ノート:隠れキリシタン
表現について
[編集]「日本的な俗信と化した」・「カトリックに復帰できず」という表現は不適当と思いますが、いかがでしょうか。Penpen 2007年6月8日 (金) 03:23 (UTC)
- それは私の文面ですね。何が問題であるからどうしよう、という議論には勿論参加させて頂きますので、具体的な御提案をよろしくお願いします。LR 2007年6月8日 (金) 06:42 (UTC)
「信仰理解が大きく変化し、もはやキリスト教の原形をとどめないきわめて日本的な俗信と化した為、カトリックに復帰できずせず今なお独自の信仰様式を継承している者達が存在する。」ではどうでしょうか。無味乾燥ともいえますが、この程度でよいのではないでしょうか。Penpen 2007年6月9日 (土) 08:39 (UTC)
事実誤認について
[編集]「…隠れキリシタンの神話では、アダムとイヴが禁断の果実を食べた後…」という記述がありますが、参照文献に含まれる事実誤認と思われます。『天地始之事』というキリシタン書は『日本思想大系』25に収められており、この383頁に拠れば、ゑわ・あだんが「じゆすへるを拝み」それを後悔したところ、寛大なでうすに赦されていますが、その後、まさんの実を食べたことは赦されていません。よって、次のように修正したいと思います。 「…隠れキリシタンの神話では、アダムとイヴが堕天使ルシフェル(じゆすへる)を拝した後神に赦しを請うと、神はこれを聞き届けてしまう。…」--じじい50 2010年4月2日 (金) 12:38 (UTC)
題材とした作品
[編集]私は中身は知らないのですが、単に一人が末裔ということだけでは題材とした作品と言えないと思います。もし、それが物語にかかわっているのなら、もう少し詳しく書いた方がいいと思います。--219.40.151.3 2018年12月23日 (日) 13:55 (UTC)
- はい。この欄には、隠れキリシタンを主たるテーマにした作品があるべきだと思います。[1]でいかがでしょうか。 --2001:240:2415:3E08:819B:EF1F:B957:59BB 2018年12月24日 (月) 01:45 (UTC)
節見出しが不適切では?
[編集]本記事には「かくれキリシタン」と「カクレキリシタン」という節がありますが、なぜ表記が違うのかについて充分な説明がないので、何を言いたいのかほとんどわかりません。要説明テンプレートを貼っておきましたが、全体的に用語の説明を含めた構成の見直しが必要ではないかと思います。--さえぼー(会話) 2022年4月27日 (水) 04:07 (UTC)
疑問点
[編集]「隠れキリシタン#潜伏キリシタン」の節に、以下の下線部のコメントアウト箇所があります。
- 〈転記ここから〉潜伏する必要がなくなった現在でもその信仰を続けている信者は自身で「古キリシタン」「旧キリシタン」などと称するとされる
- しかし、「カクレキリシタン」という呼び名に学術的な根拠や歴史的な整合性はなく、あくまでもカトリックを絶対的な正としてとらえ、キリシタン信仰を劣ったものと捉える宮崎[誰?]個人の主張であり、今後の検証が必要である。
<!--出典のない記述をコメントアウト-->〈ここまで転記〉
改版の過程で、宮崎による典拠が失われたのでしょうか? それとも当初より執筆者名のみで、典拠情報がなかった/誤りであった可能性をかんじます。
いずれ、コメントアウト時の批評と合わせて詳細のわかる方にご説明願えると幸いです。
--Omotecho(会話) 2022年6月8日 (水) 02:10 (UTC) 内部リンクの修正。 / --Omotecho(会話) 2022年6月8日 (水) 02:08 (UTC)
- 古い版に宮崎賢太郎『カクレキリシタン』21頁、ISBN 4931493408とあります。いずれにしても、無出典の批評でただの独自研究なので、改めてコメントアウトではなく除去しました。--ネイ(会話) 2023年4月7日 (金) 02:51 (UTC)