ノート:阿含経
意見表明の記述
[編集]- >>このニカーヤや阿含経は、ヨーロッパの研究者によって注目され、世界中に広がった。そのため、大乗経典より西欧に対する影響は大きく、新しい宗教の考え方の基盤となっていると思われる。しかし、厳密な翻訳作業を経ておらず、誤った認識を示しているものも多いので、注意を必要とする。
- >ココの記述は、中国の天台大師との関連があります。すなはち、天台大師チギはその当時中国に流入した全ての仏典をノンフィクションとしてしまい、仏典の価値を分類したわけです。それを五時八経の教相判釈と呼びますが、それによって日本でも、法華経を中心とした経典の価値判断をしてきたわけで、それに基づいた大乗仏教の隆盛を見たわけですが、現在、その天台大師が前提とした全ての仏典をノンフィクションとして見る見方が、ヨーロッパの文献学の方から異議を唱えられた。つまり阿含経の一部と、阿含経以外の全ての仏典は創作仏典であるということが判明したわけである。つまり誤った認識を示しているのは、東洋、とりわけ中国と日本の仏典研究界で在ったわけですので、注意を要すると書いたこの文章はかなり不適切である。偽作経典を見ぬけなかった東洋の誤りを正してくれた意義について記述すべきであろう。
- 以上のやりとりは本文の記述内容についての評論評価の意見であり、原則として公平を保つべき本文で論じられるようなものではありませんので、こちらのノートのほうに転載させて戴きました。また後の評論についても後期の教典について「偽物」と切り捨てるような、歴史学からの視点に絞られた意見でありますので(仏教典は常に弟子や継承者によって受け継がれ、発展解釈されることによって変遷してゆくという、弟子が師の教えを発展させるという宗教学からの視点が考慮されず、「偽物」=あたかも悪意ある経緯によって誕生したかのような語彙=と切り捨てる判断は宗教学の面から考察するに極端過ぎるのであります)、この点からもあまり公平とはいえず、その面からもこちらノートの記載のほうが宜しいかと思いました。--makotozushi 2004年8月18日
- いずれにせよ、この記述では最新の仏教学の成果も入っていないので、改めて書き下ろしたいと思います。--booze 2004年8月19日 (木) 11:29 (UTC)
阿含経と無関係の記述、意見表明、信憑性に疑問のある文章
[編集]大乗経典をあげつらって云々する記述は余分に思われます。個人な意見が表れ過ぎ。阿含経の成立過程や、阿含経典にみえる釈迦の教えを、学説にしたがい、客観的に紹介することだけに徹した方がよいとおもいます。--Dalaibaatur 2005年9月1日 (木) 12:07 (UTC)
- 中国では、5世紀から7世紀にかけての隋唐仏教時代に、西域から経典の成立年代とは無関係にランダムで流入した経典全てを、文言を全て釈迦の教説である事を前提とし、その内容から分類して整理する教相判釈が流行し、その分類の結果、どの経典を最高の物とするかで地論宗や法相宗などの学派が確立したのであるが、中でも、天台宗開祖の天台大師智顗は、法華経を最高とする五時八教の分類法を確立した。これによって日本でも、法華経を最高とする経典の価値判断が進み、その判断を基礎として日本の大乗仏教が隆盛したわけであるが、これらの判断の前提となる全ての経典を釈尊の直説として見る捉え方は、江戸時代の富永仲基による加上説や、ヨーロッパの科学的文献学によって明確に否定された。
- (コメント)阿含経典とは直接の関係がなく、不要と思われる。--Dalaibaatur 2005年9月3日 (土) 00:29 (UTC)
- つまり阿含経の一部と、阿含経以外の所謂大乗仏典の全ては、後世に弟子らの手によって成立した創作仏典であるという事が立証されたのであり、現在では、阿含経以降の教典に登場する釈迦の言動は、全て無かった物であるというのが学会の定説である。
- (コメント)阿含経を仏説として特別視する投稿者の主張を百科事典の記事として行うのは問題。この経典に対し、文献学がどのように評価しているかについて紹介するにあたっては、投稿者が勝手にアレンジした「立証」「定説」を述べるのではなく、この経典の分析に研究成果をあげた主要な文献学者による代表的な見解を整理、分類して体系的に提示することによって行うべきである。また、宗教学の観点からは、実在する信仰がどのようであるかを観察することも、ひとつの研究テーマである。上座部仏教圏、および大乗仏教圏の諸国の伝統教団とその信者は、阿含経典のみならず、それぞれが擁する経典の全てを仏説とみなしており、これらの諸国の教団による阿含経典受容の諸相も、阿含経典に対する評価を読者に紹介提示するうえで、一つの項目としてあつかうべきであると考える。このような立場にとっては、「創作仏典」「釈迦の言動は全て無かった」という類いのレッテル貼りは、百科事典の文面として不適切と感じる。--Dalaibaatur 2005年9月3日 (土) 16:50 (UTC)
