コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ノート:鰐塚山

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

空中線電力・ERPの括弧について

[編集]

アナログテレビジョン放送送信設備の空中線電力とERPの欄で、括弧書きの映像出力がありますが、これはどういう意味なのでしょうか?--スーパー白鳥14号 2008年11月16日 (日) 12:20 (UTC)[返信]

無線局免許状に複数の数値が記載されているためカッコ書きで表現しています。一例として宮崎放送の無線局免許状検索ページ)。おそらく方向別に出力が定められているものだと思われますが、正確なことは把握がつかないです。--Sanjo 2009年1月18日 (日) 14:47 (UTC)[返信]

FM補完中継局について

[編集]

2016年1月11日から宮崎放送(MRTラジオ)のFM補完中継局の試験電波が発射されています(11日~28日は10時~18時のみ、29日より24時間)が、MRT公式サイトなどでその情報が確認できないため、本文には反映させていません。何らかの媒体で確認でき次第、反映します。--Sanjo会話2016年2月29日 (月) 08:42 (UTC)[返信]

放送局のサービスエリアについて

[編集]

別の場所にも述べたことがありますが、鰐塚山送信所のサービスエリアは資料によって大きく異なります。大雑把にいえば、1960年10月1日付の『日向日日新聞』(現在の宮日)に掲載されたラジオ宮崎テレビ(MRT宮崎放送のアナログテレビ)のサービスエリア、『宮崎放送三十年史』(1984年)や『UMKテレビ宮崎の30年』(2002年)に掲載されたエリア、そして『MRT宮崎放送50年史』(2004年)に掲載されたエリア。ここ10年で総務省が公表した「放送区域」も放送局(地デジ、MRTのFM補完中継局、NOTTV)によって大きく異なります。

日向日日新聞(1960年10月1日付)に掲載されたマップは2種類あって、コモンズにアップしているもの(commons:File:JONF-TV Analog TV Area 1960.jpg)は四国が省略されていますが、もう1枚のエリア図は四国が描かれており、愛媛県八幡浜市から高知県宿毛市にかけてがエリアに含まれています。FM宮崎のサービスエリアマップ(2007年時点では掲載。2016年現在は非公開)は鹿児島県大隅半島の全域、錦江湾沿岸に種子島・屋久島、四国の西南地域が含まれています。『宮崎放送三十年史』や『UMKテレビ宮崎の30年』に掲載されたエリアはMRTラジオのFM補完中継局の「放送区域」に比較的近い(これに種子島の北部が含まれるもの)となっています。ただしMRT宮崎放送50年史ではほぼ県境に沿った表現となっています。地デジの放送区域は宮崎県外ではほぼ曽於市のみとなっています(受信実態と大きく異なることに注意)。

ひとついえるのは、2016年8月16日の利用者:Saihare会話 / 投稿記録 / 記録さんの編集(単純に差し戻したせいで、1960年10月1日付日向日日新聞に掲載されたMRTテレビサービスエリアマップまで除去されている)は確実に不適切だということです。日向日日とMRT・UMKの社史、FM宮崎タイムテーブルのうち、タイムテーブルが出典に難有りだとしても、除去するべき記述は屋久島のみです。「放送区域」に限定しても大隅半島までを除去する編集が正しいものとは言えません。大隅半島まで除去した正当な理由があれば説明してくださいね。有効な反論がなければ1週間で差し戻します(※この書き込みはSaihareさんが除去された「宮崎県外で放送区域内の地域」から、MRTのワイドFMを聞きながら投稿しています)。--Sanjo会話2016年8月31日 (水) 14:36 (UTC)[返信]

