ノート:鳩摩羅什

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>翻訳の過程で独自の思想「色即是空、空即是色」も盛り込んでいる。

鳩摩羅什が訳経の際に、彼のドグマのもとに経文に手を入れているのは知られていますが、「色即是空 空即是色」が彼の独自の思想であるということは見聞しません。典拠を御教示ください。Authority 2005年4月27日 (水) 16:49 (UTC)[返信]

NHKの特集シルクロードでは、「色即是空 空即是色」「地獄」「極楽」が彼の独自の翻訳であると言っています。ロリ 2005年5月16日 (月) 13:16 (UTC)[返信]
「極楽」は確かに羅什の訳語ですが、他は違います。NHKでも誤謬は多々あります。テレビ放送を典拠にしないで、必ず原典を探し、確認するべきだと思います。Authority 2005年5月16日 (月) 13:28 (UTC)[返信]
なるほど含蓄のあるお言葉有り難う御座います。確かにNHKのドキュメント内容には時々間違いがありますね。ロリ 2005年5月16日 (月) 18:17 (UTC)[返信]

「羅什」の「女犯」の時期について[編集]

NHK新シルクロード(第5集)によると、漢に拉致され強制的に王女と交わる事を強制されたとありますがどのようなものでしょうか。--60.47.46.199 2005年5月8日 (日) 13:06 (UTC)[返信]

晋書列伝第六十五芸術の鳩摩羅什の記事に以下の記載があります。
純不從,出兵距戰,光遂破之,乃獲羅什。光見其年齒尚少,以凡人戲之,強妻以龜茲王女,羅什距而不受,辭甚苦至。光曰:「道士之操不逾先父,何所固辭?」乃飲以醇酒,同閉密室。羅什被逼,遂妻之。
ただ、これに従うのであれば、384年 亀茲国を攻略した前秦呂光の捕虜となったときの事件であって、現在の版(oldid=87092970)に記載される、
以前に女犯の事実はあり矛盾しています。402年の記事につての検証をお願いします。--Mtodo会話2022年1月5日 (水) 15:25 (UTC)[返信]
自問自答的で恐縮ではあるけど、『高僧伝』のこの箇所を言っているんでしょうか。
什為人神情鑒徹,傲岸出群,應機領會,鮮有其疋。且篤性仁厚,汎愛為心,虛己善誘,終日無倦。姚主常謂仁曰:「大師聰明超悟,天下莫二,若一旦後世,何可使法種無嗣。」遂以伎女十人,逼令受之。自爾以來,不住僧坊,別立廨舍,供給豐盈。每至講說,常先自說譬,如「臭泥中生蓮花,但採蓮花,勿取臭泥也」。
ご参考まで。--Mtodo会話2022年1月6日 (木) 07:04 (UTC)[返信]
コメント貴重な情報ありがとうございます。(1)まず『高僧伝』には「乃飮以醇酒。同閉密室。什被逼既至遂虧其節。」とあって「節度を失った=女犯をおかした」とはあっても、『晋書』のように「遂妻之=結婚した」とは書いていません。
(2)次に佐々木閑氏によれば説一切有部では「戒律違反をしても必ずしも比丘でなくなることはない」という毘婆沙師の理解があり、漢訳『十誦律』はその見解を支持するような構成になっているとします(佐々木[2017]『[学処解説の違いから見た有部系律蔵の系統分類]』)。一方で、そのような解釈を認めないグループ(経部)もあり、そのような解釈は説一切有部のもう一つの律である『根本説一切有部律』に反映されているそうです(佐々木[2017])。
(3)また、福田琢氏によれば、戒律違反(羅什の文脈で言えば女犯)を行っても比丘の資格は失われず、資格の一時停止状態になり、罪を犯したことを告白し懺悔すれば、再び比丘として認められるという解釈が、有部正統説である『大毘婆沙論』に説かれているそうです(福田[2014]『悪比丘は比丘か ―説一切有部における波羅夷と律儀―』)。つまり妻帯して恒常的に女犯を犯すのではなく、一時的な女犯は僧侶の資格として問題にならず、呂光が女犯を犯させたことは羅什の徳を侮辱したという程の意味しかなく、還俗には至らなかったと思われます。現にこのあと羅什が「還俗した」とか「捨戒した」と読める記述は『高僧伝』には出てきません。
(4)また佐々木氏と福田氏の研究からも、羅什がこの時に還俗したとは考えられません。そして「初什在龜茲從卑摩羅叉律師受律」という、羅什に戒律を授けた卑摩羅叉(ヴィマラークシャ)によって『十誦律』が訳されたことからも、羅什の持戒の実態は、有部正統説の毘婆沙師と同じく、「たまたま戒律違反をしたからといって即座に還俗させられることはなく、資格の一時停止状態になる」「他の僧侶たちに懺悔すれば、その罪も完全に許される」タイプのものだったことになります。ただし、罪を懺悔すべき正式なサンガが当時の中国にあったかは分かりませんが。
(5)よって、後に世継ぎを求められて妓女十人を貰い受けた時(「姚主常謂什曰。大師聰明超悟天下莫二。若一旦後世。何可使法種無嗣。遂以妓女十人逼令受之。自爾以來不住僧坊。別立廨舍供給豐盈。毎至講説常先自説。」)に、初めて僧房に住まず私宅に住むようになったという、この時点で還俗した、あるいは僧侶としての生活様式を捨てたと考えられます。
(6)結論をまとめますと、羅什は有部正統派である毘婆沙師の伝統に依っており、懺悔すれば戒律違反は許されるという前提に立っており、一回の女犯で還俗したという事実はないだろうということ。そして多くの訳経に従事した後の晩年に、自身の跡継ぎを求められて妻帯し、還俗したであろうということです。--Ryo 625会話2022年2月28日 (月) 22:25 (UTC)[返信]
ご教示ありがとうございます。本件よく理解できました。--Mtodo会話2022年3月1日 (火) 19:50 (UTC)[返信]

