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ノート:鈴木光男/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

修正ありがとうございました。

Loasa様、修正ありがとうございました。こういう所が私のいけないところだと思います。何度見直しても「ゲームの理論」が頭に擦り込まれていて「ゲーム理論」と書いたつもりでも「ゲームの理論」と指が動いてしまい、見直しても「ゲームの理論」が「ゲーム理論」に読めてしまいます。御指摘ありがとうございました。--Earthboud1960会話2016年8月31日 (水) 20:08 (UTC)

Loasa様、毎々修正ありがとうございます。あまりのミスの多さに恥じ入っております。本当に申し訳ない限りです。--Earthboud1960会話2016年9月22日 (木) 23:48 (UTC)

助けてください。

鈴木光男について加筆修正中です。 写真をアップしたのですが、写真上部に[[ファイル: |225px|alt=]]というメッセージが出てしまいます。 どうやってなおしたら良いのか分かりません。どなたかご教授頂けませんでしょうか? 相変わらずの体たらくぶりで申し訳ありません。--Earthboud1960会話2016年9月20日 (火) 20:29 (UTC)

修正ありがとうございました。--Earthboud1960会話2016年9月21日 (水) 14:09 (UTC)

教授就任年

いろいろな文献に当たっているのですが、東京工業大学で助教授から教授になった年が分かりません。もしご存じのかた居られましたら加筆をお願いします。--Earthboud1960会話2016年9月25日 (日) 01:36 (UTC)

コメント鈴木光男先生に関する雑感(Wikipediaで言う独自研究ですがノートなのでご容赦ください。)です。今後これ程の時間をゲーム理論に割く時間は無いと思いますので、戯れ言におつきあいください。
短期集中して鈴木光男先生の著作を読みあさりました。「日本のゲーム理論の第一人者」であるのは間違いないのですが、自分を語らず先輩や同僚や門下生にページを割き、勲章のことも教授就任のこともどの文献からも発見出来ませんでした。
大学内での地位を利用すれば中村ナンバーでは無くて鈴木ナンバーとするチャンスが目の前にあったのに、門下生の育成に力を注ぐ姿は感動します。また、門下生の業績に多くのページを割いておられたお陰で、中村健二郎武藤滋夫の記事が書けました。
まあ、それだけなのですが何処かに書いておきたくてここに書いてしまいました。
最後に、鈴木, 光男『ゲーム理論と共に生きて』(初)ミネルヴァ書房〈「自伝」my life my world〉、2013年3月20日。ISBN 978-4-623-06502-8 
の327頁に
最近のことだが、横浜の地下鉄に乗っていると、私の隣の席に座っている高校生が『最も美しい数学 ゲーム理論』を読んでいるのを見てびっくりした。恐る恐る「その本はゲーム理論の本のようですが、面白いですか」と聞いたところ、「面白いです」という返事が返ってきてますます驚き、「誰に勧められたのですか」と聞くと、「先生です」ということなので、「いくつくらいの先生ですか」聞いたら「五十近いです」ということであった。
とあります。この高校生がミクロ経済学会話)様だとドラマになるなぁ...と勝手に思った次第です。
ここまで書いて、まさに雑感・独自研究と自分でも認めておりますので、不愉快と感じられましたら削除頂きたいです。--Earthboud1960会話2016年9月25日 (日) 20:00 (UTC)

著作権侵害の恐れについて

Earthboud1960さんが大幅に加筆されている現在の版は著作権侵害の恐れがあると私は判断しました。Wikipedia:井戸端/subj/著作権侵害の恐れのある箇所の報告・議論の仕方についてで先行議論が始まってしまいましたが、リンク先は著作権侵害か否かについて議論する場所ではないためにこちらに場所を移します。最新版ではなく大幅加筆がなされた最初の版を元に議論させてください(最新版はスタイルマニュアルに沿って他者より表現が微妙に書き換えられているため)。なお、私の手元にある出典物は『ゲーム理論と共に生きて』(鈴木2013)のみなので他の書籍についてはチェックしきれていません。

まず完全に一致する箇所です。文字数や創作性について簡単にご意見を伺いたいです。

  • 冒頭「長く理解を〜研究者。」「多くの偏見〜研究者を輩出した。」の2文は句読点を除けば出典と同一です。(句読点除き83文字)
  • 東京工業大学節「日本が高度工業社会になり〜なったという」は同一(68文字)
  • 東京工業大学節「工学の中に〜「社会の工学化」という」は同一(89文字)

