氏の同書は所持しているのですが、その記述には気づきませんでした。同氏の研究は里見氏研究では先端を行かれているお一人ですので修正に異論はありません。なお、本事典は明らかに問題があればいつでも修正されて構わないと思います。--水野白楓 2007年5月27日 (日) 13:53 (UTC)[返信]