ノート:高専柔道
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昭和4年の全国高専柔道大会は、決勝戦で六高と松山高が引き分けて両校とも優勝じゃなかったかなあ。--Jazzy 2008年7月1日 (火) 17:07 (UTC)
六高と松山高校が引き分けたとすると中部戦の決勝戦ですかね。決勝大会には六高が出場していたと思います。正確なところを今度図書館で調べてみますが、もしご存知でしたら中部戦のところを「六高○ 松山高校両校優勝」とでも修正しては如何でしょうか。--Tom1967 2008年7月2日 (水) 21:42 (UTC)
- ありがとうございます。週刊朝日編『青春風土記 旧制高校物語 (1)』251頁に「昭和四年、松高は京大主催の全国高専大会ではじめて優勝旗を手にしたが、単独優勝ではなかった。富山高、四高、三高と相ついで撃破した松高は、決勝戦で宿敵六高と顔を合わせる。戦勢は一進一退、最後は大将同士の決戦になる。松高の小林又三(昭6・京大経)は一時間半もたたかい抜き、ついに引き分け。規定により両校ともに優勝ということになった。」という記述がありました。富山高、四高、三高という校名が出ているので中部戦のことだと思います。うろ覚えでお騒がせしました。もし他の資料で詳細がわかりましたら、加筆修正いただければありがたいです。--Jazzy 2008年7月2日 (水) 22:24 (UTC)
- 昭和4年を「六高○ 松山高両校中部戦優勝」としました。--Jazzy 2008年7月3日 (木) 09:09 (UTC)