ノート:青の洞門
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--Wakan3(会話) 2021年6月19日 (土) 03:22 (UTC)「断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろう」としたと書かれてますが、実際は違います。当時ですでに安全な回り道がありました。山越えの道もすでにあり、そこに修験道関係の妙見堂、帯岩の行場道もありました。
ここに「競秀峰探勝道 崖っプチ探検コース」のパンフレット図があります。 (競秀峰探勝道 崖っプチ探検コース)
キチンと書かれた文献はありませんが、現地調査したところ、交易の道ではなく、行場道とみた方が正しそうです。 さらにもう一つ、洞門を作るきっかけになったのが荒瀬井路の工事です。中津藩の総力を挙げた用水路工事で、このトンネル工法がそのまま青の洞門にも適用されています。ただ、荒瀬井路のことは Wikipedia に項目がありません。 問題は、これをどうまとめるかですね。