100文字に満たない文ですが文字数や創作性について皆様はどうお考えでしょうか?何となく怪しいところに目星を付けて調べた程度なので他にもまだまだありそうです。

以下同一では無いので侵害かどうか判断が難しい箇所です。この程度なら他にもたくさんあります。プリンストン大学留学節。

  • 【記事】「プリンストン大学では〜スペクトラム分析の研究をした」
  • 【出典】『プリンストンでは、私はゲーム理論というよりは統計学の勉強をし、数学科のトゥッキー教授の統計学の講義をきき、畠中先生と一緒に経済時系列のスペクトラム分析の研究をしていた。』--『ゲーム理論と共に生きて』(鈴木光男著、2013年)ミネルヴァ書房刊、p.186より引用。

もしこれも侵害ということになれば、記事中の多くの箇所は執筆者が書籍の内容を噛み砕いて書いたというよりはこのように原典の表現を少し変えたり切り貼りしたりという感じで全面的に構成されているため、ちょっとどうにもならなくなりそうです。個人的にはこのくらいだったら…という気もしますが、いかがでしょうか。

なお、Earthboud1960さんは「引用においては引用元に忠実に引用すべきものであり『丸写し』にならざるを得ないと判断しております。逆に引用部分に加筆修正を行うことで、引用元に忠実であることが担保されなくなる可能性があると私は判断しております」と述べていますが、どこからどこまでが引用であるか他者にはさっぱりわからないという点が何より問題であり、さらにその引用と主張されている箇所が最新版では他者によって原文より微妙に変更されてしまっているので同一性が保持されていなくなっており引用の要件を満たさなくなっています。 もし上記箇所が著作権侵害ということになれば加筆者が最初に大幅加筆された「2016年9月20日 (火) 20:25」の版以降は全て削除しなくてはならないのでは。--むよむよ会話2016年10月6日 (木) 00:19 (UTC)

返信 どこから何処までが引用かさっぱり分からないという点については早急に改善します。ただし、部分部分ごとに創作性が必要かどうかという点については意見を留保します。また、文字数についても引用部分は著作全体から見れば一部に過ぎず、必要性があるゆえ引用しているので、引用部分ごとに著作権云々というのは少し違うような気がします。「ゲームの理論とともに生きて」を丸々ではなくても80%とかの高い割合で引用し引用元を表記せずに「鈴木光男伝記」といった書籍を発行することが著作権違反なのでは無いかと思いますが、これについても正式な回答では無く意見留保とさせてください。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 00:34 (UTC)
返信 早速のお返事ありがとうございます。どこから何処までが引用かさっぱり分からないという点については早急に改善します」とのことですがやるのであればsandbox等を使って頂き、本記事にはもう手を入れない方がよろしいかと思われます。
また、上記で指摘させていただいた3つの同一箇所については全て引用のつもりであったということでしょうか?最後の例についてはどうでしょうか?
私もそこまで著作権について詳しいわけでは無いので、このような議論を経てお互いに知識・理解を深めていければいいですね。しかし、控えめに言ってもEarthboud1960さんの著作権法の現在の理解・解釈はちょっと厳しいものを感じます…。--むよむよ会話2016年10月6日 (木) 00:46 (UTC)
返信 御指摘ありがとうございます。御指摘の箇所は全て引用です。本記事だけでなく、他の記事もそうですが、私の記事は、おおよそ正しい表現をすれば『修飾語と接続詞以外は引用です。』ただ引用部分が絡み合っているだけです。著作権についてはそれなりに勉強もしましたし、弁護士にも相談しております。私のノートに記載したことは「私の独自研究」ではなくて2人の弁護士の見解です。
あえて付け加えると『Wikipediaで慣例的に行われている引用部分をそのまま引用せず、独自表現と称してとして引用部分を改変し記事とする事はのほうが、日本の法律的には問題になる可能性が高い。』と指摘を受けております。あくまで2人の弁護士からの意見で有り条文が有るわけでは無いので、拡大解釈をしないようにしてください。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 01:17 (UTC)
なるほど、完全一致部分については引用だったのですね。しつこくてすみませんが「プリンストン大学では〜スペクトラム分析の研究をした」部分も引用という認識でよろしいでしょうか?--むよむよ会話2016年10月6日 (木) 01:24 (UTC)
返信 回答する前に「本記事にもう手を入れないほうが良い」とはどうしてでしょうか?引用部分を明確にする義務が私にはあると感じておりますし、引用部分を正確に明示することに私は反対ではありません。
「プリンストン大学では〜スペクトラム分析の研究をした」の兼についての回答は、その部分も引用です。出典が抜けている可能性はあるので確認させていただく時間を下さい。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 01:26 (UTC)
コメントむよむよ様、追伸です。
弁護士云々の部分は、相応の相談料を支払い相談を受けているクライアントに対する回答ですので、相談者で有る私に有利な発言である可能性もあります。もちろん「一般論では」とか「係争になれば」といった言葉はありましたが、私に有利な発言である可能性は高いと思われます。}むよむよ様の立ち位置で別の弁護士に相談されると別の回答が帰ってくる可能性はあると思います。そのため拡大解釈をしないでください。と記載しました。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 01:44 (UTC)
返信 その部分も引用のおつもりであればEarthboud1960さんが原文を改変されているため、ご自分でおっしゃられていた「逆に引用部分に加筆修正を行うことで、引用元に忠実であることが担保されなくなる可能性があると私は判断しております」と全く辻褄が合わなくなってしまいます。
「手を入れない方がいい」というのは、もし著作権侵害だとコミュニティが認定して版指定削除になった場合に削除対象がさらに広がってしまうからです。sandobox等を使って〜と申し上げてしまいましたが同じ理由でこちらもやらない方がいいかと思われます。とりあえずしばらくはここでコミュニティの他の皆さんからの意見とつき合わせて議論する事に集中しませんか。そもそもコミュニティは著作権侵害の恐れ無し、という結論を出すかもしれませんし。先の事はどうなるかわからないので今はここで議論することに集中しましょう。数日経てば他の方も意見を寄せてくださるはずです。よろしくお願い致します。
(追伸を受けて)弁護士さんの見解自体は正しいです。しかしその見解、並びに著作権法をEarthboud1960さんが全く理解されていないようです。--むよむよ会話2016年10月6日 (木) 01:58 (UTC)