他言語へのリンクの訂正[編集]

「鳩摩羅什」他言語へのリンクが、「龍樹」の他言語ページになっています。小生はまだ操作に慣れていないため、どなたかよろしくご訂正をお願いします。(竹取翁)

「羅什」という略称に関して[編集]

  • 「羅什」という略称が、鳩摩(クマージーヴァ)の姓の末尾の音と名とからなる略称であって、省略の方法としては、異例の部類に属する、という記事に関して
  • 執筆者の中の一人が知らないから

  あるいは、

  • その略称が定着しているため、執筆者の中の一人の意見として改変不可と思われるから

  という理由から、特定の執筆者によって再三否定されています。   もちろん、このような類いのことは、学説とか論文といった類いのものではありませんので、寡聞にして聞いておられない方があったとしても、何ら不思議ではありませんし、また、《「羅什」の略称撲滅キャンペーン》が行なわれているわけでもないので、使いたい方は、従来通り使われればよいことなのです。ただ、仏教学系の学会の質疑や、仏教学者の講義の中のエピソード的な話、あるいは閑話休題ていどの話としては、なされていることなので、その事実のみを記しておく必要があるのではないか、ということで、ここに記しているだけのことです。
  それを、記事自体を削除されたり、そのような珍説(と見ておられるのか分かりませんが)が長年の習慣を変えさせることは不可能だ、などと、否定されるのは、長年の習慣に固陋に執着されているものとしか見えません。このような瑣末なことで出すべきことではないと思われますが、中立的な観点からいえば、今日、ほんの一部でではあったとしても、存在している議論を否定しようとされるのは、その観点から外れているもののように見えます。ご自分のHPなりブログなり辞書なりで、幾ら《「羅什」の略称保護キャンペーン》を展開されても構いませんが、それをここには持ち込まれない方がよろしいのではないでしょうか。
  長々と失礼いたしました。 --Ziksy 2006年12月31日 (日) 02:29 (UTC)[返信]

鳩摩羅が姓で、什が名という議論は、典拠が示されない以上、Wikipediaには記載すべきではないでしょう。小生は―寡聞にして―『姓は鳩摩羅、名は什』という文献には、インターネット上の典拠不明な記事以外には、ついぞお目にかかったことがありません。どんなに偉い仏教学者が口で言おうと典拠にはなりません。その先生が何を典拠としてそのような議論を展開しているのかが問題なのです。ひとことでも『****という文献に書いてある』等と言ってくださればよいのですが、『閑話休題ていどの話』は記載すべきではありません。Wikipediaの記事は検証可能でなければならないのです。幸いAdonisさんが削除してくれました。ちなみに小生は『鳩摩羅什』は『クマーラ・ジーヴァ』でなく『クマーラジーヴァ』の音写であり、姓・名に分割されないと理解しています。素人が勝手なことを云々、と思われるかもしれませんが、Wikipediaの原則を今一度ご確認下さい。 2007年1月7日 (日) 05:30 (UTC)[返信]
「鳩摩羅」と「什」とで分かれることは、『出三蔵記集』巻第14の什伝の末文に、「初什一名鳩摩羅耆婆、外国製名、多以父母為本、什父鳩摩炎、母字耆婆、故兼取為名云」(梁高僧伝に同じ)と見えるとおり。父の「鳩摩炎」は「鳩摩羅炎」(晋書)の略。したがって「鳩摩羅」「耆婆(什)」で分かれることは明白。ただしそれが「姓」と「名」であるかは、往時の天竺・亀茲の風俗に通じていないため未詳。--Two yossy 2007年11月11日 (日) 15:10 (UTC)[返信]
「鳩摩羅什」が「鳩摩羅」+「什」から成り立っていることは解ります。「クマーラジーヴァ」が父の名「クマーラ」と母の名「ジーヴァ」をとって名づけられたということも解ります。しかし中国はいざ知らず、クッチャに姓という制度があったというエビデンスが欲しいところです。 2009年3月17日 (火) 17:06 (UTC)[返信]