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ノート:陸軍三長官

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「陸軍三長官の合意が覆された場合」について

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近衛文麿首相が板垣征四郎を指名した例、昭和天皇畑俊六または梅津美治郎を指名した例など、後継陸相について陸軍三長官の合意が覆された場合
編集にはこのような記述がありましたが、これは「陸軍三長官の合意が覆された場合」なのでしょうか? 出典はあるのでしょうか? 陸軍三長官合意による後継陸相人事案が出る前に陸軍外勢力が先に後継陸相人事案を提示し、その後で陸軍三長官が追認したのではないでしょうか? もし、「陸軍三長官の合意が覆された」のなら、元々の後継陸相人事案は誰だったのでしょうか? 記事「板垣征四郎」や記事「畑俊六」を見ても、元々の後継人事案はわかりませんでした。

もし、「陸軍三長官合意による後継陸相人事案が出る前に陸軍外勢力が先に後継陸相人事案を提示し、その後で陸軍三長官が追認した」であれば、「後継陸相について陸軍三長官の合意が覆された」には該当しないので、記述を変更します。--TempuraDON会話2014年6月30日 (月) 15:13 (UTC)[返信]

TempuraDONさん、こんにちは。取り敢えず話題の2ケースについて出典を確認して付与してみようと思います。--Yasumi会話2014年7月6日 (日) 08:15 (UTC)[返信]
もし板垣征四郎や畑俊六の例が、「陸軍三長官の合意が覆された場合」に該当するのであれば、出典だけでなく「元々の後継陸相人事案」について明記をお願いします。--TempuraDON会話2014年7月6日 (日) 08:47 (UTC)[返信]
確認した部分について修正と出典を付けてみました。ご指摘の内、畑陸相の場合は合意後に覆された例(再合意した例)でしたが、板垣陸相の場合は合意が覆された例ではありませんでした。後者の場合はそもそも杉山陸相については概ね陸軍サイドでは交代の時期ではなかった状態から、近衛首相の希望で工作が行われ、最終的に板垣に交代したケース(三長官の追認)。
前者のケースでは当初の三長官会議で多田に決定するまでには「東条案」、「西尾案」、「磯谷案」、「多田案」が上がった後に「多田」に決定、その後で天皇の干渉を受けて「畑」に再合意。後者のケースでは、近衛の発意である「板垣案」に宮中や閑院宮が動かされ、参謀本部も更迭案を支持、陸軍省は抵抗していて三長官会議でも現職の杉山陸相が「古荘案」(調整段階で「西尾案」・「板垣案」も)を出し、最終的に「板垣」で決定(不承不承で合意させられた形)。そのような経緯のようです。出典も、論文類の整理が悪くて、手の届く所からのものですので、懸念があればTempuraDONさん再度でもご確認をお願いします。--Yasumi会話2014年7月6日 (日) 09:15 (UTC)[返信]
ありがとうございます。上述のことは日本陸軍の歴史に詳しい人にとっては常識なのかもしれませんが、Yasumiさんのおかげでわかりやすくなりました。--TempuraDON会話2014年7月6日 (日) 09:38 (UTC)[返信]
どうも。よろしくお願いします。--Yasumi会話2014年7月6日 (日) 11:24 (UTC)[返信]