むよむよ様、インデント戻します。『聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥』なので教えてください。全く理解出来ていないとは具体的な事例をあげて説明していただけると幸いです。自説が間違っていないと考えているので今後も間違いが続きコミュニティーに迷惑をかけるのは避けたいと思いますので、よろしくお願いします。せめて参考文献でもご教授いただけると幸いです。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 02:09 (UTC)

それではまずこの質問にお答えいただくのがとっかかりとしては手っ取り早いですし、今から議論に参加される方にも問題点がわかりやすいかと思われます。Earthboud1960さんが鈴木光男で加筆された文章の、約何パーセントが引用で構成されていますか?ざっとでいいのでお答えください。議論とは関係が無いですが、私の名前を書く時は普通に「むよむよ」と書いてください。「むよむよ」と毎回書かないでください。他の場所でもどなたかに指摘されていましたよね。--むよむよ会話2016年10月6日 (木) 02:19 (UTC)
90%近くは引用です。引用範囲を明記していなかったのは私の落ち度です。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 02:22 (UTC)
正確にはほぼ100%が引用だと思います。先天的に身についていた知識ではなく後天的に身につけた知識の羅列なので100%と言っても過言で無いと思います。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 02:39 (UTC)
「プリンストン大学では〜スペクトラム分析の研究をした」の部分は一部改変をしていました。確かに御指摘のとおり私の発言と記事に矛盾があったことを認めます。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 02:39 (UTC)
ありがとうございます。90%が引用で構成された記事では、引用の要件に関する「主従関係」を満たさなくなると思いませんか。また「先天的に身についていた知識ではなく後天的に身につけた知識の羅列なので100%と言っても過言で無い」は何をおっしゃっているのか全く理解できません。後天的(この場合は正しい意味での使い方ではなくて記事を書く際に調べて知ったという意味で使われているのだと解釈します)に身に付いた知識だと引用になるのでしょうか?--むよむよ会話2016年10月6日 (木) 02:56 (UTC)

コメント 井戸端から参りました。「一致部分が著作権侵害か否か」で考えますが、「もし仮に確実に著作権侵害であった場合に発生するさまざまな弊害」を考えて、現時点で書籍と一致している・執筆時点では一致していたが後に他編集者に依り原文から改変された部分を抹消除去の上で、削除依頼にて過去版の引用転記が開始された版より抹消除去が為された最新版直前までの版指定削除に依りいったん読者の目に絶対に触れないようにする処置を行っておいた方が安全かと思います。あと、「原典の全体の割合から考えればほんの少しの部分だから著作権侵害に当たらない」というのはおかしな話で、そもそも著作権有無の争点は割合ではなく創作性ですから(文化庁 著作権制度の概要参照)、執筆者が執筆者自身の経験、知識に基いて創作した文章は全体の割合からして1%だろうが0.01%であろうが著作権を有する文章であると考えた方が正しいと思います(割合で判断されるなら長編小説書く人いなくなっちゃいますよ日本から)

