ノート:1991年伊仙町長選挙

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本文中で指摘された事項について[編集]

ノート1987年2期目再当選果たした芳倉英治氏 は再当選後任期期間中の1988年3月

心臓病で倒れ 逝去した(町葬ではなく、伊仙町面縄の自宅で葬儀が行われた)

1988年3月以降には樺山資敏氏が選挙で当選となる なお、これら1991年に

芳倉英治氏逝去に伴う 選挙としては行われてはいない

1991年樺山資敏氏現職の任期満了にあたり 徳之島徳洲会病院院長盛岡正博氏と樺山資敏氏一騎討ち選挙であった

選挙開票にあたり、不正が行われている結果で支持者らは一挙に暴動化し

役場庁舎が混乱となる。

やり直し選挙へと確定され再選挙の持ち越しへとなる

また、徳之島町出身 森五十次氏は出馬などしておらず 役場庁舎への投石を止めたりなどの関与は事実と異なる

以上は本文中に126.156.204.27さんが投稿されたものをノートに転記したものです。--Tam0031会話2021年2月14日 (日) 05:48 (UTC)[返信]

「1988年3月以降には樺山資敏氏が選挙で当選となる」、ということですが、その場合町長の任期は4年なので、次の選挙は1992年となり、1991年に伊仙町長選挙が実施されたことと矛盾しています。出典として記載した朝日新聞の記事で、出馬した人はいずれも保守系無所属新人であると明記されており、1991年の選挙当時いずれも現職ではありません。
「徳之島町出身 森五十次氏は出馬などしておらず」とありますが、これも出典に示した朝日新聞記事で出馬した旨明確に触れられており、38票だったことも記事になっています。1991年4月26日の朝日新聞朝刊で森五十次氏について詳しく触れていますが、「前回に続いて立候補、得票は前回より9票少ない38票」とあります。この時点で47歳、出身はご指摘の徳之島町ではなく伊仙町だと書いてあります。選挙の8年前に徳之島町に移住した、とも書いてあります。都道府県・市町村議会の議員は、その自治体に住んでいないと被選挙権がありませんが、都道府県知事・市町村長にはこの制限がないので、伊仙町以外に住んでいても町長選挙に立候補できます。実際に橋下徹は豊中市在住のままで大阪市長に当選・就任しています。--Tam0031会話2021年2月14日 (日) 06:08 (UTC)[返信]