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ノート:高島俊男

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この方ずっと独身なのでしょうか?連載は無茶苦茶大変そうだけど自由気ままでいいなあ。

>日本人がわざわざ漢字を使用する事自体が不自然で、現に不都合が生じていると主張した それは確かにその通りの主張をされているのですが、それがこの本の主意と取れるような本稿はいかがなものでしょうか。それほどの不都合を抱えているにもかかわらず、日本語それ自体が漢字と一蓮托生になってしまっているという現状とどのように向き合うべきか、というのがこの本における主な主張と理解したのですが。

要旨を短くまとめるのが非常に難しい本だとは思いますね。JIS批判のあたりは何か勘違いしてるんじゃないかと思うような記述もあるし。--211.135.49.119 2006年1月16日 (月) 12:58 (UTC)[返信]


>頼山陽の漢文調の(つまり漢字しか使わない)日本語文

これ、「強引」を通り越して「嘘」ですね。一言で言って。 頼山陽の「日本外史」は清朝時代の中国でも出版されてましたし。(この事実は吉川幸次郎も紹介しているし、近年では武田雅哉著「『鬼子 (グイヅ)』たちの肖像 : 中国人が描いた日本人」(中公新書)でも紹介されています)。 「日本人が漢文で書く」ことの是非を検討するのは良いけれど、嘘までついて自説を主張するというのでは、高島氏の主張全般の信憑性が揺らぐと言って良いと思いますよ。Philippe-Alexandre de Rosenbourg 2007年1月27日 (土) 17:24 (UTC)Philippe-Alexandre de Rosenbourg[返信]

「漢字と日本人」を読めば分かりますが、「頼山陽の文が漢文化された日本語文」と主張したのは徳富蘇峰です。高島氏は前掲書の中でその蘇峰の主張に賛同しているわけです。現在の本文の文章では誤解を招くおそれがあります。--211.10.173.216 2007年3月18日 (日) 01:35 (UTC)[返信]

「漢字と日本人」のくだり、本の要約ですらなく、主観的なエッセイのような内容。さらには吉川幸次郎の長文の引用など百科事典にふさわしくないと判断しました。こういうのはブログでやってください。--山本庸一 2007年6月28日 (木) 13:36 (UTC)[返信]

web草思の連載「新おことばですが」は休載されているようですね。--ワーケン 2007年10月19日 (金) 09:14 (UTC)[返信]

>近年、眼病を患い、執筆活動は「口述筆記」に頼るようになった。

「座右の名文」は口述筆記ですが、「目のがぐあいが一番わるい」2003年に作業が開始されています。そのほかの執筆も 全て口述筆記なのでしょうか。その可能性もありますし、相当部分を頼っていることもあるでしょう。 実際最近の文藝春秋への寄稿などはどうなんでしょうかね。もしご自身で執筆されている部分があるのなら「口述筆記にも頼る」 とするのはどうでしょうか。事実関係は掴んでいませんが。氏の回復の期待を込めて一言。