当方は原著を所持しておりませんので一致部分についての判断は全く出来かねますが、Earthboud1960さんの過ちはむよむよさんご指摘の通り「引用範囲を明記していないこと」「記事中のどの部分が引用なのか(読者にも他編集者にも)一見して判別出来ないこと」で、これによって他編集者も「その部分が引用であること(引用の原則に従い、一切改変してはならないこと)」に気づけませんので、ウィキペディアの多数が文章を改変する編集原則に従って「皆が善意で」原典からどんどんと改変されてしまう状況を招いておりますことが問題点でしょう。

ですので、「原典から文章を引用として引き写して記事内容を構成する」ことを完全に辞めて、「記述内容の事実確認用文献として原典を使用する」書き方(ウィキペディア記事で通常行われる参考文献としての原典使用方法)にした方が良いと思います。前者の方法は「記事内容を他編集者がいつでも改変可能であるウィキペディアの原則」に沿いませんし、記事人物の解説文章の多くを引用に依る引き写しが占めており、他編集者が記述内容をいちいち原典確認し一致部分を確認の上でなければ変更不能という記事はウィキペディアでは異質すぎます。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年10月6日 (木) 03:55 (UTC)

返信 これは弁護士からの受け売りなのですが、「最初から何かを知っているわけでは無いから、あるタイミングであることを学んで得た以上、厳密には引用を必要とする。」と言われたことにもとづいています。
また鈴木光男に関して言えば大学時代に「ゲーム理論」は読んでいますので、その時点で鈴木光男=経済学者=ゲーム理論の知識は持ち合わせています。しかし、閲覧者の方にとってすれば鈴木光男=経済学者=ゲーム理論という知識が無い可能性もあり、「まじめに、引用を適用すると鈴木光男の出典についても引用が必要だが、そんなことをしていたら記事を書くことも不可能になる。」とも弁護士から言われました。それで私としては納得した次第です。
主従関係については「論文集や回顧録的文献に基づき、伝記のスタイルに書き換える行為で主従関係は成立する。引用する文献の量だけで判断するべきではなく、内容形式体裁を吟味する必要がある。」とも言われております。
ただ、御指摘のとおりスタイルが合致しないのであればWikipediaのルールに従います。対応方法は版指定削除でよろしいでしょうか?--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 04:12 (UTC)
版指定削除は駄目ですね。途中に他の方が加筆なさっておられます。引用部を正確に引用部として表示すべきでしょうか?記事を書いた以上責任は全うしたいと考えております。どのように対応すれば良いのかお教えください。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 04:24 (UTC)
出先からなので手短に。
版指定削除は問題のある複数の版をまとめて削除出来ますので間の他者編集を考慮する必要はありません。他者編集版を巻き込んで削除しなければらならないのはウィキペディアの著作権侵害案件に対する取り決めですから、ここで弁護士云々は脇に置いて構いません。著作権侵害が為された痕跡の残る版については私は判断できませんので、実際に原典をお持ちの方々が範囲特定して下さることでしょう。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年10月6日 (木) 07:40 (UTC)
あ。すみません。恐らくEarthboud1960さんの勘違いが分かったように思います。現在、記事本文中に原典からの引用部分が地の他解説文章との明確な区別明瞭性がないことで、実際に原典を持っていない第三者から見ると「ウィキペディアの匿名編集者が問題となっている該当文章部分を創作したかのように見えていること」が問題なんです。原典を執筆為された著作権者本人がご覧になったら抜粋転記で部分盗作されているようにしか見えないのではないでしょうか。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年10月6日 (木) 07:55 (UTC)
ごめんなさい。意味が良く分かりません。私の書いた部分全てを版指定削除すれば良いという解釈でよろしいでしょうか?時間があるときで結構ですので、「この版からこの版までを削除依頼」といった風に説明して頂けると助かります。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 09:30 (UTC)
「最初の加筆から原典抜粋転記があった」と仮定するなら、2016年9月20日 (火) 20:25 (UTC) の版から2016年10月5日 (水) 02:12 (UTC) の最新版までの27版が対象になりますね。ごく簡単に問題のない版まで巻き戻すなら2016年8月31日 (水) 10:52 (UTC) の版まで8利用者27版の編集をなかったことにして抹消除去、履歴からも見えなくすることになります。実際に版指定削除が為された記事の履歴はこんな感じになります。
