ノート:鍋島直朝
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直朝は五男か九男か
[編集]「五男」とする文献と「九男」とする文献があるようですが、Wikipediaでは出典がないまま「九男」になっています。因みに『佐賀市史』第二巻15頁では「勝茂の五男で正茂の養子となっていた直朝」となっています(佐賀市史【近世】一 佐賀藩の成立 (PDF) で確認できます)--Qemitt(会話) 2024年8月24日 (土) 18:24 (UTC)
- 出典を提示して「疑問点」を除去しました[1]。五男説についてはQemittさんのご判断で加筆するかあるいはしないかなさってください。--Lmkjgmo(会話) 2024年8月24日 (土) 20:59 (UTC)
- 国史大辞典の「鍋島直朝」の項目でも「九男」としていますが、そこにあげられている参考文献の一つ『鹿島市史』中には「勝茂の第五子である」(p. 27)とあります。項目の執筆者藤野保氏は以上をふまえた上で「九男」としていると思われます。--Lmkjgmo(会話) 2024年8月24日 (土) 21:36 (UTC)
- コメント 素人考えでは、勝茂の男子のうち、早世したり、身分の低い側室の所生の男子を除いたのが九男と五男の差分なのではないかと思います。検索した限りではそのことに直接的に触れた資料は発見できませんでしたが。--taisai429(会話) 2024年8月24日 (土) 22:24 (UTC)
- 返信 Lmkjgmoさん、『国史大辞典』や『鹿島市史』など複数の文献を詳細に調べていただきありがとうございます。双方の出典の文献をつけて注釈を置いてみました。taisai429さん、井戸端でのご教示ありがとうございます。徴古館の初代佐賀藩主 鍋島勝茂公の13人の子供たちと、2代藩主になった孫 (PDF) の「七男六女」のところに注があって「成人した子女のみ」となっているので「成人した子女のみ」で数えると「七男六女」になるようです。--Qemitt(会話) 2024年8月25日 (日) 05:02 (UTC)