返信 記述を復活させるなら、アナログとデジタルを分けて記載してもらいますか。またA-PABにないエリアを記載する場合は必ず参考書物のページ番号まで脚注付きでおねがいします。--Saihare会話2016年8月31日 (水) 15:02 (UTC)[返信]
大隅半島まで除去した正当な理由は存在しないということですね。よくわかりました。
Saihareさんが除去された記述の部分は「電波そのものがどこまで飛ぶか」という解説ですので、それがデジタルテレビだろうがアナログテレビだろうがFMラジオだろうが各種無線だろうが無関係です。サービスエリアや放送区域とは全く別の話です(そのため、UMKの20年史を出典に「広島のテレビ局への影響を調査する必要があるほど、鰐塚山の電波は広範囲に飛んでいた」と書いても問題ない)。「広島」はマニアックかもしれません(ただ、噂では絵下山でMRTのFMラジオが実用レベルで受信出来るらしいです)が、「鹿児島市や種子島」程度であれば公式にサービスエリアとされていたことがある実績から「一般的な『遠くは』の範囲」と判断しています。
それともう一件。出典の表示手法は参考文献形式でも特に問題なく、脚注形式を「強制する」方針は日本語版ウィキペディアには存在しません(Wikipedia:出典を明記する:不特定多数が編集する性質上、脚注形式がモアベターではあるが、マストではない)。これは論文や専門書で「脚注で出典を示すことが非推奨となる」分野もある、言い換えれば、参考文献形式が標準となる分野もあるためでしょう。
そもそもの話ですが、鰐塚山に関する全体的な参考文献が付いている以上、出典を求める側も参考文献を一通りチェックするべきです。鰐塚山であれば田野町の郷土史(地理的概要)や各放送局の社史(送信所としての概要)です。鰐塚山に限らず「除去」作業をするのならば「○○を読んでみたけど、書いていないじゃないか」レベルにまで持ってきてから個別に指摘するべきです。出典をろくに読まずに出典を求めるべきではないのです。--Sanjo会話2016年11月16日 (水) 16:50 (UTC)[返信]
返信 - 記述を存続させたいのであれば、ページ番号まできちんと出典してもらえませんか。例えばsanjoさんの場合、社史を参照されているらしいですが、原状社史が所蔵されていない地域の場合参照することができません。社史の場合Template:Cite bookを用いて細かく出典を願います。それができなければ状況に応じてWP:TVWATCHWP:RADIOLISTENの疑いとして除去を更に検討したいと思います。散々私も申しましたが出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。今後あなたが曖昧な出典や独自研究をされた場合、要ページ番号や要出典テンプレートの貼り付けや該当記述の除去を行わせていただきます。--Saihare会話2016年12月5日 (月) 01:26 (UTC)[返信]
  • コメント Sanjoさんを支持 公共図書館に所蔵されている社史を参照できないのは一閲覧者の都合であり、編集者に責を帰すことはできません。2012年7月にWP:CITE#記事末尾に参考文献を記載するの3.が現在の形になったときの議論(Wikipedia‐ノート:出典を明記する/過去ログ7#ページ番号について)を見ても、採用された文章の提案者は「必ずページ番号を書かなければならないという運用がなされてしまうことへの不安」を併せて表明しており、「ページ番号が書いてないから出典不備」とは解さない前提で合意されています。まして2012年7月より前に執筆された内容について、その後の方針を遡及適用して除去までするのは不適当で、{{ページ番号}}や{{要ページ番号}}を貼って出典に当たれる編集者に改善を依頼するとか、WP:PNA#依頼に適している場合はそれを利用するのが適切です。--Cauli.会話2016年12月6日 (火) 08:23 (UTC)[返信]
  • コメント - ページ番号については、メンテナンス系タグを貼るよりも出典となる資料を調べて自らページ番号を記述するか、出典を調べてページ番号を記述してくれる利用者が出てくるのを待つのが適切ではないかと考えます。残念ながらそのようなタグの貼り付けを忌み嫌う人もいらっしゃいますし。ページ番号に関しては、「今すぐ必要」という物でもないと思います。--Beatclick会話2017年2月12日 (日) 00:37 (UTC)[返信]