ノート:高梁市立図書館
この「高梁市立図書館」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
---|---|---|---|
1. | 2017年7月11日 | 良質な記事の選考 | 不通過 |
2004年合併までの図書館名
[編集]「高梁市立図書館は高梁市立高梁中央図書館に改称し」とありますが、高梁市立高梁中央図書館に改称される前は「高梁市図書館」だったのではありませんか。国立国会図書館インターネット資料収集保存事業(Warp)が2004年4月1日に保存した高梁市図書館設置条例のアーカイブ[1]で「高梁市図書館」となっています。インターネットアーカイブによる図書検索システムのページのアーカイブでも最も古い2001年4月5日付け[2]から2004年8月3日付け[3]まで「高梁市図書館」とあります。昭和29年に「高梁市立図書館」となったのが間違いないのでしたら、いずれかの時点で「高梁市図書館」に改称されているのではないでしょうか。--Whatsfb(会話) 2017年7月26日 (水) 02:33 (UTC)
- 旧・高梁市の図書館名は昭和29年の市制施行の当初から「高梁市図書館」だったと判断してそのように編集しました。『増補版 高梁市史 下巻』324頁には「二十九年五月一日高梁市の成立とともに高梁市図書館となり」とありました。また同頁の写真のキャプションも「写真82 高梁市図書館(向町)」でした(向町なので昭和45年以降ですが)。『岡山県教育史・続編』549頁の表でも「高梁市図書館」でした(なお岡山市、玉野市、玉島市、笠岡市にも「立」が記されておらず、「岡山市立図書館は、平成28年で100周年を迎えます!」の図書館沿革史によると岡山市は昭和30年当時実際に「岡山市図書館」でしたので出典通りに修正しました。残り3市がどうだったかは分からなかったので「市立」と書き換えられたままにしてあります)。『岡山県教育史(昭和31年~昭和50年)』629頁の「表53 公立図書館一覧」でも「高梁市図書館」でした(ただし630頁で移動図書館、631頁で新聞の分担保存についていずれも本文中に「高梁市立図書館」とありましたが、同じ本の中で表記が揺れていること、他に当時「高梁市立図書館」であったことを示す資料がないことから、間違いだと思います。また629頁の表に「条例制定年月日」が記されており、旧・高梁市での制定が岡山県立とくらべて早かったという本記事の記述の特筆性に疑問が生じましたので、ともかくも読者が判断できるようにと県立よりも制定の早かった他市町を追記しました)。「高梁市立図書館」は合併後の総称だとして、本記事の全体用テンプレートで前身が「高梁町立図書館」となっているのを合併前の両図書館に修正しました。--Whatsfb(会話) 2017年9月12日 (火) 10:16 (UTC)
旧高梁市での条例制定時期の評価について
[編集]「同年7月22日には図書館条例を制定しているが、これは岡山県立図書館(1957年制定)などよりも早い制定だった。」という元々あった記述について「同年7月22日には図書館条例を制定している。」で文を打ち切り、私が行った追記も含めて以降の記述を削除することを提案します。出典になっている『岡山県教育史(昭和51年~平成7年)』(以下「平成7年版」)683頁には旧高梁市での条例制定が県立などより早かったという主旨の文章はありません。当該頁は前述した『岡山県教育史(昭和31年~昭和50年)』(以下「昭和50年版」)と同じく条例制定年月日の項目のある表になっていますが、昭和50年版と比べて条例制定年月日が更新されている例が複数あります。例えば岡山市立図書館について昭和50年版では「27.11.29」だったのが平成7年版では岡山市立中央図書館として「昭和58年3月22日」に変わっています。現在の条例の冒頭に「岡山市立図書館条例(昭和27年市条例第57号)の全部を改正する。」とあり、確かに昭和27年に制定され、昭和58年に全部を改正されたことが確認できます。従って平成7年版の表に記載された条例制定年月日は自治体で最初に条例が制定された日付とは限らず、この表だけを見て制定が早かったように思えたとしても実際に早かったのかどうかは分かりませんし、さきに追記しました通り昭和50年版の時点でもう旧高梁市が特に早かったとも思えませんから、制定の事実のみを残して評価部分を削除してはどうかと思います。以上です。--Whatsfb(会話) 2017年9月20日 (水) 17:08 (UTC)
- 『岡山県立図書館60年史』67頁に昭和23年3月1日付けで「岡山県立図書館条例を公布施行(岡山県条例第10号)」とありました。したがいまして旧・高梁市の条例が早い制定だったとする記述は岡山県立図書館に対しても誤りでした。上記提案から三週間、ご意見もないようですので、提案通り修正します。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
藩校有終館