しかしこのような対処ですとあまりにも内容が空虚になりすぎてもったいないのと、Earthboud1960さんの今後のウィキペディア上での編集活動に著しい支障が出るでしょうから他編集者さんたちから再三要望されている通り、「どの部分が剽窃なのか」を明らかにして、その部分のみ抹消除去するなり問題のない状態に書き換えるなどの対処を行った上で削除依頼提出に至った方が良いと思います。
どうしても文中の各所に引き写しを行わなければ記事そのものが成立しない、というお考えを改められないのであれば、Earthboud1960さんが大量加筆に至る直前に出典をつけ加筆した鈴木光男#主な業績末文のように「鈴木は自著『○○』の中で『ほげほげ』と述べている[出典]」の形にすれば最低限の引用の要件は満たせると思います。が。ご自身で既にお分かりかと思いますが、現記事内の全引用部分にそれをやると内容が人物解説として成立し得ないでしょう。ですので以前申し上げた通り、原典からの部分引き写しを細かく繰り返して記事内容を構成することを諦め、原典から判る事実のみを拾って自身の言葉でまとめる書き方(Wikipedia:記事を執筆する)に立ち戻った方が良い、という話をしています。--Nami-ja(凪海) 会話 / 履歴 2016年10月6日 (木) 16:17 (UTC)
コメント ( 2016年10月6日 (木) 04:24 (UTC)のEarthboud1960さんの発言に対するコメントなので、この高さにぶら下げます)「ある文献の情報を元にして文章を書くこと」と、「ある文献の表現を使って文章を構築すること」は、全く別個の行為です。著作権法第2条第1号に、「著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」とあります(法文より引用、強調は引用者)。思想や感情「そのもの」には著作権が及びませんし、江差追分事件では、「思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において既存の言語の著作物と同一性を有するにすぎない著作物を創作する行為は、既存の著作物の翻案に当たらない」と判示されています。
ウィキペディアで出典を明記しつつ、文章表現を自分で構築して執筆を行う行為も、たしかに広義では引用(「他人の著作を自己の作品のなかで紹介する行為、先人の芸術作品やその要素を自己の作品に取り入れること」:引用より引用)に属するかもしれません(ただし、ウィキペディア上でことさらに「引用」と呼ぶことは通常ありません)。出典の明記(=広義の「引用」)をしなかった場合、著作権法上の問題となるわけではなく、剽窃として別個な問題が生じます。おそらくはその弁護士さんがいいたかったことも、そういうことではないかと思います。--Jkr2255 2016年10月6日 (木) 10:19 (UTC)
返信 コメントありがとうございます。結局、むよむよさんが指摘しておられる「2016年9月20日 (火) 20:25」の版以降は全て削除すればよいのでしょうか?それで解決するのであれば早速削除依頼をかけたいです。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 10:32 (UTC)
コメント 手元に原典がありませんので、評価のしようがありません。ただ、後始末はきっちり行ってください。上でむよむよさんが行われているように、どの文がどの文献のどことどの程度一致するか、リストアップしてみてください。おそらくは、ここがEarthboud1960さんの信用を回復する、最後のチャンスだと思います。--Jkr2255 2016年10月6日 (木) 10:45 (UTC)

インデント戻します。リストアップの時間として最低2週間頂けませんでしょうか?図書館から借りてきた書籍も多いのと作業を正確に行いたいためです。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 18:55 (UTC)

国会図書館で当該書籍を確認してきました。国会図書館蔵書はカバーが外されているので、カバー裏だけは確認することが出来ませんでしたが、閲覧可能な本体部分においてはむよむよさんのご指摘とおりの転載であることを確認しました。Earthboud1960さんはこれを引用の要件を満たしたものだといわれていますが、主従関係や引用部分の明確化など引用の要件を完全に満たしたものであるとは思えません。したがって問題部分を書き直し、版指定削除依頼に出させていただきました。--ぱたごん会話2016年10月8日 (土) 12:49 (UTC)
下の節にも書きましたが、導入部における問題個所「長く理解を……排出している」の元文章は、カバー裏だけでなく出版社のサイト
においても掲載されています。後ほど削除依頼ページでも補足申し上げます。
また、むよむよ様は「プリンストン大学」節においても著作権侵害が疑われる個所を提示されています。こちらは著作性が薄い記述であるため、単体では問題なさそうですが、他の節にも少し気になる部分が見受けられます。著作性は薄いけれども長文の箇所、短いけれども著作性の高い個所が複数あれば、現時点の版も問題かもしれません。--Assemblykinematics会話2016年10月9日 (日) 02:23 (UTC)

