ノート:長谷川五郎

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この「長谷川四郎」さんは、シベリア抑留された函館出身の小説家の長谷川四郎さんとは別人なのですか?

--ねこぱんだ 2008年2月6日 (水) 07:24 (UTC)[返信]


「五郎」はペンネームです(父親のお名前から考えたものと思われます)。この場合、本名を書くべきでしょうか、あるいは、このまま伏せておくべきでしょうか。オセロの商標の記録を見れば、本名が載っているはずですが。

genius2016jp 2016年1月30日

オセロの創始者[編集]

    オセロ創始者  オセロを考案した長谷川五郎氏が,2016年6月20日に死去したと,新聞で報道されていた。その記事によると、戦後間もない頃に、囲碁を使ってオセロの原型とも言えるゲームを考案,1973年に商品化したという。ウィキベディアで詳細を読んだ。   しかし私は,小学校2年の時母に連れられて龍野の近くの大市という駅のそばのKという実業家の知人の家に行き,今のオセロと同じ(外国製であったと記憶している)ゲームを土産に戴いたのを覚えている。もっとも。駒はセルロイドのような物で,片面が赤,片面が白であった。。現在のオセロ(黒と白)と色が違うだけで,8×8の盤面もルールも全く同じであった。ただ名称はオセロではなく,確かリバーシーだったと思う.。私が.津山へ転居にしてからも,友達と度々使って遊んだ記憶がある。  1945年の水害の時,水に浸かって駒が足らなくなり,結局捨ててしまったが,小学校2年の頃と言えば,1938年頃であるから,長谷川五郎氏が1973年に発表するよりずっと前に,このゲームはあったことになり,既に商品化されていたのである。長谷川氏の発想が高校時代であったとしても,それは私が現物を持ったよりもかなり後である。

 私は長谷川氏が過去にあったこのゲームを知りながら,自分の考案だと喧伝したとは思わない。微分学は,ニュートンとライプニッツという二人の数学者が,同時期にそれぞれ別個に考案したものだと言われている。こういう偶然はあり得る。長谷川氏がオセロを発表したとき,以前のリバーシーの考案者が名乗り出なかったために,長谷川氏が創始者となったのだと思う。
 私のように戦前にこのゲームを知っていた者にとっても,すでに他界しているであろうリバーシーの考案者にしても,誰が創始者であるかはどうでも良いことである。したがって敢えて訂正を求めようとは思わない。歴史とはそうしたもので,事実を知っている人間が居なくなれば,不明の部分はどうなっても仕方がないのである。
 以上は私の随筆の一部です。オセロについて,他の方の意見も聞いて頂ければと思います。

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