[編集]藩校有終館が開校したのは延享年間(1744年-1747年)ではなく寛政年間(1789年-1801年)です。出典『高梁市史』は1746年(延享3年)にできた学問所を「学校」であるとして諸々主張していますがそのままWikipediaに事実として引き写してよいものでしょうか。最初の約50年間の記録がないこと、藩校になった当時の藩主は必ずしも教育に熱心ではなかったこと、その後廃校も検討されたこと、1839年(天保10年)の二度目の火災後に仮建築のままだったことは疑問を持つに十分ですし、藩主勝静の代になって建て直され、再三にわたって文武両道を命じられたりと、有終館もまた後期に入って本格化した藩校のように読み取れます。そもそも本記事は高梁市立図書館の記事ですから藩校有終館の開校時期の評価にまで踏み込む必要があるのかも疑問です。事実のみ記述してはどうかと思います。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 藩主の記事で学問所と藩校に触れていましたので内部リンクしつつ、事実のみの記述としました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
表「明治・大正から戦前の高梁市域に存在した図書館」
[編集]開館
[編集]大正期の年号から西暦への変換がずれていますので修正します。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
閉館
[編集]概ね出典『岡山県図書館一覧 明治・大正・昭和前期編』が参照している岡山県統計年報に最後に載ったとしている年「以降」としているようですが、高梁中学校有終図書館(開館について別途)と巨瀬青年図書館について「以降」がないのは何か別の出典がありますでしょうか。また成羽町済生会図書館(館名について別途)の「戦争末期」は図書館の閉館ではなく、成羽町済世会が他の事業に吸収され消滅した時期ではないでしょうか。図書館の運営も吸収されたかもしれませんし、『成羽町史 通史編』に成羽町済世会の図書館が併設されたとある(613頁-614頁)済世会保育園(見出しのみ「保育所」)は昭和21年4月に済世援護会保育園になったとありますが(702頁)、岡山県統計年報の昭和24年には「成羽町済世援護会図書館」という記載があります。図書館が保育園と同じく改称されたとまで断言できる記述は見つけられませんが、その可能性も考えられるのではないでしょうか。そもそも全体を通じてそのほとんどが岡山県統計年報に最後に載った年でしかないのでしたら、特に記す必要があるのでしょうか。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 閉館をコメントアウトしました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
形態
[編集]順正文庫が「不明」となっていますが出典では「公立」です。また川上郡教育会図書館が「教育会立」となっていますが出典が参照している岡山県統計年報では一貫して「私立」で、一時期は館名にも「私立」と入っています。「不明」及び「教育会立」とされた根拠は何でしょうか。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 順正文庫を「公立」、川上郡教育会図書館を「私立」としました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
成羽町済生会図書館
[編集]館名について疑問があります。出典では「済生会」ですが、出典が参照している岡山県統計年報では昭和13年が「済世会」、14年が「済生会」と揺れています。また出典が要約している『岡山県大百科事典』での表記は実際には「成羽町済世会」です。要約では端折られていますが成羽町済世会を組織した松野智照は岡山県済世顧問とあり、「岡山県済世顧問制度」の項目へと導かれています。『成羽町史 通史編』でも「済世会」です。岡山県について「済生会」を調べると病院のほかに一部の町村史誌が社会事業についても「済生会」としているようですが、成羽町については「済世会」なのではないでしょうか。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 「成羽町済世会図書館」とし、表の出典である『岡山県図書館一覧 明治・大正・昭和前期編』では「成羽町済生会」としていることを挙げながら、岡山県統計年報には両方あること、『岡山県大百科事典』『成羽町史 通史編』では成羽町済世会であることを注記しました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
高梁中学校有終図書館
[編集]開館(創設)の年について疑問があります。表「明治・大正から戦前の高梁市域に存在した図書館」の出典『岡山県図書館一覧 明治・大正・昭和前期編』は1895年(明治28年)を(有終図書館ではなく)「高梁中学校の設立年」と指摘しています。本文の出典『増補版 高梁市史 下巻』は社会教育のくだりでは『岡山県教育史』(下巻)を引いて明治28年としていますが、旧制高梁中学校の箇所(256頁-266頁)では明治28年はやはり高梁中学校の開校の年としています。開校当初の校舎配置図には図書館・図書室の類いは描かれていません。学校創立と同時に成立した職員・生徒で組織する有終会に図書部の活動があった旨が記されていますが、具体的な活動内容は書かれていません。明治36年から大正7年まで校長だった柳井道民の時代に建てられた社育館(大正6年に光風館と改称)が図書室ほかとして利用されたとあります。そして有終図書館は『岡山県図書館一覧 明治・大正・昭和前期編』の指摘通り、創立30周年記念事業として大正14年に建設され、さらに大正15年6月から一般に公開されたと書かれています。つまり大正14年より前に有終図書館があったとは考えられず、明治28年から一般の入館・貸出を許していた記述もありません。高梁中学校を前身のひとつとする岡山県立高梁高等学校関係の記述でも有終図書館ができたのは大正14年です。
