ノート:高橋弥七郎
出典の明記
[編集]以下の情報に関して太字の部分にそれぞれ出典の明記を求めます。
『作品世界独自の設定や専門用語、日本語の単語に外国語(カタカナ)のよみがな、日常ではあまり使われない熟語(因果、顕現など)や表現の多用、やや大袈裟な解説文(期末テストを「『テスト』と言う筆記による学力査定」など)と言った、独自色の強い文章を書く』
『一部では弥七郎という名前から876と呼ばれている』
前者の場合はどう見ても客観的な記述ではありませんし、これは高橋弥七郎の作品全てに言えるのかというのも重要です。後者はまず「一部」というのが曖昧です。いずれにしろ、Wikipedia:出典を明記する・Wikipedia:検証可能性に反しているので、どなたかソースをご存知の方がいらしたらお願いします。あやしい記述なのでしばらく待って何も起こらないようなら削除します。--KM-0901 2007年10月12日 (金) 13:04 (UTC)
(コメント)前者に関しては確かに客観的ではないとおもいます。後者に関しては川上稔著の「遭えば編する奴ら」にて髙橋876号というキャラが登場していてそのモチーフなのでは?という情報があるようです。221.185.255.164 2007年10月17日 (水) 09:56 (UTC)
(コメント)「876」の記述ですが灼眼のシャナ7巻のソデでもいとうのいぢが「867先生」と表記しています。特定の人しか確認できませんが打ち合わせラフイラストの端や作家間の個人日記では「876先生」という形で書いているようです。220.108.251.187 2007年10月25日 (木) 04:43 (UTC)
(コメント)審議の進展のため細かくツッコミ入れてみますね。「作品世界独自の設定や専門用語」ライトノベルだけでなく漫画やアニメ作品には普通にあると思います。スパイス的な要素なのでこれがまったくない作品は面白味に欠けるのでは?「日本語の単語に外国語(カタカナ)のよみがな」漫画ブリーチとかでも使われてます。「日常ではあまり使われない熟語(因果、顕現など)や表現の多用」これは確かに日常ではあまり使われません。ですが作品の世界観(非日常の世界)の表現に一役買っていると思います。「やや大袈裟な解説文(期末テストを「『テスト』と言う筆記による学力査定」など)と言った、」これは比喩表現では?「876」の記述に関してはネット上(2ちゃんねるやファンサイト)でも見られます。どれも文面などの表記上の呼ばれ方みたいですね。61.199.1.209 2007年10月31日 (水) 10:24 (UTC)
(報告)二ヶ月ほどたってしまいましたが、出典の無い作風に関しては削りました。ついでに、作品テーマはここに全て書いたらきりが無いので、高橋氏がそういうテーマをいつも設定しているというのが分かる程度にとどめました。(全て列挙する必要性は低いと思いますが)どうしても書くのであれば作品のページに記載するのがふさわしいです。--KM-0901 2007年12月6日 (木) 07:11 (UTC)
人物の編集方針
[編集]人物(作家)の編集方針に添って項目を立て直してみました。 人物・エピソードに関しては荒れる可能性もあるとのことなので 必要な事柄以外は書かないという方針が好ましいようです。 作品に関しての記述は作品のページに詳細があるので簡略化、 脚注として載せたものにはもっと適切なものがあったら 差し替えていただけると助かります。 テンプレの付いている文章には議論が継続中のようなので そのままとなっています。 221.185.255.164 2007年10月15日 (月) 11:55 (UTC)
出典を確認したら
[編集]わざわざこんな所に書き込むことでもないとは思いますが、「要出典」が貼ってある部分について出典を確認した場合は、WP:V及びWP:CSに従ってそれを示したいただくようにお願いします。--KM-0901 2007年12月30日 (日) 16:16 (UTC)
(追記)今回僕が提示をお願いしたいのは「略歴」節の、「その反省を踏まえ」から始まる一段落です。正確には、「その反省を踏まえ」たことを示す出典、「『分かりやすいものを~多く設定された」ことを示す出典、そして売り上げが大きいのは「その結果」であることを証明する出典です。もちろん全て同じものからであれば1つ示していただければいいわけですが。よろしくお願いします。--KM-0901 2007年12月31日 (月) 04:48 (UTC)
各巻テーマについて
[編集]各巻のテーマですが、シャナを全て網羅するのはきりが無いので少し前に3巻までにしました。が、何の意思表示もなく再び加筆されていますので議題にあげます。確認して欲しい事は2つです。