- もっとも、インド=アーリア語族優越思想の影響下に発展を遂げてきた近代ヨーロッパ文献学もまた、そのサンスクリット語偏重主義に対し、近年厳しい批判が浴びせられるに至っている。
- (コメント)「インド=アーリア語族優越思想」→正体不明。この思想の代表的提唱者5名、邦訳のある著作5点の紹介を求める。「サンスクリット語偏重主義」→こんな「主義」も正体不明。この「主義」の代表的提唱者5名、邦訳のある著作5点の紹介を求める。「サンスクリット語偏重主義に対し、近年厳しい批判」を「浴びせ」ている代表者とその著作の紹介を求める。--Dalaibaatur 2005年9月3日 (土) 00:29 (UTC)
- ただし、釈尊自身の説法はサンスクリット語でもパーリ語でもなく、当時のマガダ語の方言で行われている。
- (コメント)「釈尊がマガダ語で説法したこと」を立証した研究者と、その著作の紹介を求める。--Dalaibaatur 2005年9月3日 (土) 00:29 (UTC)
- いかなるサンスクリット語経典及び、パーリ語経典と雖も、全て後世の弟子たちの手によるものであって、(中略)現存する阿含経典もまた釈尊の直説を一字一句正確に伝えるものとは到底言えず
- (コメント)釈尊には著作はない。また、仏典のテキストは、釈尊の没後、諸派が口伝でつたえてきた教えを持ち寄ってあつめた「結集」という手法によることは仏教徒の常識であり、阿含経の記事の中でことさら力説する必用があることがらとは思えない。--Dalaibaatur 2005年9月3日 (土) 00:29 (UTC)
- 反論をいただけなかったので、とりあえず上記の各文章を本文からははずします。引き続き、コメントをお待ちしています。--Dalaibaatur 2005年9月9日 (金) 15:40 (UTC)
ベトナム人の仏教
[編集]『現存するものは、スリランカ、ミャンマー(旧ビルマ)、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムに伝えられているパーリ語聖典』とありますが、ベトナム人の仏教は北伝だったと思います。おそらくチャンパの事かな?と思いますが表記に追加しておいた方が良いと思います。--121.111.219.209 2009年1月28日 (水) 02:48 (UTC)
研究史の追加
[編集]ノートでも大乗非仏説との関係やら評価やらで、記述についての統一見解が出来上がっていないことが理由で、本文の編集が滞っているようなので、ほとんど水野弘元『パーリ語文法』の付録「パーリ語、パーリ仏教の研究の歴史」(pp.190-220)の雑な要約に過ぎないのですが、研究史を長文ながら追加させて頂きました。私としては、Wikipediaでよく見られる大乗非仏説関連(あるいは新宗教関連か)のコンフリクトを「くだらない」と思っている一人であって、こういう研究史を置いておく事に意味があると思っています。大体、原始仏教とか大乗非仏説とか釈迦の直説とか本来の仏教とかに興味のある人は、「阿含経」の項目に必ず来るでしょうから。記述が必ずしも阿含だけにとどまらないものになってしまっているので、削って小さくされることは適切であれば一向に構いませんが、それよりも、研究史の長ったらしさに恥じないような本文の充実に繋がることを願います。まごまご 2010年12月4日 (土) 06:56 (UTC)
出典不明の加筆はお止めください
[編集]今年三月から四月にかけて、青海義行さんが当記事に加筆なさいました(差分→ [1])が、この加筆分は出典不明です。青海さんはpdfファイル1件を「参考サイト」と称して本文内に掲示なさっています([2])けれども、このpdfファイルは内容面で青海さんの加筆分の出典たりえません。適切な出典のない加筆は本来してはいけませんので、青海さんの上記加筆分は、今日から七日以内に適切な出典が付せられなければ「差し戻し」をさせていただきます。※出典を付加する際は、出典の示し方の書式をお守りください。--Leonidjp(会話) 2016年4月10日 (日) 03:56 (UTC)
上記の差し戻し提案から七日たち、反対意見はありませんでしたので、当該箇所を差し戻し致しました。--Leonidjp(会話) 2016年4月17日 (日) 04:15 (UTC)