- 所蔵品展岡山県立高梁高等学校
- 同窓会東京支部だより (PDF) 岡山県立高梁高等学校 同窓会 東京支部
一方で高梁中学校の設立年が確かに1895年(明治28年)であることも岡山県立高梁高等学校のウェブサイトにあります。
- 高梁高校について岡山県立高梁高等学校
以上、『岡山県図書館一覧 明治・大正・昭和前期編』の明治28年は学校の設立年という指摘は妥当と思えますが、表・本文ともにその指摘を棄却され『岡山県教育史 下巻』に起因する明治28年を採用された理由はどのようなものでしょうか。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 開館を1925年とし、『岡山県教育史 下巻』の明治28年、『岡山県図書館一覧 明治・大正・昭和前期編』の指摘、『増補版 高梁市史 下巻』の社会教育と高梁中学校の記述について注記しました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
中津井図書館
[編集]中津井村は高梁市ではなく、北房町を経て真庭市になっています。
- 市町村名の変遷について (PDF) 岡山県ホームページ(市町村課)
出典のうち『岡山県図書館一覧 明治・大正・昭和前期編』で「現高梁市」となっていますが、間違いでしょう。また同書が参照している岡山県統計年報や本文での記述の出典である『岡山県教育史 下巻』で(御慶典記念)中津井図書館は確かに上房郡中津井村なので、高梁市になった他のどこかの町村の図書館と取り違えているのでもないでしょう。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 表の出典では中津井図書館を含めていることを注記しつつ、表と本文からは削除しました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
田井図書館
[編集]館名について出典の『岡山県教育史 下巻』から表記を無断で変更していることについて疑問があります。同書での記載は「田中図書館」です。本記事では表「明治・大正から戦前の高梁市域に存在した図書館」でも「田井図書館」を記載していますが、表の出典である『岡山県図書館一覧 明治・大正・昭和前期編』が「田井図書館」の初出としている『岡山県統計年報 昭和6年』でも「田中図書館」です。その後の岡山県統計年報は設立年月をそのままに「田井図書館」となっていますのでいろいろと想像はできますが、表記を変えるなら説明を求めたいですし、それ以前に表彰ならまだしも特定の年だけの蔵書冊数を抜き出したり、高梁中学校有終図書館の閲覧人員について独自に順位を数えて記述する必要があるのか分かりかねます。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 『岡山県教育史 下巻』を出典としている本文に、出典では「田中図書館」である旨を注記しました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
高梁・上房・川上視聴覚ライブラリー
[編集]1966年(昭和41年)に併設とありますが、高梁・上房・川上視聴覚教育協議会と同じもので、現在の高梁市視聴覚ライブラリーの前身でしょうか。もしそうなのでしたら合併前から現在に至るまで高梁総合文化会館に置かれているようです。
その一方で昭和41年に定められた規約では別の住所の高梁市教育委員会内に事務局を置くとあります。
これは協議会の事務局を教育委員会内に置き、協議会が設置運営する視聴覚ライブラリーを当時図書館に併設したということでしょうか。さらにまた旧・高梁市には高梁市立視聴覚ライブラリー設置条例もあり、昭和54年に定められて昭和60年に改正があったようですが、ここでの位置は高梁総合文化会館の住所です。高梁総合文化会館は昭和60年にできましたので(増補版 高梁市史 下巻 332頁)、協議会事務局も視聴覚ライブラリーも一緒に移転して合併を迎えたということでしょうか。
ただ昭和54年に何があったのかが分かりません。昭和41年に頼久寺町にあった図書館に併設された後、昭和45年に図書館が向町に移転したときには一緒に移転したのか、それともこの時点で分かれたのか、どちらにせよ昭和54年にさらに移転があったのでしょうか。どうにも判然としませんが、現在の高梁市視聴覚ライブラリーは合併前とくらべて機材や教材の貸し出し対象をより狭い範囲に限定したようで、そのためか市のウェブサイトでも条例と場所以外の情報が見当たりません。
昭和41年の併設を書くのでしたらその後どうなったのか、現在はどうなっているのかも記されていることが望ましいと思います。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 経緯が分かりませんので、現在は高梁総合文化会館にある旨だけ注記しました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
