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ノート:金剛峯寺

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壇上伽藍について

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壇上伽藍は高野山全体の根本道場なので、高野山のページに詳述されている状態が適切であると思うのですが、いかがでしょうか。--663h 2009年11月5日 (木) 16:07 (UTC)--663h 2009年11月6日 (金) 13:54 (UTC) --663h 2009年11月6日 (金) 13:58 (UTC)[返信]

ひとまず確認を。定義文(第三段落)をそのまま受け取れば、広義の金剛峯寺と現在の本記事で扱う範囲は一致してます。壇上伽藍を高野山に移すということは、今後の本記事は狭義の金剛峯寺のみを扱うということでしょうか。であるなら、壇上伽藍以外にも狭義の金剛峯寺に含まれない部分は高野山に移す、または独立させるのでなければ整合性が取れないことになります。それとも現在の定義文が誤りであるというご指摘でしょうか。私感としては地理記事の高野山と寺院記事の金剛峯寺という現在の役割分担は分かりやすくていいと思っていますが、とりあえず再編後の両記事の役割分担について見解を出して頂かないことには賛否の出しようもないです。--Arawodas 2009年11月6日 (金) 14:45 (UTC)[返信]
早速のコメントありがとうございます。今後の役割分担(?)につきましてはここで意見を出し合えばよいのであって、現時点で私の結論的な見解が必要ということにはならないでしょう。現在の定義部分には「「金剛峯寺」を中心に、高野山全体の歴史、信仰、文化財について触れる。」とあります。これで高野山の項目が存在するのですから高野山全体のことはそちらに書かれた状態が自然ではないのかと直感的に思いました。それに、広義の金剛峯寺でしたら高野山全体になるような気がしまして、一方で高野山の項目が存在しますから、当項目は狭義の金剛峯寺として存在することが合理的なような気がします。--663h 2009年11月6日 (金) 16:12 (UTC)[返信]
地理の役割は高野山以外にないので、他所に置いときます。--663h 2009年11月6日 (金) 16:20 (UTC)[返信]
ご説明ありがとうございます。もし壇上伽藍のみを移して他はそのままという趣旨でしたらちょっとまずいのではと思い、確認させて頂きました。ご容赦下さい。本記事の範囲を狭義の金剛峯寺に限るということでしたら、現在の役割分担との優劣はすぐには判断しかねますが、提案としては妥当だと思います。ただ、比叡山延暦寺高野山金剛峯寺でちょうど一対のような形になっているのが崩れるのに一抹のためらいを感じないでもありません。気の迷いの類ですけど。今の気持ちとしては、積極的に推進はしないが反対もしない、です。はっきりしなくてすみません。--Arawodas 2009年11月7日 (土) 02:21 (UTC)[返信]
壇上伽藍の移動につきましては、「高野山全体の聖地」としての壇上伽藍の移動でして、そういう意味では奥の院等も含めなければなりません。すみませんでした。
現在の項目内容では、読者は金剛峯寺=高野山と受け取るような気がします。歴史的にそういう一面もあったということなので切り捨てることもできないということなんでしょうね。現在のみの視点では、高野山は高野山真言宗の宗教都市(二大聖地は奥の院と壇上伽藍)で、金剛峯寺は高野山真言宗の総本山で二大聖地の管理者である、そのように私は認識しています。
比叡山は、聖地(根本中堂)が延暦寺を構成する伽藍の一つでありますし、宗教都市は山麓(坂本)にありますので、高野山とは事情が違うと思います。私の認識が間違っていたらご指摘お願いいたします。--663h 2009年11月7日 (土) 12:39 (UTC)[返信]

会話ページの方にご案内をいただきました。「金剛峯寺」は本来、高野山一山全体を表す総称です。「壇上伽藍」はその中心であり、現存する建物は後世のものですが、弘法大師が構想し創建した伽藍の後身であって、現在も「金剛峯寺」に属しています。よって、「金剛峯寺」の記事から「壇上伽藍」の記述を除去すべきではありません。--Urania 2009年11月10日 (火) 14:59 (UTC)[返信]

