コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:鈴木さえ子

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

ライブに関して

[編集]

--Modulea会話2018年1月12日 (金) 14:39 (UTC)[返信]

ディスコグラフィーに記述していない些細なバージョン違い

[編集]

コンピレーションへの参加

[編集]
  • The Theme From "A Summer Place" (1995年7月5日)
  • 「ケロロ軍曹」ケロロソング、全部入りであります! (2005年3月24日)
    • 鈴木さえ子 with TOMISIRO - Birthday Song [326 mix][注釈 3]

提供作品

[編集]
  • アクマくん魔法☆SWEET (1986年9月5日)
  • 皆川おさむとひばり児童合唱団 - ケロ猫のタンゴ (2008年1月23日)
    • ポポイ・ザ・ケロンマン (オリジナル・カラオケ)
  • 内藤大助 & 加藤夏希 - ケロロ・ジャポ~ン! (2009年3月4日)
    • 内藤大助 - ケロロ・ジャポ〜ン! 〜だいすけくんとうたおう〜
    • 加藤夏希 - ケロロ・ジャポ〜ン! 〜なつきちゃんとうたおう〜
    • 星のささやく物語 〜オリジナル・カラオケ〜
    • ケロロ・ジャポ〜ン! 〜オリジナル・カラオケ〜
  • 高田純次 & 松元環季 - メンドク星マーチ (2010年3月3日)
    • イオラナのうた -オリジナル・カラオケ-
  • 鴨女ジャージ部 - ジャージ部魂!/ジャージ部のうた-完全版- (2012年8月15日)
    • ジャージ部のうた -完全版- (オリジナル・カラオケ)
  • リョウときりん(佐藤利奈大亀あすか) - 笑顔になる (2015年2月25日)
    • ごはんの練習(without Kirin)
    • ごはんの練習(without Ryo)

--Modulea会話2018年1月12日 (金) 14:39 (UTC)[返信]

出典が無い、重要性が低いなどの理由で削除した情報

[編集]
  • (シネマ加入)の直前には、当バンドのプロデューサー・鈴木慶一が関わっていた佐藤奈々子のバックバンドにも誘いを受けていたようである。
  • ビートたけしのバックでドラムを叩く「美少年」(=鈴木さえ子)をテレビで観た泉谷しげるが、「自分のバンドに入れて女の子のファンを増やそう」とオファーを出した
    • 当初、泉谷しげるが鈴木さえ子を男と勘違いしたのも、鈴木さえ子に女性ファンが多かったのも事実ではあります。泉谷しげるの自伝「わが奔走」を買ってみましたが、この発言の出典は見当たりませんでした。どこかの雑誌での発言でしょうか。いずれにせよ、ヨイショの匂いが強すぎてWikipediaにはそぐわないとは思います。
  • (1983年)NHKが選ぶ「今年の女性3人」には大屋政子林真理子と並んで選出された。
  • (1984年)8-9月には東京・パルコ劇場で行われた大貫妙子のコンサート『カイエ』のサポートを務める。
  • (1989年)7月15日には、ポニーキャニオン所属のアーティストによる日比谷野外音楽堂でのイベント『Days of Thunderroad』にFAIRCHILDのサポートで出演、ドラムを叩いている。この模様はライブビデオとして後日発売された。
    • ライブサポートの項に簡易に記述。ライブビデオの商品名は、『野音の地響き』 品番:V38M1988(VHS) X38M1988(β)とミュージック・マガジン1989年11月号にあります。
  • 1990年、4-5月、高橋幸宏のツアー『Rehabilitation 90』にドラマーとして参加。「ライブでは1曲ソロコーナーがあり『Something In The Air』を歌う。」
    • 簡略化、後半出典不明。
  • 2003年、松尾清憲のライブにゲスト出演し「ソロ曲を数多く披露」
  • 2004年、松尾清憲のライブに「ソロコーナー」
  • 2006年、ジャック達のライブに松尾清憲と共にゲスト出演
  • 2007年に出演したCMの監督は市川準
  • (CM音楽)日本ヴィックスクレアラシル (1984年) - 音楽 「血を吸うカメラ」別アレンジ?