各館
[編集]高梁市図書館
[編集]「歴史」の時代区分が旧・高梁市図書館だけを基準としているのは旧・高梁市図書館が「高梁市立図書館」だったと誤認して執筆されたためと思いますが、本来であれば「地域図書館」と同様に単館の歴史は「各館」の「高梁市図書館」の項に記載すべきなのだと思います。しかしそれではあまりにもバランスを欠いてしまうためちょっとどうしたらよいのかわかりません。高梁市立図書館ではない武雄市図書館・歴史資料館や海老名市立中央図書館、さらには代官山T-SITEの写真を掲載するのであれば、写真に限らず成羽図書館や3図書室に関する記述の充実が必要かと思います。ともあれ「各館」の「高梁市図書館」の項にある高梁市立図書館全体に関する記述について、貸出冊数・貸出期間は「歴史」へ移動し、広域貸出サービスは既に「歴史」にも重複して記述されていますので削除します。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
地域図書館
[編集]「地域図書館と呼ばれている。」とありますが、条例にはありません。
高梁市図書館の指定管理者でしかないCCCが何故か構築した高梁市立図書館のウェブサイトにはありますが、全館直営だった頃のウェブサイトにはありませんでした。
- 図書館案内 高梁市立図書館
ただしCCCの造語というわけではなく、市議会でいくつか発言が確認できます。平成27年については本記事の説明と合致しているようです。岡山県の資料にもある平成21年の緊急雇用事業「地域図書館・室システム統合推進に伴う資料整理事業」は意味するところこそ本記事の説明と合致しているようですが、3図書室を表すために「・室」と付けています。逆に言うと「地域図書館」とだけした場合には3図書室を含めない使い方をしていると思われます。市議会に戻ると平成11年にも「地域図書館」がありますが、合併前の旧・高梁市での発言ですのでどういう意味なのか分かりません。そうしますと「地域図書館」と呼ばれることがあることまでは間違っていないと思いますが、「呼ばれている」として項目を設け、成羽図書館と3図書室を一段下げて記述するのははたして適切なのか疑問です。また表「高梁市の図書館・図書室」が置かれていますが、高梁市図書館も記載されているようにこれは「各館」の冒頭に置くのがより適切なのではないでしょうか。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 「地域図書館」の階層を廃し、「各館」冒頭に説明と表を移しました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
成羽図書館
[編集]「現在のトマト銀行成羽支店の場所」とありますが、この部分も『成羽町史 通史編』705頁の記述(のみ)が出典でしょうか。『成羽町史 通史編』は本記事にもありますように1996年の出版ですが、トマト銀行成羽支店は2005年に新築移転して2017年現在の住所となったようです。
- 2005ディスクロージャー (PDF) トマト銀行
- 2005ディスクロージャー 資料室 (PDF) トマト銀行
それ以前の成羽支店の住所は2000年までは遡れましたが、1996年頃までは分かりませんでした。
- トマト銀行 -店舗ご案内(岡山県内)-(2000年6月3日のアーカイブ)
何か他の出典によって1996年当時の住所から2000年までにいったん移転していたのが2005年に元の住所に戻ったのでしたらその旨注記されるようお願いします。そうでないのでしたら、2005年以降のトマト銀行成羽支店の場所ではなくなっているのではないかと思います。--Whatsfb(会話) 2017年10月13日 (金) 16:42 (UTC)
- 『成羽町史 通史編』の記述として注記に移しつつ、トマト銀行成羽支店が2005年に移転していることを追記しました。--Whatsfb(会話) 2017年11月11日 (土) 14:01 (UTC)
Template:カルチュア・コンビニエンス・クラブに関する提案の告知
[編集]Template:カルチュア・コンビニエンス・クラブからの本記事の除去及び本記事からの当該テンプレートの除去をTemplate‐ノート:カルチュア・コンビニエンス・クラブ#指定管理施設の除去提案にて提案しました。ご意見がありましたらそちらまでお願いいたします。--Whatsfb(会話) 2018年12月30日 (日) 23:53 (UTC)
- 報告 年末年始でしたので余裕をみて2週間経ちましたが賛成1、反対なしでしたので提案通り実施しました。--Whatsfb(会話) 2019年1月14日 (月) 00:13 (UTC)
- 本提案による編集が取り消されています。ご意見はあらためてTemplate‐ノート:カルチュア・コンビニエンス・クラブでおうかがいしたいと思います。よろしくお願いいたします。--Whatsfb(会話) 2019年1月18日 (金) 06:35 (UTC)
- 報告 再投票の結果、各指定管理施設記事では指定管理施設のみ、非指定管理施設記事では指定管理施設以外、記事「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」では全部を表示することとなり、実施しました。--Whatsfb(会話) 2019年2月12日 (火) 19:27 (UTC)