お忙しい中、コメントをくださいまして、誠に誠にありがとうございますm(_)m
さて、Uraniaさんのご見解は、金剛峯寺単独項目の観点からは、全く同意するところであります。しかしながら、一方で聖地として高野山という項目が存在いたします。どちらに壇上伽藍や奥之院を詳述することが適切であるのかということで、一方の項目から壇上伽藍や奥之院の内容を消し去るというケースを私は考えていません。
Arawodasさんから求められていた私の見解ですが、Uraniaさんのご見解を承って今漸く固まりつつあります。それは金剛峯寺の高野山への統合です。現状、両項目の整理はできていないように映ります。ですから統合し整理して重複箇所を省き、その後、その文章量等に応じて詳述するためのサブ項目として、金剛峯寺、奥之院や壇上伽藍を立項していくという形です。統合というプロセスを踏まずに、そのような形に近づけていってもよいと思います。--663h 2009年11月11日 (水) 16:22 (UTC)[返信]
(終了提案)本件については、「金剛峯寺」「高野山」の両記事にさほど深刻な問題があるわけでもなく、当面現状のままで全く差し支えないと思います。「金剛峯寺」は歴史・文化・宗教の項目、「高野山」は地理・地誌の項目と考えるのが自然でしょう。むろん、「金剛峯寺」と「高野山」は不可分のもので、両記事に多少重複する部分があっても、あまり神経質にならなくてもいいのではないでしょうか。壇上伽藍や奥之院については、将来的に加筆が進めば、「金剛峯寺」の子記事として分割してもよいかもしれませんが、現状は幸か不幸か、スタブレベルの記事で、分割するほどの分量はありません。観光ガイドのような記事ではなくて、信頼のおける資料を参照し、参考文献を明示したうえで、質量ともにもう少しレベルの高い記事にすることが先決です。--Urania 2009年11月12日 (木) 15:32 (UTC)[返信]

(インデント戻す)例えば、壇上伽藍について加筆するケースでは、高野山と金剛峯寺、どちらに加筆することが適切なのか迷うのではないでしょうか。私の場合は結局金剛峯寺の方に加筆しましたが、ある人は高野山に行うでしょうし、ある人は二度手間をかけて両方に行うのかもしれません。同時に、この状態を外国語板の方々は的確に理解して翻訳し、加筆していけるのだろうかという心配も生じてまいりました。 これ等が私の今回の提案の直接の動機であって、すなわち現在の記事内容そのものに深刻な問題を感じて提起されたものではございません。この提案の私の最終目的は枠組みを持った計画案の合意を得ることで、それは、将来の執筆者に対して負う責任のようなものを感じたためです。

ところで、「信頼のおける資料を明示し参照した質量ともに高いレベルの記事」というのは現実社会の論文・レポートでは当たり前のことですが、ウィキペディアの一つの項目にそれ程のエネルギーを注いでくださる方は稀でしょう。むしろ、分量の少ない観光ガイドのようなスタブレベルの項目であっても、その器が継続されれば専門家や参考文献を擁した人を含む多くの方々がそれに書き込んで立派な項目に成長する例は多数あり、こういったことが編集自由のウィキペディアの面白味であると私は感じています。そうして作成され成長した項目はより多くの人の目に触れることになるので、著作権侵害についてチェックされる機会が増えることを期待できます。もちろん、その理屈を今回の高野山、金剛峯寺、壇上伽藍および奥之院も含め一概に当て嵌めるつもりはございません。

さて終了提案についてですが、提起から一週間以上経って参加者が2名では、御提案を受け入れるしかございません。よって同意させていただくとともに、当議論を継続する意思の無いことを明確にしておきます(論者の負担が大きいことが判った為)。Arawodasさん、Uraniaさん、貴重な時間を割いて議論にご参加いただき、誠にありがとうございました。

追記)壇上伽藍のリダイレクトを金剛峯寺に設定するつもりです。高野山等の方が適切であるなら、変更していただいても異議を唱えません。--663h 2009年11月14日 (土) 16:36 (UTC)[返信]

世界遺産の登録範囲について

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世界遺産に登録されている金剛峯寺史跡ですが、金剛峯寺が所有する壇上伽藍や奥之院等はその登録範囲に含まれるのでしょうか。ご存知の方、ご教示いただければ幸いに思います。--663h 2009年11月11日 (水) 16:22 (UTC)[返信]

長期に渡りご回答がないようですが、文化庁の「国指定文化財等データベース」に、

  1. 金剛峯寺境内 [[1]]

「大門・根本大塔・西塔・金堂の独特な伽藍配置。金剛峯寺、奥院を中心に諸[[塔頭]たつちゅう]と周囲の山なみ。その歴史的宗教的景観を保護する。」 とありますので、壇上伽藍の内の根本大塔・西塔・金堂、奥院(文化庁はこの表記を用います)は全て史跡に含まれます。塔頭寺院や高野三山も含むようですね。--松平俊介会話2014年12月20日 (土) 22:10 (UTC)[返信]