提案 管理者の方により、版指定削除作業が終了したようです。著作権侵害が疑われる個所はもうなさそうですのでTemplate:告知を撤去しようと思いますが、差し支えないでしょうか?--Assemblykinematics会話2016年11月10日 (木) 13:44 (UTC)

報告 異論なく一週間が過ぎましたので、Template:告知を撤去させていただきました。取り急ぎ、ご報告申し上げます……m(_ _)m。--Assemblykinematics会話2016年11月18日 (金) 18:58 (UTC)

導入部の出典について

井戸端での著作権についての議論の中でこちらの記事の導入部が引用されているのを見かけて、一言だけコメントしに来ました。

著作権もさることながら、自伝の「表紙カバー裏」の記述って、出典としてどうなんでしょう?「表紙カバー裏」って、要するに本の宣伝文句が書いてあるところだし、しかも、その本は自伝と来ている。信頼性は疑わしいし、中立性など期待できるわけもない。

生年月日とか出身地などのデータの情報源としてなら自伝を使うのもありかもしれません。でも、少しでも「評価」に関わることの出典としては、どう考えても自伝は使えないと私は思います。--Dwy会話2016年10月6日 (木) 11:14 (UTC)

回答は留保させてください。--Earthboud1960会話2016年10月6日 (木) 18:56 (UTC)
報告 問題になっていた記述は出版社のサイトの内容説明でも確認でき、著作権侵害が問題視されている状況でもありましたので、導入部の記述は修正させていただきました。なお、導入部のスタイルマニュアルには記事全体のまとめを書く指針がありましたので、人物の概略が分かるように配慮しています。また、
という文献には「著者は日本におけるゲーム理論研究の第一人者」、「鈴木研究室の……現在世界的に活躍している研究者が何人も……教育に果たされた貢献……」という記述がありましたので、その辺りの評価についても言及しています。書評を書かれた方のプロフィールを見る限り鈴木門下ではなく、対象と無関係な方のようですので、中立的な観点についても大丈夫かと思います。--Assemblykinematics会話) 2016年10月8日 (土) 08:34 (UTC) 誤字の訂正、研究者育成について引用を追加。--Assemblykinematics会話2016年10月9日 (日) 02:23 (UTC)

「日本という僻地で……水をやって……」の出典について

結果的にはあまり問題はありませんが、せっかく精査しましたし、誤解があるといけないので一応ご報告申し上げます。

まず2007-10-26T14:59:39における編集において、

A - 「私は長い間、日本という土地で……毎日水をやって……幸いそれが成長して……になりました」

という記述が加筆されていますが、これは1999年出版の『ゲーム理論の世界』のあとがき(280頁、第1版第1刷)に記載されていたものです。この際「長年の研究を綴った自著に」という但し書きがあり、記事中に「『ゲーム理論の世界』(勁草書房, 1999年)」と記載されているため、当時はあまり問題ありませんでした。しかし、2007年に『社会を展望するゲーム理論』、2013年に『ゲーム理論と共に生きて』が出版され、出典は不明瞭になっていきました。

この記述とほとんど同じもの(土地→僻地、ですます調をである調に、全体的に句点が多い)は『ゲーム理論と共に生きて』の320頁(初版第1刷)にもあったため、2016-08-22T11:28:02(UTC)における編集で、「日本という土地」が「日本という僻地」に修正され、出典として『ゲーム理論と共に生きて』が付けられました。しかし、この

B - 「私は長い間、日本という僻地で……毎日水をやって……幸いそれが成長して……になりました」

については、出典と同一の文章になっていなかったため、2016-10-10T15:24:46(UTC)の編集において、

C - 「日本という僻地で……毎日、水をやって……幸いそれが成長して……になった」

という出典と同一の記述に修正しています。

厳密にはAもBもWP:引用要件に抵触すると思いましたが、WP:引用要件#編集による修正が可能なケースと考え、Wikipedia:削除依頼/鈴木光男では指摘していません。--Assemblykinematics会話2016年10月10日 (月) 22:37 (UTC)