一つ目、ここは高橋弥七郎個人についての記事であるため、例としていくつか上げる程度ならまだしも、作品についての細かい情報の掲載はここではふさわしくないこと。二つ目、これらを各作品の記事に移したとしても、いちいち全てのテーマを網羅する事に百科事典的な意味があるのかと考えたとき、作品未読者がテーマだけポンと出されても良く分からないし、かといってテーマを元に作品を解説するようなことは現段階で出典が無いので不可能であり、単なるデータベース的・トリビア的な記述になってしまい、あまり有益な記述にならないこと。
これらの観点から、テーマを全て網羅する事は不要と考えます。編集合戦になっても困るので、しばらく意見を募った上で対処しようと思います。--KM-0901 2008年1月5日 (土) 08:48 (UTC)
- 今まで状況を傍観していました(手をこまねいていた、と言うべきでしょうか)が、私としては高橋弥七郎個人の記事である以上、具体例の提示自体が不要ではないかと思います。具体的にどうなっているか、なんて実際にあとがきを読めばわかる(特に『灼眼のシャナ』)でしょうし。--Gosuke75 2008年1月5日 (土) 12:24 (UTC)
- 同感です。一般には、作品テーマというものは百科事典として有益な解説を書くためのスパイスになる場合が多いのですが、高橋弥七郎の場合はそうでもない感じがしています。現段階では「作風」という節そのものの必要性が問われるべきだと思いますが、多分完全な除去での合意は難しいだろうと踏んで上記の妥協案というところです。--KM-0901 2008年1月6日 (日) 09:59 (UTC)
- 中途半端に記述してあると完成させたがる人がまた出てくるような気がします。全削除でもその可能性は否定できませんが、私としては人物の項に軽く「各巻それぞれに描写と内容の二点からテーマを定め、あとがきで公表している」旨のみを記して具体例(ここまでくると作風の項、とすべきなのかもしれませんが)は全削除、としてしまったほうが、ページの見やすさという点からも良いと思います。
- 私とKM-0901さんだけで話を進めるのも問題があるでしょうから、もう少し"相談相手"が欲しいところなのですが。--Gosuke75 2008年1月8日 (火) 14:52 (UTC)
- 同感です。一般には、作品テーマというものは百科事典として有益な解説を書くためのスパイスになる場合が多いのですが、高橋弥七郎の場合はそうでもない感じがしています。現段階では「作風」という節そのものの必要性が問われるべきだと思いますが、多分完全な除去での合意は難しいだろうと踏んで上記の妥協案というところです。--KM-0901 2008年1月6日 (日) 09:59 (UTC)
- 確かに別の方の意見も聞いてみたいものですが、なにぶん記事の編纂に関わるほとんどの方がIPさんなので、履歴やノートをあまり確認しなかったり、何となく入ってきづらい部分はあるのでしょう……(僕もIP時代はそうでしたし)。さすがにコメント依頼に出すには話題が些細すぎると思いますし。遠慮せずにコメントしていただいて構わないというか、むしろそうして欲しいと思っていることをこの場で表明しておきます。ではとりあえず、今週土曜で僕が最初に提案して一週間になるので、様子見で「作風」節を削除し、「人物」のほうで軽く触れてみて他者の反応を待つ方向でどうでしょうか?--KM-0901 2008年1月9日 (水) 02:04 (UTC)
- (コメント)<と言っても、ほとんど、KM-0901さん、Gosuke75さんが既にコメントされたことを解釈しただけですが...>
作品に関しては既に「作品リスト」の節内で、作品の詳細については各作品ページを参照するようにと促されています。そのため、この項目にそうした記述を記載する必要はないと思いますので、「作風」の節は取り除いたほうが良いと思います。作風・テーマについては、「人物」節内でも触れることができますし。転載の線についても、テーマだけでは作業自体どうかと思います。-- tr-forces (T-ASL921 forces)2008年1月9日 (水) 04:35 (UTC)
- (コメント)<と言っても、ほとんど、KM-0901さん、Gosuke75さんが既にコメントされたことを解釈しただけですが...>
(報告)少し遅くなりましたが、「作風」節を削除しました。ついでに出典明記が必要だと思われる部分には少し厳しく{{要出典}}をつけてあります。--KM-0901 2008年1月23日 (水) 12:40 (UTC)