ノート:金雲翹
改名提案
[編集]『トゥイ・キォウの物語』は2005年に出版された新訳のタイトル名ですが、日本語では「金雲翹」の名前で長く受容されてきたようです。また他言語からの重訳も複数あるのに対して、ベトナム語学者で『字喃字典』も出版している竹内与之助の翻訳タイトルも『金雲翹』です。というわけで、金雲翹に改名したほうがよろしいと思われます。--Clarin 2008年5月6日 (火) 21:17 (UTC)
作品の正式名称について
[編集]「正しくは金雲翹新伝という」とあり、「正式には "Đoạn Trường Tân Thanh" (斷腸新聲)」ともありますが、これでは正式名称がどちらなのかわかりません。
ベトナム語版 Wikipedia の "Truyện Kiều(キエウ伝)"の冒頭部は以下のようになっています。
「キエウ伝とは、大詩人阮攸の作品「斷腸新聲」の、広く用いられる呼称である。この作品により、阮攸は世界的に高名な文化人の列に加わった。「大南正編列傳」によれば、この作品は阮攸が使節として赴いた清朝から帰国の後に書かれたとされ、また言い伝えによると、1820年から1825年の間にファム・クイ・ティックが印板を彫らせて印刷させたとされる。この時の版はもはや現存しない。この作品はチューノムで書かれ、六八調の詩行3254行から成る。話の内容は中国の青心才人の作品「金雲翹傳」に依っている。ベトナムでは現在、異なった複数の版が伝わって残っている。現存する最古のチューノム版は嗣徳19年(1866年)に刷られた「柳文堂」版であり、これは近年ゲ・アン省で発見されたばかりである」
「正しくは金雲翹新伝という」の「金雲翹新伝」なる名称は、Wikipedia VN の記事では、種々の異なる版を紹介する欄に、書名として挙がっています。特に、嗣徳年間に印刷されたチューノムの版は、1872年から1879年までの5種類の版が列挙されていますが、すべてこの名です。しかし、このことから「正しくは金雲翹新伝という」と書くのは、いささか無理があると思います。これが作品の正式名称だという記述はなく、あくまで書名ですから。
Wikipedia に列挙されているクォック・グーの版の書名は、古い順に、 「金雲翹傳」(1875) 「金雲翹新傳」(1884-1885) 「金雲翹新傳」(1897) 「斷腸新聲」(1902) 「金雲翹新集」(1906) 「金雲翹廣集傳」(1914)*この漢字は適当です。自信ありません。 「金雲翹新傳」(1918) 「金雲翹新集」(1922) 「金雲翹」(1923) となっています。
以上から、次のように提案します。 グェン・ズーの作品の正式名称としては、「斷腸新聲」を挙げる。 元になった中国の作品名として「金雲翹傳」もしくは「金雲翹」を挙げる。 ベトナムにおける(古い)書名として「金雲翹新傳」「金雲翹新集」などを挙げる。 さらに必要であれば、現代ベトナムにおける一般的な呼称 "Truyện Kiều"(妥当な日本語訳としては「キエウ伝」)を挙げる。
ちなみに、数年前ハノイの書店で適当に買い求めたキエウ伝の本が3冊手元にありますが、うち2冊は "Truyện Kiều"、1冊は単に"Kiều"という書名です。
また、Wikipedia VN で、"Kim Vân Kiều"(金雲翹)という記事は元になった中国の作品についての記事です。 --Phong 2008年9月4日 (木) 20:06 (UTC)
編集しました
[編集]上記の方針に従い編集しました。また、作者名「阮攸」は、「グエン・ズー」に直しました。--Phong 2008年9月13日 (土) 08:11 (UTC)