ノート:長歌/削除
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過去ログより
ノート
[編集]初版 が [1]よりの転載です。削除が適当と思います。Suisui 13:30 2004年3月30日 (UTC)
この程度は、詩歌について少し知っている人ならば、参考文献なしに書けることで、すでに数年前から何度も私は書いてきました。
短歌をかじったことのある人ならば「長歌とは何か」と訊かれれば、同じように答えるでしょう。
ご指摘いただいたサイトを見てきましたが、初めて見るサイトです。
歌論についての資料をいくつか読んでみてください。 そこまでしなくても、一般書店で売っている短歌の本にも同じような説明があるはずだし、「長歌」でサイト検索すれば同様の説明はいくつもでてくるでしょう。 これが転載というのならば、何も書けなくなくなります。 私がここで書いておきたいと思ったのは、 「中世歌学では、五七五七七の短歌のこと。古今和歌集の巻十九の最初に、長歌を「短歌」としてある」 という部分についてです。これについては短歌に詳細を書いておきました。 ご指摘のサイトにおいて少しでもこれに触れていたというのならばともかく、一般常識的なことしか書いてありませんでした。 百楽天
昨年8月21日に私自身が書いた書いたことを転載します。これをもとに短歌にある関連部分を書いた訳です。
自分で書いたものでも、ほとんど同じ内容であれば転載は不可ですか?
ふりかえって、「短歌」は中世歌学では長歌のことを指しました。 『古今和歌集』の「巻第十九雑躰」の最初に〔短歌の部〕というのがあって、そこに紹介されているのは、今のわれわれの常識では、長歌と呼ぶべきものです。誤記ではない。歌の詞の所には、紀貫之が、 「古歌奉る時、添へて奉れる長歌」 と書いている。また躬恒、忠岑の歌の所にも同じように 「添へて奉りける長歌」 と記されているのです。 『久安百首』(康治年中/1142~3)でも、長歌のことを短歌と書いています。尤もこれが『古今和歌集』にならったものであることは、百首歌を詠進した俊成卿(旧名顕広)が式子内親王に奉ったとされる『古来風躰抄』に述べられています。また、短歌を朗詠するときには、声を長く伸ばして歌うけれど、長歌は「詠ずるに長くは詠ぜられず短くいひ切りいひ切り詠ずるなり」「よりて詠の声につきて長歌といひ短歌とも申すなるべし。いかにも歌は詠の声によるべきものなるが故なり」と、あるんですね。
上記は詩歌に関連する人が読者であったためと文字数制限から、たとえば「百首歌」の説明などはとくにしていません。 まずは『古今和歌集』をお読みいただきたいと思います。 百楽天
「反歌として長歌あるいは数首の短歌を添えることが多い」と,私は書いています。
[2]よりの転載です、と断言され「削除が適当と思います」とされたSuisui さん。
意味がおわかりでしょうか。あなたが転載元であると断言したサイトにも大字林にも、長歌の反歌として短歌のことだけしか書いていませんよ。広辞苑ではまれに旋頭歌があると書いてあったと思う。しかし、長歌の反歌だってある。
五音七音による定型ができる前、古事記・日本書紀記載の古代歌謡から万葉集、古今和歌集くらいまで読んで、
「辞書に書いてあることと違う」というのならば話はわかりますが、辞書と同程度の長さで常識的なことを書き、ふつう辞書に書かれていないことまで添えているのですよ。それを、見たこともないサイトからの転載というのはいかがなものでしょうか。
利用者:百楽天