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ノート:鶴見俊輔

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遠山一行著作集』第4巻所収「集団の行為」p.196(新潮社1987年)に

ある日突然──と私には見えた──中学の同級生が学校をやめてしまったことがあった。
その男は頭がよく勉強もできたが、かなり変ったところがあって、たとえば試験の答案を、
わざわざ四十点とか五十点とかに仕立て上げるために、正しい答えを消しゴムで消したりして
おもしろがっていた。そして日ごろ反りの合わなかった教師をなぐって、学校をやめたのである。(中略)
その男は戦後社会評論家として登場し、名をなした。

という一節があるのですが、これは鶴見俊輔のことでしょうか。--Keysrapid 2009年5月31日 (日) 15:43 (UTC)[返信]

少年期の記述について

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鶴見愛子は、後藤新平の娘という点で、この項では重要人物です。--Imemine 2011年9月24日 (土) 12:54 (UTC)[返信]

当人が隠匿している情報であるなら、それを書くのが「名誉毀損」「プライバシー侵害」を構成するというのはその通り。判例上、プライバシー権は「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないしは権利」と定義されています。しかし鶴見俊輔の場合、自分はこういう不良少年であったと当人が進んで公表しているので(それを新藤謙がまとめて書いたのが『ぼくは悪人』)、それを書くのが「名誉毀損」「プライバシー侵害」にあたるというのは全く意味を成さない主張です。「批判的な記述」というのも一方的な見方であり、肝心なのは、こういう不良少年が立ち直って日本を代表する知識人になったということでしょう。『ぼくは悪人』を読めば解るように、新藤謙は鶴見俊輔を批判する意図でこの本を書いたわけではありません。--182.168.246.9 2012年1月7日 (土) 01:31 (UTC)[返信]

べ平連へのソ連の資金援助について

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Library of Congressのドキュメント([1])の該当ページには、米兵のソ連経由の逃亡を支援する一環でKGBへの資金援助を依頼した旨の記載はあるが、これに応じる決定は記録されていないので削除しました。ほかのべ平連関係者についても削除します。  2012年10月28日 (日) 16:21‎ Zenzaburo