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ノート:鐐姫

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改名提案

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本項目徳川鐐子鐐姫へ改名を提案します。理由は徳川鐐子にリンクしている酒井忠発徳川斉匡がともに「鐐姫」をリンク文としていいることと、1808年生まれであり当時の慣習的に鐐姫の方が使われていた割合が高いだろうことからです。徳川家慶の十二女に同名の鐐姫がいますが、夭折した人物であり、立項する可能性は低いと思われます。--豆もち会話2015年1月17日 (土) 02:35 (UTC)[返信]

コメント 言いたいことは良くわかるし、共感もするのですが、ウィキペディアとしてはあくまで文献に準拠すべきです。他の記事で「鐐姫」が使われていることは改名の根拠には弱いですし、当時の慣習についても出典が無いと採用しにくいでしょう。特に出典として『日本女性人名事典』が挙げられていてそこの表記を採用しているのでしょうから、それに対抗するだけの出典が欲しいところです。Google Scholarでもどちらもヒットしないのですね。CiNiiだと「鐐姫」が1件、「徳川鐐子」は0件ですが、件数が少なすぎます。--アルビレオ会話2015年1月17日 (土) 04:30 (UTC)[返信]

調べてみたところ、『日本女性人名辞典』には確かに「徳川鐐子(とくがわりょうこ)」が項目名となっています。ただ、『日本女性人名辞典』の項目自体が参考文献に挙げている『新編庄内人名事典』と『徳川諸家系譜』の二つを見たところ、どちらも「鐐子」とはなっていませんでした。『新編庄内人名事典』では「徳川鐐姫(とくがわりょうひめ)」が項目名となっています。『徳川諸家系譜』(3巻の田安家)では単に「鐐」(読み仮名なし)。『日本女性人名辞典』偏に際してなぜ「鐐子」になったかは分かりませんが、「子」の付く鐐子を探してみたところ。『平成新修旧華族家系大成』(酒井家)が「鐐子」となっていました。ちなみに『三百藩藩主人名事典』(1巻の庄内藩)では、「鐐姫」。元資料の成立の古い『徳川諸家系譜』が単に「鐐」ですから、江戸時代には「子」を付けなかったが、明治時代初めに「子」を付けて諱にしたのかと推測します。
つらつら書きましたが、「鐐姫」としている出典は『新編庄内人名事典』、準ずるものとして単に「鐐」としている『徳川諸家系譜』。
この項目自体が短い文章でなんともですが、明治維新後には特に事跡はないと思われますので(あったらすいません)、鐐姫へ改名を提案します。--豆もち会話2015年1月24日 (土) 08:20 (UTC)[返信]

調査ご苦労様です。ここで出てきた表記はどれを記事名にしても良いと思います。是非記事に追記してください。改名については反対しません。以下裏付けのない私論ですが、生誕時の名前は『徳川諸家系譜』の「鐐」であって「鐐姫」は敬称付き表記、明治以降の戸籍登録名が「鐐子」だと思います。ただ、この人物について戸籍名を優先とか敬称は付けるなとか言う必要はなく、資料に出ている「鐐姫」を記事にして問題ないと思います。--アルビレオ会話2015年1月24日 (土) 09:22 (UTC)[返信]
チェック その後異論ないようですので、改名しました。--豆もち会話2015年2月14日 (土) 08:48 (UTC)[返信]