--Modulea会話2018年1月13日 (土) 11:29 (UTC)[返信]

CM音楽の不確定情報

[編集]
  • クロガネ学習デスク
    • 上記の出典:Dear Heart発行「科学と神秘」冊子(1984年)
  • ロート製薬 - メンソレータム サウンド・ロゴ (2012年)

--Modulea会話2017年12月23日 (土) 13:02 (UTC)[返信]

『ケロロ軍曹』の評価について

[編集]
  • 7年間28クールという放映期間は、2017年時点で歴代18位、今世紀のテレビアニメに限れば歴代3位だそうです。ちなみに今世紀に入ってから3000本以上のテレビアニメが制作・放映されたそうです。以上のデータより「長寿アニメ」という表現を来歴の項で使いました。『ケロロ軍曹』関連のCDは40枚以上リリースされました。Wikipedia内のケロロ軍曹 (アニメ)のページに発売されたアルバムが列挙されていますが、シングルCDに関してはまだまとめられていません。--Modulea会話2018年1月4日 (木) 13:13 (UTC)[返信]

スタジオミュージシャンの開始時期について

[編集]

鈴木さえ子がシネマに加入する以前からスタジオミュージシャンの仕事をしていた旨の記述がありますが、以下の出典よりシネマ解散後からと判断しました。堀川まゆみのアルバムのクレジットにも鈴木さえ子の名前は見当たりませんので「バックドラマー」「バッキングドラマー」とはライブサポートのことではないかと思います。

堀川まゆみのサポート

[編集]
  • ”初代クラリオンガール”堀川まゆみのバックドラマー等、珍しい女性ドラマーとして注目される。
    • シネマ特設サイト(ソニー・ミュージック)より
  • メデューサ解散後は、4代目クラリオンガール、堀川まゆみのアイドル歌手時代のバッキングドラマー等を務めた
    • 『I wish it could be Christmas everyday』(2007年5月28日発売、品番:BRIDGE-088)ライナーノーツより

シネマ解散後

[編集]
  • シネマっていうバンドを解散してライダーズオフィスやめてね。(中略)それで、一人でも職業としてお金をとるためには、やっぱりスタジオ・ワークやんなきゃならないでしょ。
    • スタジオボイス Vol.95 1983年10月号より
  • シネマは八一年に解散。(中略)それで、私はスタジオミュージシャンの仕事を始めるのね。車の免許とって、車を買って楽器をその車に積んで、自分でアポイントメントを取って仕事をするようになる。
    • 鈴木慶一「火の玉ボーイとコモンマン」より
  • (シネマは)81年に解散する。(中略)活動の拠点となる場所を失った彼女は、心機一転、スタジオミュージシャンとしてレコーディング/CM音楽制作/ライヴのバッキングなどに関わり始めたのであった。
    • 『I wish it could be Christmas everyday』(2007年5月28日発売、品番:BRIDGE-088)ライナーノーツより。

--Modulea会話2017年12月16日 (土) 11:54 (UTC)[返信]

メモ

[編集]

鈴木慶一の著書で慶一と対談やってて経歴詳しく語ってる。悪いけど今の版はリテイク。--219.99.99.36 2009年6月9日 (火) 14:35 (UTC)[返信]

注釈

[編集]
  1. ^ アルバムとはSEが異なるバージョン
  2. ^ アルバムとはSEが異なるバージョン
  3. ^ 「ケロロ軍曹」オリジナルサウンドケロック2に収録の「Birthday Song」の別ミックス。
  4. ^ バック・トラックは"Misty 50"と同じ。曲に被さるCM風ナレーションを省いたバージョン。